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プロローグ

 世界は、なぜかいつも俺にだけ冷たかった――。


 夜のビル風に煽られ、小雨に打たれながら、俺――佐倉 恒一は非常階段の踊り場で、うなだれるように座り込んでいた。


「はぁ……」


 深い溜め息とともに、胸の奥に溜まったすべてのストレスを吐き出そうとする。

 だが、終わらない残業と名ばかりの休みで積み重なった疲労は、そう簡単に俺を解放してはくれなかった。


 思考はぼんやりとまとまらず、呼吸だけが浅くなる。

 自分の命が、確実に限界へ追い込まれていることだけは、嫌でも分かった。


 ブラック企業。

 そんな言葉で片づけるには、少しだけ足りない。


 それでも、ここにたどり着いてしまった半生を呪うように、俺は歯を噛みしめた。


 俺の人生は、少しだけ運が悪かった。


 両親は、俺が生まれて間もなく交通事故で他界した。

 その後、祖母の家に引き取られた。

 裕福な生活とは言えなかったが、祖母は精一杯の愛情を注いで育ててくれた。


 ――だが、その祖母も亡くなった。


 施設に入ったあとは、俺を不幸に貶めた世界を見返したいという憎悪と、歯を食いしばって運命をねじ曲げようとしてきた算段の記憶だけが残り、正直よく覚えていない。


 ただ、生きるために流され続けて、気づけば今の場所に立っていただけだ。


 文句を言う資格はない。

 ずっと、そう自分に言い聞かせてきた。


 世界には、何十億もの人間がいる。

 その中で見れば、俺の人生はまだマシな方だろう。

 もっと不幸な人間なんて、いくらでもいる。


 ――そう思わなければ、

 こんな人生を受け入れることなんて、できなかった。


「……田舎、にでも行くか……」


 ふと、そんな言葉が口をついて出た。

 自分でも驚くほど、声に力はなかった。


 どこか遠い地方の僻地で、のんびり暮らす。

 ただ、両親や祖母のために幸せになりたいと願ってきた、その信念さえも、もうどうでもよくなってしまった。


 すべてを捨てて、ただ生きるだけの生活。


 その言葉を口にした瞬間、

 代わりに――何かが折れ、心が軽くなったのは、確かに分かった。


 重い腰を上げ、手すりにもたれかかる。


「まあ……辞表、通らないかもしれないけどなぁ……」

 自嘲気味にそう呟いた、そのときだった。


 ――ガッ。


 金属が軋む音とともに、鉄柵が崩れる。

 踊り場が、遠ざかる。


 ほんの一瞬の出来事だった。


「は……?」


 視界が大きく傾き、体が宙に投げ出される。

 伸ばした指は、空を掴んだ。


 落ちる。


 ビルの外壁が、逆さまに流れていく。

 風鳴りが耳を打ち、目前には大地が迫る。


 ――次の瞬間。


 視界を埋め尽くす、まばゆい光。


 白。


 音も、風も、重力も、すべてが消えた。


「……あ……」


 思考が、そこで途切れる。

 光に包まれたまま、俺の意識は静かに沈んでいった――。



 ◇



 目を覚ましたとき、最初に感じたのは――木の匂いだった。


 湿った土壁。

 白い絹の寝床。

 視界の上には、年季の入った木製の天井。


 どこを見ても、俺の知っている風景ではない。


(……ここは……どこだ?)


 意識がはっきりするにつれ、胸の奥がざわつき始める。

 そして遅れて――あの夜の記憶が蘇った。


 非常階段。

 空を掴んだ感覚。

 落下。

 そして――光。


 そこから先の記憶は、きれいに途切れている。


 訳のわからない状況に、頭を抱えようとした。

 そう思って腕を動かした、その瞬間――


(……ん?)


 視界に入ったのは、異様に小さな手だった。


 指が短い。

 腕が細い。

 感覚が、やけに軽い。


 嫌な予感が、背筋をゆっくりと這い上がる。


 俺は息を殺し、恐る恐る自分の体を見下ろした。


 ――小さい。


 明らかに、子供の体だった。

 それも、生まれたばかりと言っていいほどの。


 理解が追いつくより先に、血の気が一気に引く。


(……まさか……)


 喉が、ひくりと鳴った。


 この世界。

 この体。

 この感覚。


 逃げ場のない答えを前にして、

 静かに――だが確実に、前世で見た()()()()()が形を結ぶ。


 全く理解の追いつかない状況。

 幼子では決して浮かべてはいけない、不快な笑みが、俺の顔に張り付いている。


 ――この感覚。

 その瞬間、はっきりと理解した。


 転生だ。


 生前、凍てついていたはずの心臓が、

 まるで存在を主張するかのように、強く脈打ち始めた

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