伯爵家の縁談相手
とりあえずアイリスフィアを見舞って来たという話をアレクヴァンディに伝え、アイリスフィアが思ったより元気だったと教えた。するとアレクヴァンディも、そうか、と言って安心しているようだった。
そうして少しばかりアレクヴァンディと近況を報告し合った後、クロスフィードは帰路に付いた。
「一体何をさせる気なんだろうな……」
強制的に作られてしまった借りの事を考えながら、王都の町中を歩いて行く。帰路に着く人の往来も疎らで、昼の喧騒を思えば少しばかり淋しさを感じる。
日も傾き、空に紅が混じってきた事を感じながら長く伸びる陰に視線を落とすと、その陰に近付いてくる陰を認めた。
誰だと思い振り返るが、そこに知り合いの顔はなかった。
「気のせいか……?」
確かに自分に向かって近付いてきたように見えたが、と首を傾げたが、クロスフィードはさほど気にする事もなく再び足を進めた。
しかし伸びた影には、やはりまとわりつく影があった。
クロスフィードの足元辺りには付いて来ている人物の影の頭の部分がある。陽の傾き加減と自分の影の長さから考えると、付いて来ている人物はそれほど離れている訳ではないが、一定の距離を保ったまま近付いてはこない。一体何が目的なんだと思うが、相手をするのはすこぶる遠慮したいというのがクロスフィードの本音だった。
「面倒だな……」
クロスフィードはそんな事をぼやきながら通りを歩く。
平和的な解釈をするなら、ただ声をかける時期を計っているだけのクロスフィードに用事がある人物。物騒な解釈をするなら、物取りや人攫い、最悪刺客だ。
昔は王家に取り入ろうとする貴族たちからの『国王の仇討ち』と称して命を狙われた時期もあったが、それも王子が成人間近になるにつれてなりを顰めていったため、今では周りからただ蔑まれるだけの平和な日常を送っている。
最近ではいろいろな意味で緊張感溢れる日々を過ごしていた事は認めるが、こういった日常は戻って来なくてもいいのにと思わずにはいられない。
しかしながら、万が一の場合もちゃんと考えてはいるが、気配もタダ漏れ、存在もバレバレという事で、影の主は刺客の類ではないと判断する。
「思い切り標的にされてるみたいだし、こっちから声をかけた方がいいのか……?」
でも面倒だし、と呟きながらクロスフィードはとりあえず無視したまま足を進めて行く。
一向に付かず離れずの距離を保っている背後の人物はクロスフィードの知人ではない事は明らかだ。しかし知り合い以外に伯爵家の人間に関わりたいと思う貴族はいないと言える。
付けてくるのは誰かという事も確かに気になるが、それ以前にクロスフィードには付けられている理由の方が気になっていた。
「仕方ない」
クロスフィードは少しばかり歩みを速めると、突発的に建物の角を曲がり、狭い路地に入る。すると慌てたように付いて来ていた人物も角を曲がってきた。
「何故私の後を付いてくる?」
「……っ!?」
クロスフィードは角を曲がって来た人物の腕を咄嗟に掴み、あっさりと背後を取る事に成功する。その呆気なさに毒気を抜かれながらもその人物をちゃんと確認すると、相手が女である事を確認した。
「これ以上手荒な事はしたくない。だから答えてくれると有り難いのだが?」
「あの、私は……」
掴んでいるその腕は小刻みに震えはじめる。相手は不測の事態に恐怖しているようで、言葉もまともに出ないようだった。クロスフィードは相手に害意はないと判断し、それでも油断しないようにその腕を離す。
「驚かせて申し訳ない。少しばかり気の抜けない日々を送ってきたもので、つけられると無意識に警戒してしまうんです」
優しい口調ながら、妙な真似をすれば問答無用で攻撃するぞ、という脅しも兼ねてそう告げる。いくら相手が女性であっても、声もかけずにつけてくるような人物にはどうしても拒絶の意思が浮かんでしまう。
そうやって目の前の人物の反応を待っていると、相手は身を震わせながらも振り返った。
「すみません。偶然貴方をお見かけしたものですから、声をかけようと思って、その……」
「あれ、君は……」
目の前にいる人物はクロスフィードと同年代の少女だった。
長い髪を後ろで一つに纏め、簡素だが上等な生地の服を着ているその少女は、何処かで見た事がある人物だった。
「確か、隣町の金物屋で会った人ですよね?」
「憶えていらしたんですか? 一瞬だったので、もう忘れておられると思っていました」
「記憶力は結構いい方なんですよ」
そう言って少しばかり微笑めば、そうなんですか、と返してくる少女も少しばかり恐怖心を和らげる。
「申しおくれました。私はアスティリアと申します。父はスヴェレラ商会会長をしております」
