Chapter 1. 少年、入学する
Chapter 1. 少年、入学する
1.
タマゴが孵るという言葉に少年のみならず家中が驚きの色を隠せなかった。老人は目をギュッと瞑った。彼はここで唯一の竜専門家だった。ここで気をしっかり持たなくては災いが起こってしまう。
野生の竜のタマゴというのは滅多に見られない。海竜であれ翼竜であれ、一様に母性が強いためこうしてタマゴを人間が手に入れるというのは極めてまれなことなのだ。
実際、アルテリオン家がタマゴを発見したとの報を聞いた時は、まさか家門の力にモノを言わせて母竜を殺し無理矢理奪ってきたのではないか、と学者はいぶかしんだほどだった。
アルテリオン邸の大黒柱には真っ黒な蝶が浮き彫りになっている。一般的にグリフォンや竜、獅子といったものを家門を象徴する紋様として選ぶのに比べれば、蝶は相対的に惰弱な印象を与えるモチーフだ。しかしこの紋様の意味を知る者ならば誰もがその意味を口にすることなど出来ぬだろう。
ソードマスターとグランドソードマスターを輩出した、今も息づく剣の名家であり死の使いであるアルテリオン家を知っているのなら、たった10歳のときにクマを仕留めたという言い伝えはさほど珍しいものではない。15歳でオーガを鏖し18歳で騎士団も匙を投げた大型モンスターであるジャイアントアントを制するのを以て成人式の習わしとするのがこの家門である。
そんな家門の邸内へ学者を招いた少年はとても純真な表情で彼を見上げていた。闘いなどまるで知らなそうな初心な容姿に、腰回りなど街中の小娘より細かった。女性より白く整った指にはタコすら出来てなかった。
しかしそんな指でオークの頸骨を折ることぐらい容易いことを彼は良く知っていた。
学者の眉間に深い皺が寄った。竜はどこの地でも貴重だった。このタマゴは特に殻の表面や模様、大きさからすれば皇家としか契約しないとされるインペリアル級の竜である勝算が高い。彼の眉間の皺はより深く刻まれた。
野生の竜、しかもインペリアル級とは。
インペリアル級は一般的な竜とは次元が違う。産まれながらに人間の知能を備えたこの竜は成長するにつれ竜言を操るようになり、おまけに人間の姿に化けることすら出来る。
この竜がどのような能力を持っているのか知らない状況で、幼子に所有するよう許してしまっては彼にどのような叱責が降り掛かるか分かったものではない。剣の名家・アルテリオン家は確かに有用だが強力な分傲慢であり、何より権力や政治には無関心だ。そのせいで余計に排斥と警戒の対象となっていた。
少年は澄んだ瞳で彼を見上げた。まったく、美しい少年だった。早朝、神殿の入り口で朝日を浴びている天使の像を美しいとするならば、そういう類いの美しさだった。甘みをまとっていそうな肌は指で押せば甘露が染み出るかのようだった。しかしそんな容姿でありながら少年はほとんど笑わなかった。純真そうな顔でありながら、その表情はどこか強ばっていた。
彼の到着が少しでも遅れたならばこの竜は少年の所有となっていたかもしれない。孵化したばかりの竜は最初に見た人を母親だと認識する本能を備えているためだ。それを刻印本能と呼ぶのだが、順序としてはこのタマゴを奪う訳にはいかなかった。
学者はそんな自分が恥ずかしくなった。
「君、名前はなんというのかね?」
「シャインって言います」
少年にしてはとても女性っぽい名前だ。少年は頬をぷーっと膨らませた。
「その…… 母さんが僕を娘だと早とちりしたせいで…… だからシャンって呼んでください。シャインはちょっと……」
そしてか細い声で付け加えた。
「そっちが…… マシだから」
どうやら女性っぽい名前のせいでだいぶ傷ついているようだ。しかし少年はあまりに美しかった。もし少年が甘美な容姿ほどに性格まで愛らしかったなら、誰もが美少女と勘違いしただろう。あまりに筋肉隆々な男たちばかりの家門とあって、少年の美貌はより目立っていた。
