まだあった一難
「何でてめぇが来るんだよ! 来いなんて一言も言ってねえだろうが! あのガキと一緒に帰れよ!」
「何を言う! 私は貴様に礼をと思って来たというのに、何たる態度だ!」
「礼なんていらねえから目の前からさっさと消えろ! てめぇみてえなデカブツがいるとすこぶる視界が悪くなるんだよ!」
「全く貴様はいつもいつも口の減らん男だな! 少しは口だけでなく手を動かせ! というか親善試合の選手名簿を早く寄こさんか!」
レイヴンリーズの仕事部屋にヴァンクライドと共にやって来たクロスフィードは、顔を合わせるなりお決まりの如く言い合いをはじめる二人に苦笑いを浮かべて成り行きを見守っていた。
「今日中に持ってくると言っていただろう。全くお前という奴は!」
「あー、悪い。それ変更があるからまだ出せねえわ」
「何だと!? お前の団はいつまで選手の選考をしていると言うんだ!」
「選考はとっくに終わってんだよ。ただ、選手になってた騎士が怪我をしたらしくてな」
「何と! その騎士は無事か?」
「ああ。大事はないらしいが、試合には出られねえみてえだ」
言い合いをしていたかと思えば、二人はこうしてちゃんとした話もしているのだ。しかし言い合いが始まると共に周りにいる騎士たちは皆逃げ出してしまうので、案外普通に話が出来る事実はあまり知られていない。
「そういう事なら仕方あるまい。代わりの選手が決まり次第、名簿を届けてくれ」
「悪いな」
そこでようやく話に一区切りが付くと、ヴァンクライドがふと疑問を口にする。
「ところで何故クロスは騎士服を着ているんだ? まさかレイヴンの差し金ではあるまいな」
「何で俺のせいになるんだよ! 巡回中の近衛騎士共がクロスにちょっかいかけたのが原因だ!」
「どういう事だ」
途端に真面目な顔つきになるヴァンクライドに、レイヴンリーズも眉間の皺を深くする。
「俺も現場を見たわけじゃねえが、馬鹿みたいに笑いながら巡回してる近衛騎士を見たすぐ後でずぶ濡れのクロスを見つけた。それだけで何があったかくらいは大体想像できるだろう」
「そんな事が……」
レイヴンリーズの言葉に何かを察したようなヴァンクライドがクロスフィードに体ごと向き直る。それを前に、クロスフィードは少々慌てた。
「クロス、すまなかった。部下の非礼は私が詫びよう」
「あ、頭を上げてください! 私は大丈夫ですから!」
クロスフィードは慌てて言い募ったが、頭を上げたヴァンクライドの表情は冴えないものだった。
「近頃、団内の規律が乱れているというのは私も分かってはいるのだが、それを正せないのは私の不測の致すところだ。今後そのような事がないように務めると約束しよう」
「クライド殿……」
一般の騎士団と違い、近衛騎士団は王宮を警備するという役割があるため、それだけ上からの圧力は大きい。しかし近年それが増しているという事をレイヴンリーズが言っていたので、更に近衛騎士団を纏めていくのは大変になっている事だろう。ヴァンクライドはそれでも近衛騎士団をきちんと纏めているのだから、彼が頭を下げる事は何一つないのだとクロスフィードは思っていた。
しかしそんなヴァンクライドの努力を踏み躙る行為をしている者たちがいるというのもまた事実であるため、ヴァンクライドの苦労もそれだけ増してしまうのだ。
「クロスが騎士服を着ている理由は分かったが、何故王宮の庭にいたのだ?」
ヴァンクライドからの質問の答えを既に用意していたクロスフィードはそれを告げるために口を開いた。しかしその口から言葉を発する事はなかった。
「俺の手伝いをしてもらってたんだよ」
ヴァンクライドに答えを返したのはレイヴンリーズだった。その事に酷く驚いたクロスフィードは、開けた口をそのままにレイヴンリーズに視線を向けた。しかしその視線に気付きながらも、レイヴンリーズはクロスフィードを無視していた。
「クロスは貴様の小間使いではないだろう! 自分の用事くらいは自分で片付けんか!」
「うるせえな! 俺の勝手だろうが!」
「貴様はいつもいつもそうやって他人に面倒事を押し付けているだろう! 大体お前は――」
ヴァンクライドの説教が始まるとレイヴンリーズはそれに言い返しながら思い切り顔を顰めていた。そんな二人を眺めながら、クロスフィードはレイヴンリーズの言葉の意味を考えた。
