意地悪王子の企み
「アレクを使うとは、お前もなかなか狡賢いな」
「お褒めいただき光栄です」
開口一番にアイリスフィアから嫌味をもらったクロスフィードは、お返しだとばかりに嫌味を返しておいた。
クロスフィードがアレクヴァンディとやって来たのは、王宮の西の端にある林だった。その林を少し進んだところには古びた小屋が一軒建っており、その小屋の前にアイリスフィアの姿は在った。その手に本を持っていることから読書でもしていたのだろうかと推測するが、クロスフィードにしてみればそんな事はどうでもいい事だった。
本当に外にいた事を目の当たりにすると、わざわざあしらわれる覚悟で面会の申請をしたのは何だったのかと嘆きたくなる。
「しばらく門前払いをくらうお前を見て楽しもうと思っていたんだがな」
「お前、性格悪過ぎだろう」
「煩いぞ、アレク」
その口からは嫌味しか出て来ないのだろうと思うと、クロスフィードはため息すら出なかった。
最早王子にはもうその整った容姿くらいしか褒められるところがない。とても残念だ。
そんな事を考えていたクロスフィードは、ハッと鼻で笑うアイリスフィアの様子を見つめながら、その立ち姿に少しばかり目を奪われていた。
日の下で見るアイリスフィアは、昼間であっても『夜』だった。
夜空を思わせる藍色の髪に満月のような黄色の瞳。
王子の持つ色を知らない訳ではなかったが、実際に目にしてみると、その美しい二つの色に見惚れてしまいそうになる。その容姿も端整で美しく、体の線もクロスフィードと同じくらいに細く見えるため、実は女だと言われても納得してしまいそうだった。
「どうした? そんなに熱い視線を向けられると、さすがの俺も少々恥じらいたくなるな」
アイリスフィアの言葉にハッと我に返ったクロスフィードは、慌てて口を開く。
「ち、違います! そう言った意味で見ていた訳ではありません! 第一、私は殿下に昨夜の言葉を撤回して頂こうと、こうしてやって来たのですから!」
そちらの趣味は全くないという意思をこれでもかと含ませながらそう告げると、アイリスフィアは面白そうにクスクスと笑っていた。
「撤回などする訳がないだろう? ようやく俺はお前に会えたわけだし。お前もそうだろう、クロスフィード」
妙に艶っぽく聞こえるその声音に、クロスフィードは途端に背筋が冷えた。
クロスフィードは全く以ってこれっぽっちもアイリスフィアには会いたくなかったのだ。むしろ一生顔を会わせずに生きられたらどんなによかったかと思うと、昨夜の遭遇を呪わずにはいられなかった。
「俺から逃げられると思うなよ」
どういう意味で、とは怖くて聞けなかった。しかし次の言葉で、クロスフィードの動揺は他のモノに変わる。
「大罪を犯した伯爵家の跡取り息子」
大罪を犯した伯爵家。その言葉を耳にすると、クロスフィードは途端にその表情を硬くした。
その言葉でアイリスフィアが気まぐれに声をかけて来た本当の理由を思い知り、クロスフィードは視線を落とした。
今から二十年前。国王であったオリヴァールディスが暗殺された。その暗殺の首謀者とされたのは、当時国王の右腕と称されていた伯爵家の当主アインヴァークだった。
そのアインヴァークはクロスフィードの伯父にあたる人物でもあった。
アインヴァークは、国王を支え、国王と共に国政を担い、周りからの人望も厚い人物だった。国王からも絶大な信頼を寄せられていたアインヴァーグだったが、国王暗殺という容疑をかけられ、二十年前に処刑されてしまった。
本来であるなら伯爵家はその時点で取り潰されるはずだったのだが、伯爵家はクロスフィードの父が家を継ぐ事によって今も存続している。そこには今は亡き王妃の存在が大きく関わっていた。
クロスフィードの父親であるツヴァイスウェードはアインヴァークの弟であった。伯爵家の次男という事で家を継がない立場だったため、ツヴァイスウェードは近衛騎士団に属し、王妃の近衛騎士としての職務に就いていた。そして母親であるエイナセルティは幼い頃から王妃と親友関係にあった。
そういった理由から王妃であるクリスタリアが尽力してくれたおかげで、伯爵家は取り潰しだけは免れたのである。