「分かったよ、シャン。熱いお湯を持ってきてくれるかね? そして孵化が目前だから邸内の方たちには決して入ってこないよう伝えてくれ」
シャンはうなずいた。
「大丈夫。兄さんたちと父さんは今狩りに出かけたから」
麓の村に現れたジャイアントオーガを静めに行くという話を通り過ぎ様に聞いてはいた。騎士団が総員でかかっても倒せるかどうか分からない存在を、この家門の人々はまるで隣の家に塩を借りるかのような気軽さで受け取る。学者は顎を撫でた。
天運は我にあり。今この邸内に大人たちがいないのなら、この竜のタマゴを自分が持ち去っても文句は無かろう。学者は罪悪感を感じたが面には出さなかった。
少年は小鳥のようにうなずいて、湯を取りに行った。
振り向いた学者はふと、シャンに妙な点を発見した。シャンの腰には剣が無かった。普通の家でなら妙な事ではなかった。しかしここは赤子が歩き出した記念に木刀を贈る家門だ。この家門の人間はクマのぬいぐるみの代わりに剣を抱いて寝、長じては恋人の代わりに枕する。
ゆりかごから墓場まで彼らは剣を手放さない。彼らに取って剣がないことは死を意味した。
そして少年には剣が無かった。
***
タマゴの表面がだんだん柔らかくなっていった。
その中にいる竜のヒナの輪郭が浮き出るほどだった。殻を破ってあげたい衝動に駆られたが、それは許されなかった。他人の力を借りて産まれた竜はほとんどが未熟児として育ち、やがて病んで死んでしまう。
学者は根気よく1時間、2時間と待った。普通なら孵化を始めて遅くても3時間もすれば殻を破ってくる。しかし6時間が経っても破る気配がなかった。7時間が経過するころには下っ腹が痛みだしてきた。
何とか耐えてみたかったが、この下っ腹は意志に反して雷鳴のごときうなりを挙げ始めた。結局学者はトイレへ駆け込んだ。たかが数分、その間に孵ることはないだろう。殻に亀裂すら入ってなかったではないか。
学者が急いで部屋を出ると、ドアの外に立っていたシャンはそっと部屋を覗き込んだ。タマゴは相変わらず蠢いているだけで破れる気配はない。好奇心が働いた。産まれる直前の竜を指でグニグニ押してみたかった。
『どんな感じだろう? 竜のヒナって可愛いかな?』
しかしシャンは首をブルブル振った。大人にダメと言われたらダメなんだ。アルテリオン家での暮らしで徹底的に悟った真理じゃないか。少年は本来なら剣が下がっている腰元をまさぐった。虚ろだった。
ドアの隙間からそっと覗くとタマゴは相変わらず産まれそうになかった。
『一度だけ、そう、一度だけ見てみよう。ホント、見るだけで。誰も気づかないだろうし』
ダメと分かっていながら少年はコソコソ部屋へ入っていった。部屋にいるのは自分とタマゴだけだと考えると心臓が破裂しそうだった。
タマゴはまるで心臓のように膨らんだりしぼんだりを繰り返していた。タマゴの中で蠢く竜のヒナの輪郭がはっきりと浮かんでいた。シャンは息をのんだ。殻に映る竜はあまりに美しかった。竜のヒナが蠢くたびに鱗が波のようにさざめいた。少年は思わず手を伸ばした。
彼の手がタマゴに触れた瞬間、竜の目がカッと開かれた。
「あっ!」
少年が叫んだ。タマゴを破り出た竜の脚が少年の指をガシッと掴んだ。その時学者が入ってきた。学者は慌てふためきながら訊いた。
「君、なぜそこに?」
少年がその場で凍り付いて答えた。
「ど、どうしましょう?」
一瞬にしてタマゴが完全に破れた。クリーム色の鱗が露わになった竜の金色の瞳が少年を見つめた。
『刻印』
竜が口を開いた。
「ママ」
私はwebtoonのストーリー担当で、著作権の問題はないから安心してください。それよりも、この小説を楽しく持ちたのか気になります。是非楽しくお読みいただき、恩讐お願いいたします。下には、 webtoonのリンクを貼っておきます。こちらもよろしくお願いいたします。
http://www.comico.jp/articleList.nhn?titleNo=3495