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非常事態を回避するための異常事態

 クロスフィードはテラスから中を窺いつつ広間へと戻ると、人に紛れながら歩みを進めた。


「近衛騎士団の事は私も報告は受けていた。しかし君たちの独断で事を進められては少々困るのだが」

「お言葉ですが、団内の事に関しては近衛騎士団長である私に一任されているはず。今回は、団内の秩序を乱し、勝利のために不正を働き、騎士の名に泥を塗った者たちを罰しただけに過ぎません。私の決断に何か問題でもありましたか?」


 広間には本当に公爵の姿があり、公爵とヴァンクライド達と言葉を交わしているようだった。それを少し離れたところからエミルディランとニコルベネットが不安げな表情で見つめている姿を認めると、クロスフィードは彼らの許へと向かった。


「エミル、ニコル」

「クロス。君、彼と一緒だったんじゃないの?」


 アイリスフィアの姿が見えない事に少々焦りを見せるエミルディランに、クロスフィードは手短に説明を返す。


「さっきカイルが来て公爵様の事を教えてもらったんだ。だからそのままカイルと王宮に帰した」

「そうか……」


 アイリスフィアの事を敬称で呼ばないエミルディランに倣って、クロスフィードも名前を出さないように返答する。

 その答えに、エミルディランは何か危惧するように難しい顔を作っている。それを認めると、クロスフィードは王宮に帰さない方が良かっただろうかと不安になった。


「不味かったか?」

「いや、今はそれが最善だっただろう。彼がこの場にいると面倒な事になっていたと思うから。ただ――」


 エミルディランはそこで言葉を切ると、ふと視線を一点に向けた。クロスフィードはそれに倣うように視線を向けると、その先には何人かの招待客と挨拶を交わしているレイラキアの姿があった。


「彼女まで来ていたのか……!?」

「その事が少し気になってね……」


 難しい表情を作って口を閉ざしてしまったエミルディランの代わりに、ニコルベネットが不安げに口を開く。


「公爵様はあの方がこの場にいらっしゃった事を知っていたのかしら……?」

「彼と一緒に来たのはレイヴン殿だ。あの人がそんなヘマをする訳がない」


 ニコルベネットの言葉に否定を返しているエミルディランだが、その表情は未だ晴れる事はない。それは彼も、アイリスフィアの参加を公爵に気取られていたのではないかと危惧しているからに他ならなかった。


「ただ、彼女さっきから何かを探しているみたいなんだ。それを考えると、嫌な予感しかしなくてね」


 クロスフィードはエミルディランの言葉を確認するようにレイラキアの方に視線を向けてみると、確かに彼女は言葉を交わしている合間に誰かを探すように広間の方へと視線を向けている。それを確認したクロスフィードは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。


「公爵様はおそらく確信があった訳じゃないんだと思う。ただ、彼がここにいると想定してそれなりの用意をして来たと考えるのが妥当かもしれないね」


 余裕のない笑みを浮かべているエミルディランの様子を見つめながら、クロスフィードは思い至る最悪の事態に血の気が引く思いがした。


「まさかそんな事……っ」

「そうと決まった訳じゃないけど、もし本当に公爵様が手を回しているなら、カイルだけでは荷が勝ち過ぎる」


 クロスフィードとエミルディランは二人して苦い顔を作りながら、互いにしばらく黙りこんだ。


 公爵がこの場に来た理由は親善試合の件で間違いはないだろう。公爵やヴァンクライド達から漏れ聞く言葉からもそれが窺い知れる。しかしその件とは別にアイリスフィアがこの場にいるかもしれないという事を想定していたとするなら、王子の相手は自分の娘だという事を固持するためにレイラキアを伴って現れた事には頷ける。

 ヴァンクライドの娘であるニコルベネットも現在後宮に入っている。そのため自分の娘の地位が脅かされる事を危惧したという事だろう。


 しかし問題はそこではない。

 問題は、公爵がクロスフィード達の行動を先読みしている可能性があるという事だった。


 この場にアイリスフィアがいるという事が何を意味するのかは、公爵も分かっている事だろう。そのため、この場に公爵が現れた時のクロスフィード達の行動も予想している違いなかった。

 クロスフィード達がアイリスフィアをこの場から逃がす事も公爵が想定していたとするならば、彼をカイルレヴィと二人だけで王宮に帰した事は得策ではなかったと言わざるを得ない。


