幽閉
閣下から預かっている扉の真鍮製の鍵は、すっかり酸化してしまっている。色が濃く深くなり、光沢がかすんでいる。それを扉の鍵穴に差し込むときの鈍い音が、ノックがわりになる。
「陛下、お食事を持ってまいりました」
もう何千回と告げた台詞。
「ふんっ、それが食事なものか」
そして、何千回と言われた台詞。
彼とわたしは、飽きもせずずっと同じやり取りをしている。
そう。朝起きて夜眠るのと同じように。
「そうですね。ですが、わたしも同じ物を食べています」
いつ脚が壊れてもおかしくない丸テーブルの上にトレイを置きながら、そう返すのも同じこと。
この一連のやり取りは、ルーティンワークというわけ。
それはともかく、食事に関してはわたしも彼と同じような内容である。
わたしの生まれ育った屋敷は、とっくの昔に売り払わなければならなかった。だから、ずっと前から王宮の寮に住まわせてもらっている。もちろん、食事も提供される。だけど、二度の食事はほとんどパンとスープしか残っていない。つまり、メインはいっさい残されていない。というよりか、与えてくれない。しかも、提供される食事は三度だけれど、侍女長から「役立たずは二度で充分」と言われている。
寮住まいになってからは、よくて一日に二度、一度きりのときも少なくない。
(たとえ量が足りなくてもかたいパンと冷えきったスープだけで栄養不足になっているとしても、与えてくれるだけもありがたく思わないといけないのよね)
そう割り切っている。
いずれにせよ、レディのわたしとは違い、彼は老いたとはいえ男性。わたしよりよほど食事の量は足りないはず。しかも、彼はこの狭い部屋に閉じ込められていて歩きまわることさえ出来ない。運動不足で体力はなくなっている。それだけではない。本やペンや紙もないからなにもすることがない。
だからこそ、彼はすっかりかわってしまった。
見た目だけではない。いろいろなことが、すべてがかわってしまった。
彼の唯一かわっていないところは、わたしにたいする態度だけ。わたしにたいする悪意だらけの態度だけがかわっていない。
寝台の上に座っている彼の前に、丸テーブルをひきずっていく。
彼は、寝台から動くだけの体力がない。筋力もすっかり落ちてしまっている。
居間の彼は、いつ崩れてもおかしくない寝台の上で横になったり起き上ったりするのが精一杯なのだ。
そのような彼の為に、せめてシーツや枕カバーや毛布はかえてあげたい。
ほんとうは許されていない。しかし、こっそり洗濯をしたりわたしのを持って行ったりしている。
「ふんっ」
彼が鼻を鳴らした。
そのどんよりとした碧眼は、丸テーブル上のかたいパンと冷えきったスープを睨みつけている。
「ここには、ひとりできたのか?」
彼は、思いもかけずそんなことを尋ねてきた。
いつもなら、パンやスープにたいする不満やわたしのことで嫌味をぶつけるのに。
またしても違和感を覚える。
「……。いえ、陛下。閣下が……」
答えるかどうか迷った。が、閣下に口止めをされたわけではない。だから、答えた。
わざと「閣下」と敬称だけを使った。
これならば、どこの「閣下」かわからないはずだから。
とはいえ、彼にはわかるだろうけれど。
「そうか。もう行っていいぞ」
「はい、陛下」
彼にお辞儀をし、昨夜の分の皿を回収して部屋を出て行こうとした。
「ナオ」
彼に呼び止められた。
うしろを振り返ると、彼は笑っていた。
伸びるに任せた毛髪と髭で表情がわからないはずなのに、いまこの瞬間なぜか彼が満面の笑みを浮かべているのだとわかった。
「ナオ、いままでありがとう」
それは、彼から一度もきいたことのない言葉だった。いままで、彼が一度も発したことのない一語。
彼は、なぜかそのたったひとことを告げたのである。
このわたしにたいして。
違和感どころではない。
不吉でしかない。
背筋に冷たいものが走るというよりかは、雷でも落ちたかのように全身に痛みが走った。