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王子と騎士と庭師と私

「うわー……、本当に燃やしてる……」


 そんな言葉を漏らしながら、クロスフィードは建物の陰からその光景を見つめていた。


 レイラキアを見つけるのは意外に簡単だった。何故かというと、彼女はクロスフィードたちが消火した花壇から然程離れていない花壇にいたからだ。しかもその花壇を燃やしているという現場を目撃してしまう事になり、クロスフィードは目の前の光景に驚くと共に、本当にそんな事をしていた事実に憤りを感じていた。


 数人の侍女を従え、目の前の花壇が燃えている様を歪んだ表情で見つめているレイラキアの姿は、夜会で見た時の淑女の姿は何処にもなかった。


「だから言っただろう。アイツは頭がおかしいんだ」

「いや、そこまでは言わないが……。一体いつからこんな事を?」

「俺がアイリスの恋人だって噂が立ちはじめた辺りからだから、ひと月くらい前からだな」

「ひと月も前から……」


 建物の陰でヒソヒソと三人で会話をしながら、『花の君』の存在はひと月も続いている奇行に拍車をかけてしまったのかと、クロスフィードは心の中で庭師に大いに詫びた。


「なあアイリス。レイラキア嬢は花に詳しかったりするか?」

「そんな訳あるか。アイツはイシラシとジーラの区別もつかないような奴だぞ?」

「そんな人間この国にいるのかよ……」


 アレクヴァンディの呆れたような呟きにはクロスフィードも同意せざるを得なかった。


 イシラシの花とジーラの花はとてもよく似た花の形をしているが、この国ではイシラシの花は最も身近な花であるため、たとえ形が似ていようとイシラシの花とジーラの花を間違える国民はいないと言える。しかしその区別がつかないとなると、レイラキアは余程草花に興味がないという事が分かる。


「じゃあさっきの花壇の花が『アイリスフィア』だった事も知らなかった、とか……?」

「知らないだろうな、アイツは」

「マジかよ……」


 アイリスフィアの回答をアレクヴァンディと共に呆れながら聞いたクロスフィードは、再び建物の陰からレイラキアに視線を向けた。


 未来の王妃候補だと言われているレイラキアが『アイリスフィア』の花だと知っていて燃やしたと言えば大問題だが、知らずに燃やしたと言われてもそれはそれで問題だ。

 どちらにしても花壇を燃やしているのはレイラキアなのだから、問題である事に変わりない。


 クロスフィードはその辺りに問題解決の糸口がないかと考えた。


「やっぱりもう少し確認しないとな……」


 そんな事を呟きながらクロスフィードが何事かを考えていると、不意に背後から声がかけられた。


「君たちは一体何をやっているのかな?」


 その声に三人揃って背後を振り返ると、そこには人が殺せそうな程の殺気を放ちながら凶悪な笑みを浮かべている男が一人立っていた。


 その人物は数日前に恐ろしい雰囲気をダダ漏れにしていた庭師その人だった。


「その先で誰かが花壇を燃やしているようだけど?」


 凶悪な笑みを崩さないその表情に、三人は一様に、ヒッ、と小さな悲鳴を上げた。


 口調は至って普通なのに、映像で見ると禍々しい事この上ない。


「ああ、アレク。君の瞳はいつ見ても青紫なんだね。綺麗だね」

「すみません! 青紫の瞳でマジすみません!」


 そんな男から射殺さんばかりの眼光と共に仄暗い笑みを向けられているアレクヴァンディは、冷や汗をかきながら懸命に謝罪していた。


「アイリス。あの子の事を止められるのは君だけだって、僕言ったよね? 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も」

「ギャーッ! それ以上言うな! お前は俺を呪う気か!?」


 真顔で同じ言葉を連呼されているアイリスフィアは涙目を通り越して最早泣いていた。


 そんな二人の状況を見ても、クロスフィードには助けに入る勇気はこれっぽっちも浮かんでこなかった。

 庭師の目は先ほどからずっと笑ってはいない。とても怖い。


「それから君」

「ひいい」


 とうとう自分の番が来たかと思ったら、返事よりも悲鳴が先に出てしまった。


「『花の君』がこんなところにいていいの? 見つかったら捕まっちゃうよ?」

「え……」


 庭師の言葉に一瞬頭の中が真っ白になったクロスフィードは、次の瞬間には物凄い勢いでアイリスフィアにどういう事だと視線を向けた。しかしアイリスフィアも不測の事態だったようで、クロスフィードと同じように動揺していた。


