企みの先にある結果の考察
「親父と違って、相変わらずお前は黒いな」
「そんなに褒めなくてもいいですよ」
「いや、褒めてねえし……」
詰所へとやって来たクロスフィードたちは、レイヴンリーズの仕事部屋へとやって来ると、一通りの経緯を簡単に説明した。するとそれを聞いたレイヴンリーズは、エミルディランの企みに少々呆れ気味だった。
「全く……、確かに助けてやるとは言ったが、来るの早すぎるだろう」
「……返す言葉もありません」
レイヴンリーズの呟くようなその言葉に、クロスフィードは本当に返す言葉が見つからなかった。
確かにいつでも来いとは言ってもらったが、こんなに早く頼る事になるとはクロスフィードも予想外の展開だった。
「騎士のガキ共も憐れだな」
「おや、レイヴン殿はあの下衆野郎共の味方ですか?」
「とりあえずお前は本音を隠すところから人格形成をやり直せ」
エミルディランの言葉に盛大なため息を吐いているレイヴンリーズは、横一列に並んでいるクロスフィードたちを諦めたように見つめていた。
ちなみに並び順は、仕事机に寄りかかり腕を組んでいるレイヴンリーズ前に、一番左からクロスフィード、アイリスフィア、エミルディラン、アレクヴァンディの順に並んでいる。
アイリスフィアがどうしてもエミルディランの隣にクロスフィードが並ぶ事を嫌がりその間に入ったというのはどうでもいい話だ。エミルディランがそれに黒い笑みを浮かべながらクロスフィードの隣に立っていたアレクヴァンディを無理矢理遠ざけたというのはもっとどうでもいい話だ。
「揃いも揃ってとんでもねえ面子に目え付けられたもんだな、あの馬鹿共は。ま、同情はしねえがな」
そんな事を呟きながらその顔に苦笑を浮かべているレイヴンリーズを前に、クロスフィードも同じような事を考えていた。
近衛騎士団長の息子であるエミルディランに加えて王子であるアイリスフィアまでこちら側にいるのだ。この二人にあの暴言を聞かれていたという事は、最早あの騎士たちに未来は潰えたに等しい。それでなくてもエミルディランに聞かれていたのだから、この件は必然的にヴァンクライドの耳にも入る事は避けられない。
あの近衛騎士たちは本当に憐れだと思いながらも、助けてやる義理はないくらいにはクロスフィードだって思っていた。
「で? アレクは選手になっていいんだな」
「構いませんよ。むしろ選手にしてください」
「……お前がいいなら、俺は何も言わねえが」
少しばかり含みを感じる言い方だったが、クロスフィードは些細な事だと気にしなかった。
「では、レイヴン殿もご協力いただけるという事でいいですね?」
「何か聞き方がおかしくねえか? そこは協力してくださいだろう」
「えー、僕の中では貴方が協力してくれるのはもう確定事項なんですけど?」
「全く性質の悪い性格してんなあ、お前は」
呆れたような視線を向けているレイヴンリーズに構う事なくエミルディランは尚も続ける。
「何を仰いますやら。最初から似たような事をなさろうとしていたのでしょう?」
「……やっぱお前は気付いてやがったか」
「そりゃそうですよ。近衛騎士団の選抜選手は明らかにおかしいですし」
「まあ、そうだよな」
「我が父ながら、全く生温い事です」
「全くその通りだな」
ハッと短い笑い声を漏らすレイヴンリーズは、次の瞬間にはその眼光を鋭くした。
「エミルの考えは分かったが、それだとこっちが割に合わねえ。てめえらの団内の粛正に俺の可愛い部下たちを使おうってんだ。見返りはちゃんと求めさせてもらうぞ」
「分かっております」
クロスフィードは二人の会話を聞きながら、今回の件がなかったとしても団長たちは似たような事を既に考えていたのだと知った。
しかしそのやり方は、エミルディランの作戦の方が数倍エグイ。
「団内の粛正?」
