第3夜 禁断の果実
俺は、1人で窓から外の風景も眺めていた。
1キロほど先に、町の明かりが見える。
だけどその町には、人間はいない。
『化け物』の類ばかりだという
なんて世界に来てしまったのだろう、と俺はため息をついた。
空を仰ぐと見えるのは、深紅の月。星一つない闇にぽっかりと浮かぶ、月。
「やっぱり、つらいですか?」
「え?あ、ああ・・・ヘム。どうしてここへ?」
「篝さんのことが心配だったんです。いけませんでしたか?」
「いや、嬉しい・・・・よ。」
(そういえば、今あいつは・・・・何してるんだ・・・・)
「・・・・もしかして今、ファウスト様のこと考えてます?」
「えっ!?な、なわけないだろっ!!」
「おや、図星みたいですね。」
意地悪い顔をして俺の顔を指差すヘム。
それから少しだけ間を置いてから口を開いたのは、俺のほうだった。
「俺・・・悪いことしたのかな、って。助けて・・・くれたんだろ?」
「あの状況では仕方ありませんよ。僕でもそうします。・・・・・ファウスト様は、基本的にはいい方なんです。ただ少し・・・・・変態なだけで。」
「それっていい方、なのかよ。」
俺は思わず笑ってしまった。変態、は基本的に悪いイメージだろう?
「はじめて笑ってくれましたね。ずっと、人一人殺めたみたいな顔してましたから。」
「マジ?やば・・・・」
「でも、ファウスト様は、本当にいい方ですよ。僕のことも、拾ってくれたんです。」
「へぇ・・・・・」
俺は、やっと気を許すことが出来た。
ずっと緊張しきって、いつ殺されるかと不安だったが、ヘムはいい奴らしい。その、ファウスト、がどうなのかはまだ判断しかねるが。
「そういえば、ヘムとファウストって何なんだ?」
「何、とは?」
「ほら、その種族とかいうやつが。」
「ああ、ファウスト様は吸血鬼ですよ。」
「・・・・やっぱり、何かそんな気がしてた。」
あの妖艶な振る舞い。昔、無理矢理女子に貸された漫画とよく似ている。
「僕は・・・・・・堕天使です。誰にも、言わないでくださいね?」
「ああ。」
翼をなくしたといえど、天使というのは充分頷けた。
傷を癒す能力も多分そのせいだろう。
「あ、そうだ。」
ヘムはいつから持っていたのか、バイオリンを取り出した。
「バイオリン?この国にもあるのか?」
「いえ、ありません。これは、以前に迷い込んだ人間が持っていたものです。非常に美しい音色だったので。」
ヘムはバイオリンを奏でた。
俺の聞いたことがある曲だった。両親がクラシック好きで、子供の頃から何度か聞いた。
「アルビノーニのアダージョか。悲しい曲だよな。」
「曲名ですか?何分、僕にはこの文字が読めなくて。」
楽譜には英語で、アダージョ、と書かれていた。
バイオリンの音色は、この屋敷とものすごく似合っていた。
軋んだような音も、形も・・・・
―――悲しい音色も。
ヘムが出て行ってすぐに、扉がノックされた。
・・・・コンコン・・・・
「気分はどうだい?」
「あ、ファウスト。あの・・・俺・・・・」
「どういう風の吹き回しかな?名前を聞いても答えなかった君が。」
「そ、そりゃあ、あの状況じゃ・・・」
「仕方ないね。」
『ファウスト様はいい方ですよ。』
本当だろうか、と疑わずにはいられなかった。
俺は牢屋にいるとき、思い切り世に言うセクハラをされたのだから。
「悪い。」
「何がかな?思い当たる節が多すぎて何ともいえないのだが。」
(いい・・・方・・・?)
「助けてもらったのに、ろくに礼も言ってなかったから。」
「ほう。じゃあ、君の世界では『悪い』というのが礼なのだね?」
「・・・・・もういい。俺を、元の世界へ戻してくれ。」
「・・・・それは・・・・無理かな。」
突然返ってきた返答に、俺は体を硬直させた。
「え・・・・?」
「私には不可能だ。」
当然、すぐに帰れるものだと思っていた。
母さんも家で待ってるし、何より、ケンタが・・・・。
でも、考えてみればそうだ。
こんな奇怪な世界からすぐさま返れるなんて、物語的にありえない。
「じゃあ、誰ならできるんだ?」
「そうだな。強いて言えば、死神、だろう。」
「し、死神!?」
「魂を送るために時々人間のところへ行くというから、連れて行ってもらえるかもしれないな。」
「死神ってどこにいるんだ!?」
「私の知っている死神で『ロキ』っていうやつがいるんだが、そいつならよくセンターにある『エリザベス』というバーで女と戯れていると聞いた。」
バー?
俺は、顎が外れそうになった。
人間の考える死神というものは、黒い服を着て、大きな鎌を持って、骸骨の顔をしているイメージだ。
その死神が、『バーで女と戯れている』?そんなバカな。
「・・・・だけど、あいつに近づくのは進められないな。」
「どうしてだ?」
「会えばわかることだよ。」
「近づくなって今言っただろうが。」
「口では説明できないんだよ。でも、ヘムはものすごく嫌っているよ。」
「そうか。」
堕天使が嫌うほど、たちの悪い男という事か・・・。
そんな事を考えていると、長い薄竜胆色の髪が、すぐ目の前に迫ってきた。
「な、何だよ・・・・!?」
「すぐに戻ってしまったり、しないでくれよ?」
「何で・・・!?」
「淋しいじゃないか、来てすぐになんて。」
熱い吐息を感じた。
その次の瞬間。
「・・・・っ・・・!!」
生暖かいものが唇に触れた。
驚きのあまり目を見開くと、やっぱり目の前にはファウストが。
油断していたせいか、唇の間から舌が押し込まれ、歯列をなぞる。
「んっ・・・・・」
(何だ・・・これは・・・・。抵抗・・・できない・・・・)
それでもファウストの服を掴み、やめろ、と訴えてみるが、効果はなかった。
(甘い・・・・)
これまで口にしてきた果実のどれよりも、甘い気がした。
ファウストの香水の匂いが、彼の血なまぐささを見事にかき消している。
俺は、おしよせる異様な感覚に耐えられなくなり、そのまま体から力を抜いた。
ぐらっと足元から崩れ落ち、俺の意識はいつの間にか失われていた。




