過去の思い出と現在の事情
次の日の昼下がり、クロスフィードは果物が入った籠を手に王宮へと向かった。
アイリスフィアの騎士の件に関しては何の進展もない状態のようで、未だにその事に関しても新しい情報は聞いていない。王宮に行けばアレクヴァンディから何らかの情報を得られるだろうかとは考えているが、アイリスフィアには会わないようにしようとクロスフィードは考えていた。
しかしクロスフィードが王宮へ来た理由は、それとは全くの無関係な事だった。
王子には直属の騎士がベッタリ張り付いているだろうし、アイリスフィアを見かけても互いに話しかける事は出来ない。むしろアイリスフィアの視界に入る事すら今は避けた方がいいという状況であるのに、それを承知しているクロスフィードが不用意に王宮に近付く訳がないのだ。
では何故クロスフィードが王宮へとやって来たかと言うと、とある人からの呼び出しがあったからだった。
「何の用だろう……?」
はじめは状況が状況なだけに断ろうかとも思っていたが、何故か従わなければならないような気がして、呼び出しに従って王宮に来てしまった。
クロスフィードはそんな自分に首をかしげつつも、いつものように詰所の裏門から入り、誰にも会わないように指定された場所へと向かう。
と言っても場所は小屋であるため、既に人と遭遇しない道順は承知している。
そうして詰所と王宮の境目辺りにまで来た時、変な場所からいきなり声をかけられた。
「うお!? クロスじゃねえか。何でこんなところにいるんだよ」
「君こそ何でそんな場所から出てくるんだよ!?」
植え込みの陰から突然現れたアレクヴァンディの姿に、クロスフィードは驚きを隠せなかった。
そんなところに人がいるとしたら、それは刺客か間者のどちらかだ。
「悪い。今ちょっと逃げてる最中なんだ」
「逃げる? 何かやらかしたのか?」
「何もしてねえよ!? むしろ何かされそうなんだよ!」
「どういう事だ?」
辺りに人がいない事を注意深く確認しているアレクヴァンディに手招きされ、クロスフィードはそれに従って少しばかり死角になっている位置に移動する。
「ほら、この前会ったエダン覚えてるだろう? アイツ今王宮に来てんだよ」
「そうなのか? しかしそれと君が隠れている事に何の関係が?」
「アイツに会いたくないから隠れてんの!」
少々声が大きくなった事にハッとしているアレクヴァンディが咄嗟に口元を手で押さえている。それを見つめながら、クロスフィードは何故だというように首を傾げる。
「何故会いたくないんだ?」
「アイツ未だに俺の事小間使いみたいに使いやがるからな……。会った瞬間に雑用押し付けようとしやがるし……」
はあ、と盛大なため息を吐くアレクヴァンディを目の当たりにしながら、クロスフィードは彼らの上下関係がバッチリ見えてしまった事に苦笑いを浮かべた。
「そういえば、あクロスは何で王宮にいるんだよ。しばらくは来ないんじゃなかったのか? それにその果物は……」
そう言って果物籠に視線を持っていくアレクヴァンディが、ハッとしたように視線を上げた。それをクロスフィードは何だというように見つめ返す。
「お前知ってたのか?」
「何を?」
「……知る訳ないよな」
アレクヴァンディはこの短い会話だけで自己完結したようだった。しかしクロスフィードの方は理解出来ずに首を傾げる。
しかしその答えはすぐに知れた。
「アイリスの奴、一昨日から熱出して寝込んでるんだよ」
「え!? そうなのか!?」
突然告げられた衝撃の事実に、クロスフィードは驚きを隠せなかった。
王宮からの連絡はエミルディランが来て以降一切届けられる事がなかったため、王子が寝込んでいるなどという情報は今初めて知った。
「それで、その、大丈夫なのか!?」
「……さあ。俺も最近アイツに会ってなかったからな。この話だってその辺歩いてた侍女たちの話で知った訳だし」
どうやら直属の騎士が張り付いているせいでアレクヴァンディもあまりアイリスフィアに近付けなかったらしく、彼もまた現在王子がどういう状態にあるのか分からないという事だった。
「昨日セルネイさんに聞いてみたけど、昨日の時点では起き上がれないくらい高熱出して寝込んでるって話だったが……」
「そうなのか? 心配だな……」
出会ってからこちら、いつも元気な姿を見ていただけに、こうして寝込んでいるというような話を聞くと物凄く心配になってくる。
「会えればいいが、無理だしな……」
「まあ病弱だったのは子供の頃の話であって今は健康そのものだって言ってたし、大丈夫じゃないか?」
まあ心配ではあるがな、と付け加えるアレクヴァンディに、クロスフィードも、そうだな、と返した。
アイリスフィアに会えない以上、彼の回復を祈るくらいしか出来ない事には歯痒さを感じるが、その分王子のためにできる事をしておこうとクロスフィードは思った。
「アイリスの見舞いじゃないとすると、クロスは何で王宮に来たんだ?」
「ああ、実はセルネイさんに呼ばれたんだ」
昨日、邸に戻ったクロスフィードは自室で自分宛ての手紙を見つけた。その手紙はセルネイからのもので、内容は明日王宮に来てくれというものだった。そして何故か果物の種類まで指定され、それを持ってきてくれと書かれていた。とても個性的な字で。
「この果物もセルネイさんに用意してくれと言われて」
「セルネイさんが? ……なるほど、そういう事か」
何かを悟ったような顔をするアレクヴァンディを前に、クロスフィードはどういう事だというように首を傾げた。しかし目の前の騎士は何も教えてはくれず、どこかニヤニヤした笑みを浮かべていた。
「まあ、セルネイさんに会えば分かるだろうよ。とりあえずお大事にって伝えておいてくれ」
「? セルネイさんにか?」
ますます首を捻るが、アレクヴァンディからは、すぐ分かる、とだけ言われた。
「何だ? お揃いでかくれんぼか?」
そうやって二人で会話していると、突然声が聞こえてきた。その声にクロスフィードはハッとして、アレクヴァンディと共に声のした方に顔を向ける。
すると、そこには昨日会ったばかりの騎士が立っていた。
「うげ!? エダン!?」
「何だよ。そんなに俺に会えて嬉しいのか?」
「絶望してんだよ!」
見つかってしまた事に顔を歪めているアレクヴァンディを面白そうに見つめていたエダンマキナは、次いでクロスフィードに視線を向ける。
「そうそう。アンタから貰った情報、ある意味その通りだった。ククク」
そう言って何かを思い出しすように笑いはじめるエダンマキナの様子に、クロスフィードは首を傾げた。
「情報って、監査官長殿の事ですか?」
「そうソレ。おかげで面白いもんが見れたよ」
「面白いもの?」
「ああ。全く、アンタは本当に面白いな。俺、アンタと知り合えて良かったわ」