そう自己紹介され、クロスフィードは少々目を瞠った。
目の前の少女は、クロスフィードの縁談相手だった。
「貴方の事はお名前しか存じてはおりませんでしたが……、まさかこのような場所でお会いするとは思ってもみませんでした」
「私もです。こんな町中で偶然貴方様の姿をお見かけするとは思ってもみませんでした」
少しばかり笑みを浮かべながらそう返してくるアスティリアが、ふとその表情から笑みを消す。
「あの、クロスフィード様には我が家から縁談の申し込みが送られているのはご存じですよね?」
「ええ。存じております」
「あの、その件で少しお話が出来ないかと思って伯爵家の方に伺おうと思っていたのです。ですが途中で貴方様をお見かけして、その、声をかけようとしていたのですが、なかなか勇気が出なくて……」
そのため結果的につけるような形になってしまった事を彼女、アスティリアは詫びてきた。
クロスフィードはそんな彼女を見つめながら、結論だけを先に述べる。
「伯爵家の方からお断りの手紙を何度もお送りしているのもご存じですよね? 大変申し訳ないのですが、私としても貴方との婚姻は望んではおりません」
「それは、十分に承知しております。ですが、話だけでも聞いてもらえないでしょうか?」
見た目は大人しそうな感じであるが、その瞳は意志の強そうなきらめきを宿している事が見てとれる。
そんなにこの縁談話を纏めたいのかと少々眉根を寄せるクロスフィードは、いい機会だからと、この場で縁談そのものを諦めてもらおうと考えた。
「我が伯爵家には爵位ある貴族の威光など微塵もありませんよ?」
「あの、決して伯爵様の威光が目当てという訳では……」
「それに貴方には町の領主であるイグルマティウス侯爵様からも縁談の話があるとか。私などよりそちらの申し出をお受けになられては?」
「それは……っ」
それは出来ないというようにアスティリアの表情が歪む。クロスフィードもイグルマティウス侯爵の縁談を受けられないだろう事は承知していた。
イグルマティウス侯爵に関する噂に良いモノは無い。彼女の表情からもそれが事実なのだという事が窺える。クロスフィードは侯爵に会った事はないが、会いたいとも思わないし、まして関わりたいとも思わない。しかし目の前にいるアスティリアとの縁談話に関わると必然的にイグルマティウスとも関わる事になってしまう。それだけは心から遠慮したい。
クロスフィードは尚も口を開こうとしているアスティリアに淡々と告げる。
「縁談以前に貴方には恋人がいると伺ったのですが、何故その方と一緒になろうとは思わないのですか?」
「どうして、それを……」
アスティリアが驚いたようにその大きな眼を見開き見つめてくる。その様子に、クロスフィードはエダンマキナから聞いた情報が事実であった事を知った。
「お相手は確かファイスレイド殿でしたか。彼は三男ではありますが子爵家の人間です。貴方なら十分見合う方なのではありませんか?」
的確に誰かという事まで告げると、最早何も言えないというようにアスティリアはただ目を瞠っていた。
「貴方たちの事情は知りませんが、伯爵家としては貴方のご実家からの縁談話を受ける気はありません。何度縁談を申し込まれても――」
「貴方様でないとダメなんです!」
突然声を上げるアスティリアにクロスフィードは少々目を瞠る。するとアスティリアは小さく、すみません、と詫びてから言葉を続けた。
「侯爵様の縁談は父が断っておりますし、ファイとは……彼とはただ親交があるというだけで、恋人などでは、ありません……」
「それでは私を選んだ理由をお聞かせ願えますか?」
「それは……」
「爵位が欲しいのなら侯爵様の方がよろしいかと。叩けば誇りが出るような方のようですし、爵位を得たいのならば侯爵位を狙われればよろしいでしょう? 貴方のお父上なら簡単なのでは?」
「そんなっ」
「では私を選ばれた理由を教えてください。この期に及んで私に恋をしたなどという戯言は言いませんよね?」
「……っ」
下心があるんだろう、という意味を込めて理由を訊ねてみれば、アスティリアは途端に黙り込み、俯いてしまった。
それを認めると、クロスフィードは小さくため息を吐いた。
これではまるで苛めているようだなと反省する。
「私に届く縁談は、先方に何らかの思惑があるモノばかりです。決して貴方のご実家からの申し込みだけがそうだという訳ではありませんから、お気になさらないでください。私にとってはどれも同じようなものなのです」
努めて優しい口調でそう告げると、アスティリアがハッとしたように顔を上げた。そんな彼女にクロスフィードは困ったような笑みを返す。