しかしそんな王妃も、国王が暗殺された事によって心労を重ね、十年前に亡くなってしまった。
クロスフィードが知っている事と言えばそれくらいだった。
しかしそれだけ知っていれば、王子であるアイリスフィアが伯爵家を怨んでいるだろう事は容易に想像できる。
二十年前の事件の事もあり、アイリスフィアとの接触を避けまくって生きてきたクロスフィードにとって、心の何処かで王子との接触を怖れていた部分があった事は否定できなかった。
アイリスフィアは二十年前の事件後に生まれたため、父親の顔を知らないのだ。そして事件後心労を重ねた王妃も幼い頃に亡くしている。
クロスフィードは事件の当事者ではないが、アインヴァークと血の繋がりを持つ伯爵家の跡取りだ。それだけでもアイリスフィアにとっては怨みの対象なのだろう。こうして接触を果たしたという事は、次に考えられる行為はただ一つ。
復讐だ。
「クロスフィード」
アイリスフィアの声音は至って普通に聞こえるが、クロスフィードは視線を上げる事はできなかった。
「心配するな。別に伯爵家に復讐してやろうとは思ってはいない。伯爵家の存続を願ったのは母上だ。俺がそれを覆す事はない」
手酷く罵られる事も覚悟していたクロスフィードだったが、アイリスフィアの言葉は予想外のモノだった。
伯爵家の罪が大きすぎるばかりに保身に走っていた事を自覚したクロスフィードは、アイリスフィアに対して失礼な事を考えてしまったと反省した。
思えば、アイリスフィアは心優しく慈愛に満ちていた王妃の息子なのだ。彼は意地悪な事ばかり言っていたが、心根はきっと優しいのだろうと思い直す。
「殿下……」
今まで復讐を怖れて避けまくっていてすみませんと心の中で謝罪しながら視線を上げると、クロスフィードは視線を上げてしまった事を全力で後悔する事となった。
不敵な笑みを浮かべるアイリスフィアの様子には、優しさの欠片も見当たらなかった。
「お前はこの先、俺の言う事をただ黙って聞けばいい。分かったな」
分かってたまるか、という反論は懸命に呑みこんだ。
たとえ復讐が目的ではなかったとしても、アイリスフィアの目的はそれに似たモノがあるのだと確信する。
おそらく無理難題を吹っ掛けてくる事は確定事項だろう。それは既に体験済みだ。
「殿下、それは……」
「まず、俺の事は名前で呼べ」
「分かりました、アイリスフィア様」
「違う。呼び捨てにしろ」
クロスフィードはアイリスフィアが一体何といったのか分からなかった。否、分かりたくなかった。
早くも無理難題が吹っ掛けられた事に、クロスフィードは冷や汗をかいた。
「む、無理に決まってるじゃないですか!」
「ああ、敬語も無しだ」
「ええ!?」
クロスフィードがアイリスフィアを呼び捨てにする事など出来る訳がなかった。まして敬語もなしに会話しろと言われるなど、喋りかけるなと言われたほうが何倍もマシだった。
「何故そのような事を仰るのですか!? そんな事は出来ないと殿下もお分りに――」
「俺を名で呼ばない及び敬語で話さなかった場合は罰を与える事にしよう」
「うぐ……」
一体何がしたいんだコイツは、とクロスフィードは思い切り顔を顰めてしまった。するとアイリスフィアは面白そうにニヤリと口元を歪めた。
「お前の事は、そうだな……クロとでも呼んでやる」
「……犬みたいな呼び名だな」
「こいつにはピッタリだろう」
アイリスフィアとアレクヴァンディの会話を余所に、クロスフィードは頭が痛くなる思いがした。
呼び名などこの際犬でも猫でもどうでもいい。問題はアイリスフィアに対するモノだった。
名前の呼び捨て、敬語なしの会話。
それをすることによる利益など互いにないはずだ。
「殿下、何故そのような」
「罰は何がいい?」
「ア、アイリ、スは、何故そんな事を、させたい、んだ」
アイリスフィアの笑みに薄ら寒いモノを感じたクロスフィードは慌てて言い直すも、名を呼ぶ事にも敬語をなくす事にも凄まじい抵抗を感じた。
「いや何、寛大な心でお前と仲良くしてやろうと思ってな」
果てしなく上から目線だった。