レイヴンリーズはヴァンクライドに嘘を吐いた。クロスフィードはレイヴンリーズの手伝いなどはしていない。何より、レイヴンリーズもヴァンクライド同様、クロスフィードが何故王宮の庭にいたのかすら知らないはずなのだ。それなのに何故嘘を吐く必要があったのか。
クロスフィードは何か忘れているような気がしながらも、レイヴンリーズの意図に気付けずにいた。
「ああもう、分かったっての! お前の説教なんかもう聞き飽きてんだよ!」
「分かっていないから毎回毎回言っているんだろうが! 改善が見られるなら私も何も言わんというに、全く」
子供のように耳を塞いでしまったレイヴンリーズを前に盛大なため息を吐いているヴァンクライドはそれ以上言葉を続ける事はなかった。
「私もあまり暇ではないのでこれで失礼する。殿下の件、礼を言う。それと、あまりクロスを王宮内で連れ回すんじゃないぞ」
「分かってるよ」
「それならいいのだがな」
そんなやり取りの後、ヴァンクライドがクロスフィードにも声をかける。
「ではな、クロス。こいつの手伝いとやらが終わったら速やかに家に帰るんだぞ。こいつの近くに長居をしてはいけない。クロスまでレイヴンのように口が悪くなってしまったらかなわんからな」
「ご心配なく……」
苦笑を浮かべながらそう返すと、ヴァンクライドも小さな笑みを返してきた。
「ほれ、さっさと行った行った」
「全く貴様は」
しっしっと追い払うような仕草をするレイヴンリーズに呆れたような視線を向けるヴァンクライドは、もう一度別れの挨拶を口にすると部屋を出て行った。
それを見送り、部屋の中にクロスフィードとレイヴンリーズだけになると、何故かレイヴンリーズの纏う空気が一気に冷えた。
「クロス。お前には聞きたい事がある」
レイヴンリーズに視線を向けると、その眼光は獲物を逃がさないような鋭さを宿し、拒否を認めない威圧感を滲ませていた。
その眼光に少しばかり気圧されながら、クロスフィードは口を開く。
「何、でしょうか……?」
「いつから王子と面識を持つようになった」
レイヴンリーズからの尋問めいた質問に、クロスフィードは思わず目を瞠った。
どうして知っているのか。どうして知られてしまったのか。そんな言葉が頭に浮かぶと同時に、クロスフィードは忘れていた事をようやく思い出した。
レイヴンリーズがいる前でクロスフィードはアイリスフィアの名前を呼んでしまったのだ。
「数日前にあった王宮での夜会にツヴァイと出席してた事は知ってる。だがあの時、王子は夜会に参加はしてなかったはずだ。じゃあお前は何処で王子に会ったって言うんだ?」
レイヴンリーズはクロスフィードがアイリスフィアと一度も顔を合わせていなかった事実を知っている。だからこそ、クロスフィードがアイリスフィアを名前で呼んだ事に疑念を抱いたのだろう。
しかしその質問に答えてしまえば、おそらくレイヴンリーズはクロスフィードが『花の君』である事にも気付いてしまう。レイヴンリーズの勘の良さは凄まじいのだ。それを良く知っているクロスフィードは、どう答えていいものか悩んでいた。
「名前で呼んだって事は、昨日今日の間柄じゃねえよな?」
追い打ちをかけるように告げられる言葉に、クロスフィードは言葉を詰まらせる。時間が経てば経つほどに逃げ場を潰されていく事は分かっているのだが、この場で下手な事も言えないクロスフィードは何とか取り繕おうと口を開く。しかしクロスフィードよりも先にレイヴンリーズから言葉が告げられる。
「公爵邸の夜会があった日よりも以前だな」
その言葉は質問ではなく確認だった。
クロスフィードは言葉を完全に失い、目を瞠ったままレイヴンリーズに視線を向けていた。
クロスフィードが何も言わなくても、レイヴンリーズはこの短時間でそこまで気付いてしまったのだ。それを嫌というほど感じ取ったクロスフィードは思わず視線を落してしまった。するとレイヴンリーズからは落胆したようなため息が聞こえてくる。
「まさか本当にお前が『花の君』だったとは……」
その言葉に、クロスフィードは居た堪れなくなった。
愚かな行為だと分かっていながら、クロスフィードは公爵邸の夜会にアイリスフィアと参加してしまった。それが今後どのような結果を招くのかを知らない訳ではなかったというのに、それでもそれを選んだのはクロスフィード自身だった。
