桜の一番骨
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう~、ようやく暖かくなってきてくれて、ありがたい限りだねつぶらやくん。
僕の住んでいるあたりも梅の花が開き出して久しい。これまでの経験から、春まっしぐらてところかな。季節の変わり目が感じられること、最近は少ないからなあ。
春がやってくるとなると、つぶらやくんはなにを思い浮かべるだろう? 4月から新学年が始まる学生生活を送ってくると、4月がどうも大きな区切りに思えてしまう。こうして大人になってもだ。
ゆえに入学式や桜の花びらなどというのは、たいていの人と共有できる風物詩となっているけれど、私はちょっと桜に関しては気持ちいい思い出ばかりじゃないんだ。若いころに、ちょっと奇妙な目に遭ったせいでね。
おそらく、つぶらやくんが好きそうな話だよ。少し聞いてみないかい?
そいつを見つけたのは、小学校6年生の春のことだったな。
通いなれて、もはや辟易し始めていた通学路。春先のことで、そこにはところどころ桜の花びらが散らばっていた。歩いていても、ときおり頭に、肩先に花びらが舞い散ってくる。
今歩いている県道わきの歩道を数分ほど行けば、我が家に着くところ。その数歩先をゆくお姉さんがいた。腰近くまで届く長い黒髪な上に、セーラー服を身に着けていたからね、当時の私のイメージだと中学生なり高校生なりの認識だったよ。
その彼女は、先ほどから片手を前へ掲げながら、首を上下に少し揺らしている。あれは缶なり瓶なりに入っている飲み物を、ちょいと大げさに飲むような仕草だった。
そこから唐突に。彼女はポンと、手から脇へあるものを投げだす。
カップと呼ぶには不格好で、杯と呼ぶにはずんぐりしている。小さな壺といったあんばいで、それは道わきの駐車場端の草むらへ転がった。
おそらく、この投げ捨てる瞬間を見ていなければ、私は捨てたものに関心を示さなかっただろうな。すでに置かれていたものとは異なる、ライブ感がある。
私は彼女が投げ捨てたものが何かと、草むらへ寄っていったよ。その白い壺らしき形をしたそれは、表面に一本だけ長いひびが走っていたものの、内側へ及ぶほどじゃない。
中身はというと、桜の花びら二片を浮かべる透明な液体が入っていた。ただの水じゃないのは臭いから分かる。母親が料理に使うときのみりんや日本酒をふんだんに混ぜ合わせたような……好き嫌いのある香りだったのさ。
――こんなものを、さっきのお姉さんは飲んでいたのか?
顔をあげたときには、もうお姉さんは影も形もなかったのだけど……私には少々、腑に落ちなかった。
私が草むらを探り、状態を確認しおえるまでさほど時間は経っていない。ここは県道のうちでも見晴らしのよいポイントで、隠れる場所などはないというのにだ。
彼女はまるで煙のように消えてしまった。そのうえ、もう一度あの壺に目を戻したところ、花弁はすでに壺の底へ引っ付いていたんだ。
あの液体、すでに乾いてしまっている。こちらも目を離した、ほんの数秒の間にね。
ちょっと気持ち悪さを覚えた私は、まっしぐらに家へ戻った。
母親が出迎えてくれたものの、「おかえり」の直後に顔をしかめられたんだよ。どうしたのかと思うと、私からみりんと日本酒の混じったような香りがするという。
どんぴしゃだ。私があの液体から感じ取ったことと。
それだけならさすが親子、と言いたいところだが、同じように臭いをかぎつけられたのは家族の中で祖母のみ。弟と祖父は、なんともないとの返答だったんだ。
「……ああ、あんたツバつけられたかもねえ」
祖母はそうつぶやくと、私にもう今日は外へ出ないようにと言いつけてきた。
どうも、私は惑わされたらしい。あのセーラー服姿のお姉さんらしき格好をした、何かに。
もしそいつが興味を持っていなければ、私はそもそもかの壺らしきものを目の当たりにすることさえなかったと、祖母は話してくれたんだ。
「季節の変わり目は体調を崩しやすい。あんたも聞くことがあるだろう? その境目には生き物へ害をなさんとするものも、また現れやすいんだ。今日はできれば部屋にこもりきりになりな。きっとお前のところだけ『春一番』が吹くだろうから」
祖母から話を聞いてから数時間後。いよいよ私が床へ入ろうというとき。
ふと、あのみりんと日本酒を混ぜた香りが、唐突に部屋の中へ立ち込める。
来たな、と私は布団の中へ潜り込み、目だけを出して部屋の様子をうかがった。明かりを消した部屋の中には、何の姿も見えないが、ほどなく部屋の窓たちが揺れ始めた。
サッシから外れんばかりの勢いで、前後左右へガタガタと身体を震わせる。私は祖母にいわれて、すでに四方の雨戸を閉め切っていた。外からの風であっても揺れるのは雨戸たちのはず。
なのに、はっきりと窓が揺れているのを確かめられるということは……窓を揺らしているやつは、この部屋の内側にいるということ。
私は夢中で目を見張り、窓の揺れがおさまるのをじっと待ち続けた。これが祖母のいう、私だけの「春一番」。どうにか起き続けていなくてはいけない。
『起きている限り、あんたの身体はあんたのものさ。だが眠ってしまえば身体も別のものにさらされて、いいようにされちまうんだ。
あんたが目にしたという白い壺らしきものも、あいつにとっての戦利品。誰かの頭蓋骨かもしれないねえ』
揺れは、じれったいといわんばかりに、ますますその強さを増し、部屋全体が壊れるかと思うほどになってくる。
それでも家の者がやってくる気配はなかった。祖母の言の通りなら、ツバをつけられたものだけが感じ取れるもの。他の者にはなんら感じられない、あるいはそもそも「たどりつけない」ようになっているから、とのことだった。
それから夜明けごろに、すっかり揺れがなくなるまで私は一睡もできない時間を過ごしたよ。
どうにか無事に生きている私だけど、それ以来、桜の花びらと女の人の組み合わせはちょっと戸惑ってしまうんだ。