笑いを噛み殺しながらそんな事を言われても、クロスフィードはエダンマキナが何を言っているのかさっぱり分からなかった。しかし会って間もない人に知り合えてよかったと言ってもらえる事はとても嬉しい事だった。
「うおい! クロスを変な事に巻き込むなよな!」
「人聞きの悪い事を言うな。俺はただ情報交換をしただけだ。なあ?」
「え? はい。そうですね。その節はどうも」
話を振られとりあえずそう返すと、アレクヴァンディから勢いよく詰め寄られた。
「いいかクロス。コイツに関わったらダメだ。持ってる情報根こそぎ持ってかれるぞ」
「だから人聞きの悪い事を言うなって。俺は貰った情報分はちゃんと返している」
「嘘吐け! でまかせしか教えないくせに!」
「それはお前にだけだ」
「余計性質が悪いわ!」
やいやいと言い合いを続けている二人を見つめながら、クロスフィードにはやはり目の前の二人がとても仲が良いように見えた。
「ほれ。とりあえず一緒に来い」
「イヤだ! 離せ!」
そうやって首根っこを掴まれで引き摺られていくアレクヴァンディを苦笑いで見つめていると、エダンマキナが一度だけ振り返った。
「アンタのおかげで面白いもんが見れたから、一度だけタダで情報をやろう。夕方まではこっちにいるから、聞きたい事があったら詰所に来い。じゃあな」
それだけ言うと、エダンマキナは抵抗するアレクヴァンディを易々と引っ張って行った。エダンマキナはアレクヴァンディより細身に見えたが、結構力はあるらしい。
そんな二人を見送りながら、クロスフィードも小屋へと足を向けた。
◆◆◆◆◆
「突然呼び出して悪かったね」
小屋に付くと既にそこで待っていたセルネイに、開口一番にそう告げられた。クロスフィードは気にしないでくれと言って、果物籠を差し出した。
「どれくらい持ってこればいいのか分からなかったので、とりあえずこれだけ持ってきたのですが……。足りますか?」
「十分だよ。ありがとう、きっと喜ぶよ」
誰が、と首を傾げてみたが、セルネイはニコニコと微笑むばかりで答えをくれなかった。
「じゃあ早速行こうか」
「え? どこへですか?」
「ふふふ。内緒」
そんな事を言いながら、セルネイが背後へと回る。何をするのかと思い、クロスフィードは思わず背後に振り向こうとしたが、セルネイに肩を掴まれ阻止された。
「あ、あの」
「いいから、いいから」
背後にいるセルネイの手がクロスフィードの目元を隠す。一体何がしたいのか分からないクロスフィードだったが、それでも大人しく目隠しされたまま抵抗しなかった。
「じゃあ行くよ」
そんな事を言われても何をするのか分からないクロスフィードは、ただその場に立っているだけだった。セルネイも別に動く事なくその場に立っているだけだったので、クロスフィードはただただ頭に疑問符を浮かべるばかりだった。
不意に少しばかり浮遊感のようなモノを覚えたが、その感覚はすぐに消える。
「あの、セルネイさん?」
「着いたけど、ちょっと待ってね」
「?」
着いた、とはどういう事かと考えていると、不意に近くからセルネイ以外の声が聞こえてきた。
「貴様、狙って来やがったな……っ!」
「人聞きの悪い事言わないでくれる? ほら早く服来なよ。この子の目隠し外しちゃうよ?」
「いいと言うまで絶対に外すなよ! このバカ庭師!」
聞き慣れたその声が耳に届き、クロスフィードは咄嗟に口を開く。
「アイリス?」
「悪い、少し待ってくれ。すぐに着替える」
「ちょっと待て……ここは外だろう!? というか何故アイリスが外にいるんだ!? こんなところで着替えるなよ!?」
目隠しをされているため全く状況が分からないクロスフィードだったが、外してくれと言うようにセルネイの手に触れてみても、王宮庭師は目隠しの手を外してはくれなかった。
「心配するな。ここは外ではない。……もういいぞ」
そんな声が耳に届くと、次の瞬間セルネイの手が目元から離れていった。それに伴って目を開けたクロスフィードは、視界に飛び込んできた光景に一瞬思考回路が停止した。
「ここは、何処?」
私は誰、と言わなかっただけ褒めてもらいたい。
それくらいクロスフィードの頭の中は混乱していた。
現在クロスフィードがいる場所は室内だった。
目の前に大きな寝台があり、高そうな調度品がいくつも置かれているその部屋は、如何にも身分の高い者が使っているような部屋だった。そんな場所にどうして自分がいるのだろうかと混乱するクロスフィードは、目の前にある寝台に腰かけている寝巻姿のアイリスフィアをただ呆然と見つめていた。
通常時ならこれだけの情報があればここが何処であるのか気付けるのだが、如何せんクロスフィードは現在非常時だ。
「え、ちょ、待って!? ここは本当に何処だ!? さっきまで小屋にいたんだぞ!? 私は一歩も歩いていないぞ!?」
訳が分からないというように混乱するクロスフィードに、アイリスフィアから困ったようなため息が聞こえてきた。
「ここは俺の部屋だ」
「アイリスの部屋!? ではここは王宮殿の中!? 嘘だろ!?」
「嘘じゃない。まあ、その、お前をここに連れてきたのはセルネイで、方法は……俺も良く分からん」
「いやもう瞬間移動の神業でも習得しているとしか思えないんだが!?」
クロスフィードは最早、思考回路がまともに働いてはいなかった。
この世界に魔法があると言っても、瞬間移動の魔法など聞いた事もないし、ましてそれが使える人間などいるはずがない。何百年か前の時代に滅びたとされる『魔術』ならできたのかもしれないが、今の時代にその『魔術』を行使できる人間はいないはずなのだ。
『魔術』は『レイヴァーレ』の童話で語られる三人の人間のより『魔法』に作り変えられたとされている。故に現代に『魔術』は存在していないのだ。
しかしその話も実際のところ嘘か本当か分からないというのが現状だ。確かに三人の人間が実在の人物である事はこの国の歴史が証明しているが、『魔術』というモノがこの世界に本当に存在していたのかは誰にも証明できないのだ。それは『魔術』というモノを誰も使う事が出来ないからだ。
しかしながら、今はそんな事をのんびり考えている場合ではないと、クロスフィードは混乱する頭で必死に現状を確認する。
「待て待て。この場に私がいると言うのは非常に不味くないか!? こんなところを誰かに見られたらそれこそアイリスの状況がますます悪化してしまうだろう!?」
王子直属の騎士は既に決まり、アイリスフィアに張り付いているのだ。この部屋にその騎士の姿は見えないが、いつこの部屋に来るかも分からない。それでなくてもこの部屋は王子の部屋なのだ。侍従やら侍女やらがいきなり来てもおかしくはない。
「す、すまない。すぐに消えるから……っ」
そう言って急いで踵を返すと、いきなり腕を掴まれた。
