ダメダメなお父様
ドナルドソン男爵家の屋敷は、一応二階建てである。
とはいえ、屋敷と呼ぶにはおこがましい。小さくてボロボロで汚いけれど、それでも大事なわが家。
わたしの部屋は二階にある。お父様の部屋も二階だけれど、彼は一階の居間ですごしていることが多い。
というよりか、お父様はほとんど外ですごしている。たとえば、街の酒場か路上で。
帰宅したときは、居間にいる。彼は酔っていることが多い。二階に上がることさえままならないらしい。だから、居間ですごしているというわけ。
王宮に出勤しなければならない。居間の前を通りかかると、鼻に酒精のにおいがまとわりついた。
(お父様、帰ってきているのね)
心臓が早鐘を打ち始めた。
この緊張感だけは、どれだけ年齢を重ねてもかわることはなかった。
屋敷を売り払い、王宮の寮に入るまでは。
いいえ。お父様が行方知れずになるまで……。
お母様?
お母様は、飲んだくれのお父様と不器量すぎる上に役立たずすぎるわたしに愛想を尽かし、知らない男性とどこかに行ってしまった。
死に戻ったというのにこの強烈な臭気を嗅いだ瞬間心臓がドキドキするなんて、これはもう条件反射でしかない。
せっかく大決意したばかりだというのに、その大決意が揺るぎそうになる。
「おい、葡萄酒はどこにある?」
居間の中から、お父様の酒焼けしたしゃがれ声が飛んできた。
見つかってしまった。
お父様は、居間で葡萄酒の瓶を探していて通りかかったわたしをめざとく見つけたのだ。
きこえなかったふりをしようとした。
(ダメよ、わたし。自分自身をかえると決意したばかりよ。キャラをかえなくては、一度目の人生を歩むことになる。かわる為には、どのようなものからも逃げてはダメ。立ち向かわないと。向き合わなくてはいけないわ)
足早に居間の前を通りすぎようとし、強い意志でもって足を止めた。
が、足はそこから動こうとしない。
居間の中にいるお父様と対峙する勇気までは、出そうにない。
「がんばるのよ、わたし。生き残る為には、まずはお父様と向き合うべきよ」
口に出して自分に言いきかせる。
そして、扉が開いたままの居間にズカズカと入っていった。
「なにかしら、お父様?」
出来るだけ居丈高に振る舞ったつもり。
だけど、着古して生地はテカテカ、ボロボロのシャツとスカートという恰好では、どれだけ居丈高に振る舞っても貫禄も威圧感もないけれど。
(それでも気持ちの持ちようよ)
「なにかしらだと? 役立たずが、父親にたいしてそんな口のきき方をしていいと思っているのか?」
都合のいいときだけ父親になるお父様。
「葡萄酒はどうした? 買っておけと言っただろう?」
「葡萄酒?」
内心ではヒヤヒヤというよりか怖れおののき、心臓をドキドキばくばくさせつつ、せいいっぱい虚勢をはってみることにした。
「葡萄酒を買うお金はありません。すくなくとも、お父様に飲ませる為に銅貨の一枚融通するつもりはありません」
実際のところ、一度目の人生では王宮付きの侍女のお給金は借金返済でほとんどが消えていた。
屋敷を売り払い、帰るべき場所をなくして王宮にある寮に入るまでは、その日の食事分のお金さえないことが多かった。