「伯爵家が背負っているモノは決して軽くはありません。貴方のご実家にどういった思惑があって縁談を申し込んでくるのかは知りませんが、私はやめておいた方がいいと思います。下手をすればスヴェレラ商会の名に傷を付ける事になるかもしれません。私としてもそれは望んではおりませんから」
「そんな事はありません」
先程の弱弱しい姿とは打って変わって、アスティリアは真っ直ぐにクロスフィードに視線を向ける。それを真っ向から受け取るクロスフィードはその瞳に真摯さを感じた。
「伯爵家の事情に関しては私共も存じております。ですが、伯爵家の領地運営が素晴らしい事も承知しております。失礼を承知で伯爵様の領地に赴き町の様子を見てまいりましたが、農地開拓の技術は領地の隅まで行き届いていましたし、農家の人たちに対する農業教育も徹底しておりました。町のみなさんも伯爵家の方々の事をとても信頼している様子でしたから、それだけでも伯爵家の方々の人柄が窺えます。どれをとっても素晴らしい領地運営を行っておられる伯爵様なら、スヴェレラ商会にもご助力いただけるのではないかと思いまして……」
少しばかり言い淀んでしまうアスティリアを前に、クロスフィードはその『助力』という辺りに今回の縁談に対する執着を垣間見た。
「こう言っては何ですが、伯爵様はこれ以上事業を拡大できないのではないですか? あれだけの農業事業を行っているのなら国外への出荷ルートも確保していらっしゃるのかと思っておりましたが、出荷は国内だけのようですし、しかも出荷する地域も決まっていてそれほど数も多くない。伯爵家の農業事業は本当に素晴らしいものですが、その実、規模的に言えばかなり控えめであるとお見受けしました」
さすがは商家の娘。家柄に関してではなく領地の方から切り込んでくるその姿勢は正に商売に身を置いている者の考え方だと感心する。大抵は伯爵家が背負っている罪の事を盾に取られる事が多いが、クロスフィードにとってはそっちの方があしらい慣れているためやり易い。しかしこうして領地の事を引き合いに出されてしまうと、クロスフィードとしても軽くあしらえばいいという考えは頭から消える。
「伯爵様の領地運営をスヴェレラ商会の方で手助けできると思うのです。商会は独自の仕入れルートや出荷ルートを保持しておりますし、国外とのやり取りもあります。伯爵様に変わって多方面に領地で作られた作物を出荷する事ができますし、国外から輸入される作物の栽培に関しても手助けできると思います」
クロスフィードは自分が考えていた事をズバリ言い当てられてしまい、驚くよりも先に思わず口角を上げてしまった。
伯爵家の領地運営は二十年前の規模から殆ど変わっていなかった。どちらかというと、国外輸出がなくなっただけ規模は小さくなったと言える。
何故二十年前の規模から拡大を図れないかと言えば、二十年前に起こった事件が未だに影響しているからだ。
二十年前、国王暗殺に伴って伯爵家は取り潰しになるはずだった。しかし存続が許され、今でも領地を没収される事なく運営できるのは、二十年前からその規模を拡大していないからだった。
二十年前、領地の没収の話も出たらしいが、それに町民が反発し、一時期作物の出荷を止めてしまったらしい。それは国の食糧事情に打撃を与える結果となり、伯爵家が行っている領地の農業事業の重要性を国中に知らしめた程だったという。
そんな事もあり、高官たちは慎ましい領地運営を条件に伯爵家に領地を戻したらしい。しかし高官たちは今でもその条件が破られる事による領地の没収や爵位の剥奪、伯爵家自体の取り潰しの理由を欲しているのだ。それが分かっているのに、これ以上の事業の拡大は図れない。
しかし一つだけ方法がない訳ではない。
それは第三者の介入だ。
現状伯爵家だけでは手を広げる事は出来ないが、それを他の者からの助力を得る事で、それが可能となるのだ。それがスヴェレラ商会であれば尚の事広げられる手は大きくなる。
領地内での活動に関しては何も言われないので、クロスフィードは国外作物の国内栽培を考えていた。それを成すためには国外に人材を派遣して直に栽培方法を学んで来てもらうというのが一番早いのだが、それを全て伯爵家が手配してしまうと必ず問題視されてしまう。しかしスヴェレラ商会と手を組み、スヴェレラ商会の方で全てを手配してもらえるなら、それほど問題視される事はない。
スヴェレラ商会が事業の一環としてそれを行っていると言えば、それで済む話になのだから。
「さすがはスヴェレラ商会。着眼点はとても素晴らしいかと」
アスティリアの話は最早縁談話ではなく商談だ。彼女がここまで躊躇う事なく外的要因で話を進めているという事は、アスティリア自身も政略結婚に同意しているという事だった。
