隣町で
ある意味波乱だった宴から一夜明けた今日。春の日差しが気持ち良い昼下がり。
クロスフィードは王都にほど近い隣町までやって来ていた。
本当は少しアイリスフィアの様子を見に行こうかと思っていたが、昨夜の宴でエミルディランにしばらく王宮には来ない方がいいと忠告されてしまったため、クロスフィードもしばらくは様子を窺おうと思っていた。
アイリスフィアにはアレクヴァンディもついているし、エミルディランにもそれとなく彼の事は頼んでおいたため、とりあえず大丈夫だろうと判断していた。
そんな訳で、クロスフィードは注文していた品物を受け取りにこの町までやって来たのだ。
「頼んでいた物は出来ているでしょうか?」
「はい、できてますよ。少し待っていてくださいね」
クロスフィードが今いる場所は、町の金物屋だった。
その店は先代の伯爵家当主が懇意にしていた事もあり、伯爵家にとっては馴染みの店でもあった。
初老の店主に待つように言われ、クロスフィードは店の中を見て回りながら店主が戻ってくるのを待っていると、程なくして店主の男が戻ってきた。
「はい。これでよろしいですかな?」
そう言って頼んでいた物を見せて貰うと、クロスフィードはそのできに感嘆した。
「さすがですね。今回は無理を言ってしまったので、もう少しかかるかとも思っていたのですが」
「何を言いますやら。私の腕にかかればこれくらいは大した事ではありませんよ」
ははは、と笑う店主に、クロスフィードも笑み向ける。
この店主は本当に素晴らしい技術を持っているのに、町の金物屋の店主に納まっているというのが少しばかり勿体ないような気がしてくる。
そんな事を思いながらも、クロスフィードは店主に礼を言った。
「いつもありがとうございます」
「いえいえ。先代様には良くして頂きましたし、私の腕がお役に立てるのなら嬉しい限りです」
そう言って店主は皺を深くしながらニコニコ笑った。
そうして二言三言店主と会話をしていると、店の扉についている小さな鐘がカランカランと音を立てて来客を告げた。
「いらっしゃい」
店主が入って来た客にそう声をかけた事で、クロスフィードも邪魔をしてはいけないと店主に声をかける。
「それでは私はこれで失礼します」
「そうですか。また何かありましたらいらしてくださいね」
店主と挨拶を交わした後、扉に向かう途中で入って来た客に何となくなく視線を向けたクロスフィードは、入って来たのが同い年くらいの少女である事を知った。
少女もクロスフィードに視線を向けていた事で、二人は少しばかり視線が交わる。
「……っ」
「?」
少女は一瞬だけ目を瞠ったかと思ったらすぐに視線を逸らしてクロスフィードの横を足早に過ぎて行く。
クロスフィードは知り合いだったのだろうかと少しばかり考えてみたが、少女の顔に見覚えはなかった。
少女は身なりが良かったため下級貴族なのだろうと判断し、クロスフィードはそれほど少女の事を気に留める事はなかった。
伯爵家の跡取りとして、クロスフィードはあまりいい意味ではなく有名だ。それが分かっているため、いちいち気にしていても仕方ないのだ。
「この前お願いした件なんですが――」
少女と店主の会話がはじまった事を感じながら、クロスフィードは少女の態度を些細な事だと気にかける事もなく、店を後にした。
◆◆◆◆◆
目的も果たした事でクロスフィードは王都に帰ろうと思い、辻馬車の停留所に向かっていた。
その途中で騎士の駐在所の近くを通りかかった時、駐在所の中から知った顔が出てきたのでクロスフィードは思わず足を止めた。
「アレク」
そう声をかけると、アレクヴァンディもこんなところで会うとは思っていなかったようで、少々驚いているようだった。
「クロス。何でこんなところでいるんだ? てっきり王宮にいるもんだと思ってたんだが……」
「それは私の台詞だ。アレクが王宮にいるから大丈夫だと思って……」
そうしてクロスフィードとアレクヴァンディは二人揃って顔を青くした。
今現在この場所にクロスフィードとアレクヴァンディがいるのだから、王宮にいるアイリスフィアの近くには誰もいないという事になる。エミルディランにそれとなく頼んだと言っても、彼は近衛騎士団長の補佐官兼ニコルベネットの騎士でもあるため多忙だ。そうなると十中八九アイリスフィアの暴走を止める者がいない。
