知り合い騎士の事情と近衛騎士の実態
「夜会に参加するのが一番効率はいいと思うんだ。アイリスは夜会や宴なんかには滅多に参加してないだろう。だから出会いが少ないんだよ」
「そんなモノに参加するのは面倒なだけだ。聞きたくもない世辞を聞いて、踊りたくもない相手と踊って、何が楽しいというんだ」
「お前は身も蓋もない奴だな……。貴族たちはそういった場で相手を探すとも聞くよ。王子なのだから夜会の招待状など腐るほど届くだろうに」
「お前が行くなら行ってもいい」
「……すまない。私の家には招待状が数えるほどしか来ないんだ」
「お前らよく本読みながら会話できるな……」
クロスフィードとアイリスフィアは言葉を交わしてはいるものの、視線は手に持っている本のページに落されている。そうやって本を読みながらも器用に会話をしている二人の様子に、アレクヴァンディも同じように本を読みつつツッコミを入れていた。
現在三人がいるのは王宮敷地内の西端にある小屋の中だった。
王宮の西の端に位置する場所にあるその小屋は、道具置き場として使われている小屋だった。
園芸道具から木工道具、何に使うのか分からないような道具まで置いてあるが、その小屋にはアイリスフィアたち以外の人間は全くやって来ないのだという。それは木々に囲まれる形で建っており、小屋の存在自体を知る者も少ないからだという事だった。
クロスフィードは何度か小屋の前には来た事があったが、小屋の中へと入ったのは今日がはじめての事だった。そのため、クロスフィードはこの小屋が道具置き場として使われていた事すら全く知らなかったのだ。
小屋の中は、入口から入って正面の辺りに様々な道具が置かれており、その左側の空間には布で仕切られている部分があった。
現在いる場所はその仕切られている部分なわけだが、その空間には絨毯のような布が敷かれ、長椅子と足の低い卓、そして小さな本棚が置かれており、一つの部屋のような空間になっていた。
クロスフィードは今まで、どうしてアイリスフィアがいつもこの場所に居るのか不思議だったのだが、この空間を見てようやくその答えを知った気がした。
「何かいい出会いはないものか……」
そう言いながら、クロスフィードは本のページを捲った。
クロスフィードは王宮にアイリスフィアを送ってきた際、彼に引き留められたためそのまま王宮に留まった訳だが、先日花壇が燃やされるのを黙って見ていた事もあって、出来る事ならセルネイの手伝いがしたかった。
しかし丁度よく小屋に道具を取りに来たセルネイにそう申し出てみるとやんわりと断られてしまったため、途中でやって来たアレクヴァンディも含めて、こうして三人で読書に勤しんでいるという訳だった。
「何? お前ら結婚相手でも探してるのか? というかアイリスはもう後宮に何人か相手がいるだろうに」
絨毯に直に腰を下ろし、卓の上に肘を付きながら本のページを捲っているアレクヴァンディからそんな言葉が聞こえてくる。それを長椅子に座って同じように本を読んでいるクロスフィードとアイリスフィアが答えを返す。
「探しているのはアイリスの相手だ」
「後宮に入っている娘たちは御免だからな」
「何を贅沢な事を……」
本を読みながら口だけを動かして会話をしている三人の様子は、傍から見れば異様な光景である事は間違いない。しかし本人たちは至って普通に会話を続けていく。
「では聞くが、アレクはレイラを嫁に貰いたいと思うのか?」
「謹んでお断りします」
「だろ?」
大変失礼な内容の会話をしているが、この時ばかりはクロスフィードも苦笑いしか浮かばなかった。
「出会いといっても、アイリスは王子だしな……。それなりに身分のあるご令嬢じゃないと後が大変だぞ。それこそ莫大な魔力量を誇る人物でもない限り、身分を持っていないと高位高官たちから文句がでる事はまず間違いないからね」
「まあ、基準で言えば魔力量は最重要事項だからな。アイリスにも勝る魔力量があれば誰も文句は言わんだろうな」