「別に誰かに言おうとか思ってないから安心していいよ。それよりも僕は庭の方が大切だから」


 全く興味はないというような言い方をしている庭師は、本当に庭の事にしか興味がないようだった。


「もう本当に勘弁して欲しいんだけど……。これで何回目だと思っている? 僕、本気で怒っていい? というかもう限界なんだけど」

「ま、待て待て。俺たちで何とかするから! セルネイの手は煩わせないようにするから!」


 いつになく慌てているアイリスフィアが庭師の名前を呼んだ事で、クロスフィードはようやく庭師の男が『セルネイ』という名前だという事を知った。


 セルネイに対してはいろいろと疑問に思う事があったが、今はそれを気にしている時ではないとクロスフィードは口を開く。


「わ、私たちで解決しようとしている事は本当です。ですが少し確認したい事があるので、今回は私一人で止めて来ます」


 クロスフィードがセルネイにそう告げると、言葉を返してきたのはアイリスフィアだった。


「お前は何を言っている。今回は偵察だけだと言ったのはお前だろう」

「ああ。だから今回は何もしないよ」

「今止めに行くと言ったではないか」

「それも偵察の一環だよ。ただし私一人で行かないと意味はないから、絶対に何があっても出て来ないで欲しい。アレクも。それからセルネイさんも」


 アイリスフィアだけでなくアレクヴァンディとセルネイにもそう告げる。

 するとセルネイとアレクヴァンディは揃って案じるような表情になった。


「君が一人で行くのはお勧めしないよ?」

「俺もセルネイさんと同じ意見だ。一人で行くのは止めた方がいい」


 セルネイとアレクヴァンディからは制止の声がかけられる。しかしクロスフィードは首を横に振った。


「大丈夫。上手くやるから」


 そう言ってクロスフィードは三人に向け一度笑みを向けると、建物の陰から出て、レイラキアの許へと足を進めた。






「何をなさっておられるのですか」


 クロスフィードはレイラキアにそう声をかけながら、燃え盛る花壇を先ほどと同じように魔法で消火した。しかし燃えてしまった花たちは既に黒焦げになっており、何の花が咲いていたのかすら分からなくなっていた。

 その事に心痛めながら、クロスフィードはそれを表情に出すことなく口を開く。


「何故このような事をなさるのですか」


 花壇から視線を外して顔を向けると、突然現れたクロスフィードの存在に驚いていたレイラキアが途端に不機嫌さを露わにした。


「貴方、伯爵家のクロスフィードね」


 そう告げるレイラキアは、まるで汚らわしいものでも見るかのような蔑みの瞳でクロスフィードを見ていた。


 夜会の時のクロスフィードは女として振舞っていたので分からなかったが、『クロスフィード』に対するレイラキアの見方も周りと同じであるというのは目の前の彼女の態度で理解した。そしてレイラキアが嫉妬深く花壇の花を燃やすというような奇行をしているとなれば、目の前の彼女の態度が本性なのではないかと思えてくる。


「……その通りでございます」

「伯爵家の人間がよく王宮に来られるものね。伯爵家は恥を知らないのかしら」


 端整なその顔を歪めながら手に持った扇を握りしめているレイラキアが、更に言葉を重ねてくる。


「貴方に見下ろされるのは不愉快よ。跪きなさい」


 たとえ踵の高い靴を履いていようと、レイラキアの背はクロスフィードよりもまだ少しばかり低い。そうなると、クロスフィードはレイラキアを見下ろす形になるのは仕方のない事だった。しかしこのまま引き下がる訳にもいかないので、クロスフィードは徐にその場に片膝をついた。


「これでよろしいでしょうか?」


 そう言ってレイラキアを見上げても、やはりレイラキアの表情は歪められたままだった。


「貴方、あの女(・・・)と同じ髪と目の色をしているのね……っ」


 忌々しいと言わんばかりの言い方でそんな事を告げてくるレイラキアの様子に、クロスフィードは嫉妬の対象が『花の君』になっている事を確信した。髪と目の色が一緒だと言っていることからもそれが窺い知れる。