エミルディランとレイヴンリーズの話を余所に、クロスフィードの隣でアイリスフィアが、少々考えるような仕草をとりながら不意に口を開いた。
「この件はあの騎士に報復するだけではないのか?」
「それだけでこんな事をするというのなら、私は全力で殿下たちを止めています」
クロスフィードがそう告げると、アイリスフィアが少々眉根を寄せていた。それは敬語を使っている事に対してだろうと思ったが、クロスフィードはそれを無視して言葉を続ける。
「今回の件では私の事の方がついでなのですよ」
「とんでもないよ、クロス! 粛正の方がついでに決まってるだろう!」
いきなり会話に割って入ってくるエミルディランに、クロスフィードは少しばかりため息が出た。
「ついでで粛正しないでくれ……」
「何を言っているんだ。僕にとってクロスより大切なことなんてないんだよ? クロスが関わってなきゃ団内の粛正なんて面倒な事は全部父上に押してつけているさ」
「さらりと職務怠慢な発言をするのは止めてくれ……」
当り前だろうと言わんばかりの物言いで語るエミルディランに、クロスフィードは脱力した。
王子と騎士団長の前でそんな事を高らかに宣言しないで欲しい。
「相変わらずのクロス至上主義だな、お前」
「当り前じゃないですか。僕はクロスのお婿さんになるのが夢なんですから!」
その発言にギョッとしたのはクロスフィードだけでなくアイリスフィアもだった。
レイヴンリーズのように女だと気付かれていたのかと焦り出すクロスフィードを余所に、アイリスフィアはその雰囲気を凶悪なモノに変えていく。
しかしそんな事はお構いなしにエミルディランは言葉を続けていく。
「実際カイルもクロスを狙ってますからね。折角ニコルが後宮に入って恋敵が減ったと思ったのに、あの愚弟は僕に宣戦布告しやがりましたし。現状、ツヴァイ殿をどうやって説き伏せるかが問題なのですが……、カイルが成人するまでには何とかしないと……っ」
爪を噛む勢いでそんな事を大真面目に語っていくエミルディランに、クロスフィードはレイヴンリーズと二人の時に話した会話を思い出していた。
クロスフィーが女だと知ればエミルディランはどんな手を使ってもクロスフィードを嫁にするだろうとレイヴンリーズは言っていた。しかしクロスフィードの性別など関係なく、エミルディランはレイヴンリーズが言っていた言葉通りの事を既に計画しているらしい。
そんなエミルディランの言葉に、クロスフィードは疲れたようなため息しか口から出て来なかった。
「クロスの性別は無視なのかよ……」
つらつらとぶっ飛んだ発言をするエミルディランに、思わずと言った風にアレクヴァンディがツッコミを入れていた。しかしそのツッコミにすらエミルディランは心外だというような表情を返している。
「何を言ってるんだい? 性別の壁で僕の想いを止められるとでも思ってるの?」
「……冗談抜きでドン引きだ」
アレクヴァンディが顔を引き攣らせながらエミルディランにそう告げると、今度はアイリスフィアが慌ててクロスフィードに向く。
「お前二度とコイツに近付くな、いいな!」
「……話の本筋を忘れないでくれ、頼むから」
一体何の話からこんな話に発展してしまったのか、クロスフィードも忘れそうになってしまった。
「エミル。冗談は時と場を考えて言ってくれ……」
「冗談だなんて心外だな。僕はいつも本当の事しか言っていないのに」
「そうやって昔から私をからかって遊んでただろう……。全く、君は変わらないな」
「ああ、クロス。何で君は僕の気持ちを分かってくれないんだい?」
「はいはい、エミルの気持ちは嬉しいよ」
少しばかり呆れたように言葉を返すと、エミルディランは心底心外だというような顔をしていた。
それを黙って見ていたその他の三人が、
(俺がこの変態からクロフィを守らねば!)