「それで? 伯爵家に対する見返りは何ですか?」
それだけの事をしてやろうと話を持ちかけているのだから、それ相応の対価も欲しているはずだ。
一体何を要求するのだろうかと思いながら返事を待っていると、アスティリアは一度周りに誰もいない事を確認しながら、意を決したように口を開いた。
「スヴェレラ商会の本部を伯爵様の領地に移転させていただきたいのです」
その言葉にクロスフィードは一瞬キョトンとしてしまったが、次の瞬間には思わず笑ってしまいそうになった。しかしそれをグッと堪えて口を開く。
「その考えはお父上が?」
「はい、そうです」
「そうですか……。では何故移転を望むのかを訊いてもよろしいですか?」
「それは、私たちが住んでいる町の領主様に少々問題がありまして……」
イグルマティウス侯爵の父親であった前領主とスヴェレラ商会の会長はとても友好的な関係だったようで、前当主の協力の下事業拡大に成功したと言っても過言ではないほどに両家は良好な関係だったという。
そんな事もあり、商会の会長は町の繁栄のためにと毎年侯爵家に献金をしていたらしく、前当主はそれを町の発展のために使い、現在のような活気のある町へと発展させた。
その献金というのは前領主が亡くなった後も続けていたというが、現領主であるイグルマティウス侯爵はその金を全て懐に入れ、散財していたという。それを知った会長は献金を止め、侯爵家との交流を絶った。するとイグルマティウス侯爵はスヴェレラ商会の邪魔をしだしたらしい。
侯爵家が仲介役となって繋がっていた貴族たちと断絶させたり、国外からの仕入れや輸出に我がもの顔で介入し相手側の信用をなくすなど、挙げたらきりがないほどの妨害行為を受けたという。そのため、献金をする代わりに商会に関わらないという約束が交わされる事となったが、今度はその献金の額を増やせとのたまって来たようだった。
「駐在騎士の方に何度も相談には行きましたが、効果はありませんでした」
「それはそうでしょうね。侯爵家に流れている金が賄賂であるなら動けますが、献金となると難しいです。相手は貴族なので、この件は駐在騎士だけでは荷が重いでしょうし」
「そうなのですか?」
「ええ。もしこの件で侯爵様を罰する事が出来ても、それは些細な罰しか与えられません。しかし現状それも難しいと思うので、早々に献金自体をお止めになった方がいいですよ」
「そんな事をしたら……」
再び妨害行為がはじまるだろう。それはアスティリアの話を聞いたクロスフィードも理解している。
「では相手の要求通りに額を増やすしかありませんね」
淡々とそう告げれば、アスティリアから少々非難めいた視線を向けられる。しかし彼女はそれをグッと抑え込むようにして口を開く。
「ですから、私がクロスフィード様に嫁ぐ事で先程の条件を呑んでもらいたいのです。我が家は貴族家ではありませんが、我が家なら伯爵家にとっても利益があると思います。どうかもう少し考えてはもらえないでしょうか?」
スヴェレラ商会が伯爵家に縁談話を申し込むその訳は、イグルマティウス侯爵の治める地から逃げ出す手伝いをして欲しいというモノだった。
しかしそれだけではない事をクロスフィードはアスティリアの話で知ってしまったため、その縁談はどうあっても受けるわけにはいかなかった。
「申し訳ないのですが、私の意思は最初から変わりません。私は貴方との婚姻は望んでいません。伯爵家への利益より不利益の方が大きいようですし」
「そんな事は――」
「貴方は伯爵家の事を何処までご存じですか?」
「え……?」
アスティリアは何故そんな事を聞くのかというように首を傾げていたが、伯爵家の事情を慮ってか、上手く言葉を濁しながらも答えを返してくる。それは一般的に知られているような事だけだったので、交換条件の裏にある思惑に気付かなかったのだろう。
「貴方が言うように、我が領地での事業はこれ以上拡大できません。それは伯爵家に背負った罪があるからです。これ以上拡大せず、これ以上縮小させる事がないように運営して行く事が大前提なのです。その状態でスヴェレラ商会の本部を我が領地に置くとなればどうなるかくらい、少し考えればおわかりになるのでは?」
「あ……」
「貴方のお父上がそこまで考えているというのなら、これ以上関わりたくないというのが私の本音です」
きっぱりとそう告げると、アスティリアは黙りこんでしまった。
スヴェレラ商会の会長が伯爵家に縁談の申し込みをしつこく送ってくる理由がようやくはっきりと見えた気がした。