 思えばあの夜会の最中、レイラキアは一度も女装していたクロスフィードに声をかける事はなかった。それどころか目を合わせようともしていなかったのだ。それはまるでそこには誰もいないかのような振る舞いだったのではないかと、クロスフィードはようやく気付いた。


「貴族の娘たちは貴方の何処がいいのかしらね。大罪を犯した伯爵家の人間など相手にするのもおぞましいというのに。私には全く理解出来ないわ」


 大罪を犯した伯爵家。以前アイリスフィアにも言われたが、周りの人間は伯爵家をそのように思っている事は事実だ。しかしそれでも面と向かって言われるのは誰の口からであっても辛い。


 クロスフィードはグッとその辛さを押し込め、レイラキアを見上げながら言葉を告げる。


「レイラキア様。花壇の花を燃やすなどという行為はもうお止め下さい。王宮の庭は亡き王妃様も愛しておられた庭でございます。それを貴方様が壊すなど」

「貴方如きにそんな事を言われる筋合いはないわ」

「ですが、花を燃やさずとも方法はありましょう。花の色がお気に召さないのであれば庭師に頼んで――」

「お黙りなさい!」


 ぴしゃりと言い放たれ、クロスフィードは口を噤む。するとレイラキアは見るからに憤慨しているといった様子で、クロスフィードを睨みつけていた。


「わたくしは王妃となる身なのよ。そのわたくしに意見できるのはこの世でただ一人、アイリスだけなの。貴方のような下賤な身の者がわたくしに意見しようだなど、身の程を弁えなさい!」


 ギッと睨みつけられるが、クロスフィードは少しばかり視線を落としてそれを受け流す。


「わたくしは王妃になるのだから、この庭はわたくしの物よ。わたくしの物をどうしようと貴方に関係ないじゃない」


 フンと鼻を鳴らすレイラキアの様子を、クロスフィードは冷静に見つめていた。


「この庭はレイラキア様の物ではありません」


 クロスフィードはレイラキアを真っ直ぐに見上げながら言葉を告げる。


「王宮の庭は花畑を見た事がないという『花の娘』のために、彼女の帰りを待つ『守護者』様が整えられたと言われている庭でございます。ですからこの王宮の庭は『花の娘』のための庭でございます。貴方の物ではありません」


 そう告げると、レイラキアが途端に笑いだした。


「貴方そんな話を信じているの? 愚かね。『花の娘』なんている訳ないじゃない。まあそんな話があろうと、わたくしの庭になる事は決定しているの。わたくしが王妃になるのだから、王宮の全てはわたくしの物になるのは当然でしょう?」


 そう言って侍女たちとクスクス笑っているレイラキアの姿に、クロスフィードは眉根を寄せた。


 王宮の庭が『花の娘』のために整えられているという話は王家の者なら誰もが知る話なのだそうで、クロスフィードはその話を亡き王妃に聞いていたため知っていた。王家がそれを語り継いでいるという事は、この話を馬鹿にする事は王家を愚弄する事にも繋がってしまう可能性がある。だからこそ、それを嘲笑うレイラキアの姿には嫌悪感を抱いた。


 しかしその気持ちを抑え、クロスフィードは至って冷静に言葉を返す。


「レイラキア様が王妃になられるとは限りません。未だ候補に過ぎないという事をご自覚ください。殿下の御心が貴方に向いているとは限りません」

「この……っ!」


 振り上げられた扇を視界に捉えたが、クロスフィードは敢えて避ける事はしなかった。

 パンっ! と乾いた音が耳に届くと、ジリジリと頬が痛みだす。


「王妃はわたくしがなると既に決まっているの! 伯爵家分際でわたくしにそのように無礼な物言いをするなんて! お父様に頼めば貴方の家を取り潰す事だって簡単に出来るのよ!」


 金切り声を上げるレイラキアをクロスフィードは静かに見つめた。


 これでレイラキアがどういう人物なのかは大方知る事は出来た。後はこの場から上手く逃げ遂せれば終わりだ。

 そんな事を考えながら、クロスフィードが言葉を告げようと口を開いた瞬間、背後から今は聞きたくない声を聞いてしまった。


「レイラ!」


 その声に思わず立ち上がってしまうと、クロスフィードは幻聴であってくれと願いながら振り返った。しかしその願いも虚しく、凄まじく不機嫌そうなアイリスフィアが大股で近付いてくる姿を見つけてしまった。