(性別の事は最早クロスも無視なんだな……)
(ツヴァイも大変だな、こりゃ)
と、それぞれに思っていた事をクロスフィードは知らない。
「それで? 王子を連れて来たって事は、餌は『王子直属の騎士になれる権利』ってところか?」
「さすがレイヴン殿。ご明察の通りです」
話を本筋に戻しすレイヴンリーズの言葉に、エミルディランは満足気に言葉を返している。
「最高の餌が用意できるんですから、決して失敗は致しません。ただ、こちらの選手たちには頑張って自分の身を守ってもらう必要がありますけどね」
「その点は心配ねえよ。俺の部下は皆優秀だ」
そんな会話を繰り広げている二人の様子に、アイリスフィアがクロスフィードに顔を向けた。
「なあ」
「ん? どうしたんですか?」
そう返すが、アイリスフィアからの言葉は聞こえて来なかった。その代わり、アイリスフィアは眉間に皺を寄せながら少々視線を落としている。その様子に、クロスフィードは何が聞きたいのかを何となく悟った。
アイリスフィアは先ほどエミルディランに言い負かされてしまった事を引きずっているのか、内容をいまいち把握できない事を悔やんでいるように見えた。
「最近、近衛騎士団内の秩序が乱れているそうですよ。殿下も見たでしょう? 私に暴言を吐く近衛騎士を。騎士たちにはそういった誹謗中傷をされた事がなかったので、正直驚きました」
そう告げながらアイリスフィアに力ない笑みを向けるクロスフィードは、そのまま言葉を続けていく。
「そういった秩序を乱している者達を今回の件を利用して炙り出そうと言うわけです。言っておきますが、当日の試合は正々堂々行われますよ。当日は、ですけどね」
アイリスフィアが知った情報の中で足りていなかった情報を告げると、アイリスフィアはそれだけでちゃんと内容を理解できたようだった。
「餌と囮を使う事で墓穴を掘るのを待つ、という事か」
「そういう事です」
よくできましたというように、クロスフィードは内容が分かってスッキリしている様子のアイリスフィアに笑みを向けた。
「近衛騎士たちにとって王子直属の騎士になる事は最大の名誉ですからね」
王家の人間には己の護衛役として直属の騎士を任命する事が出来る。その騎士に選ばれる事は騎士たちの誉れとされており、とても名誉な事なのだ。
直属の騎士は、そのほとんどが近衛騎士たちの中から指名される事が多く、家督を継がない貴族の子息たちが多く所属している近衛騎士団では憧れの役職となっている。
もし直属の騎士に任命されれば、王家からの信頼を得た事にもなり、生家の評判も上がる。だからこそ、息子が二人以上いる貴族の親たちは挙って息子たちを近衛騎士団に入れたがるのだ。
「だが俺の騎士に任命する必要があるという事は、面倒な手続きが必要になるぞ?」
「その点は心配しなくても大丈夫ですよ。本当に直属の騎士を選出するわけではないですから。そういった噂だけを流すんです」
アイリスフィアの疑問に答えたのはエミルディランだった。しかしその答えに少々首を傾げているアイリスフィアは、エミルディランに聞くのは癪なのか、クロスフィードに視線を向けた。
「噂だけでいいのか?」
「まあ、その方が効果抜群ですからね」
クロスフィードはそう答えを返してみるが、アイリスフィアはまだ分からないというように首を傾げている。
「どうしてそう言い切れる?」
「実践してる本人がそれを聞きますか……」
「ん? ……ああ、なるほど」
アイリスフィアはようやく合点が言ったというように声を上げる、そんなアイリスフィアにアレクヴァンディから小さな声が飛んでくる。
「全く、頭は悪くないのに頭の使い方が残念だよな……」
「どういう意味だ」
不機嫌さの滲む声音で返しているアイリスフィアにアレクヴァンディからため息が聞こえ、エミルディランからはクスクスと笑い声が聞こえてきた。
アレクヴァンディが言うようにアイリスフィアは頭が悪い訳ではないのに、考え至らないところがあるというのが少々惜しい。
「人は噂に惑わされやすいですからね。情報を曖昧にしておけば面白いほど策に嵌ってくれると思いますよ」
