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届けられた最悪の贈り物

 公爵家は王家と親戚関係にある家であり、王家の籍から外れた王子が臣下に下る際に名乗る爵位でもある。現在は二代前の国王の弟が王弟公爵として臣下に下った家が公爵家として存在している。

 王弟公爵位の多くは一代でその爵位は侯爵へと降格するのだが、現在の公爵家は例外で、二代目が公爵位を継いでいる。何故爵位が降格しなかったのかと言えば、その公爵家の現当主が国王亡き後、国王代理として政を現在も取り仕切っているからだった。


 公爵家の現当主であるケイルデレイは亡き国王の従兄にあたる人物で、公私ともに国王を支えていた人物でもあった。公爵はクロスフィードの伯父であるアインヴァークとも親しかったらしく、この三人は友人関係にあったようだった。


 クロスフィードの中で会いたくない人物不動の第二位に公爵が君臨しているのは、そういった事情があるからだった。






◆◆◆◆◆






 クロスフィードは送られてきた包みの中身を見つめながら、呆然と佇んでいた。


「セルネレイトって誰だよ……」


 贈り物の贈り主はアイリスフィアではなく『セルネレイト』という人物からとなっていた。

 送り主であるアイリスフィアがどうやってドレスを伯爵家に届けるのだろうかと考えていたクロスフィードだったが、王子は別人の名を使ってドレスを送って来たのだ。

 誰もが思い付く方法だが、それが一番有効である事も分かっている。しかしそれを受け取ってしまったクロスフィードは、己の浅はかさを呪っていた。


「あの陰険王子め……」


 クロスフィードは引き攣る頬でそれだけを呟く。

 添えられていたカードに視線を落したまま、クロスフィードの思考回路は既に考える事を放棄していた。


 カードに書かれていた内容はこうだ。


『お前のドレス姿が楽しみだ。精々ばれないように化ける事だ』


 嫌味な笑みを浮かべたアイリスフィアの姿が容易に想像できるその内容に、どうあっても『クロスフィード』を玩具にしたいのだと思い知った。


 あの日から五日。何の音沙汰もなかったためクロスフィードはアイリスフィアが諦めたのだと安心していたが、まさか当日にドレスを送って寄越すとは思わなかった。

 当日に届けられてしまえば、抗議する事も出来ず、何よりドレスを手直しする時間すらほぼない。


 こんな事になるくらいなら何かと理由を付けて遠出でもしていればよかったと思うが、生憎クロスフィードは遊ぶ暇があったら勉強する事を選ぶような真面目な性格だった。しかし今回ばかりは呑気に家で父親の仕事の手伝いをしていた事がこの上なく悔やまれる。


「こちらの都合は清々しいまでに無視なんだな……」


 クロスフィードは、机に置かれた包みを見つめながら、長いため息を吐いた。


 贈られてきたのは、淡い青色のドレスにそれに合わせた宝飾品、そして極め付けは『アイリスフィア』の花をあしらった髪飾りだった。

 『アイリスフィア』とは青紫色をした美しい花の名前でもあった。その花をあしらった髪飾りを送ってくるとは、アイリスフィアは本気でクロスフィードを困らせたいようだった。

 王子と同じ名前の花を頭に付けて、尚且つ王子にエスコートされながら夜会に参加するとなれば、公爵家の者たちは決していい顔はしない。それを見越しての髪飾りなのだろう。


「レイラキア嬢をエスコートすればいいものを……」


 クロスフィードは肩を落としてため息を吐いた。


 未来の王妃候補と名高いレイラキアは、緑青色の瞳が覗くキリッとした目元が印象的な美しい容姿の女性だった。その悩ましげな姿態は女から見ても羨ましいと感じるような理想的なラインを持っており、その見事な黄金色の髪を結い上げ佇む姿は、まさに地上の女神だと称されているほどだった。


 クロスフィードはレイラキアと直接話をした事はなかったが、噂に違わぬ美しい女性である事は宴や夜会で彼女を見かけたことがあるため知っている。


「逃げられない、か……」


 仮にアイリスフィアの言う事を無視すると一体どうなるのかと考えて、クロスフィードは思わず身震いしてしまった。

 アイリスフィアと初めて言葉を交わすきっかけとなったのは、侯爵令嬢に迫られていた現場を目撃されてしまったからだ。


「こうなったら誰だか分からないくらいに化粧で化けるしかないか……」


 クロスフィードは諦めの境地で、侍女を呼んだ。






「これ程の一大事であるのに、旦那様や奥様には内密にせよと仰るのですか?」


 クロスフィードは目の前の侍女に大まかな事情を説明すると、予想通りの反応を返されてしまった。


「ミラ……」

「……そんな目で見つめないで下さい」


 目の前の侍女、ミラフェルマは困ったようにため息を吐いていた。


 ミラフェルマはクロスフィードの母親よりもいくつか年上の女性で、二十年前の事件があった後も変わらず伯爵家に仕えてくれている人物だった。ミラフェルマはもともとクロスフィードの母親の侍女をしていた人物で、母親が嫁ぐ際一緒に連れてきた侍女であると聞いている。

