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 そのまま静寂が続いた。遠くからカラスの鳴き声が聞こえていた。何も起こらない。息を詰めて少年の目のあたりを見つめていた俺はしばらくすると大きく息を吐き、それからふっと笑った。

「もうないな、弾」

 少年の目は長い前髪に隠れてよく見えないが、唇がゆっくりとめくられ、笑ったのが分かった。

「バレた」

 笑いを含んだ声で少年は言う。

 その言葉にゆるく笑いながら俺は再びエアガンに目をやった。先ほどまで強烈な威力を発揮していたエアガンが今はただの筒でしかない。その滑稽さに半ば呆れながら俺は片手を持ち上げ、筒をぐいと掴んだ。同時に少年を見上げる。

「なんで助けた」

 少年は俺の言葉にゆるく笑った。

「なんででしょ」

 俺は唇の端っこを舐め、筒を掴む手から力を抜いた。同時に少年が筒から手を離し、それはがらんと音を立てて地面に転がった。


 少年が身をかがめ、俺の首元に両手を伸ばしてきた。首を絞めてくる。まるで魔術のようだ、俺の身は少年の指に捕らえられてぴくりとも動かない。少年はさして力を込めているようには見えなかった。多大なエネルギーを使わず相手の動きを封じ込める術を心得ているかのようである。そして少年の顔は逆光により暗く沈み込んでよく見えず、ただ夕日だけがひどく眩しい。


 乾いた風に包まれながらどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。不意に少年が口を開いた。

「俺さ、貧乏なんだよ」

 のんびりとした口調だった。俺は息苦しさを覚えながらも口元にゆるく笑みを浮かべた。なるほどね。俺は口を開く。

「だから報酬が欲しいのか」

「ビンゴ」

 少年はにやっと笑った。

 厄介な奴に助けられたものだ。同じ年頃なのだろうがあまりにもみずぼらしい。風に吹かれ、茶色がかった髪や着古して伸びきった灰色のTシャツがぱさりぱさりと揺れている。

 俺は軽く辺りを見回した。このような風貌の奴は複数人で群れる傾向があるが、こいつはどうやら一人で行動しているようだ。辺りに人影はない。

 不意に、

「おまえさ、」

と少年は俺の首から手を離した。非常にゆったりとしたテンポで言葉をよこす。

「いくらくれるんだ? 家にもたくさん眠ってんだろ? よこせ。全部だ。チンピラどもから助けてやったんだからよ」

「タチ悪ぃな。ハイエナか」

「ハイエナじゃねえよ、ドブネズミだ」

 そうか、と言いつつ俺は目を凝らして少年の顔を見た。

 憂鬱な目だ。けだるそうに、しかしながらしっかりと俺の目を見下ろしている。


 体中が傷に疼いていたが動こうと思えばすぐに動くことはできた。やばそうな奴のもとからすぐに去ることはできた。しかし俺は動かなかった。なぜだったのだろう。俺の目も体も、少年の瞳に捕らえられたかのように、引力に引きずり込まれたかのように動かない。静かに俺を眺めまわす少年の瞳に思ったのは、風のない海だった。


「そんなに金が欲しけりゃ自分で稼げよ。選り好みしなけりゃ職なんていくらでもある」

 ゆるく笑いながら俺がそう言うと少年は片頬だけで笑って、

「だろうね。まともな世界ならな。だがな、おぼっちゃん、あいにく俺の住む世界は甘くねえんだ。ハンティングが俺の常識さ。せっかくの獲物をみすみす取り逃がすなんてアホなマネはしねえよ。獲物ってのはもちろんおまえのことだ」

「汚ねえ奴」

「稼いだ金、全部スられて困ってんだよ。だからスり返してやるんだ」

「おまえ親からどういう教育受けたんだよ」

 少年が笑う。同時に目尻が下がり、色のない唇からは歯が覗いて、それは先ほど人間に向かって発砲していたのと同じ奴だとは思えないほど無邪気な笑みだった。

「とりあえず傷の手当てをしてくれ。話はそれからだ」

 思わず俺はそう言っていた。口が勝手に言葉を発した気がした。


「こんな姿で家に帰ったら親が絶句する。学校に電話でもされたらかなわねえからな。面倒なことに俺は関わりたくないんだ」

「まかせろ。手当ては得意だ」

 少年の無邪気な笑みに引っ張られるように俺もゆるく笑った。

「おまえの働きによって報酬は変動する。真面目にやれよ」

「俺はいつでも真面目だ」

「嘘つけ」

「嘘なもんか。さあ行くぞ。俺んちだ」

 そのへんに転がっていたエアガンを拾って少年が立ち上がる。ついでのように俺に向かって手を差し出してきた。


 スポーツマンシップ、というものがスポーツ界には存在する。相手が味方であろうが敵であろうが誠意を尽くす、というやつだ。まさにそれのように少年の手が俺の手を掴み、俺はされるがままに身を起こした。これまでスポーツマンシップなどというものとは無縁であったというのに。


 さっさと少年が歩いてゆく。その細い背中を眺めながら俺は不意に思い出した。幼い日に母親から言われ続けてきた言葉だ、知らない人について行ったらいけません。可笑しくなって俺は笑った。なぜ自分はこうして見知らぬ少年について行っているのだろう。自分より身長が低いから、見るからに筋肉量も自分より劣っているから安心感でもあるのか。エアガンをぶっ放したやばい奴であるというのに。



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