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未来に繋がる作戦と思惑

 アスティリアをこのまま一人にするのは危険だと判断したクロスフィードは、とりあえず彼女を伯爵邸へと連れて行った。そしてミラフェルマに彼女を任せ、クロスフィードは再び王宮を目指した。


 王宮に着くといつものように詰所にある裏門から入り、そのまま真っ直ぐ王宮側へと向かった。

 既に太陽が遠くの山間に沈み始め、空は次第夜色へと変わりはじめている。

 クロスフィードはとにかくファイスレイドに会わなければという思いが先走り、人目も気にせず王宮の庭を足早に進んで行く。

 外灯の光が淡く辺りを照らしている庭には全くと言っていいほど人の姿がなかったため、クロスフィードは幸いにも誰かに会う事はなかった。


 クロスフィードはとりあえずエミルディランに相談しようと思い近衛騎士たちの詰めている棟に足を運んでみたが、残念ながら彼は不在だった。


「どうするか……」


 現在ファイスレイドが何処にいるのかというのははっきりと分かっている。しかし現状、クロスフィードはその場所へは行けない。エミルディランに仲介役を頼みたかったが、探している時間も今は惜しい。


 そんな訳で、クロスフィードは全力で忘れようと思っていた王家御用達の隠し通路を使わせてもらう事にした。


 アイリスフィアに頼むのは本意ではないが、エミルディラン以外にファイスレイドと接触できる場を作ってもらえそうなのは、考えつく限りでは王子しかいなかった。


 そうして昼間の記憶を頼りに出口があった辺りまでやって来たクロスフィードは、魔法で掌の上に火の玉を作り出し、その明かりを頼りに入口を探した。


「あれ? 確かこの辺りだったはずなんだけど……」


 確かにこの場所から出てきたはずだと思う場所には、入口らしきモノは全く見当たらなかった。

 場所を間違えているのだろうかと思いながらも、クロスフィードはしばらくその場所を探してみたが、やはり通路の入口を見つける事ができなかった。


「うーん、やはり場所を間違えているのだろうか……」

「何やってるの?」

「うわわわっ!」


 暗がりで一人唸っていたクロスフィードは、突然かけられたその声に飛び上るほど驚いた。しかしすぐさま首を巡らせ声の主を探すと、近くに王宮庭師の姿を見つけた。


「セルネイ、さん……」

「君はもう帰ったと思ってたんだけど……」


 セルネイとの距離はほんの二、三歩しか離れていなかったため、クロスフィードはここまで近くに来ていたというのに王宮庭師の気配に気付けなかった自分に驚いた。


 クロスフィードもそれなりには人の気配を察する事ができる。しかしセルネイの気配に全く気付けなかったという事は、王宮庭師の気配の消し方がクロスフィードの能力より上だという事だ。


 クロスフィードは本気で王宮庭師の仕事内容がどうなっているのか不思議で仕方がなかった。


「こんな時間にどうしたの? もしかして通路の入口を探してたのかな?」

「えっと、それは……」


 いきなり図星を突かれてしまったクロスフィードは、バツが悪そうに視線を彷徨わせた。

 昼間は全力で忘れようと誓ったというのに、早くもその誓いを破ろうとしている自分が何とも後ろめたい気持ちにさせる。


 しかしそんなクロスフィードの心を読むかのように、セルネイが困ったような笑みを浮かべた。


「ごめんね。あれは出口だけど入口じゃないんだ。だから外からは入れないいんだよ」

「え? 入口じゃない?」

「そう。入口は別にあるの」

「?」


 出てきた場所があるのだから、その場所からまた中に入れるのではないかと思っていたが、実はそうではないらしい。

 一体どういった仕掛けなのかと少しばかり考えてみたが、さっぱり分からなかった。


「アイリスに用があるなら僕が伝えてあげるよ?」


 王子の部屋に繋がっている隠し通路を使おうとしていたのだから、アイリスフィアに用事があると言い当てられるのは当然だろう。


 クロスフィードは最早誤魔化しても無駄だと判断し、正直に告げた。


「実はアイリスに用事という訳にはないのです。用があるのはファイスレイド殿なのですが、現状私は彼に会えません。だから、アイリスに仲介役を頼めないかと思って……」


 エミルディランに頼もうと思ったが彼を見つける事が出来なかったからアイリスフィアを頼ろうと思ったと告げると、セルネイはなるほどと頷いていた。


「それじゃあ僕が何とかしてあげるよ」

「え? 本当ですか?」

「任せて。アイリスのお見舞いに来てくれたお礼にそれくらいは力になるよ」


 騙し打ちのような事をしてしまったから、とセルネイは申し訳ないというような笑みを浮かべていた。

 クロスフィードとしては見舞うために来たわけではなかったため戸惑いはしたが、アイリスフィアの様子を見る事ができたし、結果的にはセルネイの策略に嵌ってよかったとさえ思っていた。そのため気にしないで欲しいという旨はセルネイに伝えておいた。