「アイリス!」


 アイリスフィアの不機嫌さとは裏腹に、レイラキアは嬉々として喜びの声を上げている。凶悪さが割り増しされているアイリスフィアを前によく喜べるなと感心しながらも、クロスフィードは王子の登場にこの上なく困り果てていた。


 これでは計画が台無しだ。そう思ったクロスフィードは瞬時に次ぎなる計画を練りはじめると共に、余計な事を言わせないように急いでアイリスフィアに迫る。


「で、殿下! こんなところでお会いできるなんてとても光栄でございます! 殿下に置かれましてはますますご健勝の事とお見受けいたしますれば、お体の弱い殿下の事、このような場所においでになられて大丈夫でありましょうかと案じる気持ちで胸が張り裂けそうです!」


 最早自分でも何を言っているのか訳が分からないクロスフィードだったが、そんな事はどうでもよく、何で出て来やがった、という思いをこれでもかと乗せた眼光をひたすらにアイリスフィアに向ける事だけに全力を注いでいた。


「お前は黙ってろ」


 お前が黙ってろ、とは口が裂けてもこの場では言えない事がとても悔しい。


 クロスフィードは、ああもう、と心の中で悪態を突きながらも、状況が悪化する前に何とかこの場をしのがなければと懸命に策を考えまくっていた。


「アイリス! 貴方も庭にいたのね」

「俺を呼び捨てるな、無礼者」


 凍えるような冷たい声でそんな事を告げるアイリスフィアの様子に、クロスフィードはしばし瞠目した。

 クロスフィードはアイリスフィアと初めて会ってからこちら、意地悪な事は沢山言われたが、これ程までに突き離した物言いをされた事はなかった。それ故に、クロスフィードは目の前にいるアイリスフィアに少しばかり畏怖の念が浮かんだ。


「俺は何度も言ったはずだ。王宮の庭を汚すなと」

「それは庭師の責任でしょう? わたくしの言う通りにしないのだから庭師が悪いのよ。庭師が花の植え替えをしないから、わたくしがこうして花を処分しているんじゃない」

「お前にそれをする権利はない」

「何を言っているの? この庭を好きにしていいのはアイリスとわたくしだけよ」


 アイリスフィアの眉間の皺が深くなっていくのが分かる。クロスフィードも二人の会話を聞いていて頭が痛くなりそうだった。


 アイリスフィアが何度も説得に失敗している理由がようやく分かった。

 レイラキアははじめから王宮の庭を自分の物だと思って行動している。だからそれが悪い事だなどとは微塵も思っていないのだ。これではどれだけ言っても無駄だろう。

 使用人に圧力をかけ噂が広まらないようにしているというのは、おそらくレイラキア本人がしているのではなく、お付きの侍女辺りがそれをしているに違いない。


 夜会では周りの事を考えて行動できる素晴らしい人だと思っていたクロスフィードだったが、あの時も単にアイリスフィアと踊りたかっただけだったのではないかという考えが浮かんでくるのは、目の前の光景のせいだった。


「お話の最中に申し訳ありませんが、殿下に少しお伝えしたい事がございます」


 クロスフィードはそう言ってアイリスフィアの前に片膝をついた。それをアイリスフィアは嫌がっているように見えたが、クロスフィードはそれを視線で制して、言葉を返せと無言で訴えた。


「……許す。話せ」

「ありがとうございます」


 とりあえずアイリスフィアがこちらの意向に合わせてくれる意思を見せてくれた事で、クロスフィードは少しばかりホッとする。


「先程王宮の庭を歩いておりましたら、花壇が燃えておりました。調べたところ、その花壇に咲いていた花は『アイリスフィア』の花でございました」


 そう告げると、アイリスフィアは眉根を寄せ、それがどうしたとでも言いたそうな表情をしていた。クロスフィードはそれを見つめながら、まだ分かってもらえないかと言葉を続けていく。