アイリスフィアは出会った瞬間から意地悪な物言いをしていたのだ。今だって浮かぶその笑みには友人関係を築こうという感情は全く窺えない。
クロスフィードは助けを求めるようにアレクヴァンディに視線を向けた。すると視線に気付いたアレクヴァンディから小さなため息が聞こえてくる。
「アイリス、あまり苛めてやるな。お前だってこいつの立場は――」
「アレク。お前はコレが見たくないのか?」
そう言ってアイリスフィアは手に持っていた本をアレクヴァンディに見せつけるように持ち上げた。
すると途端にアレクヴァンディの態度が一変する。
「……すまない。俺はお前を助けてやれそうにない」
「そんな……」
簡単に見捨てられてしまった。
どうやらアイリスが持っている本はアレクヴァンディにとってそれだけ重要なもののようだった。彼もまた、アイリスフィアに『仲良く』されている被害者なのかもしれないと思うと、他人事とは思えない感情が湧きあがってくる。
「……だからさっき、忠告してやったのに」
アレクヴァンディの小さな呟きに、クロスフィードはその通りだったと痛感した。
後悔先に立たずとはよく言ったもので、アレクヴァンディが言うようにアイリスフィアになど会いに来なければよかったとクロスフィードは嘆いている真っ最中だった。
「ようやく互いに顔を合わせたんだ。これきりというのは淋しいじゃないか」
そんな事は微塵も思ってはいないだろう。アイリスフィアの表情には玩具が手に入ったと喜ぶ子供のような笑みが浮かんでいた。
今までクロスフィードがアイリスフィアに会わなかったのは、伯爵家の事情によりアイリスフィアに外的要因で近付けなかったという事も確かにある。しかしそうした事情があろうとも、クロスフィードの家は伯爵家だ。式典や公式行事への参加は制限されていないため、アイリスフィアに会う機会など今まで数えきれないほどあったのだ。
確かにアイリスフィアは病弱であり、公式の場に顔を出すことは滅多にないという事ではあったが、それでも公式行事に全く参加していなかったわけではないはずなのだ。そうした中で、アイリスフィアと対面する機会があったにも関わらず、それを故意に避けていたのはクロスフィード自身だった。
クロスフィードはアイリスフィアが伯爵家を、そして『クロスフィード』の事をどう思っているのか知りたくなかった。
しかしいつまでもアイリスフィアを避け続けることができなったのは、クロスフィードが成人を迎えたからだった。
伯爵家の跡取りとしてその存在を確立していく中で、次期国王であるアイリスフィアへの対面は避けられるものではなかった。だからこそ、昨夜の夜会にアイリスフィアも参加すると聞き、クロスフィードは父親と共に参加していたのだ。
しかしアイリスフィアとの出会いが最低最悪なものとなったのは、この場の状況が如実に語っている。
「俺とお前が共にいる事を周囲の人間はどう思うんだろうな」
そんな事を言いながら、アイリスフィアは口元を弓月の形に歪めていた。そんな背筋が冷える笑みを見つめながら、クロスフィードはその悲惨な未来を瞬時に想像してしまった。
クロスフィードがアイリスフィアと共にいる事で周囲に人間は『伯爵家の罪を背負いながら、その罪の被害者たるアイリスフィアに近付くなど、恥知らずもいいところだ』とクロスフィードに対して思うだろう。ましてクロスフィードがアイリスフィアの名を呼び、気安く話しかけるという行為は言語道断な事なのだ。
アイリスフィアの言う事を聞いていたら、今まで築き上げてきたモノが簡単に崩れ去ってしまう事は目に見えている。それはクロスフィードの望むところではなく、是が非でも避けたい事態だった。
逆に、アイリスフィアがクロスフィードと共にいると、なんと美談になるという不思議な現象が起きる。
父親を殺害した者の甥と親しくしている姿を周囲に晒せば、アイリスフィアはなんて慈悲深い人なのだと思われ、人々はアイリスフィアが心優しかった王妃に似たのだと感涙し、亡き国王のような立派な国王になる事を更に願うだろう。
そうしてアイリスフィアの支持は一気に高まる事はまず間違いない。