「いいか。俺みたいにクロスに疑いの目を向けてる奴は他にもいる事を憶えておけ。青紫色の瞳に藤色の髪。これだけの条件でもクロスが該当者になるんだ。ただ高官共が探してるのは女だから疑いの目が逸れてるだけだ」
ここの世界に生きる人々は様々な色を持っている。クロスフィードが持っている色も世界的に見れば至って普通の色ではあるが、その組み合わせとなるとそれも変わってくるのだ。
クロスフィードのように青紫色の瞳に藤色の髪をしている者がいない訳ではないが、この国に、王都に、と範囲が狭まってくるとそれだけ該当者も少なくなってくる。しかし該当者にクロスフィードが当てはまっていても探されている『花の君』は女性であるため、男として生きているクロスフィードは無条件で除外されているはずなのだ。しかしレイヴンリーズのようにふとしたきっかけで勘づく者もいるのだという事を思い知り、クロスフィードは危機感が薄れていた事を反省した。
「全く何のために自分が男として生きてると思って――」
「え?」
思わずと言ったように告げられた言葉に、クロスフィードはこれ以上無理だというほど目を見開いた。するとレイヴンリーズはしまったと言うような表情を作って口元を塞ぎ、視線を思い切りクロスフィードから逸らしていた。
「ご存じ、だったのですか……?」
思わずそう訊いてしまうと、レイヴンリーズは自分が犯した失態に、ああもう、と苛立ちながら頭を乱暴に掻いていた。
「そうだよ、その通りだよ。気付かない訳ねえだろうが。生まれた時から知ってんだから」
クロスフィードが女であるという事は、両親と親交のあるレイヴンリーズにすら知らされていない。その事もあってか、レイヴンリーズはそれに気付いていながらも知らないフリをしてくれていた事実をクロスフィードはたった今知った。
「で、ではクライド殿もご存じなのでしょうか!?」
「アイツは極端に鈍いとこあるからな、たぶん知らねえと思うぞ。アイツんとこの三兄弟はどうか知らねえがな」
何か含みのある言い方をするレイヴンリーズに、クロスフィードは青褪める。しかしそんなクロスフィードの様子にため息を吐きながらレイヴンリーズが言葉を続けた。
「まあ、知らないとは思う。もし知ってたらエミルはどんな手を使ってもお前を嫁にするだろうからな。カイルが成人する前に片をつける勢いで」
「そんな事はないと思いますが……」
ヴァンクライドには上から、エミルディラン、ニコルベネット、カイルレヴィという三人の子供がいる。この三人は伯爵家に対しても普通に接してくれる数少ない人物で、クロスフィードも彼らの事は大好きだった。
しかしそれはあくまで父親同士が友人であるため少しばかり親交があるだけの話で、クロスフィードも頻繁に彼らに会っている訳ではないのだ。それ故に、会えば親しげに話してくれる三人ではあるが、婚姻の話になど発展する訳がないとクロスフィードは思っていた。
「お前も妙なとこで鈍感だよな。……まあアイツらが異常愛者なだけか」
失礼極まりない事をブツブツ言っているレイヴンリーズに、そういった事に心当たりのないクロスフィードはただ首を傾げていた。
「とにかくだ。気付く奴は気付くという事だ。だがな、それを誰も確かめようとしないのは、伯爵家との関わりを周りの奴らが嫌ってるからだ。そういうところで救われてる部分がある事は確かだ」
レイヴンリーズの言葉でクロスフィードはそうである事に気付かされる。
伯爵家との関わりを嫌う貴族たちは、たとえクロスフィードが女だという事実を知っても知らぬふりをするだろう。そこに何かしらの利益が生じるというのならばその事を公表するかもしれないだろうが、下手に関わって痛い目を見るのは誰だって御免なのだ。そういった理由から疑いを持たれても放置されている事実は確かにあり得る事だろうとクロスフィードは思った。
「で、あの王子はお前が女だって事まで知ってんのか?」
途端に唸るような低い声でそんな質問をされてしまい、クロスフィードは冷や汗をかきながら固まった。
先ほど知られてしまいましたとは、口が裂けようが人類が滅亡しようが言うわけにはいかなかった。