この国のみならず、世界的に見ても魔力は重要視される傾向にある。身分の高い者ほどそれは顕著で、ほとんどの国の王位継承順は魔力量の最も多い者から順に決まる程だ。それ故に、末子の王女であっても魔力量が一番多ければ王位継承権第一位となるのだ。
しかしながら大抵は王家の長子が一番魔力を持って生まれる事が多いため、長子が王位を継ぐのが常である。
多くの魔力を有している者は、その存在だけで周りの者たちを畏怖させる事が出来ると言われている。それは王家がまさにいい例で、この国の王族は世界的に見ても身の内に宿す魔力量は群を抜いている。この国が大国としての威厳を保っていられるのも、そういった要因があるからでもあるのだ。
それだけ魔力というモノはこの世界では重要なもので、王家の婚姻の際も魔力量が重視される傾向が強い。
「だがレイラの魔力量は後宮に入っている者たちの中でも下の方だ。それなのにアイツが王妃候補だなどと何の冗談だと言ってやりたい」
「レイラキア嬢の父親は公爵様であるし、その公爵様は国王代理を務めていらっしゃるからな。娘のレイラキア嬢が候補者に上がるのは仕方のない事だと思うが……。私の一押しはニコルなんだけどね」
「ニコル嬢は俺との婚姻は望んでいないようだから無理だ。そして俺も御免だ」
「そうだったな……」
結局堂々巡りになってしまう事にため息を吐きながら、クロスフィードはパタンと呼んでいた本を閉じた。
「やはり夜会に顔を出すのが一番だと思うんだがな……」
そう言って、クロスフィードは腰を上げ、近くにある本棚へと本を返した。そして次の本を物色しはじめる。しかし本棚に置いてある本は殆ど読んだ事がある本ばかりだった。
「アイリス。本はここにあるだけしかないのか?」
「いいや。借りてこればまだある」
本を読みながら答えを返してくるアイリスフィアを見つめながら、クロスフィードは更に尋ねる。
「借りる? これは王宮の図書室の本なのか?」
「違う。図書室にある蔵書は既に読み尽くした」
今さらりととんでもない事を聞いた気がするが、クロスフィードは敢えて受け流す事にする。
「では誰に借りるんだ?」
「セルネイ」
「セルネイさんに?」
「そうだ。アイツの持っている本は面白いモノが多い。絶版になったモノや意味不明な専門書とか。あとは、『レイヴァーレ』の初版本を持っていたな」
「「初版本!?」」
クロスフィードと声を重ねたのはアレクヴァンディだった。
『花の娘』の活躍が描かれている『レイヴァーレ』というこの国と同じ名前の物語は、とても古くからある童話で、今ではその著者が誰であったのかすら分からなくなっているような代物である。その初版本というのはおそらく何百年単位の古いモノという事になるので、その本が如何に貴重なものであるのかは言うまでもないだろう。
「ちょ、それ見たい!」
「俺も見たい!」
クロスフィードとアレクヴァンディからそんな声が上がると、ようやくアイリスフィアが本から視線を上げた。
「内容は今あるモノと変わらんぞ?」
「内容云々ではなく、初版本が見たいんだ」
「そうそう。アイリスは分かってねえな。本好きなら一度は見てみたいと思うだろう、普通」
「アレクの言う通りだ! 最初に販売されたモノだぞ!? 誰が書いたモノかも分からなくなった物語の初版本だぞ!?」
アレクヴァンディと共にクロスフィードもそう力説すると、アイリスフィアが若干引き気味に視線を向けてくる。
「お前ら変なところで息が合うんだな……」
そんな事を言いながら、アイリスフィアはため息を吐きつつ呼んでいた本を閉じた。
「借りられるかは分からんぞ。持ち出し禁止と言われれば持って来られない。それでもいいか?」
観念するように立ち上がったアイリスフィアに、クロスフィードはアレクヴァンディと共に嬉々とした声を上げる。
「おお! ありがとう、アイリス!」
「さすがアイリス!」