会長は現状を利用し、町からの本部移転の理由を得られたばかりか、伯爵家に娘を嫁がせる事で移転先を伯爵家の領地にする事を当然のモノとしようとしているのだ。そして会長は伯爵家の事業拡大が望めない事情もおそらく知っている。そうであるなら、商会移転後、伯爵家が事業の主導権をスヴェレラ商会に渡さざるを得なくなる事も予想しているのだろう。
クロスフィードがアスティリアと婚姻を結び、商会の移転を容認し、尚且つスヴェレラ商会の事業の主導権を伯爵家が握るとなれば必ず問題視されてしまう。クロスフィードとしても伯爵家が潰されてしまう事は何としても避けたい。会長が爵位を欲しているというのならクロスフィードと考えは同じだろう。そのため万が一そうなってしまったら、伯爵家の領地をスヴェレラ商会が運営して行く事でしか生き残る術はない。それは事実上伯爵家がスヴェレラ商会に乗っ取られる事と同義だ。
恋人との子供を跡継ぎに据える気かなどと考えていた事が馬鹿馬鹿しく感じる。事はそれほど悠長なモノではなかった現実を知り、クロスフィードは垣間見えた会長の本音のようなものに恐怖すら抱いた。
「伯爵家としては領主である侯爵家とも関わりたくないので、この縁談話を受ける事は決してありませんからそのおつもりで。ですが、侯爵様の件は私から両騎士団の方に伝えておきます。騎士団長たちとは知り合いなので、ちゃんと伝えておきますから」
「ですが、あの、もう少しだけ考えてはもらえませんか? そちらからも条件があれば言ってください」
どうしても引き下がれないというように喰い下がってくるアスティリアに、クロスフィードは小さく息を吐く。
「不躾な質問をして申し訳ないのですが、どうしてファイスレイド殿に助けを求めないのですか? 彼は近衛騎士ですし、親交があるのなら頼ってみては如何ですか?」
「……それは、出来ません」
「何故?」
「……」
何かに堪えるように口を引き結んでしまうアスティリアの様子に、クロスフィードはそれ以上何も聞かず、話を切り上げる事にした。
「もうすぐ夕刻ですからお帰りになられたほうがよろしいでしょう。宿を取っているというのならお送りします。行きましょう」
「いいえ、もう少しだけでもいいのでお話を――」
アスティリアが尚も言い募っている最中、クロスフィードは不意に不穏な気配を感じ取った。
クロスフィード達を窺うようなねっとりした視線。
気配自体は微かだが、確かにその存在は感じ取れる。
これは少々不味い展開だ。
「正直に答えて頂きたいのですが、現在誰かに狙われているという事はありますか?」
「え? い、いいえ。そんな事はないと思いますが……」
意味が分からないというように首を傾げながらもアスティリアは否と答えを返してくる。その表情は嘘を付いているようには見えなかったため、クロスフィードは事実狙われている事はないのだろうと判断した。
しかし向けられている視線は確かにクロスフィード達に向けられている。それを考えると、クロスフィードかアスティリアのどちらかか、それをも両者が標的という事になるのだろう。
気配の隠し方から見ても物取りや賊という訳ではなく、明らかに裏稼業に身を置いているような人物だろう事が窺える。
クロスフィードが標的というのならアスティリアとの縁談とは無関係である可能性が高くなるが、彼女との縁談話がある以上、イグルマティウスが絡んでいる可能性も否定できない。
クロスフィードは関わりたくないと思いながらも、標的がどちらか分からない以上、このままアスティリアと別れるわけにはいかなくなった。
「落ち着いて聞いてください。私たちは現在何者かに見張られているようです」
「え……っ」
極力顔を近付け、小さな声で現状を説明すると、アスティリアは咄嗟に口元を抑えて声を出さないようにしていた。それを認めたクロスフィードは賢明な判断だと口元に笑みを浮かべた。
「ご安心ください。何もしてこないかもしれませんし、もし襲ってきても貴方の身は私がお守りします。ですが私と貴方、どちらが標的なのかが分からないので、とりあえず逃げましょうか」
「え、あの……っ」
クロスフィードはアスティリアの答えを待たずに彼女の手を引き、夕日で赤く染まる通りに出て走り出す。するとそれに伴って、感じた気配も付いてくる。
人数はおそらく三人。逃げ切れない数ではないが、それは一人だった場合の話だ。アスティリアがいる今、逃げ切る事は難しい。現に彼女の息は既に上がり始めている。このまま伯爵邸まで逃げ遂せる事は出来ないだろう。かといって王宮へ戻る道のりを考えると、このまま伯爵邸に向かった方が距離は短い。
クロスフィードはそんな事を考えながら、追ってくる者たちと対峙する覚悟を決めはじめていた。
「もう少しで伯爵邸ですのでご辛抱を」
「は、はいっ……、はあ、はあ……っ」