「本人からいろいろと話は聞いたが、公爵様はそこまでするのか……?」

「あの人ならするよ。だって僕らを黙らせるのはその方法が一番手っ取り早いからね。王宮への帰路の途中で彼が襲われれば、僕らに責任を押し付ける事が出来るし、その事を盾に今後の動きも制限できる。良い事尽くめでしょう?」


 皮肉気に口元を歪めて鋭い眼光を公爵に向けているエミルディランの様子を見つめながら、クロスフィードは自分が犯した失態にグッと拳を握った。


 カイルレヴィは職務の合間にやって来たらしいので帯剣をしていたが、アイリスフィアは丸腰だった。もし本当に襲われてしまえばカイルレヴィ一人では対処しきれないだろう。彼の剣の腕は優れているが、それでもアイリスフィアを守りながらの戦いとなれば分が悪い事は明らかだ。


「僕が行けるといいけど、この場を離れたら彼がいたって言ってるようなモノだし。今この場でここに彼がいたっていう確信を持たれると、父上たちの立場が悪くなる。それは避けないと……」

「私が行けば……っ」

「それもダメ。僕らが動けばそれだけで勘ぐられる。冷静になって、クロス」

「……すまない」


 下手な動きをすれば勘ぐられてしまうだろう事はクロスフィードも最初から分かっていた。しかしそれが分かっていても、襲われる危険があるという事が分かってしまうと助けに行かなければという思いが込み上げてくる。


 まだそうだと決まった訳ではないが、不安は胸の内で膨らむばかりだった。


「今は予想が外れてくれるのを祈るばかりだよ」


 エミルディランもこの場から離れられない以上、万策尽きているといった感じだった。


 そうしてそれぞれに不安を抱えながら成り行きを見守っていると、不意に広間がざわついた。

 何だと思いながら皆が視線を向けている入口の方に視線を向けると、あり得ない光景が目に飛び込んできた。


「お兄様。私、物凄く既視感を感じるのだけど、気のせいかしら……」

「気のせいならいいけど……、残念な事に気のせいじゃないと思うよ……」


 そんな言葉を交わす兄妹の声を聞きながら、クロスフィードは広間に入ってきたその人物を呆然と見つめた。


 白い礼服に身を包み、ゆったりと、そして堂々と広間の真中を歩いてくるその人物は、紛れもなくアイリスフィア本人だった。

 アイリスフィアの少し後ろには、王子の護衛ですと言わんばかりのカイルレヴィの姿がある。


 そんな目の前に光景に、クロスフィードは二人の同様、凄まじい既視感を感じていた。


「誰かと思ったら公爵も来ていたのか」

「殿下、何故……」

「何故? ああ、どうして来たかという事か? いや何、今年に限って守護者殿が祝いの席に参加したいと言ってな。しかし彼の人は遠出が出来ない身故、俺が名代として来た訳だ。お前もクライドを祝いに来ていたとは思わなかった」


 少々驚きを隠せない様子の公爵に、アイリスフィアは不敵な笑みを浮かべながらしれっと大嘘を吐きつつ強引に話を進めている。

 その様子に広間にいる誰もが唖然としていた。


 二回目の登場ともなれば、誰もがアイツ何言ってんだ状態だった。


「今年の親善試合が近衛騎士団の内情にも関わる試合となった事は守護者殿もご存じだ。彼の人はこのような事態になるまで何も出来なかった事に対して心を痛めておいでだ。このような事態になってしまった詫びと騎士団長たちの迅速な行動への感謝の意を伝えて欲しいと言付かってきた」


 さも今来たばかりだというように、そしてさも当然というように守護者の言葉(らしきもの)をアイリスフィアはヴァンクライドに告げている。

 そんな王子を前に、もう限界だとばかりにレイヴンリーズは顔を逸らせて変な咳をしていた。それにヴァンクライドは非難めいた視線を送っており、ツヴァイスウェードは少し後方から公爵に見えないようにレイヴンリーズの腕を笑顔でつねっていた。


 そんな光景を前に、先ほどまでの緊張感溢れる時間は何だったのだろうかと、少しばかり遠い目をするクロスフィードである。


「公爵も礼を言いに来たのだろう? 近衛騎士団は王家の盾。近衛騎士たちが使えぬ者ばかりではいざという時にお前も困るだろうしな。しかし近衛騎士たちの中に騎士に相応しくない者たちがいた事には俺も驚いた。近衛騎士になる基準はそれほど甘くはないはずなんだがな」


