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3. サンタの時間 -3

 12月23日夜。

 山崎と犬飼がグアムで楽しんでいる頃、日本では若林とウィンザーが揉めていた。

 数日前から若林は風邪を引き、熱を出していた。安静を保つと熱は2日ほどで下がってきたが、まだ完治はしていない。

 看病のため、ウィンザーは相田との約束をキャンセルしようとするが若林に止められる。

「力はお前と出かけるのをすごく楽しみにしている。行って来い」

「ですが、体調を崩している貴方を置いてはいけません。咳がひどくなっていますし、早めにお医者さまに診て頂かないと」

 若林とウィンザー、どちらも引かない。

「じゃ、病院に行っておく。ずっと寝たきりだったから飽き飽きしていたところだ。少しは体を動かしたい」

「ひとりで大丈夫ですか?」

「病状は随分良くなっているし、何か分からないことがあれば関係者に聞く。大丈夫だから行け。これは命令だ」

「はぁ……」

「デイブ、お前もたまには息抜きして来い」

「わかりました。貴方がそこまでおっしゃるのでしたら」

 ウィンザーは不本意ながらも主人の指示に従うことにした。


 次の日。

 ウィンザーは玄関でまだ渋っていた。

「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だって言ってるだろ」

「今日は寒いですから温かい格好をしてくださいね。病院へはタクシーを使ってください。あと、水分をたくさん摂って大人しく寝ていてください。お薬もきちんと飲んでくださいね。あと……」

「デイブ、いい加減にしろ。新幹線に乗り遅れるぞ」

「唯昂……やはり私は……」

「デイブ!」

 若林の意思は固い。

 ウィンザーが逆らえるはずもなく、大きな溜息を吐いて覚悟を決めた。

「では、行って来ます。帰りは18時過ぎになると思います」

「わかった。気を付けてな」

 ようやくウィンザーは玄関を出た。

 若林は早速ウィンザーと交わした約束を実行に移す。  外出の準備をすると若林はマンションを出る。病院までは一駅という近さなのでちょうどいい運動になると考え、寝てばかりいた若林はタクシーではなく電車で病院に向かうことにした。


 やはり年末にもなると寒さが一層厳しくなる。冷たい風が容赦なく若林に吹き付けた。若林はコンコンと咳をしながら駅に辿り着き、電車に乗り込んだ。

 若林は電車を降りて駅を出ると病院に向かう。途中、喉が渇いて飲み物が手に入るところはないかと辺りを見回す。ちょうど自動販売機を見つけたので若林はそれに近寄った。硬貨を入れてボタンを押すと、自動販売機は『ピコピコ……』と派手な音を発し始めた。

「なんだ?」

(防犯システムの誤作動か?)

 若林は音の原因が分からずたじろいだ。音はさらに大きくなり、軽快な音楽へと音調を変える。

(ここで逃げたら捕まるのだろうか)

 意味不明な事態に若林は呆然と立ち尽くした。

「ちょっとアンタ、早くボタン押さねーと!」

 突然後ろから声がかかる。

「え?」

 若林が振り返ると、見慣れない制服を着た男子高校生が立っていた。

「ああ、もう!」

 若林がすぐに行動に移さなかったため、男子高校生は自らボタンを押した。

 その瞬間、音が鳴り止む。そしてガタンと音を立てて2本目の缶ジュースが取り出し口に落ちた。

「アンタ、当たり付きの自販機知らねーの?」

「当たり付き?」

「そりゃ最近はほとんど見かけなくなったけど、見た感じオレとあんま歳変わんねー感じだし、見たことくらいあんだろ?

 当たったら時間内にボタン押さねーとオマケのもう1本がもらえねーの」

 男子高校生は初対面にも拘らず、クラスメイトと話す口調で若林に接した。

 身長は179cmで髪は漆黒ではなく栗色に近い。少し癖があるようで毛先はくるりと丸まっている。目はくりくりとして大きく、鼻筋が通っている。陽気な空気を纏い、華やかな印象を受ける少年である。ずけずけとした物言いだが、世話好きを覗かせる親切心を含んだ態度に悪い気はしなかった。