「まあ、気持ちは分からんでもないからな。俺も初めてそれを見つけた時は、興奮し過ぎてその場で倒れた」
なんて事はないというように言っているが、それはかなり笑えない状況だったのではないかとクロスフィードは思った。
それだけ貴重なものだという事なのだが、体が丈夫でない人には危険な書物のようだ。
「ちょっと聞いてくるから待っていろ」
そう言って、アイリスフィアは仕切り布を除けて出て行った。
それを見送り、アレクヴァンディと二人になったクロスフィードは、長椅子に腰を下ろしながら、ふとある事を思い出した。
「そういえば、私が初めてこの小屋に来た時、アレクはアイリスから本を受け取っていたよな? あれは何の本だったんだ?」
クロスフィードよりその本を取ったアレクヴァンディだ。余程その本が読みたかったのだろう事はクロスフィードも分かってはいたが、その本が一体何の本であったのかは未だに知らなかった。
「私を見捨てたくらいだ。余程その本が読みたかったのだろう?」
「え、ちょ、目が据わってますよ!? クロスフィードさん!?」
何故か敬語になるアレクヴァンディに思わず笑ってしまうと、クロスフィードは、悪い悪い、と詫びた。
「まあ、気になっていたのは本当だよ。そんなに読みたい本だったのか?」
「……秘密だ、といったところで引き下がってくれねえよな」
困ったような表情をしているアレクヴァンディに、クロスフィードは言いたくないような本だったのだろうかと考えた。しかしふとある事に思い至り、一気に顔が熱くなった。
するとそれを目の当たりにしたアレクヴァンディが怪訝そうな顔つきでクロスフィードに声をかける。
「おいおい、何でそこで顔を赤くするんだ?」
「いや、その、き、君たちも年頃の男子であるし、そういった本を読むのは、理解できるというか、その……」
「待て待て待て。お前は盛大に勘違いしている! そういう本を借りたんじゃねえよ! むしろお前を見捨てるほどそれを欲したと思われる方が心外だっつーの!」
「き、気にしなくていい。男なら誰しも、そういった本を読むのだろう?」
「読むけど! 読みますけど! そうじゃなくて!」
「へえ読むんだ」
「何でそこで真顔!?」
アレクヴァンディも男なのだという事をはっきり認識したクロスフィードである。
そうして冷たい視線を容赦なく浴びせると、アレクヴァンディは、ああもう、と言いながら脱力していた。
「あれは過去の事件記録だ」
「事件記録?」
反復して聞き返すと、そうだ、とアレクヴァンディから返ってくる。
「ちょっと調べてる事があってな。アイリスに頼んで貸してもらったんだ」
「ではその事件記録は近衛騎士団が保管している物という事だな」
「……そうだ。だから言いたくなかったんだよ」
そう言って困ったような笑みを浮かべているアレクヴァンディに、クロスフィードは少々申し訳ないというように視線を落とした。
アレクヴァンディが所属する詰所の騎士団が保管している事件記録は、余程重要な事件でない限り、騎士なら誰でも閲覧可能なはずなのだ。しかしアイリスの協力が必要だったという事は、その事件記録は近衛騎士団が保管している物だというのは容易に想像が出来る。
近衛騎士団の管轄は主に王宮内部の事柄や貴族が関わっている事件に関してのモノが多い。その事件や事故のほとんどは世間に公表される事はない。それは内政事情に関してや、政治的事件が多いからだ。
そういった関係もあり、近衛騎士団が保管している記録書は高位高官の者たちくらいしか閲覧する事が出来ないようになっているのだ。
貴族であってもその閲覧は難しいのだから、アレクヴァンディがそれを見られる可能性はゼロに近い。だからこそこの騎士はアイリスフィアに協力を求めたのだろう。
「何の事件を調べているんだ?」
「悪いな。そこまでは勘弁してくれ」
そう言われてしまえば、それ以上何も聞く事は出来なかった。