「じゃあ君は小屋の前で待っていてくれる? そこにファイを連れていくから」

「ありがとうございます。お願いします」


 クロスフィードはそうセルネイに礼を言うと、その場で王宮庭師と別れ、一人小屋へと向かった。






◆◆◆◆◆






 王宮の庭を足早に進み、西の端にある小屋を目指していたクロスフィードは、小屋へと続く林を進みながら不意に人の声を聞いた。


「これで借りは返したって事でいいね」

「ああ」


 小屋を視界に捉えられる辺りまでやってくると、小屋の前にいる二つの人影を見つけ、クロスフィードは思わず気配を殺して足を進めた。


 小屋の周辺は少しばかり開けていて、既に日が沈んで暗くなりはじめていると言っても月明かりがあれば結構明るい。

 月明かりだけで浮かび上がるその背格好を見るに、知っている人物である事は既に承知していたが、その二つの影からは何やら近付き難い雰囲気が漂っていた。


「君が何をしたいのかは聞かないけど、クロスだけは巻き込まないでよね」

「分かってるよ。別に俺は――」


 パキッ、という音と共に二人の会話が中断される。クロスフィードは踏んでしまった小枝からすぐに足を退かしたが、それは最早無意味な事だった。


「クロス……」


 アレクヴァンディからの呟きが聞こえそちらに視線を向けると、彼が手に持っていた何かを背に隠した事を認めた。

 しかしクロスフィードは敢えてその事には触れずに口を開く。


「邪魔をしてしまったようですまない。その、私は今来たばかりだから君たちの話は聞いていない」


 そんな事を言わなくても二人の騎士たちは周りに人の気配がなかった事くらい分かっているだろう。しかし思わず気配を殺して近付いてしまった事は事実なので、クロスフィードは少しばかり後ろめたい気持ちもあり、弁解の言葉を口にした。


 すると、話を変えるようにエミルディランが声をかけてくる。


「どうしてこんな時間にクロスが王宮にいるの?」


 少しばかり眉根を顰めながらそう訊いてくるエミルディランに、クロスフィードは少々答えに困った。


「これいはいろいろと事情があって……。エミルを探してたんだが、ここにいたんだな」

「僕に用だったの?」

「用と言うか、少し頼みたい事があったんだ。でも違う人に頼んだからもう大丈夫だ」


 そう告げると、エミルディランはいつも通りの通常運転ぶりを発揮する。


「なんて事だろう……クロスがわざわざ僕に会いに来てくれたというのに、僕はこんな奴のお願いをきいてやっていたなんて……」

「……こんな奴で悪かったな」


 ガクリと肩を落としてあからさまに落胆しているエミルディランに、アレクヴァンディが生温かい視線を送っている。それを目の当たりにしたクロスフィードは相変わらずなエミルディランの様子に少しばかりホッとしていた。


 お嫁さんになって宣言から今日までエミルディランとは会っていなかったが、彼は至って普通な態度を取っているので、あの時もやはりからかっただけなのだろうとクロスフィードは解釈した。


「えっと、君たちの話はもう終わったんだろうか? 少しこの場所を使いたいんだが、いいだろうか?」

「俺らの話はもう終わっているが、こんな時間に何するんだ?」


 帰ったと思ってたのにというような事を視線で伝えてくるアレクヴァンディに、クロスフィードは困ったような表情を作った。


「この場で人と会う事になっている。だから二人には申し訳ないが、この場をあけてもらいたいんだ」

「それはつまり二人きりで会うという事かな? クロスは誰とここで会うの? もしかして殿下とか言わないよね?」

「違う。相手はアイリスじゃないから」

「じゃあ誰と会うの?」

「え、あの、それは……」


 先日の宴での件がある以上、王子直属の騎士となったファイスレイドと会うなどとは言い辛かった。


 そうして、どうやってこの場を乗り切ろうかと頭を悩ませていると、この場に二人の人影が現れた。


「おい、これはどういう事だ」


 この場に来るなり不機嫌そうに口を開いたその人物は、目の錯覚でなければアイリスフィアだった。

 その背後には直属の騎士となったファイスレイドの姿もある。


 ファイスレイドは、鳶色の髪に灰色の瞳を持っており、やや吊り目だが性格を表しているかのような生真面目そうな顔立ちをしている青年だった。

 年齢も二十一歳という事で、今回の王子直属の騎士任命は誰から見ても大出世だった事だろう。


 しかしながら、ファイスレイドがちゃんとこの場に来てくれた安堵感より王子がこの場に来てしまった不安感の方をより強く覚えてしまったクロスフィードは、どうやって王子をこの場から遠ざけようかという事に頭を悩ませていた。


 つい先ほどまで床にいた王子の姿を見ていただけに、夜風が吹きすさぶ外に出て来て大丈夫だろうかと心配になる。


「申し訳ないのですが、質問の意味が全く分かりません」


 アイリスフィアの質問に言葉を返したのはエミルディランだった。

 エミルディランもアレクヴァンディもこの場所にアイリスフィアがファイスレイドを伴って現れた事に対して少なからず困惑している様子だった。


 それはそうだろう。何せこの場にはクロスフィードもいるのだから。


「俺はファイをこの場所に連れていくよう頼まれただけだ。そしたらお前たちがこの場にいた。俺が訊きたいのは、お前たちがアイツにそれを頼んだのかという事だ」


 アイリスフィアもこの場にクロスフィードがいるとは思っていなかったのか、少しばかり焦っているようにも見えた。

 王子の背後に控えているファイスレイドに至っては、噂に違わぬ無表情を崩してはいないが、内心ではどうしてこんな場所に連れて来られたのかすら分からず困惑している事だろう。たぶん。