「扉の外にはファイがいる。不用意にこの部屋から出るな」
「……っ!?」
動揺してかなり声を大きくしてしまっていた事に気が付くと、クロスフィードは王子の言葉に顔を青くした。
「き、気付かれてしまっただろうか……」
もう遅いと思いながらも、クロスフィードは極力声を小さくする。するとその極端な態度の変化にアイリスフィアは少しばかり苦笑していた。
「心配するな。どれだけ大声で話そうと、声は外に漏れない。今はな」
含みのある言い方をするアイリスフィアの様子が少し気になったが、事実、あれだけ大声で話していたというのに、誰も部屋に入ってくる者はいないし、呼びかけすらもない。その事を不思議に思いながらも、クロスフィードはアイリスフィアの言葉を信じる事にした。
しかしながら、扉の外に直属の騎士となったファイスレイドがいるという事実に、どうやって帰ればいいのだろうかと不安になるクロスフィードである。
「帰りはどうすればいいんだ……?」
「心配するな。セルネイがいる。来た時と同じように帰ればいい」
「どうやって来たかも分からないのに!?」
この場に来た方法が分からないのに、同じように帰ればいいと言われても困る。
そうやって困惑していると、アイリスフィアに大丈夫だからと苦笑されてしまった。
クロスフィードは一歩も足を踏み出した記憶すらない訳なので何処から入ったのかという話以前の問題ではあるが、扉の外にファイスレイドがいる以上、扉から入って来た訳ではない事は理解した。
この王宮には隠し通路がいくつもあるというような噂を聞いた事があるため、もしそこから入ったというのなら、目隠しされていた事にも納得できる。という事は、帰りもそういった場所から帰るのだろうと無理矢理思う事にした。歩いた記憶は本当にないが。
「とりあえず座らない?」
そう言いながら、セルネイがせっせと椅子を用意してくれる。それを見つめながら、ふと王子の部屋に王宮庭師がいる状況に違和感すら覚えない自分に違和感を覚えた。それくらい目の前の光景が自然に見えるのだから、不思議でならない。
実はセルネイも王族だと言われようと、今なら納得できそうだ。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
用意された椅子に座るように促されると、クロスフィードは言われるままに腰を下ろした。
そしてセルネイも自分のために用意した椅子に座り、アイリスフィアは寝台に腰かけた。
「それで、何しに来たんだ? セルネイと来たって事は緊急か?」
途端に表情を引き締めるアイリスフィアの様子を目の当たりにしながら、それはこちらが聞きたいと言いそうになってしまった。
しかしクロスフィードが何かを言う前に、セルネイが先に口を開く。
「ほら、この子が君のために果物まで持ってお見舞いに来てくれたんだよ? 良かったね」
「え!?」
「そ、そうなのか!? そ、それは俺の好きなプラムの実か!?」
「……コレ好きなんだ」
籠の果物に視線を落としながらボソッと小さい声で呟くクロスフィードは、セルネイの言葉でアイリスフィアが寝込んでいた事実を思い出す。
ビックリ体験のせいですっかり忘れていた。
お見舞いに来たという設定にされている事には大いに驚いたが、その言葉を聞いたアイリスフィアが思い切り嬉しそうにソワソワしだしたので、真実を口にする事などクロスフィードには出来なかった。
嵌められたのかと思ったが、別に嫌な気はしなかった。むしろアイリスフィアが寝込んでいると聞いていたので、見舞える事は有り難い。
この場に来た目的が見舞いではなかったためアイリスフィアに対して少々罪悪感を抱いたが、見舞いたいという気持ちはちゃんと持っていたので、その辺りは許して欲しいとクロスフィードは胸の内で思った。
「じゃあ皆で食べよか」
「え、あの、すみません。果物ナイフは持ってきてないんです」
「ああ、大丈夫だよ。ジャジャーン」
そんな効果音を自らの口で奏でるセルネイの手には、いつの間にか果物ナイフと皿、更には小さなフォークまで握られている。
普段なら一体何処に持っていたのかと問いたくなるのだが、瞬間移動というビックリ体験をした後では些細な事だと思えてしまうから不思議だった。
「はい、よろしく」
「あ、はい」
さも当然と言わんばかりに果物ナイフを渡されてしまい、クロスフィードは思わずそれを受け取ってしまう。別に出来ない事はないが、何故自分なのだというような視線をセルネイに向けてみると、王宮庭師は既に皿を手に持ち、剥かれた果物を受け取る準備を万端にしていた。
ちなみにアイリスフィアからは、何故か期待に満ちた視線が注がれている。非常にやりづらい。
「じゃあ二、三個剥きますね……」
そう言ってクロスフィードは観念するように膝に置いていた籠から果物を一つ手に取った。
クロスフィードが持ってきた果物はプラムという赤く丸い実の果物で、その実はしゃりしゃりとしていて歯ごたえも良く、癖のない甘い味が特徴の果物だった。プラムの実の皮はあまり厚くなく、ナイフで簡単に剥く事ができる。
クロスフィードはプラムの実をくるくると回転させながら皮を剥きはじめると、あっという間に剥き終えた。
「上手いな」
「それはどうも」
アイリスフィアからの褒め言葉に軽く返しながら、クロスフィードは剥き終えたプラムの果実を食べやすい大きさに切り分け、セルネイが持つ皿へと乗せる。
そんな一連の作業を三回繰り返すと、クロスフィードはようやく手を止めた。
「じゃあ、はいコレ」
セルネイにナイフを返し、代わりにフォークを受け取ると、クロスフィードはそのフォークにプラムの実を刺した。
「はい」
そう言ってそのフォークの持ち手の部分を取り易いように向けながらアイリスフィアに差し出す。すると、アイリスフィアは何故か物凄く残念そうな顔をした。
「ん? どうした?」
「いや、逆だったら良かったのになと思っただけだ……」
「逆?」
どういう意味だと首を傾げたが、すぐに『逆』の意味に気付く。
「こういう事か?」
持ち手ではなくプラムの実が刺さっている方をアイリスフィアに向けると、王子は途端に顔を真っ赤に染めた。しかしそれには構わず、クロスフィードはプラムの実が刺さったフォークを更に近付けてやる。
「はい、どうぞ」
「ちょ、おま、そんな簡単に……っ」
わたわたと慌てだすアイリスフィアの様子に、自分で言ったくせに、とクロスフィードは音にせず呟いた。
幼い頃は熱を出せば母親がこうやって食べさせてくれたなと思い出しているクロスフィードは、目の前にいる成人を過ぎた男をまるで子供としか見ていなかった。そのため躊躇うことなく食べさせてあげようとしているのだが、本人は至って他意も悪気も好意もない。あるのは多少の厚意だけ。
「アイリスが食べないなら僕が食べる」