「殿下と同じ名を花が燃えていたという事は、殿下の身に何かあるという警告なのかもしれません。殿下に仇なすものが王宮にいるという事も考えられます。いずれにせよ、殿下の御身に危険が迫っているやも知れません」


 実際のところ、アイリスフィアの花が咲く花壇を燃やしたのはレイラキアで間違いない事は分かっているが、クロスフィードは敢えてアイリスフィアに危険が迫っているなどと言うホラを吹いた。


 するとようやくその意図を察してきたアイリスフィアが、クロスフィードに言葉を返してくる。


「ああ、そうか。お前はあまり王宮などには来ないから知らないのか。花壇の花を燃やしているのはそこにいるレイラだ」


 その返しに、クロスフィードは心の中で、よくやった、とアイリスフィアに賛辞を送った。


「私も先ほどレイラキア様が花壇を燃やしている様子を見ましたが、いくらなんでもレイラキア様が『アイリスフィア』の花を燃やすはずがありません。彼の花は殿下と同じ名の花でございます。レイラキア様が殿下と同じ名の花を知らないなどという事はないのですから。未来の王妃たるレイラキア様が、そのような謀反ともとれる行為をするはずがありません」


 大仰にそう告げると、レイラキアの表情からさあっと血の気が引いて行くのがはっきりと分かった。

 おそらくレイラキアは『アイリスフィア』の花がどういうか花なのかを知らず、ただ青紫色をしているという事で燃やしたのだろう。しかし彼女は『アイリスフィア』の花が燃やされるという事がどういう意味に取られるのかはちゃんと理解しているようだった。


 それだけでも理解してくれてよかったとクロスフィードは思った。


 もしそれすらも理解できていないようなら、本当にレイラキアは王妃の器ではない。


「今後またそのような事があるやもしれませんので、殿下にご報告せねばと思っておりました。ですから、こうしてお会いできて本当に幸運でした」

「お前の報告、有り難く受け取っておく。俺もレイラがそんな事をするとは思っていない。なあ、レイラ。お前が俺の名と同じ名の花を知らない訳がないよな?」


 クロスフィードからすればそれはとんでもなく意地悪な問いかけに思えるが、今のレイラキアからすればそれは救いの言葉だったに違いない。


「え、ええ。もちろんよ。私が燃やしているのはただの雑草ですもの。『アイリスフィア』の花を燃やすなんて事はしないわ」


 雑草という言葉に建物の陰から物凄い殺気を感じたが、クロスフィードは全力で気のせいだと思い込んだ。


「今後花壇を燃やせば、お前に疑いの目がいく事になるぞ。疑われたくなければもう二度と花壇の花には手を出すな。分かったか」

「……分かったわ」


 疑われると言われれば、レイラキアもこれ以上花壇の花を燃やす事はしなくなるだろう。レイラキアは王妃に拘りを持っているようなので、その未来が潰える危険がある事はしないと言える。レイラキアとて馬鹿ではないのだからそれくらいは弁えている事だろう。