あの王子は一度王宮にクロスフィードが来ないからという理由だけで伯爵家にまで押し掛けて来た前科がある。止める者がいない今、何をしでかしているか分かったモノではない。
昨日の今日で目立った行動はしないだろうとは思うが、王子の行動は予想外な事が多すぎて一抹の不安が過る。
いろんな意味で早く帰らなければと思っていたクロスフィードは、アレクヴァンディに続いて出て来た騎士の声を聞いた。
「アレク、誰と話してるんだ?」
「いや、知り合いに会ったもんで」
駐在所から出て来たのは、アレクヴァンディよりもいくつか年上の騎士だった。その騎士は騎士服を着崩しており、凄まじくやる気のなさそうな雰囲気を醸し出していた。
「知り合いねえ。コレが?」
「これとか言うなよ。一応貴族様だぞ」
興味のなさそうな視線を向けて来る騎士を余所に、クロスフィードは、一応は余計だ、というような視線をアレクヴァンディに送っていた。
「お前に貴族の知り合いがいたとはねえ。へえ、アンディと同じ瞳の色してんだな、アンタ」
「おい、エダン!」
アレクヴァンディの声を無視して、少し腰を折り無遠慮に瞳を覗き込んでくる騎士は、面白そうにニッと口元に笑みを浮かべている。
そんな騎士の様子に少々たじろぎながらも、クロスフィードは首を傾げた。
「アンディ?」
「ん? アレクから聞いてないのか? 何だ、そりゃ悪かったな」
そう言って離れていく騎士を認めると、クロスフィードはアレクヴァンディに視線を向けてみた。すると視線の先にいる騎士は困ったような笑みを浮かべるだけで何も言う事はなかった。
「もう帰るんだろう? 団長によろしく言っといてくれ。面倒事は御免ですってな」
「言えるか、んな事! 自分で言え!」
「何だよ。兄貴の言う事は聞いとけよ」
「誰が兄貴だ、誰が! いつまでも舎弟みたいに使うな!」
「仕方ないだろう? もうお前しか残ってないんだ。アンディの分までお前がキリキリ働けよ」
「お前に言われると腹が立つ……っ」
そんな会話を繰り広げる目の前の二人の様子に、クロスフィードは二人が昔からの知り合いなのだろうかと思った。
「仲良いな」
「どこが!?」
声をかけると、アレクヴァンディから即座に、そんな訳あるか、というようなツッコミが返ってきた。
「そっちも案外仲良さ気だな。しかしアンタの事俺どっかで見た事がある気がするんだけど、誰だっけな……」
うーん、と少しばかり考えるような仕草を取った騎士だったが、すぐに思い出す行為を止めていた。
「まあ、面倒くさいから誰でもいいか」
「諦めんの早っ!」
クロスフィードにしてみれば、アレクヴァンディのツッコミの早さに感心する。
「私はクロスフィードです。この名前で分かると思います」
「何も自己申告しなくても……」
アレクヴァンディの言葉にクロスフィードは小さく苦笑を返した。
伯爵家の跡取り息子として『クロスフィード』の名は有名だ。目の前の騎士が見た事があるというのなら、伯爵家のクロスフィードとしての姿だろう。
後々知られて敬遠されるくらいなら、今正体を明かしてこの場限りの縁にしてしまった方が気は楽だ。
そんな事を考えていたクロスフィードはいい意味で予想を裏切られる。
「クロスフィード? ああ、伯爵家の跡取り息子か。アレクも妙なのと知り合いだな」
「妙なのとか言うなよ」
「悪気はない。興味もない」
「……そうかよ」
言葉の通り、クロスフィードが伯爵家の人間だと知っても、騎士は全く興味がない様子だった。
その事にクロスフィードは思わず笑ってしまう。
「面白い方ですね」
「つまらないとは言われた事はあるが、面白いとははじめて言われたな。アンタも貴族にしちゃ変わってるよ。大抵の貴族は敬語使わないだけでギャーギャー煩いってのに」
面倒くさいというように告げてくる騎士の様子に、貴族に咎められた事があるのだろうと秘かに思った。
「一応自己紹介されたから俺もしておこうか。俺はエダンマキナだ」
そう告げてきた騎士ことエダンマキナは、よろしく、と取って付けたような言葉を続けた。するとそれに反応を返したのはアレクヴァンディだった。
「エダンが自分から自己紹介するなんて……。明日は槍が降るのか!?」