そう言って、あーん、と口を開けるセルネイに、クロスフィードは躊躇う事なくそちらにプラムの実が刺さっているフォークを持っていく。しかしその手はいきなり掴まれ、次の瞬間にはフォークの先端がアイリスフィアの口の中におさまっていた。
「お前は手で食べろ」
もぐもぐとプラムの実を食べながらセルネイにそんな事を言い放つアイリスフィアは、若干王宮庭師を睨んでいた。
「アイリス。口の中に食べ物を入れたままで喋るな。行儀が悪いぞ」
そう注意すると、アイリスフィアはそのまま大人しく口を動かしていた。その様子を眺めながら、クロスフィードは小さく苦笑する。
「そう言えば、アレクがお大事にと言っていたよ」
この場に来てようやくアレクヴァンディの言葉の意味を知ったクロスフィードは、あの時点でアレクヴァンディがこうなる事を予想していたのだと知った。
教えてくれなかった事に対しては、少しばかり納得いかないような気持ちが浮かんでくるが、預かった言葉はちゃんと伝えるクロスフィードである。
「アレクも心配していたよ」
「そうか。アイツともここ数日まともに会ってないからな……」
口の中のものを呑みこんでからアイリスフィアが答える。
注意した事を律義に守る様を見ると、何だか微笑ましく感じてしまう。
「寝込んでいたと聞いたから私も心配していたんだが、大丈夫そうで良かったよ。もう熱は下がったのか?」
「もう平気だ」
「でもまだ熱があるでしょう? 油断したらいけないよ」
「……分かっている」
余計な事を言うなというような視線をセルネイに送っているアイリスフィアの様子に、元気に見えてもまだ本調子ではない事を思い知る。
「まだ熱があると言うなら、あまり無理をさせるわけにはいかないな。元気そうな姿が見られて良かったよ。私はもう――」
「ま、待て。その、熱も下がって退屈していたところなんだ。だから、話し合い手になってもらえると有り難いんだが……」
もごもごと口籠るアイリスフィアの様子を見つめながら、クロスフィードは少し浮かした腰を再び椅子に沈めた。
「私は構わないよ。だが、辛くなったらちゃんと言ってくれ。無理だけはしてはいけないよ」
「ああ、分かった」
素直に頷くアイリスフィアにクロスフィードは思わず笑みを浮かべた。
「とりあえず寝台に入っておけ。また熱が上がってしまったら大変だからな」
そう促すと、アイリスフィアはいそいそと寝台に上がり、座ったまま上掛けを足に掛けていた。
「横になってもいいんだぞ?」
「別にこれでいい」
「そうか? 無理するなよ?」
「お前は心配し過ぎだ」
困ったような笑みを返してくるアイリスフィアに、クロスフィードはハッとして苦笑を返す。
「すまない。これはもう癖のようなもので……」
「母親の事があるからか?」
「まあ、そうだな」
公爵邸での帰りに話した事を覚えていたのかと思うと、少しばかり笑みが浮かんだ。
母親であるエイナセルティは元気なように見えて実は結構無理をしている事が多いようで、平気だと言われても素直に納得する事がクロスフィードには出来なかった。そういった事情もあり、病人の言う『平気』と言う言葉を頭から信用しない癖が付いてしまったのだ。
「エイナとはしばらく会ってないけど、彼女は元気にしてる?」
「おかげさまで元気ですよ。この前は、家に入って来た猫を追いかけ回して父に叱られていました」
その後、エイナセルティがぶっ倒れた事でツヴァイスウェードが心配のあまり暴走したというのは、言わなくても王宮庭師は察しているようだった。
「彼らは相変わらずだね」
そう言って苦笑を浮かべるセルネイに、そうなんです、と言いながらクロスフィードも苦笑を返した。
セルネイの様子から両親とは親しい仲のように感じるが、クロスフィードは両親から王宮庭師の話は聞いた事がなかったため、いつからの知り合いなのかさえ知らなかった。
この機会に訊いてみようかなとも思ったが、ふとアイリスフィアの瞳が少しばかり翳っている事に気付き、クロスフィードは開きかけた口を閉ざす。
アイリスフィアの両親は既にこの世にはいない。この王子から両親を奪ってしまったのは、他ならぬ伯爵家だ。
クロスフィードはアイリスフィアの前でこんな話はするべきではないと思ったが、その考えに反してセルネイが話を続けていく。
「昔はね、エイナの心配はクリスタがしてたんだよ」
「母上が?」
思わぬところで亡き王妃の名前が出てきた事で、アイリスフィアが思わずと言った様子で訊き返している。そんな王子に、王宮庭師は遠い記憶を思い出すように少しばかり目を細めていた。
「彼女たちは本当の姉妹のように仲が良くてね。エイナが少しでも体調が悪くなるといつもクリスタが暴走してたんだ。まあエイナは体調の関係で数えるほどしか王宮に来た事はなかったけど、彼女が来るといつもクリスタがはしゃいでた事を今でも覚えてる。体が弱いエイナの事をずっと心配してたクリスタだったけど、彼女がツヴァイに嫁いでからは口うるさい小姑になってたっけ」
今は亡き王妃のクリスタリアはクロスフィードの母親であるエイナセルティより一つ年上で、彼女自身が末娘だった事もあり、エイナセルティの事を本当の妹のように可愛がっていたという。
もともと二人の家同士が懇意にしていた事もあり、生まれつき体が弱かったエイナセルティにとって唯一の友人がクリスタリアだったのだ。
そういった事をセルネイも知っていて、それを直に見た事があるのだろう。
「彼女たちに子供ができたのも同時期だったから、クリスタは物凄く喜んでね。性別が同じだったら学友にしようとか、違ったら将来一緒にさせようとか、クリスタにはいろいろな野望があったみたい」
「野望って……」
「そう考えてみると、アイリスってそういうところはクリスタに似てるよね。見た目はオリヴァーにそっくりだけど」
「爺共も良くそんな事を言ってくるが、俺はそんなに父上に似ているのか?」
「似てるよ。意地悪そうな顔とか、不機嫌そうな顔とか」
「似てるのはそこかよ!?」
そうやってセルネイとアイリスフィアの会話を聞きながら、国王陛下はこんな顔だったのか、とクロスフィードは王子の顔をまじまじと見つめてしまった。
「君はエイナに似てるよね。目元はツヴァイの方に似てるかな」
「そ、そうですか?」
不意に話を振られたクロスフィードは、自分ではよく分からないため小さく首を傾げた。するとアイリスフィアの方からも声が聞こえてくる。
「宴で初めてお前の母に会ったが、セルネイの言う通りクロフィは母親に似ているな。その、き、綺麗な、ところ、とか……」
ブツブツに言葉を切りながら話すアイリスフィアが、視線を彷徨わせながら少々顔を赤くしている。その様子に、クロスフィードは熱が上がってしまったのだろうかと少々心配になったが、そういう訳ではないようだった。
「そうやって照れるところとか本当にそっくり」