 皆が一堂に集まってしまった事は、果たして不運なのか幸運なのか。


 一人この状況になってしまった原因を知るクロスフィードは、少しばかり王宮庭師を恨んだ。


「アイツとは誰の事ですか?」

「セルネイだ」

「そうですか……。またあの人ですか……」


 アイリスフィアが誰から頼まれたのかを知ったエミルディランは諦めたように一つ息を吐いていた。それはアレクヴァンディも同様で、片手で顔を覆って力なく天を仰いでいる。


 この二人はセルネイの名を聞いただけで何かを悟ったらしい。しかし状況を全て把握した訳ではないだろう。


 セルネイに頼んだ張本人であるクロスフィードですら状況がいまいち掴めないのだから。


「あの……」


 クロスフィードは控えめに声をかけると、皆の視線が一気に集まってくる。それを感じながら、クロスフィードは言い難そうに口を開いた。


「ファイスレイド殿をこの場に連れて来てくれるようセルネイさんに頼んだのは、私です」

「は?」

「え?」

「マジで?」


 王子、補佐官、一般騎士、の順に何を言っているんだというような呆れた声音が聞こえてくると、クロスフィードは途端に居た堪れなくなってしまった。


 クロスフィードとしては、セルネイがファイスレイドを連れて来てくれるものだと思っていたので、まさか王子自らこの場に現れるとは思いもしなかったのだ。

 アイリスフィアの言葉から察するに、誰がそれを頼んだのか、という部分を全く聞かされていなかったようだった。ただ言葉に従ってファイスレイドを連れてきたというような感じだったので、この場にクロスフィードたちがいた事に驚くのも無理はない。

 アイリスフィアですらそうなのだから、この場にいた先客たちからすればもっと訳が分からないに違いない。


「えっと、どういう事?」

「悪いが詳細はまだ話せない。だが、私がファイスレイド殿に用があるから会わせて欲しいとセルネイさんに頼んだのは事実だ」


 この場に来た目的を果たすまでは詳細を語れないため、エミルディランからの言葉にクロスフィードは事情を伏せたままで事実だけを告げた。


「殿下。申し訳ありませんが、ファイスレイド殿を少しばかりお借り出来ないでしょうか? 彼とどうしても話さなければならない事があるのです。アレクとエミルも席を外して欲しい」


 そう願い出ると、二人の騎士はどういう事だと眉根を寄せており、王子の眉間の皺は更に深くなった。


「話があるなら今この場で話せ」

「それは……」


 アイリスフィアからは明らかな拒否が見てとれる。それが演技であるのか本気であるのか判断が付かないクロスフィードは、何と言って納得してもらえばいいかと少々悩んだ。


 しかしその時、思わぬところから助け船が出された。


「殿下。私もクロスフィードさんと話がしたいのですが、お許し頂けないでしょうか?」


 そう王子に告げたのはファイスレイドだった。

 その言葉にはクロスフィードだけでなく、その場の皆が驚いていた。


「話したいなら話せばいい。ただし、俺も同席させてもらう」


 ファイスレイドからの予想外の言葉にたじろいでいたアイリスフィアだったが、すぐさまその表情を不機嫌そうに歪めながらそう告げてくる。

 王子はどうあっても二人だけで話をさせる気はなさそうだ。


 しかしそんな王子に対してもファイスレイドはその無表情を全く崩す事はなかった。


「おそらくクロスフィードさんの話は彼の縁談話についての事でしょう。こういった話は個人的なものですから、この場は我らだけにして頂きたいのです」

「え、縁談話、だと……!?」


 ファイスレイドの言葉を聞いた途端、アイリスフィアの顔が物凄い勢いでクロスフィードに向けられた。しかしそれを無視して、クロスフィードはファイスレイドに向けて口を開く。


「私が何を言いたいのか、もう承知しておられると?」

「大方予想はしております。貴方からすれば、相手が私だったというところに不満があるというところでしょうか?」

「そんな事はありません。ですが、貴方だったからこそ少々困っているのです」

「それはどういう意味ですか?」


 ファイスレイドが話の内容をすぐに察してくれた事に関していは有り難かったが、彼がまだ現状を把握してはいないという事を察したクロスフィードは難しい顔を作った。


 しかしそうやって二人で会話を進めていると、いきなりアイリスフィアから横やりが入る、


「待て、縁談話とはどういう事だ!? ま、まさかお前たち……っ!?」


 何てことだと言うように、アイリスフィアが驚愕に目を見開いて口を戦慄かせている。それを目の当たりにしたクロスフィードは、いきなりどうしたのだろうかと少々首を傾げた。