レイヴンリーズは既にクロスフィードが『花の君』だと気付いている。しかしそれはクロスフィードが女である事をアイリスフィアが知っているのだと知られるよりはマシな事だった。
もしその事まで知られてしまえば、レイヴンリーズからクロスフィードの両親にまでこの話が伝わってしまうのは確実だった。それは両親にいらぬ心配をかける事にもなるので、クロスフィードは出来るだけそれは避けたかった。
もとはと言えば自分自身が招いた結果だと十分承知しているクロスフィードは、これから起こり得る問題は自分だけで何とかしなければと考えていた。
「どうなんだ?」
「殿下は、知りません」
公爵邸の夜会に参加した時点では、と心の中でつけたしながら、クロスフィードは自分の発言に少なからず罪悪感を抱いた。
「ならいいが……」
何かを危惧するようなレイヴンリーズの言葉に、クロスフィードは視線を落とす。
何を危惧しているのかは言われなくても分かっているつもりだった。しかしそれでも知られてしまった事はもうどうする事も出来ない。
「とりあえず、お前が『花の君』だと知っている人物の名前を全員挙げろ」
「それは……」
静かに告げられるその質問に、クロスフィードはなかなか答えを返せずにいた。
クロスフィードが『花の君』だと知っているのは、アイリスフィアはもとより、アレクヴァンディと伯爵家に仕える使用人夫婦、そしてセルネイの五人だ。アレクヴァンディがそれを知ったのは不可抗力であるし、使用人夫婦はクロスフィードが巻き込んでしまっただけなのだ。セルネイはどうしてその事を知っているのかは未だに不明だが、それでも意図的に探った訳ではないだろう。
この件に関して、これ以上この四人を巻き込みたくないと思っているクロスフィードは、レイヴンリーズの質問に答える事によってこの四人に不利益が生じないかが不安だった。
しかしそんな考えすらもお見通しであるようで、レイヴンリーズが口を開く。
「まあ人にもよるが、別に拉致監禁しようとか口封じに始末してやろうとか思ってねえから安心しろ」
「……どの辺りを安心すればいいのでしょうか?」
なんて事はないというような気軽さでとんでもない末路をチラつかせないで欲しい、とクロスフィードは本気で顔を引き攣らせた。
しかしそんなクロスフィードに構う事なくレイヴンリーズが言葉を続けていく。
「公爵邸での夜会だったわけだからツヴァイとエイナが知らねえのは当然だな。大方、お前んとこの使用人夫婦と、ついでにアレク辺りも知ってんだろ。で、後は誰がいる」
ここまで言い当てられてしまえば、クロスフィードはもう観念するしかなかった。
「……後は、庭師のセルネイさんだけです」
「庭師が?」
正直に答えると、レイヴンリーズの表情に訝るような色が浮かんだ。クロスフィードはどうしたのかと思ったが、それを訊く事はなかった。
「じゃあ全部で五人だな」
「そうです」
確認の言葉に是を返すと、レイヴンリーズが面倒そうに一度ため息を吐いた。
「夜会に参加したのは王子に強要されたからか?」
「それは、その……」
言葉に詰まると、レイヴンリーズの表情が途端に忌々しそうに歪められた。
「結局この様か……」
小さく吐き捨てられた言葉の意味を知る事は出来なかったが、レイヴンリーズがアイリスフィアに対して落胆しているように見えたのは気のせいではないとクロスフィードは確信した。
「……確かに、最初は強要されての事でした。しかしそれは私も悪かったのです。危険であると承知で殿下の言葉に従ったのは、私ですから」
「そんなお前を利用して王子はまんまと世継ぎ問題の回避に成功した、という事だな」
「そういう訳では……」
「お前は王子を庇うんだな」
どこか諦めが混じる声音で呟くレイヴンリーズを前に、クロスフィードは何と言葉を返していいのか分からなくなった。
確かに最初はアイリスフィアに強要されての事だった。その目的が時間稼ぎのために利用する事だったというのはクロスフィードも既に知っている。しかしアイリスフィアはそんな事をするべきではなかったのだとちゃんと謝罪してくれたため、もうクロスフィードはその事に対しては何とも思ってはいなかった。
しかし現状では、既にクロスフィードとアイリスフィアの間だけの問題ではなくなっている事も事実だった。