「もうその話はいい!」
アイリスフィアの顔がますます赤くなっていく事を認めると、クロスフィードは思わず笑ってしまった。
「王妃様もとてもお綺麗な方だったよ。私は国王陛下を知らないが、アイリスの笑った顔は王妃様にとてもよく似ていると思う」
たった一度だけ会った王妃の事をクロスフィードは今でもよく覚えている。王子の笑った顔は、庭の逸話を教えてくれた優しい王妃にそっくりだった。
「前にも俺の母上に会った事があると言っていたな。一体いつ会ったんだ? 本当に俺は知らなかったんだが」
以前王妃に会ったという事は話してあったため、アイリスフィアは本当に知りたそうな表情で視線を向けてくる。それを受け、もうあの時のようにはぐらかさなくても平気だろうと思い、クロスフィードは口を開いた。
「私はアイリスや王妃様に会いに来たわけではなかったからな。王妃様にお会いしたのも本当に偶然だったわけだし」
「では何故王宮に来たんだ?」
「騎士を見に来たんだ」
「騎士を?」
何故そんなモノを見に来たんだとでも言いたそうな表情で首を傾げているアイリスフィアを見つめながら、クロスフィードは苦笑交じりに言葉を続けた。
「私の夢は騎士になる事だったんだが、私では騎士になれないと知ってしまってね。すっぱり諦めるために本物の騎士をこの目で見てみようと思い立って、王宮に一人で乗り込んだという訳だ」
当時八歳だったクロスフィードは己の置かれた状況を少なからず理解しはじめていた。伯爵家が冷遇されている事実も、自分が女として生きていけない現実も、そして抱いた夢すらも叶える事が出来ないのだという事を知った。子供ながらにそういった現実を受け入れる事が早かったクロスフィードは、騎士になる夢を諦めるために両親には内緒で本物の騎士を見に王宮へと向かった。
当時、ヴァンクライドやレイヴンリーズの騎士服姿を見た事がなかった訳ではないのだが、クロスフィードは王宮で任務に就いている騎士を直に見てみたいという気持ちは常に持っていた。しかし王宮へはどうしても連れて行ってはもらえなかったため、自分で行こうと決めたのだ。
しかしいざ王宮に辿りついてみると、その広大な敷地に圧倒され、終いには迷子になってしまい門にすら辿りつけないという結末を迎えた。
「王宮がまさかこれ程広大だとは思ってもみなくてね。早々に迷子になってしまって途方に暮れていた時、王妃様にお会いしたんだ」
どうしようかと当てもなく彷徨っていたクロスフィードに声をかけてきたのは、供も連れていない王妃だった。当時は何とも思わなかったが、今にして思えば侍女の一人も連れていなかったというのはおかしな事だったのだとわかる。
王妃はクロスフィードと会った翌年に亡くなってしまったので、当時心労を重ねていた王妃は誰にも見咎められる事なく羽を伸ばしていたのだろうかとクロスフィードは今さらながらに思った。
「王妃様は出会った瞬間に私が誰なのかお分かりになられたみたいで、人気のないところでいろいろな話を聞かせてくれたんだ」
「母上はクロフィの事を知っていたのか……?」
「どうだろうね。だが、私にとってはあの時が王妃様との初対面だったよ。当時はどうして分かったのかと驚いたけど、今思えば、私の瞳は父親譲りだし、髪色は母と同じだからお分かりになられたんじゃないかなと思う」
アイリスフィアの疑問に答えを返すと、セルネイから補足が付け加えられる。
「僕もその時に君の姿を見たけど、君はエイナにそっくりだったから、彼女の幼少期を知っているクリスタなら色で判断しなくても一目で君が誰だか分かったと思うよ」
ニコニコとした笑顔でそんな事を告げるセルネイに、クロスフィードは少しばかり目を瞠る。
「セルネイさんはあの時にはもう王宮にいたんですか? ……ん? 待てよ。あの時セルネイさんによく似た庭師を見たような……」
不意に蘇ってくる記憶の片隅で、セルネイによく似た庭師に門まで送ってもらったような記憶が微かにある気がする。しかしその姿は今のセルネイにそっくり、というか瓜二つのような気がしてならない。
クロスフィードはどういう事だと思わず首を捻った。
「あの、失礼ですが、セルネイさんっておいくつなんですか?」
「え? あー……、えっと、二十八? かな」
「どうして疑問形なんですか……?」
何故自分の時を疑問形で答えるのかは分からなかったが、二十八歳という事は、十一年前の当時は十七歳という事になる。それなら今とそれほど姿が変わっていない事にも頷ける。
そうして一人で納得していると、納得がいかないというような声が王子の方から聞こえてきた。
「……どうして俺だけお前に会えなかったんだ」
「いや、あの、今さらそんな事を言われても……」
「俺は母上からもお前に会った事すら聞いてなかったんだぞ。どうして秘密にする必要があるんだ」
「おそらく、私が王宮にいた事を知られないようにしてくださったんだと思う。それに当時のアイリスは私に会いたいと思っていた訳ではないだろう? だからそこまで拗ねなくても」
「あの時会っていたら、もう少し俺とお前の仲だって……」
ぶうと頬を膨らませる勢いのアイリスフィアの様子に、クロスフィードは苦笑いを浮かべた。
すると不意に笑い声が聞こえてくる。
「君たちも仲良くなってくれて嬉しいよ」
本当に嬉しそうに笑っているセルネイは、まるで親が子を見つめるような眼差しで言葉を続けていく。
「オリヴァーもクリスタも、それにアインも、きっと君たちがこうして仲良くしている今を喜んでいると思う」
その言葉に、クロスフィードは思わず少しばかり目を伏せた。
クロスフィードは今まで敢えて自分の伯父の事やアイリスフィアの両親の話に触れないようにしていた。それはアイリスフィアが不快に思うだろうと勝手に思っていたからだった。
こうして気兼ねなく話をする事ができるようになった今でも、二十年前の事件に触れるような話になるとどうしても申し訳ない気持ちがうかんでしまうのだ。そういった気持ちすらもアイリスフィアに対して失礼なのではないかと思ってしまうクロスフィードは、心の何処かでは未だ王子に後ろめたい気持ちを持っていた。
しかしこうして話をしてみると、セルネイがいてくれるおかげか、普通の思い出話として話をする事が出来ている。その事に少しばかりの安堵感と罪悪感を抱きながら、クロスフィードは亡き三人を想った。
「アインはオリヴァーの右腕だったからね。今度は君がアイリスの右腕になるのかな? それともアレクが右腕で、君はアイリスの隣かな?」
セルネイも王子が反旗を翻した事実を知っているようで、ニコニコ、というよりは、ニマニマ、とうような笑みを浮かべながらそんな事を聞いてくる。しかし、どちらも同じではないのかと首を傾げるクロスフィードは、どちらでもいいと口を開いた。