 クロスフィードはこれでこの件が終息してくれる事を願った。


「殿下、それでは私はこれで失礼させていただきます」


 クロスフィードは立ち上がると、アイリスフィアに礼を取り、そしてレイラキアにも礼をした後、足早にその場を去った。

 そして建物の角へと体を滑り込ませると、途端にその場に崩折れる。


「絶対に出てくるなと言ったのに……」


 クロスフィードがそう言いながら地に手を付いて項垂れると、傍らにアレクヴァンディが腰を屈めた。


「すまん……。止めようとしたんだが……」

「何で出てきたんだ? 何処にもアイリスが出てくる要素などなかっただろう?」


 そんなに花壇の花を燃やされる事が許せなかったとでもいうのかと項垂れていると、アイリスフィアもレイラキアと別れて戻ってきた。


「クロ」


 そんな声が聞こえてきたので思わず顔を上げると、心配そうな表情をしたアイリスフィアの顔が真近くにあって少々驚いた。


「赤くなっているではないか。俺はお前の顔が気に入っているというのに、あの女……っ」

「……素直に喜べないんだが」


 顔だけでも気に入ってもらえているなら喜ぶべきだろうかと思ったが、やはり背筋が冷える発言である事には変わりなかった。


 この期に及んで男色に目覚めたなどと言われてしまったら、呆れる前に逃げる。


 そんな事を考えながら、クロスフィードはため息を吐きつつ立ち上がった。


「今回は偵察だけだと言っただろう……」

「あれの何処が偵察だ。お前はただ暴言を吐かれただけではないか……っ」


 アイリスフィアの表情が見る見る不機嫌に歪んでいく。その様子を目の当たりにしたクロスフィードは、どうしてアイリスフィアが出て来たのかを何となく悟った。


「何だ、心配してくれたのか」

「し、心配など、していない! ただレイラの言動に腹が立っただけだ!」


 そう言って思い切り顔を逸らせるアイリスフィアの様子に、クロスフィードは思わず頬が緩んでしまった。


「あんなのはいつもの事だ。レイラキア嬢だけがあんな風に思っている訳ではないよ。それに今回はわざとそれを聞きに行った訳だしな」


 そう言って苦笑を返すと、アイリスフィアは少々首を傾げていたが、アレクヴァンディは察するように、ああ、と声を上げた。


「クロスはレイラキア嬢がどういう人物かを知りたかったわけだな」

「ああ。彼女とは一度も話した事はなかったし、夜会での姿と二人から聞いた姿がどうしても一致しなかったからね。本性を見る為には私が一人でレイラキア嬢の前に出るのが一番手っ取り早いと思った訳だ」


 クロスフィードの前で体面を気にするのは精々気持ちを向けてくれる令嬢たちだけで、他の者たちは大抵が体面など気にもしないのだ。そのため、どういう人柄なのかを知るための役割を担うのなら、クロスフィードが一番の適任だった。


「レイラキア嬢の性格を知った上で計画を練ろうと思っていたのに、アイリスが出て来てしまったから冷や冷やしたよ」

「それならそうと先に言えばよかったではないか」

「……そうだな。悪かったよ」


 苦笑しながらそう返すと、アイリスフィアはフンと顔を逸らしてしまった。その様子にまた笑ってしまうと、クロスフィードは黙ったまま口を挟んで来ないセルネイに向いた。


「あの、咄嗟の思いつきではありましたが、これでもう花壇が燃やされる心配はなくなったと思います。ですがあの花壇が燃やされている様を黙って見ていた事は事実ですから、花を植える作業は手伝わせていただきます」


 そう言って頭を下げると、セルネイから優しげな声が返ってくる。


「頭を上げなさい」


 その言葉に従うように頭を上げると、セルネイは先ほど見たような殺気に満ち溢れた凶悪な笑みではなく、とても穏やかな笑みを浮かべていた。


「君のおかげで花壇の花はもう燃やされる事はないと思う。ありがとう。本当に困っていたから助かったよ。……それに比べてその二人は」


 呆れたような視線をアイリスフィアとアレクヴァンディに向けているセルネイは、再びその雰囲気を邪悪なものに変えていく。それを瞬時に悟った二人は、揃って冷や汗を流しながら、セルネイと視線を合わせないよう必死に視線を逸らしていた。


 その光景を困惑気味の笑みを浮かべながら見ていたクロスフィードは、二人に笑顔で迫っているセルネイに向けて言葉を告げた。


「今回の件は私にも責任はありますから。その、セルネイさんが何故『花の君』が私だと知っているのかは分かりませんが、どうかその事は誰にも言わないでください。花壇の植え替えでも何でも手伝いますから」

「その必要はないよ」


 優しげな声音に視線を上げれば、そこにはニコリと微笑んでいるセルネイの笑顔があった。


「僕はそれを誰かに言うつもりはない。どちらかと言えば、僕は君を守る側だから安心して良いよ。大丈夫、いざとなったらアイリスに全部責任取らせるから」

「お、俺が!?」

「当り前でしょう」


 ぴしゃりと告げられる言葉に、アイリスフィアはぐうの音も出ないというように口を噤んでいた。


 王子であるアイリスフィアに対して敬意の欠片も見当たらないセルネイの様子に、この人何者だ、と思ったクロスフィードだったが、聞いてしまうと後戻りできなくなってしまうような気がして、その辺りは黙認する事に決めた。