クロスフィードの評価は下降し、アイリスフィアの評価は上昇する。
そう考えると、伯爵家の跡取り息子を使って己の支持を集め、国王として即位するための地盤固めを王子であるうちにしておこうという事なのだろう。
この男、やり方が汚い。クロスフィードはそう思わずにはいられなかった。
「では手始めに何をさせようか」
そう言って楽しそうに思案しているアイリスフィアの様子に、クロスフィードは悲しいほどに現実を痛感する。
「私はまだ殿下のお言葉に同意した覚えはありませんが」
「お前は物覚えが悪いんだな。本物の犬でもそこまで愚かではないだろうに」
大袈裟なくらいに落胆する演技を披露しているアイリスフィアは、次の瞬間にはその眼光を鋭くした。
「お前に否を唱える権利はない」
その言葉に、クロスフィードは反論しようとした言葉を呑み込んだ。
権利はない。その資格はない。
そんな事はアイリスフィアよりクロスフィードの方がよく分かっている事だった。
未だ消えない伯爵家の罪があるせいで、聞こえるような声で陰口を叩かれ、時には直接心ない言葉をぶつけられる事もあった。
それに対してクロスフィードが言い返した事は一度だってない。
たとえ気にしないように生きて行こうとも、伯爵家が背負っている罪を盾に取られてしまえば、言い返す事など出来なかった。
しかしそれでも、クロスフィードは堂々と前を向いて生きようと決めている。たとえ伯爵家の罪はお前の罪だと言われようと、クロスフィードはそれを背負って生きる道を既に選んでいる。
「確かに私は否を言える立場ではありません。ですが、殿下のお側にいる事も出来ないのです」
クロスフィードはアイリスフィアに真っすぐに視線を向け、言葉を続けていく。
「どうか昨夜の言葉を取り消してください。我が伯爵家はもう、表舞台に立つことはないのです」
伯爵家が現在も爵位ある貴族家として存続している以上、伯爵家は国に仕え、王家を支える臣下だ。たとえ社交界から爪弾きにされ、表立った立ち振る舞いが難しくなろうとも、陰ながら国と王に仕えることはできる。
それはアイリスフィアに対するクロスフィードの立ち位置にも言える事だった。
「たとえお側にいられなくとも、私は決して殿下を裏切る事はありません。今は亡き王妃様より頂いたご恩を貴方にお返しするのが我が伯爵家の義務であり、それが亡き国王陛下への償いなのです。ですからどうか、私の事はお捨て置きください。殿下の目が届かぬところに在ろうとも、私は殿下の忠実な臣下に変わりないのですから」
それが、伯爵家を継ぐクロスフィードが背負うものだった。
「その言葉に偽りはないな」
表情を真剣なモノに変え、アイリスフィアが真っ直ぐに問いかけてくる。
「偽りはございません」
はっきりと、そして堂々と、クロスフィードは真っ直ぐにアイリスフィアを見つめ、そう言い切った。
違える事はない。それがクロスフィードの歩む道なのだから。
「よく言った。では――」
そこで一端言葉を切ったアイリスフィアは、途端にその表情をニイと歪めた。その笑みはこれから悪戯をしますという子供のような表情だった。しかし相手は既に成人した青年だ。その笑みには微笑ましいモノなど一切なく、ただ真っ黒な何かしか感じなかった。
クロスフィードはその笑みに思わず顔を引き攣らせる。
「五日後、公爵邸で夜会が開かれる。そこにお前も参加しろ」
「はい?」
凄まじい無理難題を吹っ掛けられるのだと身構えていたクロスフィードだったが、予想が外れて少々肩すかしを食らった気分だった。
「私の家には招待状が届いておりませんので、参加は無理です」
アイリスフィアの言葉にきっぱりと断りを入れる。何を言い出すのかと思えばそんな事だったか、とクロスフィードは内心ホッとしていた。
クロスフィードの中で関わりたくない番付最上位にはアイリスフィアが常に君臨しているが、不動の第二位は現在国王代理を務めている公爵その人だった。
クロスフィードが公爵に会い辛いというのは、アイリスフィアも承知しているはずなのだ。だから公爵邸での夜会に参加しろなどと言ったのだろう。