返事は出来るようだが、アスティリアの走る速度が次第に落ちている事をクロスフィードはちゃんと分かっていた。
これ以上走るのは無理だろうと判断したクロスフィードは、走る速度を緩めて立ち止まる。するとアスティリアも立ち止まり、胸に手を当て乱れた息を懸命に宥めていた。
「す、すみま、せん……っ」
「いいえ。お気になさらず」
クロスフィードはアスティリアの腕から徐に手を離すと、彼女を背に庇うように前に出る。すると、建物の陰から音もなく人影が現れた。
現在クロスフィード達がいるのは大通りからは外れている脇道で、周りに人の往来もなくとても静かだ。
そんな状況の中、姿を現したのは予想通り三人。
暗めの衣装を纏っており、顔も布で覆っていて目元しか見えていない。体格から見て、三人とも男だ。
目の前に現れた三人以外に不穏な気配は感じられない為、この三人を相手にするだけで済みそうだとクロスフィードは冷静に考えていた。
「狙いは私か? それとも彼女か?」
そう問いかけてみるが、返事はない。予想通りではあるが、出来れば早急に教えて欲しいとクロスフィードは小さく息を吐いた。
すると背後から小さな声が聞こえてくる。
「クロスフィード様。私の事はお構いなく。護身用の懐剣くらいは持っておりますから」
「貴方は抵抗しない方がいいですよ。怪我をされては大変ですから」
「ですが……」
「ご安心を。私でも貴方の盾くらいにはなれますから」
少しばかり後ろを振り返り笑みを向けると、アスティリアはそんな事はしなくていいというように首を振っていた。
しかしそれにすら笑みを返したクロスフィードは、正面に顔を戻すと、目の前の三人に鋭い視線を向けた。
「申し訳ないが、久しぶり過ぎて手加減出来ないと思う。その辺りは許してほしい」
「戯言を。丸腰の貴様に何ができる」
ようやく口を開いた一人の男は嘲笑うかのように言葉を告げていた。
男が言うように、クロスフィードは帯剣などしていない。普段から剣を持ち歩かないクロスフィードの姿は、傍から見れば丸腰に見える。とはいえ懐剣くらいは誰でも持ち歩いている事くらいは男たちも承知しているだろう。しかしそれでも勝てる訳がないと男たちは嘲笑しているのだ。
それを静かに見つめながら、クロスフィードは口を開く。
「勝てる自信があるなら、さっさとかかってこればいいのでは?」
「威勢がいいのは結構だが、今回は忠告をしに来ただけだ」
男の言葉にクロスフィードは思わず眉根を寄せた。しかし争わずに済むならそれに越した事はないと思い、男の話を聞く事にする。
「忠告とは?」
「今後その娘と関わるな。さもなければ命はないと思え」
男の言葉で、クロスフィードは標的が自分である事を知り、それを命じた人物が誰であるのかも悟った。
「それで? この場はそれだけという事でいいのか?」
「いいや。少しばかり痛い目にあってもらう」
男の回答にクロスフィードは面倒くさそうにため息を吐く。
目的が脅しというなら、多少痛い目にあわせた方が手を引く確率が高くなると考えるのは当然の事だ。
「安心しろ。命までは取らないさ」
そんな事を言いながら男たちはそれぞれ剣を手にしてジリジリと迫ってくると、それを目の当たりにしたアスティリアが背後で身を硬くする。それを背に感じながら、クロスフィードは少しだけ振り返った。
「大丈夫です」
「ですが……っ」
不安そうな瞳で見上げてくるアスティリアに、クロスフィードは微笑みを返す。そしてすぐに正面に顔を戻すと、男たちと対峙する。
「さっきも言ったが、こういう状況は久しぶり故、こちらもあまり手加減してやれないよ」
「威勢がいいのも今の内だ」
男たちから嘲笑を貰うが、クロスフィードは至って普通にそれを眺めていた。
勝てる訳がないだろうというように笑う男たちは、クロスフィードがどうして剣を所持していないのかを深く考えようとはしていない。そのため、男たちが只の下っ端である事を確信する。
「女の前で無様な姿を晒せばいいさ」
その言葉を合図に、男たちが一斉に向かってくる。しかしクロスフィードは慌てることなくその場で右腕を横に大きく一閃した。すると向かってくる真ん中の男だけを残し、その両脇の男たちは、うっ、とか、ぐっ、などといううめき声を上げ、その場に沈んだ。
「な……っ」
一人無事だった男は、突然倒れ込む仲間に驚きを隠せない様子だった。男はピタリとその場で足を止め、倒れた男たちに視線を向けている。
倒れた男たちは二人とも足の太腿辺りを抑えて呻いていた。
「投剣か……っ」
倒れた男たちの太腿にはクロスフィードが投げた投剣が突き刺さっていた。それを認めた男はようやくクロスフィードが丸腰でも平気な顔をしている事に気付いたようだった。