彼には彼の事情があってそれを調べているのだろう。何の事件を調べているとかは知らないが、近衛騎士団が担当した事件を調べているという事は内部関係の事件だという事は間違いない。そうであるのなら、アレクヴァンディの身が危険に晒される事になる可能性もあるのだ。
クロスフィードはそうならない事を切に願いながら、アレクヴァンディを見つめた。
「無茶はするなよ」
「分かってるよ。俺だって自分の身は可愛いからな」
そう言って肩を竦めているアレクヴァンディの様子に、とりあえずその言葉を信じておこうとクロスフィードは思った。
「さて、本棚にある本は読んだ事があるモノばかりだし、アイリスが戻ってくるまでどうするかな」
クロスフィードは一度伸びをすると、しばしどうするかと悩んだが、自分もセルネイに初版本を見せてもらえるように頼みに行こうと腰を上げた。
「私もセルネイさんに頼みに行ってみるよ」
「ん? そうか。じゃあ俺はこれ読みながらここで待つ事にする」
「分かった。じゃあ行ってくる」
アレクヴァンディにそう告げると、クロスフィードもアイリスフィアを追って小屋を後にした。
◆◆◆◆◆
小屋を出てから庭をあてもなく彷徨っていたが、一向にアイリスフィアもセルネイも見つけられなかったクロスフィードは、やはり大人しく小屋で待っていようと思い直し、小屋へと足を向けた時だった。不意に建物の陰から人が現れた事で、咄嗟に逃げる事を出来なかった。
「おいおい。『麗しの君』じゃないか」
見下すような声音が耳に付くと、クロスフィードは目の前の人物たちに少々眉根を寄せた。
その人物たちは三人の年若い近衛騎士たちで、道を塞ぐようにクロスフィードの前に立ち塞がっていた。
目の前の近衛騎士たちはクロスフィードより少し上くらいの年齢に見える。
クロスフィードは巡回中の騎士だろうかと眉根を寄せながら考えていた。
「何か用か? 用がないなら退いてもらいたいのだが」
「いや何、伯爵家の人間は王宮へ来るなと忠告してやろうと思ってな」
近衛騎士の一人がそんな事を告げてくると、クロスフィードは小さく息を吐いた。
どうやらこの騎士がリーダー格らしい。
「ご忠告どうも。それでは私は急ぐので」
「おいおい、ちゃんと聞いてなかったのか? 俺は今すぐ帰れと言ったんだ」
わざわざ近衛騎士たちを避けて通ろうとしたが、それを阻むように近衛騎士たちはクロスフィードの前に立ち塞がってきた。
近衛騎士に属する者たちの殆どは、家督を継がない貴族の次男や三男たちだ。しかし家督を継がないと言っても、彼らが貴族である事には変わりない。
クロスフィードに対する貴族の子息たちからの風当たりはかなりきつい。それを十分承知しているクロスフィードだが、それでも目の前の騎士服を着た貴族の子息たちにの行動には眉を顰めていた。
「私にも用事がある。そこを通してもらいたいのだが」
「王宮に何の用があるんだ? 没落貴族のお前が」
嘲笑うかのような物言いに、クロスフィードはため息を吐きたくなった。
伯爵家の話は誰もが知っていると言っても、クロスフィードは近衛騎士たちや詰所の騎士たちからは誹謗中傷をされた事がなかった。それは王宮にクロスフィードが寄りつかないという事も確かに在るが、騎士という立場でそういった行為をする者があまりいないからという理由もあった。
しかし目の前の近衛騎士たちは騎士の本分を見失っているのか、それともその心構えがないまま騎士になったのか、他者を貶める言葉を平気で口にしている。それは騎士としてあるまじき行為であり、騎士を名乗る身であれば恥ずべき行為であるはずなのだ。
しかしそれすらも頭にないような目の前の騎士たちの存在は、クロスフィードにとっては鬱陶しい事この上なかった。
「だからと言って、君が私に命令できる立場にあるとは思えないのだが?」
「伯爵家の人間は頭が悪いと見える。いいか、俺は侯爵家人間だ。格下のお前が俺に逆らっていいはずないだろう」
どういう理屈だと心の中で悪態を吐きながら、入りたての新人なのだろうかとクロスフィードは考えていた。