「知らないな」

 若林は男子高校生に答えながら缶ジュースを2本取り出した。

 ひとつは自分が選んだホットティー、もうひとつは目の前の男子高校生が選んだコーラ。若林はコーラを差し出して言った。

「これ、やる」

「え……いいのか?」

「ああ。オレはコーラは飲まないからな」

「サンキュー。ちょうど喉渇いてたから助かった!」

 男子高校生は嬉しそうにコーラを受け取った。

「じゃぁな……ごほっごほっ」

 若林がその場を立ち去ろうとした時、突風が吹く。

 若林の気管にその冷たく渇いた空気が入り込み、苦しげに咳き込んだ。

「ごほっ、ごほっごほっ……」

 咳は止まらず、若林は苦しさにうずくまった。

「おい、大丈夫か?」

 男子高校生は若林の容態を見て狼狽えた。

「びょ、病院行くか?」

 若林は咳で返事も儘ならず、診察券を差し出した。

「え? ここに連れて行けってこと?」

 男子高校生は内容を確認する。

「あ、すぐそこだな。わかった」

 男子高校生は若林を抱き起こし、指定された病院に連れて行った。

 

 診察の順番待ちをしている間に若林の咳は落ち着いてくる。

「初対面なのに厄介事に巻き込んで悪かったな。もう帰ってくれて構わない」

 若林は掠れた声で男子高校生に言った。

「気にすんな。たいしたことしてねーし。巻き込まれついでにアンタを家まで送ってやるよ」

 男子高校生は若林に微笑んだ。

 そしてまじまじと若林を観察する。極端に低い身長とコートの上からでも華奢だと分かる体格。異常に整った顔に乏しい表情。同じ高校生からは感じることのない高い気品。どこか現実離れした雰囲気を持つ若林に男子高校生は興味を抱いた。

「オレ、荒川。アンタは?」

「若林」

「高校は?」

「桐葉」

 たわい無い話をしながら若林と荒川は待ち時間を過ごす。

「寒くないんだったら、そろそろコート脱いどけ。持っててやるから」

「ああ、悪い」

 若林は白地にチェック柄のマフラーを取り、キャメル色のダッフルコートを脱いで荒川に渡す。

 ちょうどその時若林の名が呼ばれ、若林は診察室に入って行った。

(これ、カシミヤだな)

 荒川は手触りのいいコートとマフラーの品質を見定めながら几帳面に畳んでいた。

 コートを中表にした際、ブランドタグが目に入る。ババリーである。

 ババリーとはイギリスのアパレルメーカーである。ババリーチェックと言われるチェック柄は世界的に有名で、日本でも人気のある高級ブランドである。特に代表商品であるトレンチコートは人気が高い。

(ババリーのカシミヤ・ダッフルなんてトレンチが2着買えるじゃねーか。こりゃ、ぼんぼんだな)

 荒川が若林と出逢った時に感じた高い気品の理由をなんとなく理解する。

 しばらくして若林が診察室から出てくる。荒川は若林にコートを羽織らせて、トグルをひとつずつループに通していく。当たり前のように荒川の世話を受ける若林が子供のようで、荒川に笑みがこぼれた。

「どうだった?」

「気管支炎になりかけてるから一応薬を出すって言っていたんだが……」

 若林の言葉尻がしぼむ。

「どうした?」

「この後、オレはどうすればいいんだろうか」

「どうするって、何が?」

「いつもデイブが……オレのバトラーが処理しているから分からない。教えてもらえると助かるのだが」

(オレのバトラーだと? こいつ、本物のぼんぼんかよ)

「とりあえずここの診療費払って、処方箋もらって薬局行って薬をもらえばいい」

「まだそんなにしないと帰れないのか……」

 若林は疲れ切った表情をしている。よく見れば顔が赤い。おそらく熱が出ているのだろう。

「仕方ねーなぁ。オレがしてきてやるからここで座ってろ」

「助かる……」

 荒川は会計を済ませ、病院に隣接する薬局で薬を受け取ると、病院の待合室で座る若林のところに戻った。

 若林の体勢に力がないと思えば、居眠っている。

「世話の焼ける奴だな……」

 荒川はここでも面倒見のいい性格を発揮する。

 荒川は若林を背負うと、病院からすぐ近くの自宅へ連れて帰った。



 相田とウィンザーを乗せた新幹線は新横浜駅を出て名古屋駅へ向かっていた。

 相田はそわそわと落ち着かない様子でウィンザーの隣の席に座っている。何度も若林宅へ訪問し、ウィンザーと会うことに慣れてきたはずなのに、この至近距離ではまだ緊張してしまう相田だった。

