死に戻りからの初出勤
ドナルドソン男爵家は、上流階級の多くが住むエリアでももっとも辺鄙なところにある。つまり、王宮からかなり離れた場所に位置している。
本来なら馬車で通わねばならない。だけど、わたしは徒歩で通っている。
うちには荷馬車さえない。それどころか、金銭的に街馬車に乗る余裕さえない。
季節のいいときはまだマシだけれど、悪天候や真夏や真冬のときは大変である。
通勤の面を考えても、前の人生の後半はまだよかった。
寮は本当にラクだった。
とはいえ、テクテクと歩いて通うのもそこまで最悪ではなかった。考えごとをしながら、あるいは季節の移ろいを感じながら歩いていたから。
このエリアを歩く人はまずいない。だれもが馬車を使うからである。ということは、歩いているのはわたしだけ。というわけで、ひとりテクテク歩くことの解放感はたまらない。
徒歩通勤していたときは、それはそれで楽しかった。
いまもそう。王宮へと歩きながら、若いときのことを思い出している。
いつもみんなの嘲笑や非難や蔑み等負の感情の的だった。そればかりが思い出される。
「役立たず」、というレッテルを貼られたわたしにロクな仕事は与えられない。
侍女長をはじめ、わたしのことをだれもがそう認識していた。そうとしか考えていなかった。だから暗黙の了解的に、だれもが倦厭する仕事をまわしてくるか、だれかがミスや出来なかった仕事をまわしてくるかのどちらかだった。
わたしもまた、それを受容していた。
波風を立てない。なにも言わず、ただみんなの言いなりになりさえすればいい。
いつも俯いて頷いていればそれでいい。
そういうふうにしていれば面倒くさくない。
そのようにすごしてきた。
その受け身で諦めの人生の末路が理不尽きわまりない「死」である。
もろもろのことを思い出したり考えながら歩いているうちに、王宮の門を通過していた。
門から宮殿までは、当然のことながら距離がある。さすがは王宮。馬車道が永遠と思うほど続いており、左右には庭園が広がっている。
その庭園もずいぶんとさまがわりした。前の人生で殺される直前には、庭園に予算を使うことより他のことに使っていた。庭園には、季節を問わず何十種類もの色とりどりの花々が絶えることなく咲き誇っていた。
それはもう美しく、また可愛らしく。
そういった花々や木々にいつも癒されていた。王宮付きの庭師たちが丹精をこめて育てた草木に、いつも慰められていた。
それもじょじょに規模が縮小された。庭師の多くが解雇され、しまいには侍女や執事が交代で水や肥料をやった。
そして、ついにはそれさえなくなった。
花々は枯れ、木々は朽ちた。
カニンガム王国の王宮の庭園は、この大陸で一番醜く殺風景な庭園と化した。
いいえ。もはや庭園ではなく、ただの殺風景な空き地や荒れ果てた森といった方がいいかもしれない。
そんな未来の庭園に愁いを抱きつつ、それを横目に足早に歩き続ける。