近衛騎士団長のヴァンクライドはこういった陰険な行為を決して許しはしない。たとえクロスフィードに対してではなかったとしても、こうした行為を行う騎士を彼が許すことはないのだ。
しかし目の前で悪意ある行為を行っている三人の近衛騎士たちは、おそらくそれをまだ理解していないのだろうと、クロスフィードは推測した。
「大罪を犯した家の人間がよくものこのこと王宮に来られたものだな。伯爵家の人間は恥を知らないのか?」
そう言って声を上げて笑っている三人の近衛騎士たちを見つめながら、クロスフィードは静かに拳を握っていた。
大罪を犯した伯爵家。その言葉を何度耳にした事か。
それは消しようがない事実であり、伯爵家を継ぐ者が背負うものでもあるという事はクロスフィードも十分に理解している。しかしその事に関しての責め苦を受けて辛くならないわけではないのだ。
心の何処かでは言い返せない事を悔しく思いながらも、クロスフィードは目の前の三人が早く飽きてくれる事を願った。
「用がすんだらすぐにでも帰る。だからそこを通してくれ」
「今すぐ帰れと言っている」
そんな騎士の言葉が聞こえたと同時に、クロスフィードの頭上に水球が出現し、それはすぐにクロスフィードへと落された。帰れと告げて来た騎士が魔法を行使したというのは言われるまでもなかった。
クロスフィードが一瞬で全身ずぶ濡れになってしまうと、目の前の騎士たちは一様に声を上げてゲラゲラ笑っていた。
「そんな格好で王宮を歩けないだろう? さっさと帰って二度と王宮へは来ない事だな。万が一、殿下がお前の姿を見たら不快に思われるんだ。少しは身の程を弁えろ」
騎士たちはクロスフィードのずぶ濡れの姿に満足したのか、そんな捨て台詞を言い残しその場から去っていった。それを前髪から水を滴らせながら見つめていたクロスフィードは、騎士たちの姿が完全に見えなくなると、盛大にため息を吐いた。
「まさか近衛騎士にこんな事をされるとは……」
そんな事を呟きながら、クロスフィードは前髪から滴る雫を払い、濡れた己を見つめた。
『殿下がお前の姿を見たら不快に思われるんだ』
先ほどあの騎士が言っていた言葉がふと耳に蘇る。
そんな事はない、と言い切れない自分が少しばかり悲しい。確かにアイリスフィアには何故か懐かれているようだが、それでも本当にそうであるのかはクロスフィードには分からないのだ。
傍にいてはいけないと思う反面、このまま傍にいたいと思う気持ちも確かに持っている。どうしてこんな風に思うようになってしまったのかクロスフィードも不思議ではあるが、それでも傍にいられる今を失う事は、もう出来そうになかった。
クロスフィードは騎士の言葉を振り払うように、頭を振って雫を払う。
「さて、どうするかな……」
今日の所はもう帰った方がいいだろうとクロスフィードは考えた。しかしこのまま何も言わずに帰る事は気が引けるので、一旦小屋へと戻ってアレクヴァンディに一言告げてから帰ろうと思い、小屋へと足を向けた。
すると不意にその背に声がかけられる。
「おいおい。まだ水遊びするには時期が早いだろう」
知った声にハッと振り向くと、そこには呆れたような表情をしたレイヴンリーズの姿があった。
「レイヴン殿。これは、その……」
「あー、大体分かっている。さっき笑いながら巡回してる馬鹿面の近衛騎士共とすれ違ったからな。俺からクライドに文句言っといてやる」
「いえ、それは」
「これは騎士団内の秩序の問題だ。全てがお前のためという訳じゃねえ」
「……、そう、ですね……」
そう言われてしまえば、クロスフィードはそれ以上何も言う事は出来なかった。
「しっかしあんな馬鹿でも近衛騎士になれるって、どんだけ内部は腐ってんだよって話だよな」
レイヴンリーズは凶悪な顔を更に凶悪に歪めながら、吐き捨てるようにそんな事を言っていた。クロスフィードはその言葉に少々首を傾げた。