「お前……」
「すまないね。私は暗器が得意だから剣は持たないんだ」
クロスフィードは幼い頃から二人の騎士団長に剣を習っていたため剣の扱いもそこそこ上手い。しかし一番得意なのは父親から教わった暗器だった。
二人の騎士団長は剣豪と謳われるほどの剣才を持っているが、父親であるツヴァイスウェードの剣の腕は二人よりは劣る。しかしツヴァイスウェードは暗器使いとしては天才的な才能を持っていたため、二人の騎士団長に引けは取らない強さを持っていた。その娘であるクロスフィードも父親同様、暗器の扱う才能に秀でていた。
女であるクロスフィードはどうしても剣の競り合いでは力の差で押し負けてしまう。技術を磨きそれを補う事も出来るが、クロスフィードにはそこまで秀でた剣才は持っていなかった。そのため、クロスフィードにとって暗器は身も守る最大の武器となったのだ。
「アスティリア様。申し訳ないのですが、騎士を呼んで来てくれませんか? 大通りに出れば巡回中の騎士を見つける事ができると思います」
「え、あ、はい!」
クロスフィードの言葉を受け、アスティリアは近くの脇道から大通りに向けて走って行った。
足が竦んで動けないかもしれないとも思っていたクロスフィードだったが、なかなか度胸のあるお嬢さんだ、と秘かに笑みを浮かべた。
「さて。君には訊きたい事がある」
「……っ!」
一人残った男は状況が不利だと悟ると咄嗟に踵を返して逃げようとした。しかしそれを許すクロスフィードではないため、逃げようとした男の足にも小さな剣を投げつける。
「うぐっ……」
男は呻き声を上げながらその場に崩折れる。
クロスフィードはそんな男に近付きながら懐に忍ばせていた短剣を手に構え、それを男の首元に突き付けながら口を開く。
「君の仲間にはもう聞けないから、君に答えてもらいたい」
「断る……っ」
「意外に義理堅いんだな。まあ答えないというなら、君がそこで転がっている仲間と同じような事になるだけだ。私はどちらでもいいから君が選ぶといい」
そう告げると、男は咄嗟に倒れている男たちに視線を向ける。そして倒れている男たちがピクリとも動かない事を確認すると、ハッとしたようにクロスフィードを見上げてくる。
「まさか……」
「私が扱う暗器は殺傷能力が低くてね。こういった暗器は確実に仕留めるために暗器自体に毒なんかを塗るのが一般的だろう? そんな事は私などより君の方がよく知っている事なのではないか?」
驚愕に目を瞠りながら見上げてくる男に、クロスフィードは淡々と告げる。
「安心しろ。ちゃんと答えるなら殺しはしないさ」
男から貰った言葉をそのまま返すと、見上げてくる男の顔からサッと血の気が引いていくのが分かる。
それを何の感情もなく眺めていたクロスフィードは質問をはじめた。
「初めから私を狙ったという事で間違いないな」
「……ああ」
「彼女が私と接触する事を事前に知っていたのか?」
「それは、知らなかった……」
嘘を付いているようには見えない事を認めながら、クロスフィードはアスティリアの行動は知られていなかった事を理解した。
「それで、仲間はこれだけか?」
「……そうだ」
「嘘を吐くな」
妙な間があった事に目敏く気付いたクロスフィードが間髪入れずに言い返すと、男の肩が小さく揺れた。
その様子に、クロスフィードは少しばかりカマをかけてみた。
「まだいるのではないか? 例えば私だけでなく彼女の恋人も狙っている、とか」
男の目が僅かに見開かれる様を認めると、それが事実だという事を知った。
クロスフィードは自分の考えが当たっていた事に思い切り眉根を寄せた。
「愚かな事を。君の主は余程命が惜しくないと見える」
「それはどういう――っ!?」
その言葉の途中で、クロスフィードは男のこめかみ辺りを思い切り短刀の柄で殴りつけ、男を昏倒させた。その場に倒れ込む男を見下ろしながら、クロスフィードは男の足に刺さっている投剣を抜き取り、他の二人からも投剣を回収する。
するとその時、時期良くアスティリアが騎士を連れて戻って来た。
「クロスフィード様! ご無事ですか!」
「ええ。大丈夫です」
急いで傍までやってくるアスティリアにニコリと微笑みながら、クロスフィードは彼女が連れて来てくれた騎士に状況を話す。
「この三人はただ意識を失っているだけです。急に襲われたので、誰かという事は分かりませんでした」
クロスフィードの投剣には超強力な眠り薬が塗られていただけで、倒れていた二人が全く動かなかったのはただ眠っているだけだったからだ。それを勘違いした最後の男は、殺される恐怖を抱きながら、反抗することなく情報を吐いた。