「右腕だろうと隣だろうと構いませんが、私はアイリスの力になってやりたいと――」
「何!? 隣でもいいのか!?」
反応する場所はそこなのかと思わずツッコミたくなったが、アイリスフィアが気にする点はどういう訳かその一点に集中していた。
「い、いいのか!? いいんだな!? 俺はその言葉を信じるぞ!?」
「良いも悪いも、私は右だろうと左だろうとどっちでも構わないんだが……」
「……どうしてそういうところだけは意味を理解しないんだ、お前は!」
「???」
ギリギリと奥歯を噛みしめているアイリスフィアから恨みがましい視線が送られてくる。それを懸命に受け流しながら、他にどんな意味があったのだろうかしばし考えてみたが、やはり分からなかった。
「アイリス頑張って」
「俺の頑張りを邪魔したお前がそれを言うのか!?」
あの時お前が邪魔しなければ、などとブツブツ呟いているアイリスフィアを余所に、セルネイは皿からプラムの実を一つつまむとそれを口の中へと放り投げていた。
それを少しばかり忌々しいというように見つめていたアイリスフィアが不意に口を開く。
「なあセルネイ」
今までとは打って変わって、アイリスフィアから至極真面目な声音が聞こえてくる。その声にどうしたのだろうかと視線を向けていると、王子が少しばかり視線を落としながら疑問を口にした。
「……本当に、父上を殺したのはクロフィの伯父だったのか?」
その疑問は、長くクロスフィードも抱いているものだった。
伯爵家は確かに二十年前の事件のせいで貴族達から冷遇されている。しかしクロスフィードは伯父であるアインヴァーク自身を貶めるような言葉は誰からも聞いたことがなかった。
国王を暗殺したのはアインヴァークだとされている現状で、かけられる心無い言葉は常に伯爵家そのものを蔑むものばかりだった。それは別におかしなことではないが、犯人とされたアインヴァーク本人を蔑む者がいないという事実は、クロスフィードに些細な希望を抱かせた。
伯父は蔑まれる行為をするような人ではなかったのかという思いが心の何処かに常にあり、もしかしたら伯父は濡れ衣を着せられたのではないかという考えが虚しくも浮かんでくる。
今ある事実をクロスフィードが変える事は現状不可能だ。しかしそれでも、僅かな希望を抱き続けてしまうのは、父の兄であった人がそんな事をするわけがないと信じていたいからだった。
しかしながら、アイリスフィアがその疑問を同じように持っていたという事にクロスフィードは驚いていた。
「事実はそうなってるね」
「俺は、今ある事実ではなく真実が知りたいんだ」
「どうしてそれを僕に訊くの?」
「お前なら、何か知っているのではないかと思って……」
十一年前にはすでに王宮にいたらしいセルネイなら王子が知らない事も少しは知っているのかもしれないが、庭師であるのならその詳細までは分からないだろうとクロスフィードは思った。
殺されたのは国王だったため、この事件の詳細は極一部の者たちにしか明かされてはいない。一般に知られているのは、国王を殺した犯人は宰相だったアインヴァークだという事くらいだ。
「……僕だって、何でも知っている訳じゃない。ただ一つ言える事は、今ある事実が必ずしも全てというわけではない、という事だけだ」
「それはつまり、あの事件の真実は別にあるという事か?」
「……どうだろうね」
セルネイの言葉は、ただはぐらかしているだけなのか、それとも本当に知らないのか判断がつかない。しかし、この王宮庭師が一般的に知られている事以外の何かを知っている事だけは察した。
「まあ、アイリスもようやく今後の事を考えはじめたって事は良い傾向だけど、今は君たちも前みたいに会えないでしょう? とりあえずその辺りを何とかしない事には何も出来ないよ? 今は目の前にある問題を片付けた方が賢明だと思うな。僕は手伝えないし」
そう言ってセルネイは話題をすり替えてくる。その事でこれ以上は何を聞いても答えは返って来ないと悟ったのか、アイリスフィアもそれ以上事件の事には触れなかった。
「そんな事は分かっている。だがアイツをどうにかするのは骨が折れる……」
『アイツ』という言葉でクロスフィードはそれが誰であるのかと瞬時に悟り、王子に倣って話題に乗る。
「直属の騎士とは上手くやれていないのか?」
そう訊いてみると、アイリスフィアは途端に難しい顔をした。
「上手くやるも何も、あの無表情は何を考えているのか全く分からん。しかも会話すらまともに続かないから、いろいろと疲れる……」
「そうか……」
クロスフィードはそれだけ聞くと、うーん、と唸りながらフォークにプラムの実を刺した。
気付けば皿の上に乗っていたプラムの実がだいぶ減っている事に気付く。クロスフィードはまだ食べていないし、アイリスフィアも一つ食べただけだ。という事はセルネイが気付かぬうちに食べていたという事になるが、いつ食べていたのか本当に分からなかった。
しかしプラムの実はまだある訳なので、その事には構わず、クロスフィードは王子直属の騎士の情報を頭の中から引き出す事に専念する。
「彼は噂に違わぬ性格のようだな……」
子爵家の三男であるファイスレイドは、よく言えば真面目で実直、悪く言えば融通がきかない堅物だという噂だ。
彼の生家である子爵家の話で言えば、長男は跡取りとして申し分ない能力を持っているようだが、次男は家から勘当されており縁が切れているという話だ。この話は結構有名であるため、この話が彼にとって弱みになるとは思えない。
しかし次男の勘当の理由までは正確な情報が一切流れていないため、その辺りの話は彼自身というよりは子爵家自体の弱みになりそうだが。
そんな子爵家の三男であるファイスレイドが事実どういう人物であるのかを直接会って確かめる事ができればいいのにとクロスフィードは考えていた。
「私も直接会ってみたいが、できる訳ないしな……」
「何で会ってみたいんだ?」
アイリスフィアの様子が少しばかり不機嫌さを帯び始めるが、それをクロスフィードが気にする事はない。
最近ではアイリスフィアの不機嫌な雰囲気も気にならないようになってきている。
馴れとは恐ろしいモノである。
「何でって、レイラキア嬢の時と同じだよ。私は彼を知らないから、どういう人物なのかを直に知りたいだけだ」
「……そういう意味で言っているんじゃないと分かっていても面白くないな」
「何が面白くないんだよ……」
確かに不機嫌そうなアイリスリアが気にならなくなってきているが、最近のアイリスフィアの発言に理解不能なものが多々あるため、その事に関しては大いに気になっているクロスフィードである。
「ファイか……。あの子、ちょっと真面目すぎるよね」
そんな事を言いながら、セルネイはプラムの実を手でつまんで口の中に放り投げている。それに倣うようにクロスフィードもフォークに刺さっているプラムの実を口へと運んだ。
