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ツイてない夜会の夜

所々で異世界ルールが発動しております。深く考えず、そういうものだということでスルーしてください……。


後書きに主要メンバーのイメージ画があります。

 夜会の音楽を遠くに聞きながら、クロスフィードは不測の事態にどうしたものかと頭を悩ませていた。


「クロスフィード様。どうか一夜だけの戯れでもいいのです!」


 大きな瞳を潤ませながら迫ってくる令嬢を前に、クロスフィードは思わず一歩後ずさる。

 月の明かりに照らされた庭の一画。この辺りは木々が茂っているため、建物側から見ると死角となっている場所だ。

 クロスフィードはそんな場所で、まさに猛獣に狩られる寸前の野兎状態だった。


「お、落ち着いてください。ちょ、待っ、服脱がないでください!」


 背にあるボタンに手をかけはじめた令嬢に慌てふためくクロスフィードは、咄嗟にその手は掴み、一気に令嬢との距離が縮まってしまった。

 しまったと思った時にはもう遅く、クロスフィードは令嬢に思い切り抱きつかれる。


「ああ、クロスフィード様!」

「……」


 昨今の令嬢はどうしてこうも積極的なのだろうか。

 クロスフィードはその大胆さに、日々辟易していた。


 成人を迎えてからこちら、クロスフィードに対するこの手のお誘い(・・・)は増え続ける一方だった。

 廊下の隅でいきなり抱きつかれる。休憩用に用意されている部屋に連れ込まれる。庭に無理矢理連れ出される。などなど。夜会や宴に参加するといつも令嬢たちに囲まれてしまい、気を抜くと物陰に連れ込まれてしまうのだ。普通は逆だろうと声を大にして言いたいところではあるが、今回は完全なる己の不注意であるため、クロスフィードは心の中で油断していた自分を大いに呪っていた。

 とはいえ、社交の場には様々な噂話が飛び交うのもまた常である。情報交換の場でもある夜会や宴には積極的に参加する事にしているクロスフィードは、成人してからその激しさを増す令嬢たちのアプローチ方法にいつも怯えながら参加していた。


「以前よりお慕いしておりました。どうか、一度だけでいいのです!」


 いや、無理だし。その言葉を面と向かって言えたならどんなにいいか。

 クロスフィードは既に令嬢の相手をすること自体が面倒になっていた。

 貴族の令嬢にとって婚前交渉は何よりも恥だとされている。それなのに、一度だけの戯れを望むというのは如何なものか。

 それに何より、目の前の娘は侯爵令嬢だ。クロスフィードの家より上位の、しかも結婚前の令嬢に手を出したとあっては、クロスフィードの方が窮地に追い込まれるのは目に見えている。

 少しはこちらの事も考えてくれと言ってやりたいが、温室育ちの令嬢に相手を慮れという方が酷な話なのだろうか。いやそんな事はないはずだ、と諦めそうになる自分をクロスフィードは叱咤する。

 クロスフィードは思い切りため息を吐いてやりたいと思いながらもそれをグッと堪え、令嬢の手を取り、見上げてくるその瞳を真っ直ぐに見つめた。


「貴方のような美しい花は、私のような者には勿体ない花でございます。どうかこれ以上の戯れはお許しください」

「クロスフィード様……」


 頬を朱に染める令嬢はクロスフィードの言葉など全く聞いてはいないというように、ただクロスフィードだけを見つめている。

 オイこら聞けよ、と内心で思いながらも、クロスフィードは憂い顔を崩さない。


「貴方様とて、我が伯爵家の話はご存じでしょう?」

「それは、存じておりますけど……」


 少々言い淀む令嬢に、クロスフィードは苦笑した。

 結局はそういう事なのだと思うと、一夜の戯れで済まそうとするのも納得できる。


「どうかもうお戻りを。私と会っていたなどと知られれば、貴方様にまでご迷惑がかかります」

「そんな事……っ」

「いけません。どうかこれ以上、私を困らせないでください」


 これでもかという程の憂い顔に淡い笑みを乗せてやれば、目の前の令嬢は頬を赤らめ、呆けたように見つめ返してくる。それを見つめながら、クロスフィードは令嬢の手を離した。