「会えない間にそんな事になていたとは……っ!」


 どうしてそんな事に、とか、俺の幸せ家族計画が、などという言葉をブツブツと呟いているアイリスフィアは、その綺麗な顔をこの上ないくらいに凶悪に歪めている。


 一体何が気に食わなかったのかは分からないが、アイリスフィアはこの上なく気分を害している事だけは分かった。


 そうして凶悪な雰囲気を醸し出しているアイリスフィアが、今にも泣きそうな顔でクロスフィードに言い放つ。


「俺はお前とファイの縁談など絶対に認めないからな!」


 遠退く木霊を耳にしながら、誰もが全ての動きを停止させ、その場が一気に静まりかえる。


 誰も何も言わない状況の中、遠くの方で犬の遠吠えか聴こえた。


「アレク、エミル」


 クロスフィードは二人に顔を向ける事なく声をかけた。

 すると二人の騎士は承知したとばかりに行動を開始する。


「どうしてそういう結論に行き着くんだよ……」

「殿下、寝言は寝てから言って下さい」


 二人は素早くアイリスフィアのもとまで行くと、両側から王子の腕を拘束した。


「何をする! 離せ!」


 ジタバタと暴れる王子を難なく押さえ込んでいる二人の騎士は、王子の言葉を無視して場を離れていく。


「あとでちゃんと説明してね」


 そんなエミルディランの言葉を最後に、三人は小屋の前から消えていった。

 それを見送ったクロスフィードは、とんでもない勘違いをしてくれたアイリスフィアのぶっ飛んだ思考に思い切りため息を吐いた。


 どう解釈すれば男同士の縁談話にたどり着くのかさっぱりわからないし、まして分かりたくもない。


「申し訳ない。殿下の誤解は彼らが解いてくれると思うから安心してくれ……」


 とりあえずファイスレイドにそう告げておく。


 今後早急にやらなければならないのは、アイリスフィアの一般常識の教育だとクロスフィードはこの時確信した。


「別に気にしておりませんので」


 呆れるような発言にさえその無表情を変えないファイスレイドに、さすが鉄の仮面は伊達じゃないと感心してしまう。

 しかしながら、今そんな事はどうでもいいので、クロスフィードは早々に本題を切り出す事にした。


「挨拶もなしに呼びだしてしまって本当に申し訳ない。君とは初対面だが、早急に用件だけを伝えたい。君も私と話すのは本意ではないだろうし」

「本意ではないというのは確かですが、私自身は伯爵家の事をどうとも思っておりませんので、お気になさらず」

「そう言ってもらえると助かる」


 本意ではないとはっきりと言われてしまった事に対しては少しばかり心が重くなったが、それでもこうして話を聞いてくれるというのなら、クロスフィードはそれだけでよかった。


「先程の話だが、君が私とアスティリア嬢の縁談話を知っているなら話は早い。君はアスティリア嬢にイグルマティウス侯爵様からの縁談話がある事も知っているだろうか?」

「はい、存じております」


 その答えにクロスフィードは、そうか、と言葉を返した。


「どうやらイグルマティウス侯爵様は強行策に出たようだ」

「それはどういう事ですか?」

「侯爵様はアスティリア嬢を手に入れるために私と君を排除したいらしい。現に先程私は不逞の輩に襲われそうになった。奴らの一人に話を聞いたが、君のもとにも刺客を送りこんでいるようだ。君とアスティリア嬢との関係は絶たれているようだが、おそらく侯爵様はまだ君たちの仲を疑っているのだろう。だから気を付けるようにと伝えたかったんだ」


 そう告げると、ファイスレイドの無表情に僅かな動きを見た気がした。


 現在ファイスレイドは王子直属の騎士としての職務に就いている。そんな彼が誰かに狙われているという事は、同時に護衛している王子の身も危険に晒されてしまう事になる。

 王子を守る騎士が狙われているという事が公になれば、ファイスレイドは確実に王子直属の騎士から外されてしまう事になるだろう。もし王子が巻き込まれて怪我でもすれば、最悪罰せられてしまうだろう事は想像に難くない。


 しかしこの話はファイスレイド個人だけの問題では収まらない事をクロスフィードは予想していた。


「君は殿下の騎士だから、こういった事に巻き込まれるのは本意ではないだろう? 私としても殿下が巻き込まれて怪我をなさる事は避けたい。だからもし君が――」

「とても有益な情報をありがとうございました。これで殿下の騎士を辞める事ができます」

「……………………は?」


 クロスフィードはファイスレイドが何を言ったのかすぐには理解出来なかった。しかしその言葉の意味を理解すると何を言いだすのだというように目を瞠った。


「ちょっと待て。それはまるで殿下の騎士を辞めたかったというように聞こえるんだが……」

「事実その通りですから、間違ってはいないと思います」

「……すまない。良く分からないから、どういう事か説明してもらいたい」


 王子直属の騎士の座は近衛騎士たちの憧れの地位だ。現に先の親善試合の件でも、その地位を狙っての不正行為が横行していたくらいなのだから、王子直属の騎士という地位が近衛騎士たちにとってこの上ない誉である事は言うまでもない。

 しかし目の前の騎士はその地位に就けた事を誉に思うどころか、疎ましく思っていたようだった。


「殿下の騎士になれた事は確かに誉れ高い事ですが、私はそれを望んではおりませんでした」

「だから辞める理由が欲しかったと?」

「そうですね。しかしこうなってしまった以上、私が殿下の騎士を務める事はもう出来ないでしょう。殿下や補佐官殿に聞かれてしまったので、もうどうする事もできません」

「え……? あー……」


 ファイスレイドの言葉に一瞬違和感を覚えたが、クロスフィードは微かな気配を感じ取って脱力した。


 騎士二人の気配は感じられなかったが、残念ながら、王子の気配は完全に隠れていはいなかった。


「盗み聞きは感心しない。出て来い」


 クロスフィードは周りに茂っている草木に視線を向けながらそう告げると、茂みの一部がガサガサ揺れ、人影が三人分現れる。


「だからやめましょうって言ったのに、殿下が我儘言うから」

「俺のせいにするな!」

「俺にはエミルが率先してたように見えてたんだが……」


 そんな会話を繰り広げながら悪びれることなく現れた三人に、クロスフィードは冷たい視線を向けた。


「殿下やエミルはともかく、アレクまでこんな事をするとは……」

「……俺は全力で帰りたいと訴えたんだが」

「ちょっと待って。どうしてアレクだけクロスに常識人扱いされてるの? どうして僕は殿下と同列扱いなの!? あんまりだよ!」

「それはこっちの台詞だ!」


 そうやってアイリスフィアとエミルディランがやいやい言い合っているのを横目に、クロスフィードは、はあ、と盛大にため息を吐いた。


「エミルさん。聞かれていた通り、私がこのまま殿下の騎士をしていては殿下の身が危険に晒される事となります。ですから早急に代わりの騎士をお探し下さい」


 ファイスレイドが近衛騎士団長の補佐官に向けそう告げる。するとアイリスフィアと言い合いを繰り広げていたエミルディランは、それをやめると少しばかり難しい表情を作った。


