噂話にはご注意を。
※「バレシアナ家の娘は婚約の破棄を告げられた」と「婚約破棄を叫ぶ男に金的蹴りしたお嬢様」と同じ世界観
「ねぇ、どうしてあの方は婚約を解消されたの?」
「ねえねえ、妹に婚約者を奪われたって本当?」
「婚約者の挿げ替えが起きたのだもの。彼女に何か悪い所があったのかしら」
「私が聞いたのは、別の方に言い寄られて家に迷惑をかけられないからと妹に譲って家を出ると決意されたというものよ」
「まあ、見てよ。噂の方が来たわよ」
いつだって人の不幸を楽しそうに囀る者はいる。
ダリアはそれをよく知っていた。
ダリアには二ヶ月前まで婚約者がいた。毒にも薬にもならないような、印象にも残りにくい男で、家格よりもその顔と大人しい性格でどんな場所にも馴染む点で選ばれた。
ダリアは生まれた時から主張が激しすぎる顔立ちをしていた。くっきりとした目と形の良い鼻、ぷるぷるの唇。
両親は華やかと言うよりも清楚な顔立ちなので、何がどうしたらこんな華やかになるのか、と誰もが疑問に思っていた。
当然だがダリアは両親の間に生まれた間違いなく血の繋がった子である。部分で見ればそれぞれの良いところを継いでいるのだが、それが奇跡的に配置されたら華やかになったのだ。
その逆が妹のバーベナで、どこか印象に残りにくい地味な顔立ちをしていた。
通常ならば、ダリアのような華やかな娘は大層持て囃されたのだろうが、パッセーロ伯爵家にとっては非常に困った事になった。
この国には、国を平穏に保つ為に特別な役割を課せられている家門がある。有名どころでいえば『均衡と調整のバレシアナ家』や『法の番人のナリシュ家』等がある。
そして密かにパッセーロ家もその一つであった。
『お喋り雀のパッセーロ家』としての名を知るのは限られているが、知っている者はパッセーロ家を丁重に扱っていた。
お喋り雀とは様々な情報を上手い具合に広める者で、決して目立ってはいけない。印象に残らないことが何よりも大事だからこそ、ダリアの華やかさは致命的な欠点であった。
パッセーロ家にはダリアとバーベナしか子供がいないので、長女であるダリアが後継者になるのは流れとしては当然で、しかしその華やかさ故に伴侶は兎に角目立たない者にして、役目を委ねようという話になった。
しかしここで困った事が起きた。
ダリアがあまりにも華やかで美しすぎた為にパッセーロ家の事をよく知らないどこぞの高位貴族の子息に狙われたのだ。お役目的にもよく利用している派閥の公爵家や侯爵家、はたまた王家すら表立っては庇えなかった。特に王家などが情報操作の為に秘密裏に頼み事をしてきたものだから、パッセーロ家を目立たせる訳には行かなかった。
婚約しているにも関わらず割り込もうとするその家と令息のせいで、家そのものが目立ち始め、ダリアはバレシアナ侯爵家の現当主ダレスに相談をした。
バレシアナ侯爵家は貴族間での調整を役目としている。そしてパッセーロ家へ一番依頼をしている家でもあった。
表向きは婚約している伯爵令嬢に言い寄る某令息への対応の相談だが、その実はパッセーロ家をこれ以上目立たせないようにするには、という相談である。
ダリアの父と変わらぬ年頃のダレスは父よりも若く見える。彼が若い頃は大層やんちゃだったそうだが、今では落ち着きのある紳士であり、バレシアナ家らしく冷静沈着な方である。
「このままでは我が家に注目が集まりすぎて、王家にもご迷惑をお掛けする事になりかねませんの」
「そうだな。それはうちとしても困る。……そうだな。ダリア嬢は当主の座に拘りはあるかな?」