「さあ、お戻りを」


 そう告げると、令嬢は名残惜しそうに振り返りながらも、夜会の会場に戻って行った。その背が完全に見えなくなると、クロスフィードはようやく安堵の息を吐いた。

 今夜の夜会は王宮で開かれているものだった。それ故に令嬢たちも無茶はしないだろうと少しばかり気を抜いていたらこの始末だ。

 クロスフィードは会場が何処であっても気を抜いてはいけないのだという事を改めて胸に刻んだ。


「殿下も欠席なさっているし、もう帰りたい……」


 今夜の夜会には王子殿下も出席するという事で、クロスフィードは父親とこの夜会に参加していたのだが、結局王子は体調不良で欠席だった。


 今は亡き国王の一人息子であるアイリスフィア王子は、幼少の頃から病弱で、今でも人前に出る事は少ない。

 『アイリスフィア』という女のような名前であることから、幼少の頃は本当に王女なのではないかと噂されていた程に、滅多に人前には姿を現さないような人物だった。しかしそんな噂も王子が成長するにつれて消えていき、今では立派な青年に成長しているらしい。

 そんな王子はクロスフィードと同じ十九歳だ。未だ王子という身ではあるが、王子が成人を迎えたと同時に後宮は開かれ、後宮には既に幾人かの令嬢が妃候補として入っているのが現状だ。

 王子が病弱という事で、早く世継ぎを作らせようという重鎮たちの思惑が目に見えるかのような後宮の話は、クロスフィードにとっても決して人事の話ではなかった。

 王子と比べるのはおこがましいが、跡継ぎ問題はクロスフィードにとっても重要な問題だった。

 クロスフィードは伯爵家の後取りだ。それ故に背負うモノもそれだけ重い。


「令嬢たちを相手にするのも面倒だしな……」


 そんな事を呟いていると、ふとクスクスと笑う声が聞こえてきた。

 クロスフィードは誰かいるのかと急いで辺りを見回してみるが、そこに人影は見当たらなかった。気のせいかと眉根を寄せていると、今度ははっきりと声が聞こえた。


「色男も大変だな」


 上から振って来るように聞こえたその声に、クロスフィードはハッとして顔を上げた。

 すると少し離れた木の上に、幹に背を預けながら枝に座っている人影を見つけた。

 月明かりがあってもクロスフィードがいる場所は木々が茂っているため薄暗い。そのため、木の上に誰かがいるというのは確認出来るがその顔までは見えなかった。しかし声の感じからすると男である事が分かる。魔法で火を出して灯りを作ろうかと考えたが、この場をこれ以上誰かに見つかるのは得策ではないと思い、止めた。

 しかし暗がりだからと言って、これほど近くにいたと言うのにその気配に全く気付けなかったのは、失態だったと言える。


「まさか令嬢たちに人気が高いと噂のクロスフィードにこんなところで会えるとはな。しかも逢引き現場を目撃してしまった」


 クスクス笑いながら言葉を続ける木の上の男に、クロスフィードはいつから見られていたのだろうかと冷や汗をかいていた。


「いつからそこに?」

「最初から」


 返ってくる言葉に一気に血の気が引いた。

 クロスフィードにとって、あらぬ噂を立てられる事は何よりも避けたい事態だった。

 いつも令嬢たちの過激なアプローチにハマらないように細心の注意を払っていたのだが、今日はとことんツイていないようだとクロスフィードは己の不運を嘆いた。


「出来れば、先ほどの事は貴方の胸の内だけに留め置いて頂けると助かるのだが」

「さて、どうするかな」


 木の上の男は面白そうだと言わんばかりの雰囲気を漂わせながら、思わせぶりな態度を取っている。その事に少々眉根を寄せながらも、クロスフィードは懸命に平静を装い続けた。

 確かに侯爵令嬢と会っていた事は事実だが、全く以ってこれっぽっちもやましい事は何もしていないのだ。だったら見られていようとビクつく事はない。

 クロスフィードはそう自分に言い聞かせ、何事か思案している木の上の男が口を開く前に言葉を投げる。


「今見た事は忘れてくれ。では失礼」


 クロスフィードはさっさと逃げてしまおうと結論付け、一応別れの挨拶を投げると、すぐさま踵を返した。しかし逃げようとした矢先、背後でどさりと何かが落ちる音が聞こえたかと思ったら、いきなりグイッと腕を掴まれた。クロスフィードは腕を引かれる勢いのまま後ろを振り返ると、月明かりをそのまま宿したかのような黄色の瞳が目の前にあった。