「そう言えば、お前レイラキア嬢に結構きつい事言ってたけど大丈夫か? あのご令嬢、お前の家潰すとか言ってただろう?」


 セルネイとアイリスフィアの会話を余所に、アレクヴァンディが心配そうにそんな事を聞いてきた。それにクロスフィードは苦笑を返すと、大丈夫だ、と告げた。


「伯爵家を潰すために公爵様へこの事を告げるとなると、どうしてもこうなった経緯を話す必要があるだろう? そうなったら『アイリスフィア』の花の件を話さなければならなくなる。それでなくてもこの件はアイリスも承知しているんだ。いくらレイラキア嬢でも下手な事は言えないだろうよ」


 そう言って肩を竦めて見せると、アレクヴァンディから感心するような言葉が返ってくる。


「クロスって結構策士だな。よくあの場でそこまでの事が思いつけたな」

「いや、もともと穏便に逃げる算段は考えていたんだが、予定が狂ってしまったからね。これは後付けなんだ。まあ、結果的に私も無事でいられそうだから本当にホッとしてるよ」


 あの状況で上手い策など思いつける訳はなく、クロスフィードは本当に焦っていた。しかしその時、『アイリスフィア』の花が燃やされた事実を王子に危険が迫っているのだと勘違いした事を思い出し、それをそのまま活用しただけだった。それが結果的に良かったというだけで、下手をすれば状況は悪化していただろうとクロスフィードは思っていた。


「全くね。二人揃って出て行こうとするから、僕はアレクを止めるだけで精一杯だったよ」


 ふと会話に参加してくるセルネイの言葉に、アレクヴァンディは途端に慌てだした。


「ちょ、セルネイさん! 俺は出て行こうとしたんじゃなくて、アイリスを止めに……」

「俺を言い訳に使うな。お前だってレイラの言葉にイラついていたではないか」

「うぐぐ……」


 アイリスフィアにまでそんな事を言われたアレクヴァンディは言葉に困るように視線を彷徨わせていた。その様子を見つめていたクロスフィードは、アイリスフィアだけでなくアレクヴァンディも案じてくれていた事実を知り、思わず顔が綻んだ。


「二人とも私の事を慮ってくれたんだな。ありがとう」


 そう告げると、アイリスフィアは少しばかり頬を赤くしながらフイと顔を逸らしてしまい、アレクヴァンディは困ったような笑みを浮かべていた。


 クロスフィードにとって心ない言葉を言われる事は初めてではない。しかしその事を案じて、相手に対して怒りの感情を抱いてくれる人は稀だった。

 クロスフィードはそんな二人の存在を嬉しく思う反面、自分と共にいる事でいつか不利益を被るのではないかと心配になった。


「クロ、どうした?」

「え、あ、何でもないよ」


 アイリスフィアの言葉に慌てて返すクロスフィードは、素早く表情を元に戻す。


「それにしても、お前よく庭の逸話を知っていたな。あの話を知っている者は王家に近しい者たちくらいだというのに」


 思い出すようにそんな事を聞いてくるアイリスフィアに、クロスフィードは少しばかり動揺した。しかし隠しておかなければならないという事もないので、クロスフィードは正直に告げる。


「その、王妃様に教えていただいたんだ」

「母上に?」


 眉根を寄せるアイリスフィアの様子に、やはり言うべきではないかとクロスフィードは思った。しかしそんなクロスフィードの心配を余所に、アイリスフィアから斜め上を行く言葉が返ってくる。


