3 月夜の出会い
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いやな月だ
と呟いて、ジークハルトは眉根を寄せた。
先ほどの大雨が止んだというのに
再び本格的な嵐が来るのだろうか、獲物を狙う獣が荒い息を押し殺しているように、風が不穏な音をさせながら低く唸る。
そのせいでざわざわと木々が互いにぶつかり合い、その騒がしさが却って屋敷内の静けさを際立たせている。
そのくせ、月は雲に隠れることもなく、世界を気味の悪い朱色の光で染め上げている。
真っ暗な闇夜の方が、どれほどマシなことか。
どこかで、何かが高く啼く。
この夜には何かが潜んでいる。
肌が粟立つ様な嫌な感覚に、目が冴えた。
その感覚の正体を探ろうと、神経を意識して研ぎ澄ませてみると微かにではあるが不穏な物音が聞こえる気がする。
音をたてないように行動しているらしい気配は不信以外の何物でもないだろう。
相手がこちらの正確な場所を把握しているかどうかはわからない。
用心はするにこしたことはないだろうと、いる場所を気取られないように息をひそめ、音をたてないように細心の注意を払いながら枕元の剣を引き寄せる。
いつでもすぐに剣を抜けるように臨戦態勢で身構える
手がしっとりと緊張で湿った。
気配は階段を昇り、確実にこちらへと近付いてくる。
くそう、狙いは俺か。
迷いのない足取りに、まず場所が知られていると思った方が良いだろう。
少しでも気配を気取られないようにと鞘に収めたままだった剣をすらりと抜いた。
全ての者が自分の存在を隠そうと息を潜めるこの空間において、金属が滑る音は思った以上に空気を伝った。
息を殺して扉の横に張り付くと、聞き耳をたてながら相手の様子を探る。
五人、いや。六人か…?
ここでこちらから扉を開けて切り込むか、押し入られたところを切り伏せるかで逡巡した瞬間、扉の向こうで気配がふっと消えた。---いや、違う。弱まった・・・・のだ。
そのことに混乱するよりも前に何かが倒れるような音と衣擦れの音が聞こえた。
扉を開く。
するとそこで月明かりに照らされていたのは、たった一人だけだった。
おかしい。
あれは一人の気配では無かった。明らかに複数であったはずだ。
しかし、その当惑に彷徨わせた目線も、次の瞬間にはその人物の足元に奪われた。
そこには数人の人影が、呻くような様子も見せず、無造作に放り投げられた人形のように倒れ伏していたのだ。
なんだこれは。
何なんだ。
絶句すると、ゆっくりと、唯一人凝然と立つその影がこちらを振り向いた。
闇に沈む周囲のなかで、最も白い部分である目だけがそこにあるだけの光を集めて鈍く光りを湛えている。
その中心にある薄い色の瞳の寒々しいほどの冷酷さに、思わず喉が鳴った。
その瞳に射抜かれた瞬間、俺はここで死ぬのかもしれないという予感が警告のように頭の中にこだまするのに、体は微動だにしない。まばたきすることすらもままならず、ただ瞼が僅かに痙攣した。
風が、叩くような音をたてて屋敷内の窓を揺らした。
それの何に気を惹かれたのか、その人物はふいに窓の方に顔を向けた。
そちらを向いたことで、今まで妖しく青白い光を湛えた白が視界から消えた。
月はついに雲の後ろへと隠れたのか、 一層重く苦しい闇が辺りに横たわっている。
視線が外れたことでようやく動けるようになり、剣を構え直した。
全く勝てる気はしなかったが、ここで諦めれば死ぬだけだ。抵抗することもなく身を差し出すなぞ、誰がそんな無様な死に様を晒すものか。
一気に間合いを詰めて切りかかろうと決め、先手必勝とばかりに身を沈めた途端、そいつはさっと身を翻し、一番近くにあった窓を開け放つと、そのままバルコニーから外へと身を投じた。
慌てて窓へ駆け寄ったが、どこにも人影らしきものは無く、いつもと同じ、変わらぬ3階から見渡せるだけの庭が広がるばかりだった。
強い風に煽られたカーテンが荒れ狂うように体をたたいてくる。
その場に倒れている人数は全部で五名。全てが既にこと切れていた。
それだけの人数を殺しておきながら、このカーテンほどにも荒ぶることのない、静かに酷薄なあの瞳だけが記憶に焼き付いて離れない。
今更ながらに冷や汗が背中を伝った。
今のは一体何だったんだ。