 腕を掴んでいたのは一人の青年だった。年の頃はクロスフィードと同じくらいだ。

 月明かりでもよく分かるその整った容姿は現実味を感じさせない幻想的な美しさを持っており、クロスフィードは一瞬その美しさに息を呑んだ。


「そうツレない事を言うなよ、『麗しの君』」


 青年の言葉にクロスフィードは一瞬眉根を寄せた。

 『麗しの君』とは令嬢たちがクロスフィードを呼ぶ時の、いわば渾名のようなものだった。

 クロスフィードは眉目秀麗、文武両道、おまけに性格は穏やかで人あたりもよく、常に笑顔を絶やさない。そして何より、女心を知り尽くしているかのような優しさが令嬢たちから絶大な人気を誇るっている、らしい。

 これはあくまで一般的なクロスフィードの評価であり、実際はそうではない。しかしクロスフィードはそうした自分を演じている節がある事は否定できなかった。


「私はもう貴方に用はないが?」


 目の前の青年が儚げな美しさを持つが故に一瞬惚けてしまいそうだったが、クロスフィードは己を現実に引き戻し、少々眼光を鋭くした。しかしそんな事にはお構いなしの青年は企むような笑みを絶やす事はなかった。


「俺はお前に用がある」


 青年の口元が弓月のような形を作る。その表情を目の当たりにすると、何故か薄ら寒いモノを感じた。

 未だに腕は取られたままで距離もかなり近い。クロスフィードが一歩後ろに下がれば、青年がそれを埋めるように一歩前に出る。


「噂通りの綺麗な顔だな」

「ちょ、近い……っ」


 鼻先が触れ合ってしまうのではないかというくらいに顔を近づけてくる青年に、クロスフィードは人生稀に見る非常事態に大いに慌てた。

 まだ令嬢相手ならあしらう術は心得ている。しかし男相手ではどう対処していいのか全く分からない。

 目の前の青年はそういう趣味の持ち主なのだろうかと考えると、頭の中で煩いほどの警鐘が鳴った。

 世の中にはそういう趣味の人間がいるというのは知っているが、実際に遭遇するのは初めてだった。そのためクロスフィードは混乱する頭をフル回転させ、貞操の危機を何とか回避しようと考えまくっていた。

 これでもそれなりに武の心得は持っている。逃れようと思えば簡単に出来るのだが、出来れば穏便に済ませたいクロスフィードは、手荒な事はなるべく避けたいと思っていた。

 しかしながら、侯爵令嬢に続き、誰とも知れない男に迫られるなど、ツイてないにも程がある。


「お、落ち着こう! 話せば分かるから!」

「何が?」


 面白そうにクスクス笑っている青年は一向に離れようとはしない。クロスフィードは懸命に腕を払おうともがいたり、距離を取ろうと後退さったりしながら、命の危機にも勝る恐ろしい事態に叫び声を上げたくなった。