エミルディランが面白そうにそんな事を告げる。
正確な情報より信憑性のある噂の方が人は惑わされやすい。そのため正式な褒賞として王子直属の騎士になれる権利を発表するより、おそらくそうなのではないか、というくらいの噂を流した方が効果抜群なのだ。現にアイリスフィアは男色家であるという噂も、アレクヴァンディがアイリスフィアの恋人だという噂も周囲の人間は惑わされていた。そしてアイリスフィアが『花の君』に想いを寄せているという噂にも老高官たちは惑わされ、血眼になって『花の君』を探しているというのが現状だった。
そういった事例が既に存在している以上、噂だけで十分な効果が得られると考えられるのだ。
「今回は殿下が協力して下さるので、より大きな効果が得られる事でしょう。現在近衛騎士団に所属している者の中には、秩序を乱す大変なおバカさんが結構いますからね。さっさと墓穴掘って消えてもらいたいものです」
エミルディランの言葉は全くその通りなので、相変わらず本音がダダ漏れな事に関しては誰もツッコミを入れる事はしなかった。
「親善試合は五日後。噂が広まるのが二、三日と考えれば、焦ってバカやらかす奴は多いだろうよ」
「そうですね。まあ、実際本当に墓穴を掘ってもらわないと困るんですけどね」
「その犠牲になるのは俺の部下だって事を忘れんなよ。とりあえず情報はくれてやる。証拠はそっちで集めろ。いいな」
「情報さえ頂けるなら、それだけで十分です。あと父にもこの件を話しておかなければならないので、詳細な話はまた後程という事でよろしいですか?」
「構わねえよ」
レイヴンリーズとエミルディランで話をまとめはじめると、それを余所にアイリスフィアが小さな呟きを漏らす。
「結局俺は何も出来ないんだな……」
申し訳なさそうにそんな事を呟くアイリスフィアに、クロスフィードは少しばかり苦笑しながら小さく声をかける。
「そんな事はないですよ。殿下がいてくれるから最高の餌を用意できる訳ですしね」
「直属の騎士の話は正式ではなく噂で流すだけだろう? そんなのは俺がいなくても――」
「殿下が協力しなかった場合、その餌は使えなかったでしょうね」
きっぱりとそう断言するクロスフィードは、何故というような表情を向けてくるアイリスフィアに答えを返す。
「殿下がこの件を承知しているのといないのでは、天と地ほどの違いがあるんですよ。たとえば流れた噂を殿下が否定してしまったら、それだけで計画は水の泡です。結構殿下の存在は重要なんですよ。……むしろ役立たずは私です」
先ほどクロスフィードを蔑んでいた近衛騎士をぶっ飛ばす役目はアレクヴァンディが担い、エミルディランとアイリスフィアで近衛騎士団内の粛正のための準備を行う。それぞれが重要な役目を担っているというのに、クロスフィードだけが何も関わる事が出来ない立場にあった。それを少しばかり歯痒く思いながらも、手伝う事すら出来ないというのはクロスフィードもちゃんと分かっている。
「役に立てなくて申し訳ないですが、私が関われば邪魔になってしまいますからね」
そう言って方を竦めながら力ない笑みを向けると、アイリスフィアは小さく首を振った。
「そんな事はない。お前はあのバカ騎士共の責苦に堪えただろう? それだけで十分だ」
「殿下……」
不覚にも鼻の奥がツンと痛み、泣きそうになってしまった。クロスフィードはそんな自分を懸命に宥めながら、アイリスフィアに笑顔を返した。
「ありがとう」
そう礼を言うと、やはりアイリスフィアは思い切り顔を背けてしまった。その横顔が少々赤くなっている事に気付くと、クロスフィードは礼を言われて照れているのだろうかと思った。
「くっ、殿下にその台詞を取られるとは……っ」
「……お前、本当に本音がダダ漏れだな」
悔しそうなエミルディランの声が聞こえてきたかと思ったら、続いて呆れたようなアレクヴァンディの声も聞こえた。
「クロスは何もしなくていいんだよ。君はあの下衆野郎がアレクにボッコボコにされるのを大笑いしながら見てればいいからね」