「お前の交友関係に口を出す気は更々ねえが、王子だけはやめておけ」
どうして、とは訊かなくてもクロスフィードは十分に分かっていた。それはアイリスフィアと出会った当初、クロスフィード自身が思っていた事でもあったからだ。
クロスフィードがアイリスフィアと一緒にいる事は、誰が見ても快くは思わない。
「庭で見たお前らの様子から、それなりに親交があるって事は嫌でも理解した。だがな、王子の近くにだけは行かねえ方がいい」
「それは、私が伯爵家の人間だからですか?」
「そうじゃねえよ。王子の周りには『花の君』を探してる奴らが付いてるだろう。今のお前にとって、王子の存在は害にしかならねえよ」
アイリスフィアと共にいる事でクロスフィードが『花の君』だと知られてしまう確率が高まってしまうのだとレイヴンリーズは言っているのだ。しかしその事を十分に理解しながらも、クロスフィードは素直に頷く事を躊躇ってしまった。
「なあ、クロス」
言葉を返さないクロスフィードの代わりにレイヴンリーズが口を開く。
「お前は王子をどう思う?」
「どう、とは?」
「見たまま、感じたまま、という事だ」
何故そんなことを聞くのだろうかと思ったが、レイヴンリーズがあまりにも真剣な表情をしているので、クロスフィードは正直にそれに答える。
「性悪、陰険、意地悪。ついでに自分勝手」
「ぶはっ!」
アイリスフィアに対しての嘘偽りない感想を述べるとレイヴンリーズは思い切り噴き出し、そのまま声を上げて笑った。
「あはははは! 容赦ねえな、お前!」
笑いながらそんな事を告げるレイヴンリーズに、クロスフィードは苦笑を返す。
「最初の頃は本当にそう思っていました」
相手との関わりは強引で自分主体な物言い、そして相手の都合を一切顧みない行動。世話係は一体何をやっていたんだと説教をしてやりたくなるような人格形成に、クロスフィードも最初は辟易していた。しかし言葉を交わすごとにアイリスフィアは性格がねじ曲がっているのではなく、淋しさを隠すためにわざとそういった自分を作っているように感じた。
そんなアイリスフィアはおそらく人との距離感がいまいち分からないのではないかとクロスフィードは思っていた。
人はそれぞれ本音と建前を使い分ける事によって他人と関わっている。そういう事は幼い頃からの人間関係で備わっていくものなのだが、きっとアイリスフィアはそういった事が極端に下手なのだろう。それは病弱だった故に人との関わりが少なかったのではないかとクロスフィードに思わせた。
アイリスフィアはグイッと突っ込んでくる割には窺うように引く時もある。それが極端すぎて相手をする方にとっては疲れる事この上ないが、それでもそれがアイリスフィアの精一杯なのだと分かりはじめると、何とかしてあげたいという思いがクロスフィードには浮かんでくるのだ。
「殿下はどうやって相手と関わればいいのか分からないだけで、きっと根は優しい方なのだと思います。だから殿下がまだ殿下であるうちに良き人物に恵まれさえすれば、きっと良き国王になってくれるのではないかと私は思うのです」
「……そうか」
そう呟くレイヴンリーズは視線を落として小さく息を吐いていた。それを見つめながら、レイヴンリーズはアイリスフィアの事をどう思っているのだろうかとクロスフィードは少々気になった。
「ツヴァイやエイナの手前、これ以上王子に近付いて欲しくないってのが正直な意見だ」
「それは十分に分かっています」
「だが、それはしたくない、か」
「それは……」
心中を言い当てられてしまい、クロスフィードは返事に困った。しかしそれすらもレイヴンリーズに考えている事を悟られてしまう結果に終わる。
「まあ、お前ももう子供じゃねえしな。好きなようにしろとまでは言えないが、自分たちで考えて行動すればいいと俺は思ってる」
「え……?」
思わぬ言葉にクロスフィードは目を瞠る。するとそれを認めたレイヴンリーズはその表情を少しばかり翳らせていた。
「お前らが過去の事件の犠牲になる事はねえよ」
小さく呟かれるその言葉にはクロスフィードが知り得ない感情が滲んでいた。
クロスフィードとアイリスフィアの立ち位置は全くの真逆に存在している。
奪った者と奪われた者。