「王子の騎士になってから、ずっとアイリスにベッタリ張り付いてるしね。職務を全うする姿勢は素晴らしいと思うけど、おかげでアイリスは気疲れして熱出しちゃうし。先が思いやられるよ」
「じゃあ今回の熱は精神的なモノだったんですか?」
「そういう事だね」
そうやってセルネイの話を聞きながら、クロスフィードは再びフォークにプラムの実を刺した。
「アイリスも大変だな。まあ、四六時中誰かに見張られている状態な訳だから気疲れするのも……どうした?」
話を振りながらアイリスフィアの方に顔を向けると、どういう訳か、アイリスフィアは若干頬を赤くしながらフォークを凝視していた。
その様子に、プラムの実が欲しいのかと思ったクロスフィードは徐にそれをアイリスフィアに向ける。
「ほら」
「え!? いや、それは……」
プラムの実の方を向けて差し出すと、アイリスフィアが途端に慌てだす。それを目の当たりにしたクロスフィードは、今度は何だ、とため息を吐いた。
「自分で食べるか? じゃあハイ」
そう言いながらフォークの持ち手の部分を差し出すと、アイリスフィアが更に慌てた。
「いや、むしろ俺がそのフォークを使う事に対してお前は抵抗がないのか!?」
「は? 何を言って……、ああ、すまない。無意識に使ってしまっていたな」
クロスフィードは自分が持っていたフォークはアイリスフィアが使ったモノだった事を思い出すと、無意識に使ってしまった自分に少々呆れた。
クロスフィードはアイリスフィアがそれを使う事に抵抗を覚えているのだと思い、セルネイに声をかける。
「すみません。代わりのフォークをアイリスにあげてください」
「ごめんね。それ一本しか持って来なかったんだ」
えへへ、と笑いながら、セルネイはプラムの実を手でつまんで口に放り投げていた。
行儀が悪いと思っていたが、セルネイはフォークが一つしかない事を知っていたため手掴みで食べていたという事らしい。
ナイフに皿にフォークまで持っていたため用意が良いなと思っていたが、肝心な部分に不備があった。
「そうですか……。じゃあ何かで拭いて使ってくれ。私はもういいから」
そう言って、クロスフィードはフォークに刺さっていたプラムの実を口の中に収め、フォークはアイリスフィアに差し出した。
「お前は何とも思わないんだな……」
そんな事を言って項垂れるアイリスフィアの様子に、そこまで嫌がらなくてもいいだろうとクロスフィードは思った。
「悪かった。そこまで嫌がられるとは思わなくて……」
「別に嫌がってないと思うよ?」
セルネイにもう一度差し出してみろと促され、クロスフィードは大丈夫だろうかと思いながらも、それに従って先ほどと同じようにプラムの実をフォークに刺し、それをアイリスフィアに差し出してみる。するとアイリスフィアは若干顔を赤くしつつも、何も言わずにフォークに刺さっているプラムの実に齧り付いた。
「ほらね」
ニコニコと笑顔を作るセルネイからアイリスフィアに顔を向けると、ふん、と言わんばかりに王子は向こうを向いてしまった。
同じフォークを使いたくなかったのではないのかと思っていたが、実際はそうではなかったらしい。では何が言いたかったのかと考えてみるが、クロスフィードにはさっぱり分からなかった。
「こういうのを怪我の功名って言うんだよね」
「? 何か良い事があったのですか?」
「どうだろうね? どうなのかな?」
「お前はもう口を開くな!」
セルネイからニヤニヤとした笑みを向けられたアイリスフィアが顔を赤くしながら抗議している。その様子に、また熱が上がってしまったのではないかとクロスフィードは心配になってしまった。
「アイリス、大丈夫か? 熱が上がってしまったのではないか?」
「こ、これはそういう事ではないから、気にするな……」
「そうか……?」
視線を合わせようとしないアイリスフィアに無理をしているのではないかと危惧したクロスフィードだったが、言葉を続けようとしたところでセルネイの声に阻まれた。
「昨日までは死にそうな顔してたのに、君に会った途端に元気になったんだよ。アイリスはよっぽど君の事がすぼうふっ!?」
ボスッという音と共に、セルネイの顔に凄まじい勢いで枕がぶつかった。何事だと思ってアイリスフィアの方に顔を向けると、王子は枕を投げ飛ばした姿勢のまま王宮庭師を睨みつけていた。
「コイツの言う事は気にするな。コイツの言葉の半分はデタラメで、もう半分がいい加減なんだ」
「え!?」
「それはかなり酷くない?」
枕をポイッとアイリスフィアに投げ返しながら、王子の言葉など意にも介していないというようにセルネイはプラムの実を口に放り込みながら笑っていた。
その様子を見ていると、王子と庭師の関係がまるで兄弟のように見える。
「仲が良いんですね」
「仲が良い、とは少し違うと思う。僕はアイリスが生まれた時から知ってるから、何と言うか、親代わりみたいなものかな」
「そうなんですか……」
クロスフィードは少しばかり視線を落とす。
アイリスフィアは、生まれる前に父親を、九歳の時に母親を亡くしている。幼くして両親を失ってしまったアイリスフィアの事を考えれば、王子にとってこの王宮庭師がどれだけ大切な存在であるのかは容易に察する事ができる。
セルネイがアイリスフィに対して遠慮なく接していたのは、そういった理由があるからだったのだとはじめて知った。
「アイリスの親代わりを務めていたのは公爵様だと思っていたので、何と言うか、セルネイさんがそうだったというなら、安心しました」
「どうして?」
「アイリスにもちゃんと貴方のような人がいてくれたので」
クロスフィードは伯爵家の人間として蔑まれて生きてきたが、それでも周りには自分を愛してくれる人たちがいてくれた。しかしアイリスフィアには誰がいたのだろうかと考えると、クロスフィードには誰も浮かばなかった。確かに公爵が親代わりだったのだろうと思っていたが、アイリスフィアの言動から公爵との折り合いはあまり良いとは言い難かった。
王子は一人で生きてきたのだろうかと思うと、申し訳なくて辛くなった。だからこそ、傍にいられる間はアイリスフィアの力になりたいと心から思っていた。
しかし王子には王宮庭師がいてくれた。それを知る事ができて、クロスフィードは本当に安堵した。
「アイリスが一人じゃなくて良かった」
「クロフィ……」
王子という身分であるため、周りにはたくさんの人がいただろう。しかしその誰もがそれを『仕事』としている者たちだ。公爵や高官たち、王宮で働く侍従や侍女、下働きの者たちは、アイリスフィアが王子だから傍にいる。その全てがそうだという訳ではないだろうが、真に『アイリスフィア』の事を想っている人間がこの王宮に一体どれだけいるだろうかと考えると、それほど多くはなかっただろう事は王子の現状が如実に語っていた。
