4 夜明け
ジークハルトは漸くソファに腰掛けると、親指と人差し指で眉間を揉んだ。同時に自然と深く息を吐いてしまったのも仕方がないことである。昨日の襲撃事件の後、すぐに部屋に備えてある警笛を鳴らすと、まるで火が燃え移るかのように屋敷に明かりが灯り、血相を変えたセンダルがその好々爺然とした顔に焦りを浮かべながら、ノックもそこそこに駆け込んできた。
「ジークハルト様、ご無事ですか!!?」
いままで、生まれた時から執事として傍にいる彼のそんな様子を見たのは、生まれて初めてだった。剣を構えながら息を切らす執事に手を上げて無事を示し、屋敷の状況を問うと、確認できている侵入者はジークの部屋の前でこときれている者を含め6名、全員が既に死亡。身内に負傷者は4名。現在、まだ潜んでいる者がいないか確認中であるとのことだった。
幸いにも死者は居なかった。事件の背景を聴取できる者がいないため、確実なことはわからないが、おそらく夜盗ではないかということで話がついた。王都ではかねてより貴族の邸宅に賊が押し入る事件が頻発していたそうだが、このような郊外の端のお金がありそうにも思えないここを襲うとは、なんとも驚きである。・・・いや、いかにもな大貴族の厳重な警護を目の当たりにすれば、この屋敷など容易く蹂躙できるように見えるだろう。むしろ小金稼ぎにはもってこいと思われたか。確かに、その通りだ。ジークは思わず顔を歪めた。普段長閑である分、完全に油断していたことを痛感させられる。いやはや、やはり結界を張らねばならないか、と顔見知りの魔術師の中から依頼できそうな者のあてをつけ、誰が良いかと思案する。なるべくはやく連絡をとろう。
情報提供として、自警団と憲兵に宛てた報告書をしたため、封をしながら、ジークは気にかかっていたことを忠臣に尋ねた。
「センダル、確か昨日旅人を受け入れたと言っていたな。それらは、いまどこへ」
「はい、若い男と少女の二人で、まだ屋敷内に留まっております」
先ほど、使用人が集まってる広間に様子を見に行ったが、それらしい姿はみかけなかった。…尤も、突然の騒ぎにざわついていたこともあり、見落とした可能性も否めないが。
ジークは封をし終えると、それをセンダルに手渡しながら、問う。
「その二人が賊を招き入れた可能性は?」
聞くところによると、賊が現れたのは二人を屋敷に入れて間もなくだ。明らかに、タイミングが合いすぎている。疑ってしかるべきだ。
「…少女と、若い男の二人です。しかも男の方は体調が思わしくないようで…医師と言うことなので怪我人の手当を手伝っていたようですが、今現在は消耗して本人が寝込んでいるようです」
「荷物も検めましたが、特に怪しいものもありませんでした」
センダルが、彼らの無実を後押しするように言葉を重ねる。
彼は馬鹿ではない。信じるに値する者と、疑うべきものをきちんと弁えた判断力を、ジークは信用している。
「なるほど。そして、何を決定打に、おまえはそれらを疑っていない?」
「…賊は、外見から判断するに、全てソルダートだと思われます。しかし、彼らは明らかに寒冷地の出自です」
ソルダートとは熱砂が吹く、草木のないところを主な住処とする部族で、所謂戦闘民族であり、気性が荒く、誇り高い。基本的に排他的で、他の人種とは交わりたがらない性質をもち、そのなかでも特に寒い場所に住む者を厭う。そんな彼らが彼の旅人と協力関係を結ぶとは考えにくい。
まあ、それが一般認識であるがその誇り高い民族が夜盗とは甚だ呆れたものだ。
だが、ジークは彼らが事切れる際、彼らの神の名を呟くのを確かに聞いた。その神は自民族中心主義を教えとする。少なくとも、夜盗らは他種族を見下す考えを持っていただろうことは推測される。
自分の状況判断とセンダルの判断を鑑みると、危険分子とみなさずとも問題はなさそうだ。
ただ、問題なのは部屋の前であった、あの者は何者なのか、ということだ。
「わかった。その判断はお前に任せる」
剣の腕がたつ従僕が倒したのは1人。
しかし、ジークの部屋の前で倒れた5名を倒したものは、屋敷内のものではない。
あれはいったい誰だったのか。あれと数秒間見つめ合ったにもかかわらず、ジークは驚くほど外見的特徴を覚えていなかった。覚えているのは、温度のない目と、細身の体躯のみ。
実行犯5人と、見張りが一人。侵入経路は屋敷の端にある客間だ。鍵は外から壊されており、内から招き入れられた形跡はない。なにより、旅人は母屋ではなく離れに通され、そこから動いていない。招かれざる客たちは一掃されたと考えていいだろう。
残る問題は、あれがだれか、という疑問だ。
その二人の外見的な特徴を問うと、少女は小柄で華奢であり、髪は金髪に近い透き通るような茶色、年は17、8とみえるが、一般的な娘に比べると、際立って細いようだ。男の方は線が細く中背で、左足が悪く、歩くときは僅かに足を引き摺るのだという。
その報告では、とても今回の事件に関係しているとは思えない。
寧ろ不幸にも今回の事件に居合わせてしまった運の悪い旅人であるようだ。
か弱き兎の皮を被った化け物である可能性もなくはないが。ジークにはとてもそうは思えなかった。
なにしろ、あれは圧倒的だったのだ。
あれほどまでに特異な空気を持つものは顔などわからずともきっと勘づく。
星のない夜を光が駆けるように、その存在は鮮烈で圧倒的だった。
どうせ、あいつが潜んでいたらきっと誰も助かりはしない。
しかも、あれはジークを襲わなかった。何の目的で、何のために彼らを殺し、ジークを生かしたのか。
それは悪魔の戯れか。きっと考えても答えは出ない。
…つまり今優先すべきは怪我人の手当と屋敷の警備の厳重化だ。
もうすぐ、夜が明ける。明るくなったら町へ出よう。
はるか向こうの山の頂から、空が白み始めた。
昨夜6名の死者をだした屋敷を、穏やかに朝日が照らす。
ほう、とジークの背から幾許かの力が抜けた。