五年越しのバレンタインデー
バレンタインデーは好きじゃない。好きじゃないというより苦手だ。嫌な思い出がある。
五年前のバレンタインデー、私はまだ小学五年生だった。幼馴染みでもあり、淡い小さな恋心を抱いていた男の子にチョコレートを渡したのだ。
「……あげる」
昔から可愛くない所のある私は、それしか言うことが出来なかったのだ。でも渡せただけでも良かった。
だから早く帰ろうと身を翻そうとした時、クラスメイトである男子に声をかけられたのだ。三人の男子は私と彼を見るなり冷やかして来た。
子供は実に単純で、くだらない行動ばかりを取る。今の私ならば開き直って、だから何だという態度が取れただろう。だがしかし、当時の私は普通の小学五年生だ。
茶化されれば羞恥に駆られる。本命だなんだと言われ、いつも一緒の幼馴染みなのに好きなんだなんだと言われる。実際は好きだったわけだが。
開き直ることも出来ずに「本命じゃないもん!」なんて子供丸出しな答えを吐き出した私を、五年経った今でもそれは違うと諭したくなる。
本命だったし、そんなことを言われた彼の気持ちも分からない訳じゃなかったはずなのに。
悔しいやら恥ずかしいやらで泣き出した私を、さらに男の子達はからかった。でも、幼馴染みの彼は私の頭を撫でて庇ってくれたのだ。
私をまだ小さな背で隠し、男の子達にタンカを切ってくれ、追い返してくれたんのだ。そうして笑顔で私の頭を撫でた。
私は「ありがとう」も「ごめんね」も「好き」も何も言えなかった。「義理じゃない、本命だよ」とも。
それから五年、私は、私達は高校一年生になった。そうして私の手には、綺麗にラッピングされたチョコレート。
トントンと何度も何度も胸を叩いて鼓動を落ち着ける。大丈夫大丈夫。今度こそ、上手くいくから。
あの日を境に私は彼にチョコレートをあげなかった。と言うか友チョコの交換とやらもしてこなかったのだ。
バレンタインデーという行事はあの日言えなかった言葉と共に風化した。だが、今日はそんな日を復活させるのだ。
今度こそ謝って、お礼を言って、好きだと伝えるのだ。そのために何日も前から、チョコレート作りをしてラッピングにも時間をかけた。
だからきっと大丈夫。ちゃんと言える。ちゃんと伝えられるはずだ。
「あの時はごめんね?……好きです、付き合って下さい?……違うかな」
遅くまで部活をしていた彼を待ち、部室の前で右往左往しながらぶつぶつとうわ言のようにシミュレーションを繰り返す私。
こんな場面誰かに見られたら先生を呼ばれそうだ。だが、こうでもしていないと落ち着かない。トントン、何度目か分からないが、また胸を握り拳で叩く。
「……うぉ、何してんだよ」
突然開いた扉と聞きなれた声。手の動きを止めて顔を上げれば、さらに見慣れた顔がそこにはあった。
シャワーを浴びたあとなのだろうか、髪が生乾きで僅かな水が落ちる。彼は私を見て首を傾げた。
「いや、何ってか……」
私の視線は彼には向けられず、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。終いには勢い任せに、チョコレートを押し付けてしまう。
上手く回らない頭と、つっかえた言葉。五年も経ったのに、私はあまり変わっていないようだ。溢れた言葉は昔と変わらなかった。
「あげる」
でも、変わったのは彼の反応。昔は驚いたように、大きな瞳を丸めていたけれど、今の彼は幾分鋭くなった目を僅かに見開いて、笑った。
嬉しそうに笑ってお礼を言ってきたのだ。予想外の反応だった。
「手作りか?有難うな……。ホワイトデーにはちゃんと何か返すからな」
あれ、こんな反応を予想してたんじゃないけれど。ぽかん、とするのは私の方。
だけれど彼は気にしていないのか、鞄を背負い直し部室の扉を閉めた。そうして私に送っていくことを告げた。
確かにもう九時を回っていて、フラフラと一人歩きをしていいとも思えない。有難けれど。
私はに手を伸ばす。ワイシャツの裾を掴めば、彼はゆっくりと振り向いた。
「その、チョコは……」
言葉が出ない。喉に引っかかって出て来ない。
「あぁ、分かってるよ。義理だろ?」
へ、と代わりに出たのは間抜けな声。顔を上げた先には、少しだけ困ったように笑う彼。
昔もこんなことで困らせたもんな、とかそんなことを言う彼。違う違う、そんな顔をさせたいんじゃないの。そんな言葉を言わさたいんじゃないの。
何より、そんな言葉を言いたい訳じゃない。そんな事を思ってる訳じゃないの。
「違う!」
キンッ、と静かな廊下に響いた私の声。彼は驚いたように目を見開いて私を見た。でもそんなのは関係ない。
今言わなくちゃいけない。今言わないとまた後悔するから。今伝えるんだ。
「五年前はごめんなさい。ありがとう。……そして義理じゃないの、五年前も今も本命です」
指先が震える。でも、伝えられた。
頭上から降ってきたのは彼の溜息で、私が顔を上げて見れば良く分からない顔をしている。ずりずりと落ちてきた体。彼の頭が私の肩に乗った。
「本命じゃないって言われて、結構傷ついたんだからな」
耳元で囁かれた言葉に、私は肩に乗った彼の顔を見ようとする。赤い耳だけは見える。顔は見せる気がないのか、埋めたままだ。
ねぇ、なんて声をかければ視線が寄越される。私が、顔が赤いと笑えば、誰のせいかと問われた。私のせいなのだろうか。
五年越しのバレンタインデーは私も彼も笑っていた。