「一つ聞いてもいい?」

「何でしょうか」

「アスティリアってクロスに縁談を申し込んで来てたスヴェレラ商会の娘だよね? さっきの話だけでは君と彼女の関係がいまいち分からないんだけど。君までイグルマティウス侯爵様に目を付けられるなんて、彼女とはどういう関係なの?」

「私まで狙われる理由は、私がアスティリア嬢の元婚約者だからでしょう」

「お前婚約者いたのか!?」


 ファイスレイドの言葉に驚きの声を上げたのはアイリスフィアだった。何とも失礼極まりない言葉ではあったが、驚いているのはクロスフィードも同じだった。


 アスティリアの恋人だという事は知っていたが、婚約までしていたというのはアスティリアも言わなかったため知らなかった。

 しかし婚約までしていたというのなら、二人の仲は互いの親たちも公認だったという事だ。


「婚約といっても三日で破談になってしまったので、婚約者だったと名乗るのもおこがましいのですが」

「三日で破談になったのか……」


 事情を良く知らないであろうアイリスフィアが『三日』というとてつもなく短い期間に憐れみの視線をファイスレイドに向けている。しかしそんな王子の視線にもファイスレイドの無表情は崩れなかった。


 そんな二人の様子を見つめていると、エミルディランから声が聞こえてくる。


「事情は分かったけど、君を王子直属の騎士から降ろす事は出来ないよ」

「どうしてですか?」

「じゃあ聞くけど、君は近衛騎士団すらも辞めたいの?」


 エミルディランの言葉にファイスレイドは黙りこんでしまった。それを見つめながら、補佐官は言葉を続けていく。


「この件が公になれば確実に君は退団させられると思うよ。君、殿下の騎士になってまだ五日でしょう? そんな短期間で直属の騎士に問題がでたとなったら、君自身の素行態度まで疑われる事になるよ」


 クロスフィードもその可能性を考え、一番にファイスレイドにこの事を伝えたかったのだ。それはファイスレイドも望んではいないだろうし、彼を想うアスティリアも望んではいなかった。


 しかしこの事が公になる事で生じる不利益は他にもある。


「それにさ、君が殿下の騎士を辞める事によって一番被害を受けるのは誰だと思う? 公爵様たちが勝手に殿下の騎士を選出したからといって、その選定には団長も参加してたんだよ? たった五日で君自身に問題があると分かったら、その責任は全部団長に押し付けられる事になるんだ。悪いけど、そういう事だから君にはこのまま殿下の騎士を続けてもらう」

「ですが、それでは殿下の御身まで危険に」

「殿下を守るのが君の仕事でしょう?」

「殿下にもしもの事があればそれこそ一大事です」

「そこは君の腕の見せどころだから頑張ってね」


 どうあっても直属の騎士を辞めたいファイスレイドと、どうあっても辞めさせたくないエミルディランとの間で、交わる視線がバチバチと火花を散らしている。


 そんな二人を余所に、アイリスフィアから疑問が聞こえてくる。


「一体何がどうなっている? ファイが俺の騎士を辞めたがっている事はこの際どうでもいい。そんな事より、イグルマティウスとかいう奴はどうしてお前を狙っているんだ?」


 かなり不機嫌な様子のアイリスフィアが、物凄く不穏な空気を纏いながら腕組をして説明しろと視線で訴えてくる。それを受け、クロスフィードは観念するように口を開いた。


「私には現在スヴェレラ商会会長の娘であるアスティリア嬢との縁談話があります。そのアスティリア嬢の元婚約者殿がファイスレイド殿で、現在アスティリア嬢に縁談話を持ちかけているのがイグルマティウス侯爵様です。ここまではいいですか?」

「お前に縁談話があること自体不愉快だが、今は我慢してやる」

「そうですか……」


 不機嫌そうな様子を崩さないアイリスフィアの様子に、クロスフィードは疲れたようなため息を吐いた。


 何故王子に縁談話がある事を、不愉快だ、などと言われなければならないのか。確かにアイリスフィアより先に婚姻はしないと約束してしまったが、それでも縁談話くらい大目に見てもらいたい。


 クロスフィードはそんな事を思いながらも、絶賛不機嫌中の王子に現状を説明した。すると、ようやく話の道筋が見えたらしいアイリスフィアの機嫌がますます悪くなった。


「じゃあイグルマティウスとかいう奴はアスティリアとかいう女を利用するために手にいれたがっているという事か? しかもそれを成すためにお前とファイを排除しようとしているだと? 何なんだそいつ、許せんな!」

「全くその通りですね」

「俺のクロフィを巻き込みやがって……っ」

「……」


 クロスフィードはアイリスフィアがちゃんと状況を理解した事は分かったが、小さく聞こえてしまった呟きには大いに脱力してしまった。


 個人ではなく、もっと大局に目を向けて欲しいモノである。


 クロスフィードはそんな事を考えながら、はあ、と一つため息を吐くと、無言の攻防戦を続けている二人の近衛騎士に向け声をかけた。


「私としても、ファイスレイド殿にはこのまま殿下の騎士を続けてもらいたいと思っている。だから一つ提案があるんだ」

「提案?」


 言葉を返してきたのはエミルディランだった。

 何かを危惧するように眉根を寄せているエミルディランを目の当たりにすると、その提案がどういうモノであるのかをこの騎士が既に予想しているのだという事が分かる。しかしそれでもクロスフィードはその提案を口にする。