「いえ。元々わたくしの外見がこうですので、難しいと思っておりましたの。バーベナの方が当主として向いていますわ」
「うん。なら、今の婚約者をバーベナ嬢に変更して、君は私が紹介する者と結婚しないか?人間性はバレシアナ家が保証する」
「そうですね……わたくしの一存では決められませんが、その案は魅力的ですわね。特に、バレシアナ家が保証している辺りが。どなたですの?」
「私の妹の息子、甥だね。ハベスティア子爵家の長男のユリウスだよ」
ハベスティア子爵家と言えば、国内最大の『ヴァルト商会』を有している。現在の商会長は当主のカイルで、当主の座を次代に引き継いだら商会に専念すると言う噂は仕入れている。
「ここだけの話だが、ハベスティアの情報網はバレシアナも利用している。妹のアンジェリカが嫁いだおかげだね。それで、パッセーロ家への利点だが、君が嫁げばその情報網を使わせてもらえるよ。『お喋り雀』の行動範囲を広げられるね」
「まぁ。それはそれは……」
パッセーロ家では王都を中心に『お喋り雀』を放っているが、ハベスティア家と言うよりもヴァルト商会の伝手を利用出来れば、更に出来る事が増える。
「婚約者を妹に変えるのだから一時は噂になるだろうけれど、君の方に注目が行くだろう。ハベスティア家はカサドラ公爵家と我がバレシアナ侯爵家に縁がある。カサドラ公爵はアンジェリカの親友で、公爵の夫はハベスティア子爵の従兄と言う関係だ。ユリウスは子爵家の息子だが、君に言い寄るどこぞの令息よりも遥かに強い後ろ盾を持っている」
「前向きに検討……いえ、家族の許可を得てきますわ」
これ以上無いくらいの話だ。
ダリアとしては急遽後継者になるバーベナが心配だったが、彼女はかなり逞しいし頭も良いので、ダリアが当主になるよりもきっと良い方に向かうだろう。
屋敷に戻りダレスから持ち掛けられた話をすれば、父親は怖気付いていたが、バーベナは拳を握って賛同した。
「お姉様、その話を受けましょう」
「気合いが入っているわね」
「ヴァルト商会と言えば他国の商品の取り扱い数が段違いですし、特にお菓子はヴァルト商会でしか手に入れられないものもあります。お姉様が嫁がれたら少し融通して欲しいなんて思ってませんよ、ええ」
「貴方はそういう子よね。お父様、わたくしとしてもこの話は良いと思いますの」
「そうね。特に、アンジェリカ様がいらっしゃるもの。私がまだ娘時代、アンジェリカ様に憧れたものよ」
頬に手を当ててうっとりと語る母の隣で父の顔色が悪いのが気になる。
「アンジェリカ様はね、男性の横暴に耐えていた女性にとっての英雄なの。カサドラ公爵様が当時の婚約者に夜会で破棄を申し出られた時、ご友人としてアンジェリカ様は大変お怒りになり、お仕置をしたのよ」
「ヒュッ」
父が息を飲みながら股間部分に手を当てたのを見てお仕置で何をしたのかが分かった。女にはわからない苦しみがそこにはあるのだろう。
「当時は足振りの練習を沢山したものよ。ヒールのある靴で片足立ちは大変だと分かったわ」
ドレスの裾を蹴るのとはまた違うのだろう。そんな練習を母がしていたことにダリアは驚いたが、父がその攻撃を与えられた事が無いことだけは分かった。
「バーベナはマロウ様が婚約者になるけれど良いの?」
「ええ。彼以上に我が家に馴染む方はいないと思いますし、それに、マロウ様は素敵な方ですから」
「あらまあ。やだ、貴方の憧れの方なのね?なら何の問題もないわね」
「マロウ君にも話をしなければならないが、バレシアナ家が間に入ってくれるならあの家との問題は解決するだろう」