「幼い頃は王宮に来ていたのか? 俺は一度もお前に会った事はないぞ」

「何故そこで拗ねるのかが分からないのだが……」


 若干頬を膨らましているアイリスフィアの様子に、クロスフィードは途端に脱力した。


「頻繁に来ていた訳ではないよ。一度だけ勝手に来た事があるんだ。その時に王妃様にお会いして、庭の話を聞いたんだ」

「何故その時俺に会いに来なかった」

「いや、あの、そんな事を今さら言われても……」


 どうしてそこに拘るのだと思いながらも、その事をこれ以上言うと面倒くさい事になりそうだったので、クロスフィードはその辺りは軽く流す事にした。


「まあ、実際その話を出したところでレイラキア嬢には効き目がなかったからな。信じろとまでは言わないが、あそこまで信じていないと言われるのもな……」

「……レイラは知らないからな」


 そう返してくるアイリスフィアに、クロスフィードは首を傾げる。


「レイラキア嬢は庭の話は知っていたようだが……」

「知らないのはその話じゃない。レイラは『守護者』が誰なのかを知らないんだ」

「え!? そうなのか!?」


 意外な事実を聞いたクロスフィードは、アイリスフィアの言葉に驚いた。

 公爵の娘であれば当然知っているだろうと思っていたが、実際はまだ知らないようだった。


「『守護者』を知らないから庭の逸話を信じない。それだけの話だ」

「そうか……」


 では『守護者』を知る事が出来れば庭の逸話の真実が分かるのだろうか。そんな事を考えてみたが、クロスフィードがそれを聞く事はなかった。

 おそらくそれを聞いても明確な答えが返ってくる事はない。クロスフィードは王家の人間でもなければ、王家に近しい人間でもないのだ。言うなれば王家から一番遠い所にいる貴族なのだから。


「さて、花壇の件も終わったし、私はそろそろ帰るよ」

「もう帰るのか?」

「ああ。出掛けに母が無茶をしていたから、少し心配なんだ」


 アイリスフィアの言葉に苦笑を返しながら、クロスフィードは家の状況を思った。

 結局あのまま家を出てきたクロスフィードは、あの後どうなったのかを知らなかった。エイナセルティはおそらく心配ないだろうが、むしろツヴァイスウェードの暴走の方が心配なクロスフィードである。


「裏門から出るだろう? 詰所に戻るついでに送ってやるよ」

「ありがとう、アレク」


 アレクヴァンディの申し出を有り難く受け取ったクロスフィードは、一度セルネイに向いた。


「ではこれで失礼します」

「うん。ツヴァイとエイナにもよろしくね」

「え……?」


 セルネイの言葉にクロスフィードは目を瞠る。


「父と母をご存じだったんですか?」

「知ってるよ。君が心配してるのって、どちらかと言えばエイナを心配し過ぎて暴走するツヴァイのほうじゃない?」


 クスクスと笑いながら的確な言葉を告げるセルネイの様子に、この人は確実に両親の知り合いだとクロスフィードは確信した。


「気を付けてね。今は何かと物騒だからね」

「あ、はい。気を付けます」


 そう言って小さく頭を下げ、踵を返そうとすると、アイリスフィアに呼び止められる。


「クロ」

「ん? 何だ?」

「いや、その……」


 もごもごと口籠るアイリスフィアに、クロスフィードは最後に意地悪な事を言われてしまうのかと若干身構えてしまった。しかし一向に飛んで来ない嫌味にクロスフィードは首を傾げた。

 そうして根気よくアイリスフィアからの言葉を待っていると、隣にいるアレクヴァンディに肘で小突かれた。


「またな、とかでいいから言ってやれって」

「え? ああ、そういう事か」


 小さな声で告げられた言葉の意味を理解して、クロスフィードはアイリスフィアに向き直る。


「今日はもう帰るが、また来るから」


 そう告げると、アイリスフィアの背後にパアッっと花が咲いたように見えた。

 表情は笑顔ではないのに、不思議な現象が目の前で起きている。


「分かった。待っている」


 意外に素直な言葉が返ってきた事に少々目を瞠ったが、それを悟られては不味いと思い、すぐに笑顔を作る。


「それじゃあ」


 そう言ってアイリスフィアとセルネイに別れを告げ、アレクヴァンディと共に詰所へと向かう。


 その途中、クロスフィードはアレクヴァンディから恐ろしい言葉を聞く事になる。


「な、アイリスはお前の事気に入ってるだろう?」

「喜んでいいのか分からない……」

「覚悟しといたほうが良いぞ。一日でも日を開けようものなら凄まじい勢いで罵られるからな。……俺がそうだった」

「……恐ろしい情報をありがとう。明日から邸に引き籠る事にするよ」


 クロスフィードも暇ではないので、さすがに毎日王宮へ足を運ぶ事は出来ないのだ。どうやらアイリスフィアにはその辺りから理解してもらう必要があるらしい事を悟ると、クロスフィードは思わずため息が出た。


「たまには来てやれ。取り成しておくから」

「分かってるよ。アイリスとも約束したしね」


 そうしてクロスフィードはアレクヴァンディに苦笑を返しながら、詰所へと向かった。


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