 しかしそんなクロスフィードに追い打ちがかけられる。


「アイリス! おーい、アイリスどこだー……っと」


 木々の間から突然姿を現したのは、二十代前半位の若い騎士だった。その騎士は一般騎士の制服を着ているので夜会を警護している近衛騎士ではない事が知れる。

 クロスフィードはその騎士の登場で体が固まった。それは騎士の方も同じだった。

 クロスフィードは青年と至近距離で顔を近づけているような状態だ。騎士から見たクロスフィードたちの状況は、たぶん、おそらく、高確率で、『逢引き現場』だろう。

 男同士ではあるが。


「いやー、今夜の月は綺麗だな」


 そう言って騎士は回れ右をして去ろうとしていた。その不自然なまでの『自分は何も見ていません』というアピールはある意味素晴らしいと思う。

 クロスフィードは、すぐさま空気を読んで何事もなかったかのように消えようとしている騎士に思わず声をかけた。


「ちょっと待っ――」

「何しに来た、アレク」


 騎士に助けを求めようとしたクロスフィードの言葉を遮り、青年が騎士に声をかける。すると騎士はバツが悪そうに頭を掻きながら振り返った。


「そろそろ戻られたほうがいいですよ、殿下」


 騎士の言葉に、クロスフィードは頭が真っ白になった。

 今騎士は何と言ったのだ、とその言葉を脳内再生してみれば、恐ろしい事実が告げられていた。


「で、殿下って、誰が……」


 ゆっくりと騎士から目の前の青年に視線を移せば、企むような笑みを浮かべながら真っ直ぐに見つめてくる青年がいた。


「そうか、お前は俺の顔を知らなかったのか」


 企むような笑みはそのままに、青年は更に体を近づけて来た。クロスフィードはその事に大いに慌てるも、腰に回されようとしている青年の手を反射的に捕まえる。


 この青年がアイリスフィア王子本人であるなど何の冗談だ。


「お放しください」


 そう告げながら、アイリスフィアの腕を少しばかりきつく握る。

 如何せん相手は王子殿下。クロスフィードにはこれくらいの抵抗が関の山だった。知らなかった時分に手荒の事をしなかった事だけが今のところの救いだ。

 これ以上の戯れは本当に勘弁してもらいたいと願いながら、クロスフィードはアイリスフィアの腕を押し返し、掴まれている手も乱暴にならないように振り解く。


「お戯れもほどほどになさってください。殿下ともあろうお方が私のような者に声をかけるとなど、皆に示しがつかなくなりましょう」


 クロスフィードはアイリスフィアを真っ直ぐ見ることなく、少々視線を落としながらそう告げた。

 平静を装ってはいるが、クロスフィードの頭の中は大混乱だった。


 今回の夜会に参加したのは、今目の前にいるアイリスフィア王子殿下が参加すると聞いていたからだった。そのためクロスフィードも父と共に王宮の夜会に参加していたのだが、正直なところ、クロスフィードはアイリスフィアには会いたくはないと思っていた。


 さっさと挨拶だけを済ませて後は情報収集でもしようと思っていた矢先に侯爵令嬢の誘いにまんまと引っ掛かってしまった。しかもその現場をあろう事かアイリスフィア本人に目撃されてしまったばかりか、誤解されるような場面を騎士にまで見られてしまったのだ。今日はとことんツイていないようだと、諦めにも似た感情が湧きあがってくるが、ここで諦めたら人生までもが終了してしまいかねない。

 クロスフィードはどうにかして逃げたほうがいいと判断するも、どうやって逃げればいいのだと半ば絶望していた。

 しかしクロスフィードが何でもいいから言葉を続けようと口を開きかけると、その前にアイリスフィアの声が耳に届いた。


「己の分は弁えているようだな」


 先ほどまでのからかうような声音から一変し、アイリスフィアはその声音を硬いモノへと変えた。その事で、クロスフィードは落した視線を更に下へと向けた。


「大罪を犯した伯爵家の跡取り息子、か」


 その声音には、抑えてはいるが、少しばかりの憤りを感じた。

 クロスフィードはその声を聞きながら、何も言い返す事が出来ずに、そのまま口を閉ざしていた。


「反論しないのか? クロスフィード」


 そう問われ、クロスフィードはようやく口を開く。


「殿下のお言葉が正しいので、私からは何も言う事はありません」

「ふん。つまらんな」


 不機嫌さを滲ませるその声に、つまらなくて結構だ、と心の中で悪態を吐きながらクロスフィードは視線を上げずに言葉を返す。


「申し訳ありませんが、夜会の場に父を待たせておりますので、私はこれで失礼させていただきます」


 クロスフィードは綺麗な所作で一礼をすると、すぐさま踵を返した。

 しかし背後からアイリスフィアの声が聞こえてくる。


「ちょっと待て」


 早く逃げたいと思っているクロスフィードだったが、アイリスフィアの言葉には従わざるを得ないので、嫌々ながらに振り返る。すると王子の表情に再び企むような笑みが浮かんでいた。


「お前、明日から俺の許に来い」


 クロスフィードは、たっぷり数十秒は固まっていただろう。しかし視界には、あーあ、という声が聞こえてきそうな騎士の姿を捉えている。

 一体自分が何をしたというのか。そんな嘆きすら、もう虚しい。


「…………すみません、聞こえませんでした」


 現実逃避をするのは、それが精一杯だった。






 今は亡き国王並びに王妃の忘れ形見であるたった一人の王子殿下には、とある噂が密やかに囁かれている。

 王子が成人したと同時に開かれた後宮ではあったが、王子は一度も後宮に足を運ぶことはないのだと言う。

 それは病弱故に女が抱けないという事ではない。

 王子は大の女嫌いと噂されており、その裏では男色家であるという噂が飛び交っていた。






◆◆◆◆◆






 クロスフィードは邸に戻ると、早々に自室に向かった。

 いろいろあり過ぎて既に疲労困憊していたクロスフィードはその足取りもどこか重たいものだった。

 自室に戻ったクロスフィードは、首まで隠れている服のボタンを外しながら部屋の寝台へと向かった。

 本当に疲れた。そう漏らしながら、頭の中程で一つに束ねていた髪を解き、窮屈な衣装を脱いでいく。上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、そしてその下にあるサラシに辿りつくと、一気にそれを取り去った。