しかし夜会や宴といったモノは主催者側からの招待状が届かないと参加する事は出来ない。いくら王子殿下といえど、主催者側の意向を無下には出来ないはすなのだ。
残念だったなアイリスフィア。伯爵家は伊達に社交界から爪弾きにされている訳ではないのだぞ。というような言葉が頭に浮かんだが、それは勝ち誇って言えるような台詞でないので、クロスフィードは胸の内だけでそれを告げた。
「そんな事は分かっている。公爵家が伯爵家に招待状など出すものか」
第三者から面と向かってそんな事を言われると、さすがのクロスフィードの結構傷つく。
じゃあさっき言葉は何だったんだ、と悪態を付いてやりたかったが、クロスフィードはそれをグッと我慢した。
「それでは殿下も私が夜会に参加できない事は承知しておられるという事ですね。ではこの話はこれで終わり――」
「『麗しの君』は聡明だと聞いていたが、実際は犬並みの頭しか持っていなかったようだな」
これ見よがしに落胆して見せるアイリスフィアの様子に、こいつ殴りたい、とクロスフィードは本気で思った。
殴り飛ばすのは簡単だが、如何せん相手は王子だ。我慢しろ、とクロスフィードは自分自身を懸命に宥める。
「招待状がなくとも参加する方法はあるだろう?」
不意にそんな事を告げてくるアイリスフィアの企むような笑みが、より一層鋭さを増したように見えた。その笑みに、クロスフィードはその『方法』を思い出し、さっと血の気が引いた。
「まさか……」
「当日女装して来い。俺がエスコートしてやる」
クロスフィードはあまりの事に頭の中が真っ白になった。
招待状がなくても夜会に参加できる方法は確かにある。それは招待状を持っている者に同伴する事で参加するというモノだった。
宴や夜会において、男性は女性をエスコートしながら参加し、女性も男性にエスコートされながらの参加が一般的だ。それは親兄弟であったり、他人同士であったりと様々だが、招待状を送った相手が連れてくる同伴者であれば主催者側も参加を認めるというのが社交界では当たり前なのだ。必ずしも同伴者を連れていかねばならないという決まりはないが、同伴者を連れていかないと男性としては格好がつかないのだ。
同性の相手を同伴する事も可能であるが、大抵は異性を連れていくのが一般的なのである。
「お前は噂に違わぬ容姿をしているからな。女装をすれば、さぞ美しくなるだろう」
そう言ってクスクス笑っているアイリスフィアに、ハッと我に返ったクロスフィードは慌てて言い募る。
「ま、待ってください! どうしてそんな事を私が……っ」
「言っただろう。俺の名で呼ばない及び敬語で話さなかった場合は罰を与える、と。学習能力のない可哀想なクロは、その事を全く理解できていなかったようだな」
「な……っ」
「コレは俺の言う事を聞けないお前への罰だ」
笑みの形に歪められるその様を見つめながら、クロスフィードは冷や汗が止まらなかった。
クロスフィードは男装しているが、実際は女だ。クロスフィードが女装するという事はすなわち、性別のままの格好をするという事になる。
それは不味い。非常に不味い。
クロスフィードは何とかしてこの非常事態を回避しなければと頭をフル回転させて考えまくった。
「公爵家の夜会ならレイラキア嬢をエスコートするのが筋でしょう!?」
「心配するな。公爵はどうせ俺の参加など期待してはいない」
「そういう問題ではなくて!」
ああもう、と地団太を踏みたい衝動にかられながらも、クロスフィードは懸命に言い募る。
「殿下が」
「俺は『殿下』という名ではない」
「アイリスがっ、公爵家の夜会にレイラキア嬢以外の女性を連れて言ったら角が立つだろう!」
勢い余って敬語までなくなっているが、クロスフィードはそれどころではないので気付いていない。
「それ以前に、王子にエスコートされるという事が何を意味しているのか知っているだろうが! お前は私を妃にでもするつもりか!?」
男色家ならあり得るかもしれないという考えが頭を過ったが、そんな考えは全力で空の彼方に投げ飛ばした。
家族以外の女性を男性がエスコートするという事は、その女性が未来の伴侶と言っているようなものなのだ。少なくとも二人がお付き合いをしているという認識は誰もが抱く。