 全く知らなかったというように、なんて事だと言わんばかりの口調で話すアイリスフィアは尚も言葉を続けていく。


「クライド。今一度近衛騎士の入団基準を見直した方がいいのではないか? 守護者殿もその辺りの事を案じておられだぞ」

「申し訳ありません。私が至らないばかりに……。仰せの通りに致します」


 にこやかな笑顔で告げるアイリスフィアを前に、ヴァンクライドは恭しく一礼を返していた。

 その様子を黙って見ている公爵の表情が少しばかり険しくなっている。


「公爵にも、今後このような事が起こらないように万遺憾なきを期されたい、と守護者殿は言っておられたぞ。今はまだ俺の代わりに国王代理を務めている身なのだから、王宮内の事くらいしっかり目を向けてもらわねば皆が困るだろう」

「……申し訳ございません。以後気をつけたいと思います」


 この状況を最大限に利用し、アイリスフィアはここぞとばかりに言いたい事を言っている。

 この状況はレイラキラの奇行を止めた時と似ている。あの時もアイリスフィアは何を告げれば相手に打撃を与えられるのかという事を分かって言っていた。今回はクロスフィードの助けはないが、公爵を閉口させるには十分な台詞をアイリスフィア自身が投げつけている。

 アイリスフィアは感情に任せて行動する事が多いようだが、それでも彼は聡い。冷静に物事を見る事が出来ればこれくらいはやってのける事が出来る人物だったのだろう。


 しかしながら、公爵に言いたい放題言っているアイリスフィアの様子は、正に出会った頃の意地悪王子をクロスフィードに思い出させた。

 もともとこういった事に関しては得意分野なのではないかと少しばかり考えてしまう。


「彼もなかなかエグイ事するね」


 アイリスフィアの様子をしばらく見つめていたクロスフィードは、隣にいるエミルディランからくぐもった笑い声と共に小さな呟きが聞こえてきたので思わずそちらに向く。すると彼は笑いを堪えるように口元を抑えながら肩を震わせていた。

 もう少し我慢できないものかと思いながらも、クロスフィードもそんなエミルディランの気持ちが分かるだけに、アイリスフィアの策士ぶりには思わず口角が上がった。


 確かにこの場にアイリスフィアがいた事を現時点で知られる事はあまり好ましくない。しかしアイリスフィアが公爵より後に来たという状況なら話は変わってくる。

 現時点でこの場にアイリスフィアが先にいたとなれば、いろいろと勘繰られアイリスフィアの方が窮地に立たされていた事だろう。しかしそれが逆となると、この場での公爵を黙らせる事が可能になる。

 現にアイリスフィアはこの場に公爵が来ている理由を勝手に決め付けて話を進めており、近衛騎士団内の粛正は成されて当然だという事をこの場の皆に向け告げている。近衛騎士団から数名の騎士だ退団させられた事実は耳の早い貴族であれば知っている情報だ。そうなると公爵もこの場で下手な事が言えなくなり、アイリスフィアの言葉に異を唱える事は容易には出来なくなる。それを良い事に、アイリスフィアは近衛騎士団の入団基準の事まで話題にしている。その事に関してはクロスフィードもよくやったとアイリスフィアに賛辞を贈りたいくらいだった。

 たとえ公爵が国政を担っていようとも、この国の最高位にいるのはアイリスフィアだ。そのアイリスフィアが大勢の人間がいる前で『守護者も言っていた』などと言えば、それはもう決定事項だと言っているようなモノだった。これで近衛騎士団長並びに補佐官は、遠慮なく近衛騎士団の入団基準の見直しを行う事が出来るだろう。


「彼の評価を見直すべきかもね」


 そんな事を呟きながら面白そうに目の前の光景を見つめているエミルディランを見つめながら、クロスフィードは少しばかりアイリスフィアの評価が上がった事実に笑みを浮かべた。