「私はこのままアスティリア嬢と婚約しようと思う」

「お前正気か!?」


 驚きの声を上げるアイリスフィアに一度だけ視線を向けると、クロスフィードはすぐに視線を二人の近衛騎士に向ける。


「婚約すると言っても本当にする訳じゃない。そういった噂をイグルマティウス侯爵様の耳に入るように流すだけだ。私がアスティリア嬢と婚約したとなれば、侯爵様の標的は私だけになる。そうなれば、ファイスレイド殿はこのまま殿下の騎士を続けられるだろう?」

「クロス、そんな事をしたらまた――」

「私は別に構わないよ。どちらかと言えば慣れてるし」


 エミルディランが何を言いたいのかを察し、クロスフィードはそれを阻むように言葉を告げる。


 この場所にはアイリスフィアもいるのだ。彼にだけは『国王の仇打ち』と称して命を狙われていたという事実は知られたくなかった。


「待て。そんな事をすればお前の身が更に危険になるだろうが。話を聞く限りでは、その商家からの縁談話を断ればお前は巻き込まれずに済むだろう。それなのに何故お前が進んで標的になるんだ」


 不機嫌そうに眉根を寄せているアイリスフィアの表情に少しばかり心配するような色が浮かんでいる事を認めると、クロスフィードは困ったような笑みを王子に返した。


「現状ファイスレイド殿にはこのまま殿下の騎士を務めてもらわなければ、近衛騎士団長殿の立場が危うくなってしまいます。それはエミル同様、私も避けたいのです。ですが、この件から私が手を引けば、アスティリア嬢はイグルマティウス侯爵様に嫁ぐ以外の道はなくなってしまいます。ファイスレイド殿が殿下の騎士を辞めず、尚且つ、アスティリア嬢をイグルマティウス侯爵様から守るには、私が囮になるのが一番いいのです」


 そう説明すると、アイリスフィアはそれでも納得がいかないと言わんばかりに口を開く。


「それではお前が――」

「別にずっと囮になる訳じゃないです。私が囮になっている間にイグルマティウス侯爵様の不正やら何やらを探って、大人しくなってもらえばいいんですから」


 ニコリと微笑みながらそんな黒い事を言ってみるが、アイリスフィアの表情は晴れなかった。


「どうしてそこまでしようとするのですか? 私が殿下の騎士を辞めればそれで」

「私は善意だけでそれをしようとしている訳ではないよ」


 ファイスレイドの問いに答えを返すクロスフィードは、無表情を崩さない目の前の騎士を真っ直ぐに見据えた。


「言っておくが、私はアスティリア嬢との縁談を受ける気は最初からない。だが、この件を解決する事によって得られるものは確かにある。だから私はその利益が欲しいだけだ。今後、君とアスティリア嬢が元の鞘に戻ろうがどうしようが、私には関係ない事だ」


 きっぱりそう告げると、クロスフィードは更に言葉を続けていく。


「決めるのは君だ。私はこの件から手を引く事ができるが、現状君は直属の騎士をやめる事は出来ないよ。君がイグルマティウス侯爵様に目を付けられていようとエミルがその事実を揉み消すだろうからね。このまま殿下の騎士を続けるなら、イグルマティウス侯爵様がアスティリア嬢から手を引かない限り、君は彼女と一緒にはなれない」


 そう告げてみると、ファイスレイドは僅かに眉間に皺を寄せたように見えた。


 ファイスレイドがアスティリアの恋人に戻ると、もれなくイグルマティウスからその身を狙われる事になる。

 王子の騎士を辞めさせたくないと考えているエミルディランが、それを簡単に容認する訳がないのだ。そういった補佐官の行動は、クロスフィードよりも同じ近衛騎士のファイスレイドの方が良く理解している事だろう。


「私は君とアスティリア嬢が婚約までしていたとは知らなかったが、君たちが別れるに至った理由は知っている。だから君が殿下の騎士を辞めたいと思っているその理由も分かっているつもりだ」


 二人の仲はファイスレイドの生家である子爵家の介入により引き裂かれてしまったようだった。

 アスティリアの話によれば、ファイスレイドと縁を切って欲しいというような事を子爵家から告げられ、それがファイスレイド自身の望みだと思ったアスティリアは、彼の将来を想い、潔く身を引いたらしい。

 しかしその後、ファイスレイドから幾度となく手紙が届き、子爵家からの話が彼自身の望みではなかった事を知ったのだという。それでもアスティリアがファイスレイドから離れようと考えたのは、彼が王子直属の騎士を辞めようとしている事を知ったからだった。

 近衛騎士にとって王子の騎士になれる事はこの上ない誉だ。それを十分に理解していたアスティリアは、自分の存在のせいでファイスレイドの将来を潰してはいけないと思い、身を引く事にしたようだ。

 それでなくても、子爵家から直々に別れろと言われてしまえば、商家の娘であるアスティリアが否を唱える事は出来なかったのだろう。そういった事も含めて、彼女は身を引く以外の選択肢がなかったのだろうとクロスフィードは思った。


 ファイスレイドの生家である子爵家が彼から商家の娘である婚約者を遠ざけたという事は、彼の王子直属の騎士任命に伴って生じる利益を優先させたという事だろう。おそらくファイスレイド本人はそれを容認してはいなかった。だからこそ、彼は王子の騎士を辞めざるを得ない理由を前に、歓迎するような発言をしていたのだ。