「私はそこまで非道ではない……」
さすがにそこまではしないだろが、ボッコボコにされる様は見たいとは思っているクロスフィードである。
「じゃあ、とりあえずそういう事で部下たちにも話はしておく。いいかお前たち。この件は近衛騎士共に知られると不味い。変な行動は慎めよ」
レイヴンリーズはそう言って机の上にあるペンを手に取り、立ったままそこにあった紙に何かを書くと、それをエミルディランに差し出した。
「選手名簿だ。アレクの名前を追加しといたから、対戦相手の細工は勝手にやってくれ。あとクライドに、お前もこれくらいはしろ、と伝えとけ」
「伝えておきます」
選手名簿を受け取りながら、エミルディランはレイヴンリーズに承諾を返していた。
おそらくヴァンクライドは秩序を乱している者たちを選手にし、一般騎士団の選手たちに完膚なきまでに叩きのめされる事により、無駄に高い矜持をへし折ってもらおうと考えていたのだろう。そうする事で反省し心を入れ替えてくれる事を期待した、というのが今回ヴァンクライドの考えた作戦だったに違いない。
ヴァンクライドという人物は実直で清廉潔白な人物であるため、誰かを陥れるような作戦はあまり好まない事をクロスフィードは知っていた。しかしそれが分かっていても、エミルディランような作戦も時には必要なモノであるという事も理解していた。
「あーあ、今回僕は選手じゃないからちょっと残念」
急に肩を落として悔しがるエミルディランの様子に、クロスフィードはどうしてというように首を傾げた。
「エミルは試合に出たかったのか?」
「だって今年はクロスも親善試合を観戦しに来るでしょう?」
「ん? まあアレクの試合もあるしね。今年は観に来ようかと思っている」
両騎士団から選抜された者たちが模擬戦を行う親善試合は公開試合でもあるため、毎年多くの貴族たちが親善試合を観戦しに王宮の闘技場にやって来るのだ。しかしながら、クロスフィードは貴族たちが多く集まる場には寄りつかないようにしているため、親善試合を観戦した事は一度もなかった。しかし今回はアレクヴァンディの試合は観たいと思っているので、客席からではないにしろ、隠れて観るくらいはしようと思っていた。
「クロスが来るのに、僕の格好いい姿を見せられないなんて残念過ぎるよ」
「じゃあ特別枠として俺と一戦交えるか?」
「……クロスの前で無様な姿を晒したくないので遠慮しておきます」
申し出を丁重に断るエミルディランに、レイヴンリーズはつまらなそうな表情で、根性ねえな、と呟いていた。
人類最強を相手にするなど、騎士なら誰でも泣いて懇願する程お断りだろう。
「そう言えば、親善試合には前座で王族の試合もあるんだろう? 騎士姿の殿下か……ちょっと楽しみだな」
「!」
何となく思った事を口にすると、何故かアイリスフィアから妙な気合いが漂ってきた。しかしアイリスフィアが口を開く前に、エミルディランから声が聞こえてくる。
「残念だけど、殿下って毎年病欠で前座の模擬戦も代役立ててるんだよ。今年は出れるといいけどね。それも難しいんじゃないかな」
「そうか……。殿下は体が弱いし、仕方ないよな……」
残念そうにそう告げると、アイリスフィアから食ってかかる程の勢いで迫られた。
「心配するな! 今年は死んでも参加するから、必ず観に来い!」
「いや、死ぬ心配があるなら出ないで欲しいんですが……」
体の事を第一に考えろと言ってやりたいところではあったが、アイリスフィアの迫力に押されて、クロスフィードはため息しか出なかった。
「本当に参加できるんですか?」
至極真面目な顔つきでそう確認するエミルディランに、クロスフィードは少しばかり首を傾げた。しかしそれを余所に、アイリスフィアは少しばかり眉根を寄せていた。
「言いたい事は分かるが、参加の意思は変わらない」
「言っておきますが、今回は互いに利害が一致しているから協力関係にあるというだけですからね。親善試合以降、殿下がどうなろうと僕知りませんよ」
「悪名高い補佐官殿に頼ろうとは思っていない」
「なら、いいんですけどね」