こうしてダリアとマロウの婚約は解消され、マロウとバーベナが新たに婚約を結び、後継者も交代となった。
全員が納得した上での話なのだが、どこにでも話を厄介にしたい者がいるようで、ダリアとハベスティア子爵家のユリウスとの婚約が発表される前に、憶測でしかない噂が広がっていた。
ユリウスとは顔合わせを済ませ、婚約も結んでいた。
ダリアを狙っていた令息の家にはバレシアナ侯爵家とハベスティア子爵家から丁重にお話を通したそうで、その後ろにあるカサドラ公爵家に恐れをなした当主は諦めたらしいが、令息の方が諦められなかったらしく悪足掻きとして、後継者の座と婚約者を奪われた挙句、ハベスティア子爵家に擦り寄ったふしだらな女と言い触らそうとしたらしい。
だが、相手が悪かった。
噂を広めるのはパッセーロ伯爵家のお役目だ。
ダリアに注目を集めるのは構わないけれど、ハベスティア子爵家の評判を落とそうとするのはやり過ぎだ。その後ろにバレシアナ侯爵家と更にカサドラ公爵家がある事を理解していない。
ダリアの父は子飼いの『お喋り雀』に噂を絶妙に変えさせた。
婚約者の交代は元々噂になるのは想定していた。
その理由をいくつかに分けることで真実味を減らしたのだ。
そして本日、ダリアはユリウスから贈られた他国で流行り始めた最先端のドレスを着て夜会に参加していた。エスコートは当然新しい婚約者のユリウスである。
カイルとアンジェリカの良い所を詰め合わせたユリウスの顔はダリアにも劣らない華やかさで、二人が並んでいると眩しいと思わせるほどだ。
波打つ深紅の髪の毛に鮮やかな琥珀色の目をした肉感的なダリアと、黒髪に榛色の目をした長身のユリウスは会場の視線を一気に集めた。
「見てくださいな、ユリウス様。誰も彼もがわたくし達に注目していてよ」
「君はやはりパッセーロよりもハベスティアの方が性に合ってるよな」
「ええ。ヴァルト商会の取り扱うドレスの宣伝役にピッタリでしょう?見てなさい、売れるわよ」
パッセーロ家に産まれた事を疎んだ事はない。それは間違いない。しかし、適材適所という物がある。
ハベスティア子爵家と顔合わせをした日、アンジェリカはダリアを非常に気に入ってくれた。家の事を考えて行動に移したダリアの性格はアンジェリカの好みだったようだ。
母は少女のようにアンジェリカに見蕩れ、父はカイルに慰められていた。
ユリウスは華やかな見た目とは裏腹に堅実な性格をしている。女に不自由してなさそうなのに、周囲にいる女性が強すぎた。
ダリアも見た目は華やかだが考えは堅実な方なので、ユリウスとの相性はよかった。話をしていても見た目でどれだけ苦労してきたかを分かち合えるのも大きかった。普通なら自慢か、と言われる所だが、二人の間では苦労話に変わる。
短い期間で一気に親しくなったと、ダリアは感じている。
「まあ、ダリア嬢。それにユリウス殿ではないの」
「カサドラ公爵様、お久しぶりにございますわ」
「マリアーネ様、お久しぶりです」
「ふふ。アンジェリカから聞きましたわ。二人が婚約を結んだと」
「ええ。バレシアナ侯爵様のご縁で」
「伯父上からこれ以上ない良縁だと紹介いただいて」
「あら。ダリア嬢には婚約者がいたのでは?」
「それが、わたくしがとある方に求められて……ですがその時は婚約者もいましたのでお断りしていたのです。しかし圧を掛けられて家には迷惑を掛けられないとわたくしが家を出て修道院に行こうと思い、妹と婚約者に家を託したのです。その後、バレシアナ侯爵様に家の今後を見守ってくださるようお願い申しあげに行ったところ、ユリウス様にまだ婚約者がおられず探されているからどうかと……」