国政に参加させず、世継ぎだけを望み、公式行事への参加まで制限している人たちが王子の事を心から想っているとは思えない。そんな中で、たった一人でもアイリスフィアの事を心から想っている誰かがいたという事実は、王子にとっても心の支えとなっていただろうと思った。
「これからは私もいるしアレクもいる。エミルも何だかんだ言ってアイリスの事は気に入っていると思うし。きっとこれからもアイリスに味方してくれる人は現れてくれるよ。とりあえず今はファイスレイド殿とも仲良くなってもらわないとな」
「……無理だ」
「ファイスレイド殿と仲良くなってもらえないと、私はいつまで経ってもアイリスとこうして会えないだろう? アレクやエミルにお願いして連絡を取る事は出来るだろうが、やっぱり会えないと淋しいし」
「……淋しい、のか?」
キョトンとした顔のまま視線を向けてくるアイリスフィアがそのまま言葉を続けていく。
「本当に淋しいと思ってくれるのか?」
「当り前だろう? 私だって、その、友人はいなかった訳だから、アイリスと会えなくなるのは淋しい」
そう告げると、一瞬アイリスフィアの目が見開かれたと思ったら次の瞬間にはその表情に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「そうか。淋しいと思ってくれるのか。……俺もクロフィに会えないと気が狂いそうになる」
「え!? そこまで!?」
会えない事を淋しいと思ってくれる事は嬉しいが、気が狂うとまで言われると途端に精神状態が心配になってくる。
「任せておけ。早急にファイを丸め込んで取りこんでやる。覚悟しろ、鉄仮面無表情騎士め」
「ほどほどに、頑張ってくれ……」
アイリスフィアが燃え上がらんばかりにやる気の炎をその瞳に宿している。その様子を目の当たりにしたクロスフィードは、王子のやる気がねじ曲がっているような気がして苦笑いを浮かべた。
しかし折角やる気になったのだからそのまま頑張ってもらおうと思い、声援を送っておいた。
「表立って協力出来ないのは申し訳ないけど、こっちでも何か情報を得たら連絡するよ」
クロスフィードはそう告げながらフォークにプラムの実を刺し、それを口へと運んだ。そうしてもぐもぐと口を動かしながらアイリスフィアの方に向くと、顔を真っ赤にしている王子と目があった。
「ど、どうした!? やはり熱が上がって――」
「それはいっそわざとなのか!?」
何を言っているんだと思いながら、アイリスフィアの視線が向けられている場所に視線を持っていくと、そこには手に持っているフォークが一つ。
「ダメだったのか? アイリスは別に嫌がっていないみたいだったし、いいかなと思ったんだが……」
「そういう問題じゃないだろう!? どうして二人で一つのフォークを使う事に抵抗がないんだ、お前は!?」
「仕方ないだろう、これ一つしかないんだから。手で食べてもいいがそれは行儀が悪いし……。アイリスが嫌だというなら――」
「嫌な訳があるか! むしろ大歓迎だ!」
「ぶはっ! あはははは」
アイリスフィアから何か聞き捨てならない発言を聞いた気がするが、それはセルネイの笑い声でかき消された。
「はははっくくく、はあ、お腹痛い。くくっ、あははははは。アイリスは本当、素直だなあ。ははは」
「笑うな!」
再び勢いよく枕を投げるアイリスフィアだったが、今度は軽々と受け止められてしまい、忌々しいというようにセルネイを睨みつけていた。しかしその顔は熟れた果実のように真っ赤になっており、若干息を荒くなっていた。
「ああくそっ」
そんな悪態を吐きながらアイリスフィアがボスっと寝台に体を倒す。それを目の当たりにしたクロスフィードは慌てて持っていた籠を足元に置き、腰を上げた。
「大丈夫か? やはり熱が上がってしまったのだろうか?」
クロスフィードはアイリスフィアの顔を覗き込むように手を伸ばし、その額に触れる。すると見る間にアイリスフィアの顔が赤くなっていき、クロスフィードはますます慌てた。
「辛くなったら言ってくれと言ったのに」
「だ、大丈夫だから!」
「何を言う、こんなに熱いではないか。すまなかった。やはり無理をさせてしまっていたんだな」
そんなやり取りをしていると、さてと、と言いながらセルネイも腰を上げた。
「そろそろ戻ろうか」
「そうですね。これ以上はアイリスの負担になりそうですし」
クロスフィードがセルネイの言葉に素直に従う旨を伝えると、アイリスフィアから声が聞こえてきた。
「もう行くのか?」
横になったまま視線を向けてくるアイリスフィアが、少しばかり名残惜しそうに見上げてくる。それを目の当たりにすると、クロスフィードは少しばかり困ったような笑みを浮かべた。
この場を離れれば、またしばらくは会えなくなる。その事をアイリスフィアが少しでも淋しいと思ってくれているというのなら、不謹慎だが、嬉しいと思う。
「少し熱が上がってしまったようだし、これ以上無理をさせるわけにはいかないからもう帰るよ。見舞いに来たはずなのに、逆に悪化させてしまってすまなかった。アイリスの顔を見られて良かったよ。ああそれと、これは後で食べてくれ」
そう言いながら、クロスフィードはプラムの実が入っている籠を寝台脇の小さな卓の上に置くと、二の腕辺りとツンツンとつつかれた。何だというように振り向いてみれば、ニコニコ微笑んでいるセルネイが最後の一つが乗った皿を無言で持ち上げてきた。その行動の意味を正確に理解したクロスフィードは、まだ手に持っていたフォークに最後の一つを刺した。
「はい。最後」
そう言いながらアイリスフィアの口元にそれを持っていくと、王子は素直に口を開けた。その様子にクスリと微笑み、クロスフィードは最後の一つを食べさせてやった。
もぐもぐと口を動かしているアイリスフィアを認めると、クロスフィードはフォークをセルネイへと返す。
「それじゃあ、もう行くから。早く元気になってくれ」
「ああ。その……来てくれて、ありがとう」
若干顔を赤くしたアイリスフィアからそんな素直な言葉が聞こえてくると、クロスフィードは思わす笑みが浮かんだ。
「またね、アイリス」
そう別れの挨拶を告げると、クロスフィードはセルネイに促されるまま寝台から離れる。
「それじゃあ、帰りはここからね」
その言葉が耳に届いた瞬間、セルネイが壁の一部を軽く押した。するとその場所が扉のように開き、誰が見ても秘密の通路だとしか思えない空間がクロスフィードの目の前に飛び込んできた。
「王家御用達、秘密の隠し通路!」
「ええぇぇぇぇ!?」
そんな国家機密をさらりと教えないで欲しいと思いながら、クロスフィードは知ってはいけない事を知ってしまった事実に対してしばらく固まった。