 そう考えると、ファイスレイドが未だにアスティリアの事を大切に想っている事が窺える。


 彼は王子の騎士という誉より、愛する人を選ぼうとしていたのだから。


「私が囮になる事でこの件が片付けば、君は誰に構う事なくアスティリア嬢と一緒になれる。婚約までしていたのだから、この件以外には何も問題はないだろう? もしアスティリア嬢のお父上が爵位を欲しているというのなら、尚の事殿下の騎士を辞めてはいけない。殿下の騎士としての務めを果たしていれば、殿下が国王に即位したあかつきには必ず爵位を賜れる。だからこそ、その地位を今この場で捨てる選択をするな」

「クロスフィードさん……」


 クロスフィードは少しばかり視線を落してしまったファイスレイドの様子をただ静かに見つめた。


 クロスフィードは本当に善意でその言葉を言っている訳ではない。その事に少しばかりの罪悪感を抱きながらも、皆が先の未来に光を見出すためにはこの方法しかない事をクロスフィードは理解していた。


「利害が一致している以上、互いに協力したほうが賢明だと思うけど?」

「……そう、ですね」


 一度息を吐いてから言葉を返してくるファイスレイドは、そのまま言葉を告げてくる。


「貴方にどのような思惑があるのかは分かりませんが、それでも、彼女を侯爵様から守るにはそれしかなさそうです」

「では交渉成立という事でいいな」

「はい」


 ファイスレイドから決定的な承諾を得た事によって、クロスフィードは、よし、と声を上げた。


「そうと決まれば話は早い。アイリス、もう少し彼を借りてもいいか?」

「ちょ、お前、何を」


 クロスフィードがアイリスフィアの名前を気軽に呼ぶと、王子が途端に慌てだす。ファイスレイドも少しばかり目を瞠っている事を認めると、彼もまたかなり驚いている事が窺えた。

 しかしアレクヴァンディとエミルディランの二人だけは、驚くことなくその場を静観している。


「ファイの前で俺の名を呼ぶなど」

「心配するな。ファイスレイド殿だってこの事を公爵様に報告するわけにはいかない事くらい承知しているはずだ」


 そうだろう、というようにファイスレイドに視線を向けてみれば、彼は無表情のまま口を開く。


「確かにその通りですが……。あの、先程から気になっていたのですが、お二人は以前から面識があったのですか?」


 現状、伯爵家の人間は王子には近付く事ができないようになっている。そのため、クロスフィードがアイリスフィアと親しげに話しているところを見れば誰だって驚くだろう。

 今はまだクロスフィードが王子と親しいという事は秘密にしておかなければならない。しかしファイスレイドに今それを明かしたところで、クロスフィードには何の痛手にもなりはしなかった。


「まあね。そうじゃなかったら、王子殿下が私の話など聞くものか」

「それもそうですね」

「どうしてそこで納得するんだよ!」


 ファイスレイドの言葉に思い切りツッコミを入れるアイリスフィアに、クロスフィードは思わず笑ってしまった。

 そんなクロスフィードに王子は眉根を寄せながら視線を向けていたが、ふとその視線をファイスレイドに戻し、至極真面目な顔つきになった。


「ファイ。そういう事だから、この場の事は公爵には伝えるな。いいな」


 そう命じるアイリスフィアが、そのまま自身の騎士を真っ直ぐに見据える。


「お前がどうして俺の騎士になったのかはちゃんと理解している。俺の事ならいくらでも公爵に報告すればいい。だがな、もしクロスフィードが害されるような事になれば、俺は誰であってもそいつを許さない。その事だけは肝に銘じておけ」


 アイリスフィアの牽制の言葉に少しばかり嬉しさを感じたクロスフィードがったが、それを隠して口を開く。


「ファイスレイド殿は私の事を公爵様に伝えたりしないよ。今現在、互いに弱みを握っている状態なんだ。裏切りはそのまま自身の破滅に繋がる事を、彼だって承知しているだろう」


 現状、補佐官であるエミルディランにこの話が聞かれてしまた以上、ファイスレイドは王子の騎士を辞められない。その状態でクロスフィードがアスティリアとの縁談話からすっぱり手を引けば、アスティリアはイグルマティウスに嫁がざるを得なくなる。

 侯爵家に盾突こうとおもう一般市民はいないだろうし、まして貴族もいない。侯爵位はそれくらいの威力がある地位だ。憐れだが、アスティリアはこのままだとイグルマティウスに嫁ぐしか道がなくなってしまうだろう。

 たとえファイスレイドが王子の騎士の任から外されたとしても、彼の生家は子爵家であるため、イグルマティウスがファイスレイド自身だけでなく子爵家にも圧力をかけるであろう事は目に見えている。

 この件を片付ける一番の近道は、クロスフィードが囮となってアスティリアの縁談話にケリを付けることだ。ファイスレイドもそれを理解したため、クロスフィードの提案を受けたのだ。


 クロスフィードも、王子と親しくしていたという事を公爵に告げられてしまうと、おそらくもう二度とアイリスフィアには会えなくなるだろう事は目に見えている。しかしその事を公爵に告げられてしまえば、クロスフィードはこの件から手を引くだろう事はファイスレイドも承知しているはずだ。