「なんて事……貴方は家を守る為に、当主になる道を諦めたの?」
「妹はわたくしよりも賢く真面目ですから、安心して託せましたわ」
この会話はすべて茶番である。マリアーネが話しかけてくること、そして事情を話すことは決められていたことだ。大事なのはマリアーネが公爵であり、この会場にいる誰よりも身分が高いということだ。王族がいない夜会での序列で最上位のマリアーネがそうと認めたらそれが真実となる。
「ユリウス殿は私の大切な親友の息子ですし、夫の従弟の子でもあるから何かあれば私に相談なさい。まあ、その前にバレシアナ家がいますわね」
「有難いことに。アンジェリカ様には大変可愛がってもらっています」
バレシアナ侯爵が縁を取り持った、それだけでダリアに問題が無いという信頼になる。つまり、ダリアについて碌でもないウワサを広めたらバレシアナ侯爵家を貶める事になる。
この国の貴族でバレシアナ侯爵家を敵に回せるのは無知な者か無謀な者くらいだ。
更にハベスティア家に嫁ぐ以上、ヴァルト商会も絡んで来る。大商会から手に入れる品は一種のステータスであり、不興を買って購入禁止となれば困るのは噂した方である。
噂の使い方を熟知しているパッセーロ家はこの夜会を利用し、その後はお喋り雀によって真実を広めるつもりだ。
ダンスの時間となり、マリアーネとトマスがホールの中央に向かう。最も身分の高い二人が踊らなければ他の者が踊れない。幸せそうに踊る二人を見ているダリアとユリウスは寄り添い合っている。
話を聞きたそうに近寄る者がいるが、華やかすぎて近寄り難いらしい。そうしている間に1曲が終わり、ユリウスのエスコートを受けてダリアはホールに立つ。
胸元あたりは深紅色だが裾に向けて黒へとグラデーションになっている生地は隣国で最近出回り始めたものだ。
ふんわりとしたラインが主だったこの国のドレスとは異なり、体に沿いながら脚の半ば辺りで広がりを見せる。
それこそ身長とスタイルの良さに自信がなければ着こなせないドレスをダリアは着ていた。
「僕の婚約者が最も美しいな」
「あら。わたくしの婚約者の方がもっと美しいわよ」
「美しいより格好良いと言われたい男心を察してくれるかな?」
「ふふ。貴方は格好良くて、可愛らしいわね!」
このやり取りまでは流石に決められたものではない。本心からのやり取りだ。要はお互いに惚れあってるので、ちゃっかり恋愛結婚という訳だ。
「貴方がわたくしの為にデザインまで拘ってくれたのが嬉しいのよね」
「君の良さを最大限に引き立てるのは僕だけでいいからね」
「ええ。貴方だけよ」
優雅に踊りながら甘ったるい声で言葉を交わし合う二人の近くで聞いていた者は、すっかりと中てられてしまった。
どこぞの令息が流そうとした噂など直ぐに塗り替えられるだろう。
だって今夜の主役を掻っ攫ってしまったのは、国内最大の商会を持つハベスティア家と王家も常連の『お喋り雀』のパッセーロ家の子供なのだから。大人が子供の為に奮闘するのはなるべくしてなったという事だ。
■家関係
『均衡と調整』
バレシアナ侯爵家
・ドミトリス&フェリシア
└ガレウス→隣国公爵の夫に
└ユリアナ→当主
└マーリオ→当主
└ダレス→当主
└アンジェリカ→ハベスティアへ
└コーリン→王家へ
国内最大のヴァルト商会持ち
ハベスティア子爵家
・カイル&アンジェリカ
└ユリウス
『お喋り雀』
パッセーロ伯爵家
・父母
└ダリア→ハベスティアへ
└バーベナ
『法の番人』ナリシュ家
『国外折衝』マグダレナ家
ここら辺も書いてみたいです。