 当然クロスフィードが生まれたときから伯爵家にいるため、クロスフィードの事情も承知している。


 ちなみにクロスフィードが女である事を知っているのは、両親とミラフェルマ、そしてミラフェルマの夫であるハミルカーティスの四人だけだ。


「父さんと母さんには余計な心配をかけたくないんだ」

「ですが、ただでさえ女子の格好で殿下にエスコートされるというのに夜会の会場が公爵邸とは、あまりにも危険過ぎます」


 クロスフィードにとって公爵邸は、飢えた猛獣の住処に丸腰で放り投げられる方がマシだと思えるほどに、決して足を踏み入れたいとは思わない場所だった。

 公爵は二十年前の事件後、伯爵家を疎んでいる節がある。公爵とも親しかったというアインヴァークの国王暗殺は、正に裏切り行為以外の何ものでもなかったのだろう。公爵が伯爵家を疎んでいる理由は、クロスフィードも察している。


「公爵様にクロフィ様の正体が知れる事は何としても避けなければなりません。それと同じくらいに殿下にクロフィ様が女であると知られてはならないのです。万が一クロフィ様が後宮に召し上げられてしまっては大変です」

「それは断じてないと思う」


 クロスフィードはミラフェルマの言葉をキッパリ否定した。


 この世界の人間は皆一様にその身に魔力を宿しており、魔法が使える。その魔力は多ければ多いほど良いとされ、王となる者の伴侶は貴族の中でも魔力量が多い者が選ばれる傾向が強い。勿論家柄や血統、政治的価値なども条件として考慮されるが、魔力はかなり重要視されている。事実、王家の王位継承順は内包する魔力量の多さで決まるくらいだ。

 そんな中で、クロスフィードはかなりの魔力をその身に持っており、加えて伯爵令嬢であるため身分も申し分ない。そんなクロスフィードは、普通の令嬢として生きていれば間違いなくアイリスフィアの妃候補として名前が挙がったに違いなかった。しかし現状、クロスフィードは男として生きているため、後宮に入る事はない。それに何より、二十年前の事件があるため、女だとばれようが後宮に入る事はないといえる。

 しかしそうであると分かっていても、女であると知られないようにする事が最優先事項である事に変わりはなかった。


「私が女であると知られるのは、伯爵家にとって都合が悪いことは分かっている。だが殿下の言葉を無視するのはもっと不味い。だからミラ、協力してくれ」


 最早涙目でミラフェルマを見つめれば、彼女は、分かりました、と渋々ながらに了承してくれた。


「仕方がありません。こうなってしまった以上、全力を尽くさせて頂きます。お任せください。殿下が腰を抜かすほどの美女に仕上げて差し上げます」

「ほ、程々に、頼む」


 ミラフェルマの静かな口調の中に凄まじいまでの意気込みを感じて、クロスフィードは少しばかり冷や汗をかいた。






◆◆◆◆◆






 空の茜色が夜色に染まりはじめた頃、クロスフィードは家の従者に頼んでこっそりと馬車で王宮へと向かった。

 何を隠そう、この従者がミラフェルマの夫であるハミルカーティスだ。

 クロスフィードはハミルカーティスにも事情を説明し、今回の事に協力してもらったのだ。


 王宮に着くと、十分に気を付けろというハミルカーティスの言葉をしばし聞いた後、クロスフィードは一人でアイリスフィアが待っているであろう西の端にある小屋へと向かった。


「げ!? もう居るし……」


 小屋の前に辿りつくと、そこには既にアイリスフィア姿があった。クロスフィードはその姿を認めると思わず本音が口から出てしまったが、まだ距離が離れていたためアイリスフィアには聞こえていないようだった。


 アイリスフィアの今の姿は言うまでもなく礼服を着ている訳だが、その服は髪色に合わせているらしい藍色だった。全体的に濃い目の色で統一しているアイリスフィアの姿は、見惚れてしまうほどに美しかった。

 しかしそれを褒めてやる義理は無いので、クロスフィードはアイリスフィアの目の前で立ち止まると、言ってくるだろう嫌味を待っていた。


「……何だ。文句があるならはっきり言えばいいだろう?」


 また開口一番に嫌味を貰うのだと思っていたクロスフィードだったが、予想に反してアイリスフィアはただ無言で見つめてくるばかりだった。その視線に耐えかねて、クロスフィードは思わず口を開いてしまう。


「似合っていないと言いたいんだろう? もとから似合う訳がないのだから諦めろ!」


 クロスフィードは思い切り顔を顰めたまま、アイリスフィアに鋭い眼光を向けた。


 アイリスフィアからのドレスが届いたのは昼を少し過ぎた頃だった。それからドレスを試着し、寸法を直し、髪型を決め、化粧を施し、そうして全てが終わった時には既に空が茜色に染まっていた。