何の話をしているのかさっぱり分からないクロスフィードは、少々気になっていた事を訊いてみる。
「確かにエミルはクライド殿の補佐官ですが、何故『悪名高い』がそこに付くんですか?」
「何お前、コイツの黒い噂知らフガッ!?」
何か言おうとしていたアレクヴァンディの口を思い切り(呼吸すらさせないほどに)塞いだエミルディランが、代わりに口を開く。
「酷いよね。僕はただ職務を全うしてるだけなのに、それを面白おかしく捻じ曲げて噂されてるんだ。全く心外だよ」
「そう、なのか……?」
酸素の欠乏で顔を赤くしたかと思ったら次の瞬間には顔を青くしてもがいているアレクヴァンディの様子にクロスフィードは大丈夫だろうかと焦り出す。
「エミル。そろそろアレクを離してやってくれ……」
「え? ああ、はい」
「ブッハーッ! お前俺を殺す気か!?」
「そんな事しないよ。落ちればいいと思っただけ」
「お前の本音はいっそ清々しいな!」
ゼーハーと荒く息を繰り返しながらもエミルディランにツッコミを入れているアレクヴァンディは、その事でも息を荒くしていた。
「エミルディランは騎士にしておくのは勿体ないと爺共が言っているのを聞いた事がある。お前は何故官吏にならなかったんだ?」
おそらくアイリスフィアは単に疑問に思ったから聞いただけだろうが、エミルディランはあからさまに嫌そうな顔をしていた。
「僕が官吏に? 冗談はやめてください。公爵様の執政に手を貸すなんて事は死んでも御免です。それでなくても、僕の家は伯爵家と懇意にしていますからね。公爵家に肩入れするような行為はお断りです。クロスに変な誤解をされてしまったら、それこそ僕は生きていけない」
大真面目な顔で本気なのか冗談なのか判別しにくい発言をするエミルディランに、クロスフィードは秘かにため息を吐いた。
エミルディランの才覚はクロスフィードも優れていると思っていた。しかしエミルディランは昔からその能力をどうでもいい事にしか発揮しないのだ。それを知っているクロスフィードは、エミルディランのやる気が明後日の方向にしか向いていない事実が残念で仕方なかった。
「殿下。貴方はもう少し自分でモノを見て考える事を学んだほうがいい」
「どういう意味だ」
「誰がこの国の安定を――」
「エミルっ」
いつも通りの口調に少しばかりの本気を乗せたエミルディランの言葉は、レイヴンリーズの非難の声で遮られる。
「いい加減にしろ」
「……僕とした事が、すみません」
レイヴンリーズから非難の視線を受けたエミルディランは素直に反省の色をその表情に浮かべていた。
クロスフィードはそんなエミルディランを見つめならが、続く言葉が何であったのかを少しばかり考えていた。
「そうだ、クロス。この計画が成功したら僕にご褒美くれない? そしたら僕凄く頑張れるから!」
エミルディランは先ほどの事などなかったかのように、瞬時にいつも通りに戻っていた。
変わり身が早過ぎて、その温度差について行くのに大変苦労する。
「別に構わないが……」
「本当! じゃあ僕を君のお婿さんに――」
「それ以上コイツに近付くな! この変態野郎!」
クロスフィードを背に庇うようにしてエミルディランに立ちはだかっているアイリスフィアは、射殺さんばかりの眼光をエミルディランに向けていた。クロスフィードは何故そこまで警戒するのかと、アイリスフィアの行動にため息を吐いた。
「殿下は何を言っているのですか? 男色家だなんて噂がある殿下の方が変態に相応しいのでは? そこにいるゴツイ男が趣味なのでしょう? 僕は天上の女神も裸足で逃げ出す程の可愛いクロスがいいんです! よって、僕は変態ではなく正常です!」
「俺だって男色家ではない!」
「おや? では何故クロスを僕から遠ざけようとするのですか? クロスは男の子ですよ?」
「あ、男だっていう認識はあったんだな……」
少し離れたところから生温かい眼差しを向けてくるアレクヴァンディからそんな呟きが聞こえてくる。それにクロスフィードだけが脱力した。
「男色家ではないのなら、殿下は『花の君』に想いを寄せていればいいでしょう?」