 若林はウィンザーが来日するまでは、ストリートバスケットの後は必ず相田の家で夕食を取っていた。若林がイギリスに渡航する前は家族ぐるみの付き合いをしていたので、相田の家族も若林を歓迎し、再会を喜んでいた。

 ウィンザーが来てからは互いの自宅を交互に訪れるようになっている。そのためウィンザーから「リキ」と呼ばれるくらいまで仲良くなっていた。

「唯昂は貴方をとても信頼しているのですね」

 天気が良ければ富士山が見えるからと相田に勧められて、窓際の席に座ったウィンザーが話しかける。

「私が唯昂以外とふたりで出かけるのを許可したのは初めてのことです」 「そうなんですか」

 相田は意外そうな顔をした。

「唯昂はあなたを大変好いています。とても大切な友人なのだと思います」

「俺も唯昂が好きですよ。唯昂がイギリスに行ってしまう前からずっと」

 相田は穏やかに微笑んだ。

 そのとき、新幹線は山梨県と静岡県の県境を抜ける。少し雲がかかっているとはいえ、雄大な日本一の山を堪能するには十分な天候だった。

「あれが富士山……美しい……」

「見えて良かったですね」

 窓の外を見入るウィンザーに相田は優しく話しかけた。

「ええ。この席を予約して下さったリキのお蔭です」  ウィンザーは穏やかに微笑み返した。

 相田はこの微笑みに弱い。この大きな包容力にすっぽりと包まれたいと思ってしまう。自分よりも年上で背が高くて頼り甲斐のある美しい目の前の男に、甘えたいと願って止まない。

 すらりと伸びた長い脚を少し窮屈そうに座席におさめて、いつもの黒服ではなくセーターとシャツに身を包むウィンザーは普段よりも幾分若く見える。

「お前の美しい金髪は日本では目立つから」と言って若林にプレゼントされたハンチング帽を大事そうに被っていた。

 相田はウィンザーに見惚れながら、いつしか心地よい眠りに落ちていた。


 新幹線は名古屋駅を出発して30分走り続けている。まもなく降車予定の京都駅である。

「リキ、起きて下さい」

「はい……あれ、俺眠っちゃったんですか」

「ええ、とても気持ち良さそうでしたよ」

(なんたる不覚! せっかくウィンザーさんとこんな至近距離でいるのに寝てしまうなんて勿体無い! 俺の馬鹿、馬鹿、馬鹿ぁ)

 相田は自分の行動を後悔し、歯をギリギリと噛み締めた。

「頬が……」

 ウィンザーが手を伸ばして相田の頬に触れる。そしてある一カ所を指で何度か撫でた。

「私の肩に凭れ掛かっていたので……その跡ですね。少し格好悪いですが、じきに消えるでしょう」

 ウィンザーはにこりと笑った。

(今、顔触られた! 優しくされた! 俺、ウィンザーさんに寄り掛かって寝てたのか。前言撤回。グッジョブ、俺っ)

 相田はひとりでグルグルと思考を巡らせ無駄に頭の中を忙しくさせていた。


 新幹線を降りるとふたりは寺に向かう。

 ウィンザーのリクエストだった。寺が観たいと言うのでせっかくだから京都に行こうとなったのである。クリスマスに寺とは予想外だったが、相田はウィンザーさえいれば場所はどこでも良かった。