おそらく三人の男たちは末端の末端のそのまた末端くらいの捨て駒だ。そうでなければ、簡単に気配を察する事は出来なかっただろうし、簡単に口を割る事もなかっただろう。
「分かりました。この者たちの身柄は我々が引き受けます」
「お願いします。申し訳ないのですが、私たちは急いでおりますので後の事はよろしくお願いします」
アスティリアと共にやって来た騎士に男たちを任せると、クロスフィードはアスティリアの手を引いて足早にその場を離れた。
騎士に身柄を渡したところで男たちからは大した情報を得る事は出来ないだろう。それ以前に、彼らは切り捨てられるのがオチだ。
そんな事を考えながら歩いていると、アスティリアから声がかけられる。
「あの、騎士の方たちに任せておいてよかったのでしょうか?」
「貴方もお分かりになっていると思いますが、あの者たちはイグルマティウス侯爵様の手のモノです。あの男たちが侯爵様の名を吐いたとしても、侯爵様はしらを切りとおすでしょう」
「……そう、ですね。貴方様には本当に申し訳ないと」
「そんな事はどうでもいいです。もっと重要な問題が出て来てしまったので」
男たちを指示していたのはイグルマティウスで間違いない。男が言った言葉からもそれが知れる。アスティリアに関わるなと言ったという事は、脅す事によってアスティリアとの縁談を破棄させようとしたと考えていいだろう。
だとすると、アスティリアから手を引かせようとする対象者は、クロスフィード以外にもう一人存在している事になる。
「正直に答えて頂きたいのですが」
クロスフィードは徐に足を止め、アスティリアに体ごと向き直る。すると彼女も足を止めて真っ直ぐに見上げてきた。
「何でしょうか?」
「ファイスレイド殿は本当に貴方の恋人ではないのですか?」
「それは……」
言い淀むアスティリアに、クロスフィードは更に言い募る。
「お答えください」
「違い、ます……」
「その答えで本当にいいんですね?」
念を押すようにそう訊いてみれば、アスティリアは、はい、と頷いた。クロスフィードはそんな彼女を前に、思い切りため息を吐きたい気分だった。
アスティリアとはまだ少ししか話していないが、ファイスレイドとの関係についてはどうしても彼女が嘘を付いているようにしか見えなかった。
アスティリアはスヴェレラ商会の事を考えてこの縁談を選んだというのは分かる。その縁談相手に恋人がいますとは口が裂けても言えないだろう。しかしそれが分かっていても、クロスフィードはその真実を知らなければならなかった。
「では彼が今後どうなろうと貴方には関係ないという事でよろしいですね?」
「それは、どういう意味ですか……?」
「おそらく彼は王子直属の騎士の任を解かれる事になるでしょう。下手をすると、近衛騎士団から退団を余儀なくされてしまうかもしれません」
「どうして……っ! 何でそんな事にっ」
驚愕に目を見開くアスティリアはクロスフィードに食ってかからんばかりの勢いで縋りついてきた。
「何故そんな事になるのですか? 何とかならないのですか? 折角、王子殿下の騎士になったというのに……っ。だから別れて……」
アスティリアの言葉に、クロスフィードはピクリと反応する。
「それはファイスレイド殿が王子殿下の騎士となったために別れたという事ですか? 彼が誉れを手にして貴方を捨てたと?」
「ち、違います! そうではなくて……」
「確かに王子殿下の騎士となれば、爵位に関係なく周りから一目置かれる事は間違いないです。縁談も上位貴族からのモノが多くなるでしょう。それを見越して貴方と別れたという事ですか?」
「いえ、そうではないんです……」
ファイスレイドは真面目で実直だという噂だが、色恋に関しては小賢しい考えを持っていたのかと思うと途端に怒りが湧いてくる。
表面には出さず怒りを募らせているクロスフィードには、必死に違うと言い募るアスティリアの言葉は最早届いていない。
「彼がそんな不誠実な人間であったとは……っ。彼は殿下の騎士には相応しくありません。このまま直属の騎士から降りてもらったほうが」
「やめてださい!」
突然声を上げるアスティリアに、クロスフィードは少々目を瞠る。
「彼はそんな人ではありません。だからどうか、彼の将来を奪わないで……っ」
俯き、肩を震わせるアスティリアの様子に、クロスフィードは表情を険しくした。
「貴方たちの間に何があったのかは分かりませんが、既に私も彼も巻き込まれてしまいました。私は今後の事を考えねばなりません。ですから少し貴方たちの話を聞かせ頂けませんか?」
「クロスフィード様……」
そうして、クロスフィードはアスティリアから今に至る大まかな事情を聞いた。