 アイリスフィア自信がこの状況に持って行く事が出来るという事実に気付いたため戻って来たというのなら、彼の行動は驚嘆に値するモノだった。

 数日前まで何も考えずに突っ走っていたアイリスフィアを知っているだけに、クロスフィードはその成長ぶりに感動していた。


「クロス、ごめん。戻って来ちゃった」

「……カイル」


 不意に声をかけられそちらを向くと、いつの間にか近くに来ていたカイルレヴィが申し訳なさそうに立っていた。


「いや、私の方こそすまなかった。戻ってきてくれてよかった」

「本当に? よかった……」


 ホッと胸を撫で下ろしているカイルレヴィに、エミルディランが声をかける。


「カイル。どうして戻って来たんだ? 殿下が戻ると?」

「いや、違うよ。邸を出てすぐ騎士に会って、このままじゃ王宮には戻れないぞって言われたんだ。一般騎士だったから俺その人が誰だか分かんなかったんだけど、殿下はその騎士の事を知ってたみたいで」


 それを聞いたクロスフィードとエミルディランは思わず顔を見合わせた。そしてすぐにエミルディランが弟に質問を投げる。


「殿下はその騎士の事を『アレク』って呼んでなかった?」

「そうそう、そんな名前で呼んでた。兄貴とも知り合いみたいな感じだったけど、本当に知り合いだったのか? 兄貴、一般騎士の知り合いいたんだ」

「彼、他には何か言ってなかった?」

「……俺の疑問は綺麗に無視だし」


 兄の通常運転ぶりに少々脱力しているカイルレヴィだったが、彼はちゃんと質問の答えを返してくる。


「何か待ち伏せしてる奴らがいるとかで、全部片付けようと思ったけど多いから面倒になったって言ってたな。なんかうちの邸に来る途中だったみたい。入れ違いにならなくてよかったって言ってたし。ああ、それと兄貴に伝言」


 その時の事を思い出すように告げてくるカイルレヴィが、エミルディランに預かったらしい伝言を告げた。


「『貸し一つ』だってさ」

「うわ……、ちゃっかりしてる」

「俺いまいち状況分かんないんだけど、兄貴が貸し作るのって物凄く珍しくね?」

「君が刺客を全部倒せない弱っちい騎士だから悪いんだよ」

「何で俺のせいなの!?」


 真っ黒い笑みを浮かべているエミルディランを前に、カイルレヴィが目を泳がせながら冷や汗をかいている。そんな彼は身の危険を察知したのか、さっとクロスフィードの背後に移動する。


「よ、よく分かんないんだけど、クロス助けて」


 昔から変わらないその行動に、クロスフィードは少しばかり苦笑する。

 カイルレヴィは昔から兄弟喧嘩で分が悪くなるとこうしてクロスフィードの背に隠れる事が多かった。

 しかしながら、クロスフィードの背に隠れる事によって兄と姉が手出しできなくなる事を良く知っているカイルレヴィが、末子の特権をフル活用してクロスフィードに甘えていたという事実を、クロスフィード本人は全く知らない。


 そんな訳で、背後で兄と姉に不敵な笑みを向けているカイルレヴィに気付くことなく、クロスフィードはいつも通り彼を庇護する発言を口にする。


「大丈夫だ。カイルのせいじゃ――」

「クロスを盾にするとはいい度胸だね、カイル。子供の頃は通用したかもしれないけど、今それをすると情けなく見えるよ? そろそろそういう事するのやめた方がいいと思うんだけど。どうせカイルには勝ち目ないんだし。それとも何? 君はもう僕の弟をやめたいのかな?」

「お兄様の言う通りね。末子だからと言って、いつまでもクロスに頼るのはお止めなさい。それに、もう貴方がクロスの背に隠れたって勝てないわよ? さあクロスから離れなさい、カイル。さもないと貴方が夜な夜な何しているのかをクロスに話すわよ」

「ギャー!? 兄貴より姉さんの脅しの方がエグイ!」


 当然の如く会話に参戦してくる姉の言葉にカイルレヴィは泣きそうになるどころか、最早泣いていた。


 クロスフィードはそんな三兄弟の会話を聞きながら、平和だなあ、とどこか遠いところで思っていた。


「なあ、カイル。アレクは他に何か言っていたか?」


 クロスフィードが助け船のつもりでそう訊いてみると、未だ背に隠れたままのカイルレヴィから弱弱しい声が聞こえてくる。


「そのアレクって人も公爵様がうちに来てる事知ってたみたいで、もう一度参加すれば皆が助かるとか何とか殿下に言ってたよ」

「彼がそんな事を?」

「うん。その場しのぎだけど、公爵様を黙らせる事が出来るって」


 その言葉を聞いたクロスフィードは、この場にいないアレクヴァンディがその方法に気付いていた事に驚きを隠せなかった。それはエミルディランも同じだったようで、彼もまた驚いたように目を瞠っていた。