 互いに不利益しか発生しないのだから、ファイスレイドがこの場の話を公爵に報告する事はないと言える。


「ほら、エミルとアレクも何を言わないだろう? だから安心しろ」


 そう言って静観している二人の騎士に視線を向けると、エミルディランは困ったような表情を作り、アレクヴァンディは諦めたようにため息を吐いていた。


「……お前たちはまた(・・)何も言わないんだな」


 アイリスフィアの言う『また』とは、クロスフィードが近衛騎士たちに酷い言葉をぶつけられた時の事を言っているのだろう。それを悟ると、クロスフィードは少しばかり視線を落した。


 確かにファイスレイドとアスティリアの事も考えてはいるが、今回の件に関して、クロスフィードは打算的な考えも持っていた。それを二人の騎士は大方予想しているのだろうとクロスフィードは感じていた。察しのいい二人の事だから、その予想はきっと当たっていると思われる。


 アイリスフィアも二人が何事かを考えているだろう事は感じ取ったようだが、それが何かまでは分からないようだった。


「別に今ここで答えを教えてあげてもいいですけど、どうします?」

「いらん」


 不機嫌そうに眉根を寄せるアイリスフィアはエミルディランの申し出をきっぱり断っていた。それを認めながら、自分で答えを見つけようとしているその姿勢に、クロスフィードは王子の成長を感じた。


「あの、何の話ですか?」

「皆の利益の話だよ」


 ファイスレイドも少しばかり首を傾げている様子だったが、そうですか、と彼はあっさり引き下がった。


「ファイスレイド殿。この話をアスティリア嬢にも話して了承を貰いたいのだが、君から説明してくれると有り難い」

「ですが、私は現在殿下のお傍を離れる事ができません。それに彼女ともあれから会ってはいないので……」


 少しばかり視線を落としているファイスレイドの様子に、心配するなというようにクロスフィードは口を開く。


「少しアイリスから離れるくらいならエミルが何とかしてくれるだろう。それにアスティリア嬢は今伯爵邸にいる。急で悪いが、今から家に来て一緒に説明してくれると、話が早くて助かるんだが」


 そう告げると、何故かファイスレイドの眼光が鋭くなった。


「何故伯爵邸に彼女がいるのですか? まさか本当は縁談を進めているのですか?」

「あの、誤解しないでもらいたいんだが、彼女とは町で偶然会っただけだ。彼女と一緒にいるところを刺客に襲われたから、とりあえず伯爵邸に連れて行った。それだけだ」

「では彼女も共に襲われたのですか? 彼女は無事なんですか? まさか怪我などさせてはいないでしょうね?」


 ファイスレイドに一気に距離を詰られガシッと両腕を掴まれてしまったクロスフィードは、彼の勢いに少しばかり圧倒された。


 先程まで至極冷静に話を聞いていたファイスレイドが、未だ無表情ではあるが、その無表情には切羽詰まった様子が見てとれた。

 それを目の当たりにすると、この騎士が如何に彼女の事を大切に想っているのかが分かる。


「どうなんですか、クロスフィードさん」

「だ、大丈夫だ。彼女には傷一つ負わせてはいない」

「本当ですか?」

「本当だ。そんなに疑うなら今から家に来ればいいだろう」

「それもそうですね」


 そう言ってあっさりクロスフィードの腕から手を離すファイスレイドは、王子と補佐官に向き直る。


「殿下、申し訳ありませんが少しばかりお傍を離れます。エミルさん、私はこれから伯爵邸に行ってまいりますので、あとの事はよろしくお願いします」

「貸しにしていいなら適当に言い訳しとくけど?」

「それで構いません」


 補佐官の言葉に躊躇いなく返しているファイスレイドを見るに、余程アスティリアの事が心配なのだろう事が窺える。

 そんなファイスレイドに、本当に貸しを作ってしまっていいのかというような視線をアイリスフィアとアレクヴァンディが送っている訳だが、彼がそれに気付いている様子は全くなかった。


 そんな様子を見つめながら、クロスフィードはファイスレイドに声をかける。


「本当はイグルマティウス侯爵様の手の者が来るかもしれないと思っていたんだが、ここには現れなかったようだ。だから刺客を始末しながらの道のりになると思うが、構わないよな」

「はい。刺客の始末は私にお任せください」


 ファイスレイドから頼もしい言葉が返ってくると、不意にアイリスフィアが口を開いた。


「ファイ。ちゃんとコイツを伯爵邸まで送り届けろよ。傷一つ付けようものなら容赦しないからな」


 そんな事を自分の騎士に命じている王子に、クロスフィードは思わず苦笑が浮かんだ。


「分かりました。クロスフィードさんは帯剣しておりませんし、私がお守りいたします」

「別に気にしなくていいよ。アイリスもそれほど心配しなくていい」


 安心させるようにそう告げてみたが、アイリスフィアからは心配だと言わんばかりにの視線が向けられる。


「俺が送ってやれたらいいのに……」

「ん? 何だ?」

「……何でもない」


 何を言ったのか聞きとれなかったクロスフィードは、言い直す事をしなかったアイリスフィアに少しばかり首を傾げた。


「はい。じゃあこの話はここまでという事で、そろそろ解散しよう。少し前とは状況が違う訳だから、あまり長く殿下が行方不明になってたら面倒な事になるし」


 そう言ってエミルディランが解散宣言すると、その場の誰も否を唱えなかった。


「それじゃあ、私が先にこの場を離れるよ。ファイスレイド殿、私は裏門を出た辺りで待っているからあとで来てくれ」

「分かりました」

「気を付けて帰れよ」

「ああ。アイリスも病み上がりなんだから、あまり無理をしないようにね」


 そうやって別れの挨拶を交わすと、それじゃあ、とクロスフィードは皆に告げ、その場をあとにした。


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