 クロスフィードも自分で出来る事はやったが、ほぼ全ての支度をミラフェルマ一人でこなしてくれたのだ。

 彼女の侍女魂は半端ないモノである事をクロスフィードは改めて思い知ったくらいだ。


 そんなミラフェルマの努力の結晶ともいえるクロスフィードの姿は、何処からどう見ても貴族の令嬢そのものだった。


 クロスフィードの顔立ちは男としては美男子に見えるだろうが、女として美人かと問われれば、そうではないとクロスフィードは答えるだろう。クロスフィードは確かに整った容姿を持てはいるが、貴族の令嬢たちのような女らしい美しさではないと本人は思っている。

 しかし普段は一切しない化粧をする事で、クロスフィードをより女らしく見せる事に成功している。これはミラフェルマの努力の賜物と言っていい。世間一般の娘たちより背が高い事が少々気になるが、それでもドレスを纏えば貴族の令嬢として見えるのだから、化粧とは偉大な技術だとクロスフィードは感動していた。

 髪型の方は少しだけ結い上げ、あとは背に流していた。そうする事でいつも髪を纏めているクロスフィードの印象から遠ざけようという目的があり、腰まである長い髪を強調する事で、女である事を主張させていた。

 そして結われているその髪には、最後まで付けるかどうかを悩んだ『アイリスフィア』の髪飾りが付いていた。


「もっと胸を盛ってこればよかったものを……」


 不意に落胆するようなため息を吐くアイリスフィアに、思わず青筋が浮かんでしまった。

 やっと口を開いたかと思ったら、その口から出て来たのはやはり嫌味だった。


 アイリスフィアは一言嫌味を言わないと気が済まない性分らしい。


「お前の好みなんて知るか」

「俺はもっとこう――」

「聞いてない!」


 好みを説明しようとするアイリスフィアに、クロスフィードは頭が痛くなった。


 ドレスに関して言えば、胸元が開いているものではなく、首まで閉じている型式のものだった。これはアイリスフィアなりの気遣いなのかは分からないが、胸に詰め物をするにはうってつけの形である事は言われるまでもなかった。

 しかしながら、現在のクロスフィードの胸は自前の膨らみだ。この膨らみはどうやらアイリスフィアの好みに合わなかったらしい。


 上等だ、かかって来い。


 クロスフィードはそんな感情を乗せた眼光でアイリスフィアを睨みつけていた。


「まあ、その姿なら俺も恥をかかずに済みそうだ」


 ふとそんな事を言うアイリスフィアの表情には不敵な笑みが浮かんでいた。そんな王子の様子にクロスフィードは疲れたようなため息を一つ吐くと、それはよかったな、と面倒くさそうに返した。


「馬車を待たせている。行くぞ」

「ちょっと待った」


 早々に歩き出そうとしていたアイリスフィアをクロスフィードは止める。


「一つだけ頼みがある」


 何だというように少々眉根を寄せているアイリスフィアにクロスフィードは臆することなく口を開く。


「今からこの場に戻ってくるまで、私の名を呼ばないで欲しい」


 クロスフィードは真っ直ぐにアイリスフィアを見つめたままそう願い出た。


「約束通り女の格好で来た。『アイリスフィア』の髪飾りも付けた。公爵邸にもこのまま付いて行く。だからどうか、この願いだけは聞いてくれ」


 どんなに着飾り、誰であるのかを分からなくしても、名前を呼ばれたら早々に正体が知られてしまう。

 男として女装しているのだと思われる事も確かに不味いが、本当に女であると知られる方がもっと不味いのだ。だからこそ、ドレス姿のクロスフィードが『クロスフィード』であるという事を知られないようにするために、どうしても名前だけは隠しておいてもらいたかった。


 縋るような視線でそう懇願してみると、アイリスフィアがフイと視線を逸らしてしまった。その事に焦りを感じたクロスフィードだったが、返ってきた言葉は予想外のものだった。


「……分かった」

「え?」


 小さく呟くように告げられた言葉が何を言っているのかクロスフィードはすぐには分からなかった。


「だから、分かったと言っている。その耳は俺の声だけを遮断しているのか?」


 お前の願いなど聞かない、とか、そうか名を呼んで欲しいのか、とか意地悪な事を言われるとばかり思っていたが、予想に反してアイリスフィアは素直に承諾を返してきた。その事にはクロスフィードも驚いたが、あまりその事をとやかく言えば気が変わってしまうかもしれないので、素直に礼を言っておく事にする。


「助かる。ありがとう」


 そう言って微笑みかけると、何故か思い切り視線を逸らされてしまった。

 礼を言われた事が気にくわなかったのだろうかと少々危惧したが、それはアイリスフィアの言葉で杞憂に終わる。


「分かったなら行くぞ」


 そう言ってスタスタと歩きだすアイリスフィアの様子に、エスコートしてくれるんじゃないのかと思いながらも、クロスフィードはその背を追った。


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