「『貸し一つ』っていうのには文句が言えないかも……」


 そんな呟くを漏らすエミルディランに、クロスフィードも全くその通りだと思っていた。


 今回アレクヴァンディが動いてくれなかったら、最悪の事態になっていただろう事は言うまでもない。それを回避する事に貢献してくれたのだから、彼には大きな借りが出来た事になる。


「その人殿下に、あとは自分で考えろ、って言って帰って行っちゃったんだ。そのあと殿下が戻るって言うからこうして戻って来た訳なんだけど……」

「そうだったのか」


 事の顛末を聞き終えたクロスフィードは、アレクヴァンディが裏で動いていた事実を知り、彼の存在が如何にアイリスフィアに必要なモノであるのかを知ったような気がした。


 伯爵家の人間であるクロスフィードがアイリスフィアのためにできる事はきっと少ない。それは貴族ではないアレクヴァンディも同じだろう。しかし彼は貴族社会の柵に囚われていない身軽さを利用して動いているばかりか、知略を巡らせる事も出来るような人材だった。

 そんなアレクヴァンディの存在は、王宮内でも身動きの取りづらいアイリスフィアにとってはこの上ない味方である事は明白だった。


「ねえアイリス。一緒に踊りましょう?」


 不意にレイラキアの声が耳に届き、クロスフィードはそちらに視線を向けた。するといつの間にかレイラキアがアイリスフィアの許に行き、彼を踊りに誘っている。

 普通は逆だろうと言いたいところではあるが、クロスフィードも少女たちに誘われた手前、何とも言えない気持ちを抱いた。


 どうして昨今の令嬢たちはそこまで積極的なのか分からない。


「……分かった」


 渋々と言った感じではあるが、アイリスフィアはその表情にちゃんと笑みを浮かべていた。若干引き攣ってはいたが。


 アイリスフィアもこの状況でレイラキアを踊らないのは不味いという事は承知しているようで、彼はレイラキアの手を取って広間の中央へと進んで行く。すると手を取られているレイラキアがチラリとクロスフィード達の方へと視線を向けた。


 その視線を先にはニコルベネットがいる。


「ここは一つ、爪でもかんで悔しがった方がいいかしら? 束の間の優越感に浸らせて差し上げるのも優しさかしらね」


 そんな事を言いながら、ニコルベネットは早速手に持っている扇を両手でギリギリと握りはじめた。

 それはまるで、私の方が先に踊るはずだったのに、という嫉妬を体現しているかのように見える。そのため、やはりレイラキアが王妃候補の筆頭である、という認識を誰もが抱いただあろう。普通なら。

 しかしながらニコルベネットが既にアイリスフィアと踊った事実をこの場の皆が知っているため、二人の妃候補の無言の攻防戦は滑稽以外の何ものでもなかった。


「……姉さん、芝居でもその笑顔マジ怖い」

「ごめん。僕もう限界かも……っ」

「バカ! 笑うな、エミル!」


 率直な感想を述べるカイルレヴィに、目の前の光景に噴き出しそうになっているエミルディラン。そしてそれを咎めるクロスフィード。


 本当ならこんな事を話している余裕すらないはずの場面であるのに、如何せん一部始終を知っているがために、目の前の光景は喜劇にしか見えなかった。






◆◆◆◆◆






 レイラキアと踊り終えたアイリスフィアは、長居をすると迷惑になるからと言って帰還する旨をヴァンクライドに申し出ていた。そんなアイリスフィアにカイルレヴィはもちろん、レイヴンリーズも護衛としてついて行く事になり、公爵とレイラキアもそれに続いた。


 帰り際、一度だけアイリスフィアが視線を向けて来た事を認めると、クロスフィードはそれに小さな笑みを返し、彼も笑みを返してきた。




 こうして波乱になる予定だった宴はアイリスフィアの二度目の参加により回避され、それぞれが後日に起こるであろう事態に備えて策を講じる猶予を手に入れる事が出来た。


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