そんな中で、王子にエスコートされるという事は、将来の妃としての確約を得るも同然なのだ。
現状、後宮は開かれており、既に何人かの令嬢が妃候補としてそこで生活しているのだ。それなのにその令嬢たちを差し置いてアイリスフィアが誰かをエスコートする事は、政治的にもよくはないだろう。
後宮に入っている令嬢たちは、妃候補になるための条件を満たした娘たちだ。その条件は身分や魔力といった基本的なモノに加え、政治的価値も加わってくるのが常だ。
現に後宮に入っている令嬢の中には、公爵の娘であるレイラキアもいる。
国王代理を務めている父親の威光もあってか、現在後宮内を纏めているのは彼女だというのだから、実質レイラキアが未来の王妃だと誰もが思っているというのが現在の状況だった。
アイリスフィアが参加しようとしているのは、そんな公爵家の夜会だ。娘であるレイラキアが後宮に入っているというのに彼女を差し置いてアイリスフィアが別の娘をエスコートしたとなれば、その娘は良くも悪くも目立つ事は必至だ。しかも公爵から目を付けられるという付録つき。笑えない。
「お前は男だ。気にするな」
「女装で行くなら気にするわ!」
当り前だろうと言わんばかりの勢いで言い募れば、アイリスフィアは少々面倒そうに顔を顰めていた。
大いに面倒がるがいい。そして前言を撤回しろ。
クロスフィードはそんな事を思いながら、尚も言い募る。
「私はアイリスの戯言に付き合う気はない! お遊びがしたいなら、アイリスが女装してアレクにエスコートしてもらえばいいだろう!」
「俺に女装しろと? 冗談じゃない」
「お前がそれを言うのか!?」
もう当初の目的は何だったか忘れてしまうくらいに話がややこしい展開になっている。クロスフィードは既にこの状況をどう乗り切るかという事にのみ全力を注いでいた。
「これは決定事項だ。ドレスは後日届けさせる」
「いるか、そんなモノ!」
「俺と色味が合わないと、俺が恥をかくだろうが」
「お前の心配はそこだけか!?」
思わずといったように思い切りつっこんでしまうクロスフィードは、既に敬語を使う事すら頭からすっ飛んでいる事実に気付いていない。
「心配するな。中身が分からないように送ってやる。ああ、手直しはそちらでやれ。お前のサイズなど俺は知らないからな。それから――」
アイリスフィアは、支度はちゃんと整えて来い、だとか、当日陽が落ちる前にはこの小屋の前に来い、だとかいろいろと言っていたが、最早クロスフィードの耳には入っては来なかった。
女装して夜会に出るという事はクロスフィードにとってはとんでもない事だった。女だとばれないように今まで生きて来たというのに、ここに来てのまさかの非常事態発生に、クロスフィードは人生稀に見る苦境に立たされた。
しかしその時、ふと忘れていた事実を思い出し、クロスフィードは一筋の光を見た。
「待ってくれ。アイリスはその、女が嫌いなのだろう? 私が女装して共に夜会に行く事で妙な噂がたてば、これからの恋人選びの妨げになるのでは?」
アイリスフィアは女嫌いの男色家と噂だ。それなのに夜会で後宮にも入っていない娘をエスコートしたとなれば、女嫌いの噂は払拭される事は間違いないだろう。もしそうなったら、男の恋人を選ぶ事が困難になるのではないのかとクロスフィードは考えた。
しかしその考えは、悲しい現実へと消える。
「ああ、あの噂か? あれは後宮の話が持ち上がった時に爺共が世継ぎ世継ぎと煩いから女は抱けないと思わせようとしただけだ。まあ今はアレクのおかげで噂に拍車がかかったからな。おかげで煩い爺共のお小言も減って助かっている」
「ま、待て。では男色家であるという噂は全部虚言だと……?」
「当り前だ。本当に男色家な訳がないだろう。気色悪い」
「自分で言うなよ!?」
正直呆れた。
確かにアイリスフィアは世継ぎの話はしつこいくらいにされている事だろう。現在、王家の直系はアイリスフィアただ一人だ。老高官たちも血の存続に躍起になるのも頷ける。それなのに当のアイリスフィアは自ら男色家などという噂を流す始末。