「そ、それはお前に関係ないだろう!」
「あっれー? やっぱり殿下は『花の君』にご執心だって噂は本当なんですかあ? じゃあ尚更クロスフィードに近付かないでもらえます? 僕はクロスのお婿さんになるので」
「誰がさせるか!」
最早収集のつかない言い合いに、クロスフィードはツッコミを入れる気力すら起きなかった。
そうして二人の攻防戦を生温かい目で見つめていると、何やら凶悪な雰囲気が辺りを侵食して行く。
「おい、ガキ共」
地を這うような恐ろしい声音が鼓膜をビリビリと震わせる。
四人は一様にビクリと肩を震わせると、ぎこちない動きで騎士団長に視線を向ける。するとそこには冥界の悪魔ビビって腰を抜かすほどの凶悪な人物がいた。
「俺はてめえらの雑談黙って聞いてるほど暇じゃねえんだよ! 用がすんだらとっとと失せろ!」
その後、四人が問答無用で部屋から追い出されてしまったというのは言うまでもない。
◆◆◆◆◆
「そう言えば、ずっと疑問だったんだけど……」
レイヴンリーズの仕事部屋から追い出された後、詰所と王宮の境目くらいまでやって来た一行は、エミルディランの言葉で足を止めた。
「レイヴン殿に会いに行く前、クロスは殿下の事を名前で呼んでたよね? どうして?」
その言葉に、クロスフィードは思い切り固まり、アレクヴァンディいからはため息が聞こえ、アイリスフィアからは不機嫌さが滲み出ていた。
「殿下もクロスに好意的だしね。ムカつくね」
「お前に関係ないだろう!」
不機嫌そうに言葉を返すアイリスフィアに、エミルディランはその顔に嘘臭い笑みを張りつかせたまま、その眼光だけを鋭くしていた。
それを目の当たりにしたクロスフィードは、少々慌てて口を開く。
「ご、ごめん、エミル。殿下とは少し前から面識があるんだ」
エミルディランがこの話を口にしたという事は、もうクロスフィードとアイリスフィアにはそれなりの親交がある事を確信していると言っているようなモノだった。そのため、クロスフィードは観念して面識がある事を告げた。それはこれ以上勘ぐられる事を防ぐためでもあったが、クロスフィードよりエミルディランの方が残念ながら一枚上手だった。
「少し前ってどれくらい? もしかして公爵邸で行われた夜会の日より前だったりするのかな?」
確信を突くその質問にクロスフィードは眩暈を起こしそうだったが、何とか言葉を返さなければと口を開こうとした。
しかしクロスフィードが言葉を発する前にアイリスフィアがエミルディランに言葉を返す。
「それより後だが、それがどうした?」
至って冷静にそう返しているアイリスフィアの様子に、クロスフィードは内心で驚きながらも、それを懸命に表情に出さないようにしていた。
「おや、そうでしたか。僕はてっきり、殿下が強制的にクロスを公爵邸の夜会に連れて行ったのかと思ってしまいました。その後、紆余曲折を経てクロスに懐いてしまったのかと」
クロスフィードは今日ほどエミルディランを恐ろしい人物だと思った事はなかった。
まるで見て来たかのような的確な発言に、クロスフィードはこの場から逃げたい衝動にかられた。
「ば、馬鹿な事を言わないでくれ。私が公爵邸の夜会に行く訳がないだろうっ。そ、そんなトチ狂った行動はしない!」
と言いながら、実際はその行動を実行してしまった訳だが。
そんな事を心の中で思いながら、クロスフィードは懸命に誤魔化されてくれと願った。しかしエミルディランの視線から訝るようなモノが消えてはくれなかった。
「クロスは噂に挙がっている『花の君』と同じ色を持っているから、もしかしてと思ってたんだけど……クロスが違うと言うなら信じるよ。でもまあ、もしクロスのドレス姿を間近で見たばかりか一緒に踊ったなんて事が本当だったら、僕は殿下をこの場で――」
「待て待て待て待て! お前は血の気が多過ぎだ!」
剣の柄に手をかけ物騒な発言をするエミルディランをアレクヴァンディが慌てて止めている。そんな光景を目の当たりにしながら、クロスフィードはさっさと話題を変えてしまおうと慌てて口を開く。