「リキはここで待っていて下さい」

 寺の入り口で相田を待たせると、ウィンザーは受付で拝観料を払いパンフレットを手にして戻って来た。

「ここの拝観料ってお抹茶代が含まれているみたいですよ。ぜひ頂きましょう」

 ウィンザーにとって初めての抹茶なのだろう。顔からワクワクした気持ちが滲み出ていた。

 寺の庭は季節柄、色味がない。花もなければ葉もない。唯一木の枝や岩の上に積もっている雪が存在感を示し、まさしく一面の景色に化粧を施していた。

 人工的なものは一切なく、自然のみが創り出す庭の佇まいは飽きることがない。季節によって時間によって見る側の心によって常に変化する。

 しんと静まり返った空間や冷たい空気に全身全霊が浄化されるような気分になる。相田は廊下に腰を落として黙って庭を見つめた。

 ウィンザーは初めのうちは感動と共に庭を眺めていたが、建物の構造に興味があるらしく、屋根の下や天井、梁などをつぶさに観察していた。

「ウィンザーさん、そろそろお抹茶を頂きに行きましょうか」

「ええ」

 返事をするウィンザーの瞳が輝いた。



 荒川が自宅の玄関に辿り着くと、中年の女性が小走りで寄って来る。

「お帰りなさいませ。その方は?」

「えっと……友達? とにかくこいつ熱出してるからオレの部屋に寝かせる。紗和さん、布団敷いてくれる?」

「はい、分かりました」

 荒川家の家政婦、清水紗和(しみずさわ)は素早く荒川の部屋へ向かった。

 荒川は若林を自室に運ぶと、一度若林を起こす。

「若林、服脱いで。それから体温測って」

「ここは?」

 若林は見慣れない景色に驚き、辺りを見渡す。

 目に入るものは畳、襖、木柱、格子、欄間……完璧な日本家屋である。

「オレの部屋だ。アンタが寝ちまったから連れてきた」

「悪い……すぐ帰る」

「その判断は熱を測ってからにしてくれ。ほら口開けろ」

 若林は素直に口を開けて体温計を咥える。しばらくして『ピピピ』と電子音が鳴った。

「38度2分か……これくらいなら解熱剤不要だな。他の薬は飲んどけ。アンタ、飯は?」

 若林は首を横に振る。

「オレも昼飯まだだから一緒に食うか?」

「いい。帰る」

「寝ちまう程しんどくて、そんだけ熱が出てたら無理だろ。いいからせめて夕方まで寝とけ」

 荒川は若林の頭をポンポンと撫でると、部屋を出て行った。荒川は手にスポーツドリンクを持ってすぐに戻ってくる。

「水分摂って寝てりゃ、ちょっとはましになるだろ」

 荒川は若林にペットボトルを渡す。

「すまない」

 若林は大人しく荒川に従うことにした。

 コートを脱ぎ、スポーツドリンクを喉に流し込んだ。  程なくして清水が盆にうどんと親子丼を載せて現れた。

「アンタ、うどん食えるか」

「うどん? 10年くらい食べていないが大丈夫かと」

「は? うどんを10年も食ってないなんてありえねぇ!」

 荒川は若林の発言に度肝を抜く。

(なんか調子狂うなぁ。もともとの質問はうどん食えるくらいには食欲あるかってことなんだけどな)

「あまり大声出すな。頭に響く」

「悪ぃ。じゃ、食ってみるか」

 荒川はうどんの器を差し出した。

 若林がそれを受け取る。が、受け取った瞬間、若林は不快な表情を示した。

「熱いし重い」

「はぁ? アンタ、どんだけお坊ちゃんなんだよ!」

 荒川は再び若林の発言に驚く。

 毒突きながらも手を伸ばして電話の子機を取り、内線で清水に取り皿を持ってくるよう指示する。清水が椀を持ってくると、荒川はうどんの器から数本のうどんと少量のだしを椀にうつし、若林に渡した。

「これは食べやすいな」

 若林は気分よくうどんを食べ始めた。

「ほんっと世話の焼けるガキだな」

 荒川が呆れて見ていると、目の前に空の椀が差し出された。若林は黙って腕を伸ばしている。

「えぇ? もしかして、おかわり?」

 若林はコクリと頷いた。

 荒川はしぶしぶ先程の作業を繰り返し、椀の中にうどんを分けてやる。

「なぁ、若林……これ、自分でやってくんねぇ?」

 若林は荒川の意見を無視し、再び空の椀を差し出した。

(オ、オレの飯が食えねぇ)

 荒川は小さな子供を持つ母親の心境を垣間見るのであった。

 若林が食事を終えると、荒川は若林を浴衣に着替えさせて布団に入れた。ようやく自分の昼食となる。アツアツだった親子丼はすっかり冷めていた。


 若林はぐっすり眠っている。

 荒川は時折若林の浴衣を肌蹴させてはぐっしょりとかいた汗を拭い、着替えさせた。浴衣を着せたのはこれらの行為が円滑に行えるからである。

 荒川が甲斐甲斐しく世話を焼く相手は、今日出会ったばかりの男である。それにもかかわらず、迷惑や面倒といった感情が湧いてこない。どちらかというと世話を焼きたくなる。荒川はそんな自分を不思議に思った。



to be continued.



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マシュマロ −英もみじ−
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