「内部事情はそれほど状況が悪いのですか?」
二十年前の事件以降、伯爵家は国政に全く関わる機会がなかったため、クロスフィードも国の内政がどういう状況なのか全く知らないのだ。しかし国の状態から見れば、至って安定した情勢であるため、それほど不安はないと思っていた。何より、現在国を動かしているのは国王代理を務めているのはケイルデレイ公爵だ。彼は亡き国王の従兄弟にあたる人物であり、かつてはアインヴァークと並んで国王の側近を務めていた人でもあったのだ。
国王不在の二十年。国が目立った混乱もなく平和であり続けてきたのは、公爵の手腕の賜物だとクロスフィードは思っていた。
しかし国は至って平和ではあるが、内部事情がそれに比例するとは限らない。
「ん? ああ……まあ、俺は詳しくは知らないがな。近衛騎士の入隊基準が年々緩くなってきてるってのは、クライドがぼやいてやがったからな。上からの口出しも多くなった、ってな」
「そうなのですか……」
「それより、その格好じゃ風邪ひいちまうぞ? 何しに王宮なんぞに来たかは知らねえが、そんな格好で道の往来を歩けねえだろ? 詰所に来い。着替えくらい貸してやるから」
「え、あの」
返事をする間もなく、クロスフィードはレイヴンリーズに腕を引かれ、そのまま強制的に詰所へと引っ張られていく。その状況にクロスフィードは次第に焦りはじめる。
今すぐ脱げと言われなかっただけマシなのだろうが、クロスフィードは着替えをしているところを誰かに見られる訳にはいかないのだ。ましてレイヴンリーズはクロスフィードが女である事を知らない。目の前で着替えろなどと言われてしまったら絶望的だ。
「レ、レイヴン殿! 何か用事があって王宮側に来たのではないのですか?」
「ああ、クライドんとこに用があったが、今はお前の事の方が優先だ」
有り難い事ではあるが、素直に喜べないクロスフィードである。
クロスフィードは何とか上手い言い訳を必死に考えながら、振り解く事はまず無理なレイヴンリーズの手にそのまま腕を引かれていった。
そうして詰所に向かいながら庭を進んでいると、クロスフィードはふと視界の隅に何かを捉えた。
「あの、ちょっと待ってください」
「あ? どうした?」
レイヴンリーズに声をかけ足止めると、クロスフィードは見えた何かを確認するため少しばかり道を戻った。
すると脇道に入る道の先に、蹲る人影を見つけた。
その人影は後ろ姿ではあったが、クロスフィードにはそれが誰であるのかすぐに分かった。
「アイリス!」
クロスフィードは慌てて傍へと駆け寄り、その場に膝をついた。
「どうした? 大丈夫か?」
「ク、ロ……」
アイリスフィアは見るからに苦しそうな表情で、荒い息を繰り返していた。クロスフィードはその様子に慌てるも、必死に自分を落ち着かせていた。
「お前、何で、濡れて……っ」
「そんな事は今どうでもいいだろう。それより動けるか? 無理なら私が背負って……となるとアイリスまで濡れてしまうか。えっと、じゃあ」
「心配するな。俺は、大丈夫だ。少し……っ、走り過ぎただけだ」
アイリスフィアはそう言って無理をして笑みを浮かべていた。しかしその様子に少しも安心できないクロスフィードは、苦しそうに息を吐いているアイリスフィアを前に心配する事しか出来なかった。
「今度はバカ王子かよ」
そんな声が頭上から振ってくると、近くに来ていたレイヴンリーズがアイリスフィアの体を軽々と担ぎ上げた。
「ここからだと詰所の方が近い。とりあえず行くぞ」
「待ってください。早く主治医に診せた方が」
「この王子はちょっと運動するとすぐばてるような貧弱な体してんだよ。主治医を呼びに行くより、早く休ませてやった方がいい」
行くぞ、と言って歩きだすレイヴンリーズにクロスフィードは本当に大丈夫だろうかと少々危惧した。しかし早く休ませてやりたいと思う気持ちはクロスフィードも同じだったため、レイヴンリードの言葉に従い、そのまま詰所へと向かった。