「失礼な奴だな。アレクが世話になってるってんなら、兄貴分として挨拶くらいしておくのが筋ってもんだろう?」
「だから俺はお前の舎弟じゃねえよ!」
普段はアレクヴァンディの方が年上であるため頼りになる存在であるが、エダンマキナと話している彼はいいようにからかわれているように見える。
普段あまり見慣れていない光景であるため、少しばかり物珍しく感じてしまう。
「アレクとは昔からの知り合いなんですか?」
エダンマキナにそう訊いてみると、彼がこちらを向く。
「敬語なんか使わなくていい。逆に気味が悪い」
「そ、そうですか?」
「まあ、どうでもいいがな。アレクとは世話になった孤児院が同じなんだ」
さらりと言われたその言葉に、クロスフィードは少々焦った。
アレクヴァンディが孤児院出身である事は既に知っているが、まだその事をアレクヴァンディ本人には言っていない。
様子を窺うようにアレクヴァンディに視線を向けると、ああそうか、と彼が声を上げる。
「俺、孤児院出身なんだよ」
本人からもあっさり告げられてしまい、クロスフィードは自分だけがその事に対していろいろ思っていたのが逆に申し訳なくなった。
「その、話の成り行きで、その事はエミルから聞いた。決して知ろうして知った訳ではないのだが、君から聞く前に知ってしまったというのは、申し訳なかったと思っている」
「何で謝るんだよ。俺が孤児院出身だって話は結構知られてるし、別に隠してるわけでもないからな。そんなこと気にするなよ」
騎士には同じ境遇の者も少なくないと言いながらアレクヴァンディは至って普通に話をしていた。クロスフィードもその事は知っているため、そうだな、と返すだけに止めた。
「まあそんな訳で、付き合いは長いな。アレクが騎士になるとは思ってなかったから、今でもコイツの騎士姿には違和感しか覚えない」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ……」
エダンマキナは騎士服を着崩している訳なので、そんな人に言われるのは心外だというようにアレクヴァンディが口を尖らせていた。
そんな二人の様子を眺めているクロスフィードは、気の置けない人がいるアレクヴァンディの事を少しばかり羨ましく思った。
「じゃあそろそろ俺帰るわ」
「そうか。団長に一応分かりましたと伝えてくれ」
「『一応』は省いて伝えておく」
そんな会話を聞きながら、クロスフィードはアレクヴァンディに声をかける。
「アレクは馬でここまで来たんだろう?」
「ん? そうだけど?」
「じゃあ私も乗せてくれないか?」
「何でだよ。お前、馬車で来たんじゃないのか?」
「ああ、辻馬車で来た」
「辻馬車!?」
辻馬車とは、町から町へと向かうための相乗り馬車の事で、庶民の財布に優しい低賃金で乗れるという素晴らしい移動手段なのだ。
「アンタ貴族だろう? 何でまた辻馬車なんかで来たんだ?」
思わずというようにエダンマキナから声が聞こえる。
興味はないと言いながら、貴族が辻馬車を利用する事には興味があるらしい。
「辻馬車の方が馬車を手配するより安いし」
「アンタ結構所帯じみてんな……」
目の前の騎士二人から生温かい視線を向けられてしまったクロスフィードは、そこまでおかしな事だろうかと少々首を傾げていた。
実のところ、伯爵家にも馬車くらいはある。しかしその馬車は両親専用|(エイナセルティが倒れた時やそれに伴ったツヴァイスウェードの暴走時に使う)な部分があるため、クロスフィードの移動手段は専ら辻馬車だった。
「貴族だからと言って金持ちだとは限らないよ。商家の方が裕福だという場合もあるし、爵位だけがある貴族だって世の中にはいるんだよ」
「その通りだな」
笑みを浮かべながら頷いているエダンマキナの様子を見つめていたクロスフィードは、伯爵家は爵位だけがあるボンクラ貴族ではないという事だけはちゃんと伝えておいた。
「そんな訳で、乗せてくれ」
「俺は構わねえよ」
「ありがとう。助かる」
アレクヴァンディからの承諾を貰った事で、クロスフィードはエダンマキナに向いた。
「ではこれで」
「ああ。気を付けてな」
そうしてエダンマキナに別れの挨拶を済ませると、クロスフィードはアレクヴァンディと共に馬で王都へと帰った。