相反する場所にいる事は周知の事実であるが、クロスフィードとアイリスフィアだけを見れば、クロスフィードはアイリスフィアから何も奪っていないし、アイリスフィアもクロスフィードに何かを奪われた訳でもない。しかし二人が生まれる前の事件がそのまま二人の立ち位置を決めてしまっている事は事実だった。
それはクロスフィードもアイリスフィアもちゃんと承知している事ではある。
「とにかく、お前がそれを選ぶならそうすればいい。……だがまあ、この事がツヴァイに知れたら俺殺されるな……確実に」
「あはは……」
「笑い事じゃねえから、マジで」
盛大なため息を吐きながら肩を落としているレイヴンリーズを前に、クロスフィードは彼の心遣いに感謝していた。
レイヴンリーズはクロスフィードの気持ちを酌んでくれたのだ。クロスフィードが関われる人はとても少ないが、それでもいい人たちに恵まれた事はクロスフィードにとっての幸運だった。
「どうせなら、あのガキの腐った性根を叩き直す勢いで教育し直しちまえよ。その方が今後王子を利用……じゃなくて、いろいろと役に立たせる事が出来るだろう?」
「あの、言い直した意味がよく分からないのですが……」
結局同じ意味ではないかと思いながら、クロスフィードは困惑気味に言葉を返す。
目の前で悪の親玉もビックリなほどの凶悪な笑みを浮かべているレイヴンリーズを見るに、本当にそんな事を企んでいそうで笑えない
「お前なら……」
何かを言いかけるレイヴンリーズだったが、その口は続く言葉を発せずに閉じられる。
「レイヴン殿?」
「いや、何でもない」
言いたい事ははっきりと言うレイヴンリーズには珍しく言葉を呑みこんでいる。その様子にクロスフィードは首を傾げたが、それを聞き返す前にレイヴンリーズから声が聞こえてくる。
「王子の傍にいるってんなら十分に注意しろよ」
気を取り直すようにそんな事を告げるレイヴンリーズの様子に、クロスフィードは心にモヤッとしたものが残ったがそれを意識して無視する事にした。
「それは十分承知しております」
「本当か? 『花の君』である事を周りに悟られないようにする事はもとより、王子にお前が女である事を悟られないようにする事は最重要事項だからな。これだけは何があっても隠し通せよ」
その最重要事項は既に破ってしまいました、とは口が裂けても言えないクロスフィードである。
「お前が女だと王子に知れたら事だ。あのクソガキにだけはお前をやれねえからな」
実の娘を案じる父親の如きレイヴンリーズの発言に、クロスフィードは至極真面目に即答する。
「殿下だけはないですから安心してください」
「お前はちゃんと分かってるから安心だが、王子の方はそうもいかないからな……」
クロスフィードは当然だと言わんばかりの表情を向けたが、レイヴンリーズは不安だと言わんばかりの表情をしていた。
確かにクロスフィードの伴侶となる相手は誰でもいい訳だが、それは伯爵家に跡取りを残せる人物でなければならないのだ。
現在たった一人しかいない王家直系の王子であるアイリスフィアには必然的に王家の血を残さなければならない役目が課せられているため、彼の子供は例外なく王家の子となってしまうのだ。それでは伯爵家に跡取り残す事は出来ない為、アイリスフィアだけはクロスフィードの中では常に対象外だった。
「まあ真面目な話、この話はそう楽観視できるもんじゃねえ。一歩でも間違えば伯爵家は終わりだ。それは胆に銘じとけ」
「はい」
先ほどまで笑っていた表情を一変させ、レイヴンリーズが至極真面目な顔で告げてくる。それに返事を返したクロスフィードは、今回の失態を反省し、改めて気を引き締めた。
「何かあったら俺んとこに来い。俺だってお前が高官共に見つかるのは本意じゃねえからな。お前らだけではどうにもできない事もあるだろうから、いつでも頼って来い」
「ありがとうございます、レイヴン殿」
レイヴンリーズの申し出はクロスフィードにとっては大変有り難いものだった。しかしそれでも迷惑をかけないようにしなければとクロスフィードは己に言い聞かせた。
「じゃ、とりあえず王子とどうやって会ったのかっていうところから話を聞こうじゃねえか」
ニィと口元を歪めるレイヴンリーズを前に、クロスフィードはこれから始まる会話と言う名の尋問に諦めのため息を吐かざるを得なかった。