 苦しかった胸元が解放され、クロスフィードは、ふう、と息を吐く。


「育ち過ぎなかった事がせめてもの救いか」


 そんな事を呟きながら、クロスフィードは自身の胸元に手を当てる。

 無さ過ぎず、あり過ぎない。そんな平均的な膨らみを持つ胸は、サラシで押さえつけるとやはり苦しいのだ。

 クロスフィードは腰のくびれを隠すために詰めていた布やズボンなども全て脱ぎ捨てると、用意されていた寝間着に着替え、寝台へと潜り込んだ。

 寝台で眠りにつく時だけが、クロスフィードにとってあるがままの自分でいられる唯一の時間だった。


 伯爵家の跡取り息子。

 それはクロスフィードが生まれる前から決まっていた事で、たとえ女であったとしてもそれは変わる事はなかった。


 クロスフィードの母親であるエイナセルティは生まれた頃から体が弱く、子を産む事は出来ないと言われていたような人であっため、一人でも子供を産めただけで奇跡だった。

 そして父親であるツヴァイスウェードは、それはもう母親の事を溺愛しており、他に愛人を囲うというような考えをこれっぽっちも持っていないような人だったため、クロスフィードが女の身でありながら跡取りとして振舞っているのが現状だった。

 とはいうものの、跡取りがなく、娘ばかりがいる貴族だって他にも沢山いるのだ。そういった場合、入り婿を貰って家を存続させるのだが、伯爵家はある出来事のせいで社交界から爪弾きにされている状態だった。それ故に、入り婿を望めない事ははじめから分かりきっていたのだ。そのためクロスフィードが一人息子として振舞い、跡取りは自分であると公言していた。


「あれがアイリスフィア王子か」


 上掛けを被り、クロスフィードは満月のような瞳を持つアイリスフィアの事を思い出していた。

 アイリスフィアはとても綺麗な青年だった。月明かりの下で会ったからか、クロスフィードはアイリスフィアに対し、とても儚い印象を抱いた。

 自分より背は高かったが、体の線はかなり細かったように思う。その儚い立ち姿は、病弱故のモノなのだろうか。

 そんな事を思い出しながら、クロスフィードはポツリと願いを口にする。


「全部夢ならいいのに……」


 何もしていないとはいえ、侯爵令嬢と人気のない場所で会っていた事が公になればかなり不味い事態に陥る事は目に見えている。それは何としても避けたいと思っていても、それを目撃していたのが王子だったという事には、最早笑うしかなかった。


『お前、明日から俺の許に来い』


 告げられたそのおぞましい言葉を思い出すと、クロスフィードは途端に背筋が寒くなり、思わず身震いした。

 相手は男色家と噂されている王子殿下だ。その王子が『来い』という事は、考えるまでもなくそういう事なのだろう。

 このままその言葉を無視する事は出来るが、それをする事によって王子の不興を買う事は避けたい事態だった。

 クロスフィードはアイリスフィアに言葉の撤回をしてもらわない限り平穏は返ってこないと悟る。

 しかし王子であるアイリスフィアにクロスフィードが会える確率は限りなく低い。


「出来れば関わりたくなかったのに……」


 クロスフィードは本気でそんな事を思っていた。

 もしも女であると知られてしまえば伯爵家の存亡が危ぶまれてしまう。それ以前に、王子を謀った罪で捕らえられてしまうかもしれない。アイリスフィアは男色家なのだ。女だと知られてしまえば確実に不興を買う事になるだろう。

 最早最悪な未来しか思い浮かばないクロスフィードは、不意にある事を思い出して少々眉根を寄せた。


「そう言えば、あの騎士……」


 あの時やって来た若い騎士は近衛騎士ではなかった。しかしアイリスフィアの事を呼び捨てにしており、どこか親しげな感じがしていた。

 そして王子が騎士を何と呼んでいたのかを思い出したクロスフィードは、さっと血の気が引く思いがした。


「アレクって、アレクヴァンディの事、か……?」


 最近王子殿下の恋人として名が挙がっているのが『アレクヴァンディ』という騎士ではなかったかと思い出したクロスフィードは、その事実に魂が抜けそうになった。

 まさかそんな、と思いながら、クロスフィードは最早悪寒しか感じられず、小刻みに震える体を寝台の上で丸めた。


「あの騎士からしたら、浮気現場にはち合わせてしまったって事なのか……? ああ、頭が痛い……」


 あらぬ誤解が更に増えていた事実に気付くと、クロスフィードはこのまま消えてなくなりたいと本気で思った。


主要三人組。

左から、アレクヴァンディ、クロスフィード、アイリスフィアです。


挿絵(By みてみん)

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