「と、ところで、今回の件は秘密裏に行うんだろう? 王子直属の騎士になる権利が得られるっていう噂が流れたら公爵様に勘ぐられないか?」
「それは心配ないよ」
疑問に思っていた事を訊いてみると、瞬時にエミルディランから答えが返ってくる。
何があっても周りの話に耳を傾けているという事に関しては本気で感心している。
「近々殿下の近衛騎士は本当に選出される予定になってるから、今回の件でそう言った噂が流れても公爵様にとっては想定の範囲内じゃないかな?」
「そうだったのか。なら大丈夫そう――」
「何だその話。俺は聞いてないぞ」
訝るように眉根を寄せ、寝耳に水だとでも言うようにアイリスフィアはエミルディランを睨んでいる。その視線を受け、エミルディランは面倒そうに肩を竦めていた。
「どうして殿下が知らないのかなんて僕が知る訳ないでしょう。僕はそういった話がある事を知っているだけであって、僕が殿下にその事を報告する義務はありませんから。文句なら殿下に何も言わない公爵様に言ってください」
その言葉に、アイリスフィアは苦虫を噛み潰したような表情を作り、思い切り不機嫌になった。それを見つめつつ、エミルディランはアイリスフィアに声をかける。
「殿下、面白い事教えてあげましょうか?」
意地悪そうな笑みを湛えたエミルディランがそんな事を言いながらアイリスフィアに視線を送っている。その視線を忌々しいというように睨み返すアイリスフィアが、さっさと言え、というような雰囲気を纏う。
「少し前に王宮で夜会が開かれたでしょう? クロスは殿下に挨拶をするためにその夜会に来ていたんですよ? 知ってましたか?」
そんな話は今関係ないだろうと思っていたクロスフィードだったが、予想に反し、アイリスフィアは酷く驚いているようだった。
「お前はあの夜会で俺と会うはずだったのか?」
「え? あ、ああ。アイリスに会うためじゃなかったら、王宮の夜会になど参加しないよ」
実際に夜会があった日にクロスフィードはアイリスフィアに会った訳だが、正式な場で挨拶を交わした訳ではない。言うなれば、アイリスフィアとの出会いは不慮の事故といっても過言ではなかった。クロスフィードもまさか夜会を欠席した王子が庭にいるなど思いもしなかったのだから。
アイリスフィアとの出会いは本当に偶然だったが、アイリスフィアが夜会に参加していれば、必然的に出会っていた事になるのだ。
しかしながら、あの夜会の日にクロスフィードがアイリスフィアに会うという目的は既に達成されている。それでもアイリスフィアは思い切り顔を顰めながら、何故か悔しそうにしていた。それを見つめながら、本当は面と向かって会えた機会があった事を知って何か思うところでもあったのだろうかとクロスフィードは秘かに思った。
「何故、俺にそんな事を教える?」
「僕は貸しを作るのは好きですが、借りを作るのは嫌いなんです。今回はご協力頂けるという事なので、僕なりの誠意を見せただけですよ」
どうしてその話が誠意に繋がるのか分からないクロスフィードを余所に、アイリスフィアは何かを察したように一度眉根を寄せた。
「お前に礼を言うのは癪だが、一応感謝しておく」
「感謝しなくてもいいですよ。後はご自分で好きなようにしてください。ただこれで貸し借りは無しですからね」
エミルディランはそれだけ告げると、さてと、と息を吐きながら言葉を発する。
「僕は今回の話の詳細をまとめないといけないからもう行くよ。送ってあげられなくてごめんね、クロス。気をつけて帰るんだよ?」
「心配しなくても大丈夫だ。もう子供ではないのだから」
アイリスフィアとの会話をさっさと切り上げるエミルディランに、クロスフィードは先ほどの二人の会話を気にしながらも言葉を返した。
「それでは殿下、御前を失礼させていただきます」
アイリスフィアの前で騎士の礼を取ったエミルディランは、最後にクロスフィードに小さく手を振り、王宮の庭へと消えて行った。
少しばかりの疑問が残った別れではあったが、クロスフィーはその背を無言で見送った。