クロスフィードは苦労が絶えないであろう老高官たちに心底同情した。
「家の存続のために跡継ぎを残すのは、貴族でも同じだ。それを王家のお前が放棄してどうする。もう王家の直系はお前しかいないんだ。もっとそういった自覚を」
「ああ煩い! お前に説教される筋合いはない!」
「説教などではない。事実を言っているんだ。私だってお前と同じで兄弟がいない。だからこそ、私が伯爵家を守らねばならない。家を存続させるためには、跡継ぎは必ず必要だ」
成人を迎えてからこちら、クロスフィードにも少ないながらも縁談話は舞い込んできていた。
縁談というモノは貴族たちにとってはとても重要だ。家と家の繋がりは元より、政治的権力を拡大する好機であり、力のある貴族たちとの縁戚関係を結ぶためには必要不可欠なモノなのだ。
しかし伯爵家は現状そういった事は望めない。舞い込んでくる縁談話も、下級貴族や爵位が欲しい商家や実業家の娘たちばかりだった。
クロスフィードが令嬢たちから人気が高いと言っても、貴族の娘が自分の意思で相手を決める事は滅多にない。その多くは親が決めた相手と婚姻を結び、家のために嫁いでいくのだ。そうした中で、爵位ある家からの縁談話が伯爵家に一つも送られて来ないのは、一様に謀反人の血族とは関わり合いになりたくないという考えがあるからだった。
確かに上位貴族たちから爪弾きにされるのは辛いところではあるが、縁談話に関しては相手にされなくても伯爵家にとっては何の痛手にもならなかった。
跡継ぎを産むのはクロスフィード本人だ。男として生きる傍ら、貴族の子女としての教育もちゃんと受けてきたクロスフィードにとって、結婚話より跡継ぎ問題の方が何よりも重要だった。
「俺だって好きで親兄弟がいない訳ではない!」
アイリスにギッと睨みつけられ、クロスフィードは思わず視線を落とした。
兄弟がいてくれたならどんなに良かったかと思った事は、クロスフィードも一度や二度ではない。しかし父親や母親の事を考えるとそんな事は言えなかった。
アイリスフィアの状況はもっと辛い。国王が亡くなった時、王妃はまだアイリスフィアを身籠ったばかりだったのだ。それ故に、アイリスフィアは生まれた時から兄弟を望めなかったのだから。
「気分が悪くなった! アレク!」
アイリスフィアはアレクヴァンディに声をかけると、持っていた本を投げ渡していた。そしてアレクヴァンディがそれを受け取るのを見届けることなく歩き出し、クロスフィードの横を不機嫌な表情をしたまま通り過ぎて行った。
それを目で追ったクロスフィードは、振り返ることなく去っていくアイリスフィアの背を見えなくなるまで見つめていた。
「まあ、その……」
アイリスフィアの姿が完全に見えなくなると、アレクヴァンディが声をかけてくる。
「アイリスのあれは癇癪みたいなものだから、あんまり気にすんな」
「大丈夫、気にしていない」
そう言ってクロスフィードは力ない笑みを返した。
アイリスフィアも何か思うところがあって後宮問題から逃げているのだろうかと思うと、力になってやれない現実に少しばかり申し訳ない気持ちが浮かんでくる。
アイリスフィアが王子として背負う重責を全て理解する事は出来ないが、二十年前の事件がその重責を更に重くしてしまったというのはクロスフィードにも分かっていた。
クロスフィードも二十年前の事件がなければ普通の令嬢として生きていけたのだ。しかしそれはもう叶わない。だったら今ある現実を受け止めて生きていく方が余程賢明といえるだろう。
アイリスフィアも王子として、そして先は国王として、立派に務めを果たせるような人物になってくれるといいとクロスフィードは願っているが、今のアイリスフィアはどう見ても子供だった。
「これで」
クロスフィードはアイリスフィアが消えて行った方に再び視線を向けながら口を開く。
「これでさっきの話が有耶無耶になればいいのだが」
「お前って案外ちゃっかりしてるんだな……」
アレクヴァンディの素早いツッコミにクロスフィードは苦笑しながら肩を竦めた。
仕方がないだろう。
それが本音なのだから。