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3. サンタの時間 -2

 12月22日朝。

 明日から冬休みに入るため、今日が2学期最後の登校日である。

 山崎はスマートフォンの呼び出し音で目を覚ます。寝惚けた頭で山崎は通話ボタンを押した。

「はい」

「山崎くん、おはよう」

 電話の相手は犬飼だった。

「はよ……朝から何だよ」

 山崎の声は大いに眠気を纏っていた。

「ひょっとして起こしちゃった?」

「用件はなに?」

「えっと、旅券番号と有効期限を教えて欲しいんだけど」

「はぁぁっ?」

 犬飼の言葉で山崎の目が一気に覚める。

「なんでそんなもんが必要なんだよ! 何企んでやがる」

「ESTAの申請するから」

「何遠まわしにアメリカ行くとか言っちゃってんの?」

「時間がないから早く教えて。あ、写メのほうがいいかも。とにかくすぐに送って」

 犬飼のペースは崩れない。

 犬飼が強引なマイペースであることはいつも通りだが、今回は大掛かりなイベントを考えているようである。

「言っとくけど、25日は部活だからな」

「分かってるよ、午後練だよね。で、明日は午前練。そこでお願いがあるんだけど……」

(嫌な予感しかしない)

 山崎は静かに犬飼の言葉を待った。

「23日の午後から25日の午前までデートして?」

「なんで日帰りデートが2泊3日旅行に変わってんだよっ」

 山崎の声に怒りが混じる。

「ねぇ、お願い」

 犬飼は猫のような甘えた声を出す。

「嫌だ」

 山崎が即答する。

「山崎くぅん……クリスマスだよ? 恋人たちの一大イベントだよ?」

 犬飼は諦めず食らいつく。

「俺はいつからお前の恋人になったんだ」

「……なってないけど」

 犬飼の声が沈む。

 相変わらず単純で素直な反応を示す。

「ったく、一体何がしたいんだ」

「山崎くんと一緒にゆっくりしたいだけ。山崎くんの嫌がることはしないよ?」

「ほんとかよ~」

「絶対、絶対しない。誓う!」

 山崎と犬飼の攻防は続く。

 最終的に犬飼が粘り勝ちし、山崎のYESをもぎ取った。

「その代わり、25日はできるだけ早い時間に家に着きたい」

「OK! 姫の仰せのままに」

(何が姫だ。調子に乗り過ぎなんだよ)

「じゃぁな、もう切るからな」

 山崎はげんなりしながら通話を切るも、律儀にパスポートを探し出した。



 12月23日昼下がり。

 山崎と犬飼は都内の空港に向かう。途中、山崎は目的地がグアムだということを知らされる。

「お前に渡された持ち物リストからなんとなくそんな気がしてたけど、やっぱりグアムか」

 山崎は「お前、馬鹿か」という目で犬飼を見る。

 そんな山崎の視線を物ともせず、犬飼は終始にこにこと笑っている。

 山崎はこの裏表のない素直な犬飼の笑顔に弱い。つられて笑いそうになる顔をなんとか押し止めた。

「家族に土産買うから時間作れ」

「もちろん!」

 犬飼は上機嫌で返事をした。

 さすが年末連休の入りである。空港はたくさんの人でごった返していた。

「山崎くん、こっち」

 犬飼に誘導されて山崎はチェックインカウンターに辿り着く。長い列に並ぼうとする山崎に気付くと、犬飼は慌てて呼び止めた。

「山崎くん、そっちじゃなくてこっち!」

「え? ちゃんとグアム行きの列だけど?」

「僕たち、プライオリティだから」

「は? それって……」

 山崎はほとんど客のいない隣のカウンターへ向かいながら、本日2回目の「お前、馬鹿か」の視線を犬飼に浴びせる。

「なんでたかだか3時間半のフライトでビジネスなんか取るんだよ!」

「山崎くん、うるさい! せっかくのクリスマスデートなんだから怒らないの!」

 山崎はむすっとして口をつぐむ。

 犬飼の気持ちも分からないでもない。しかし素直にもなれない。そんな山崎はそっと犬飼の手を握り、無言で「ごめん」を伝えた。犬飼はそれを察し、優しく微笑んでその手を強く握り返した。


 手続きを終えた二人はセキュリティチェックを受けてラウンジに入る。入ることのできる客を限定するラウンジは、外の喧騒から切り離された静かな空間を提供していた。

 ゆったりとソファに座りながら搭乗開始までの時間を潰す。

「俺、シャンパン飲んでみたい」

 山崎がドリンクバーにシャンパンがあることに気付き、新聞を読む犬飼の袖を引っ張った。

「今までお酒飲んだことあるの?」

 犬飼は紙面から目を離さずに質問する。

「ない」

「だったら駄目。酔ったらどうなるか自分で分かってないんでしょ。しかも飛行機乗る前だからやめたほうがいい」

「そこをなんとか」

 まるで親子のような会話をするふたり。

「お子様はフルーツ食べてなさい」

 そう言って犬飼は飲み物を口に含む。

 フルートグラスに入れられた液体は細やかな気泡を発し、美しい黄金色をしていた。

「ああ! 犬飼それ!」

 明らかにシャンパンを飲んでいる犬飼。

「僕のアルコールデビューはずっと前で慣れてるからいいの」

「おいコラ、未成年! 違法者! なんで俺が駄目でお前がいいんだよ!」

「こら、静かにしなさい」

「何大人ぶってんの? 意味わかんねぇ!」

 わーわーと喚く山崎を見て笑いが込み上がる犬飼。くすくすと笑いながら新聞を丁寧に折り畳んだ。

「じゃ、ちょっとだけね?」

 犬飼は自分のフルートグラスを山崎に手渡した。

 山崎は興味津々で口に含む。

「美味しい?」

「んー、ジンジャエールのアルコール版って感じ」

「勿体無い……」

 犬飼は山崎のレベルの低い評価にがっくりと肩を落とした。

「何か言ったか」

「山崎くんにシャンパンはまだ早いなって」

「そうだな、美味さがわからない」

「このチョコは美味しいよ」

 犬飼はチョコレートを摘んで山崎の口に入れた。

 山崎はもぐもぐとそれを噛み砕く。

「ほんとだ、これ美味い!」

「あっちのカウンターにたくさんあったから取っておいで」

 犬飼の言葉を受けて山崎はほいほいとチョコレートを取りに行った。

「ほんと、飽きないなぁ」

 犬飼は山崎の全ての言動が面白くて愛おしくて、一緒にいることが楽しくて仕方がなかった。


 約3時間半のフライトの後、飛行機はグアム国際空港に降り立つ。

 山崎と犬飼は空港を出るとタクシーに乗り込んだ。犬飼が流暢な英語でドライバーに行先を告げている。

(俺の周りって英会話に堪能な奴ばっかだよな)

 なんとなく自分だけ取り残されている気がして、気落ちすると共に「俺も頑張ろう」と決意する山崎だった。

 難なくホテルに着き、チェックインを済ませて山崎と犬飼はエレベーターに乗り込む。

 ポーターが押したボタンは最上階だった。

「おい、犬飼」

「何?」

「大抵のホテルって一番いい部屋が最上階にあるよな?」

「そうだね」

「お前……スイートとか取っちゃってんじゃねぇ!」

 2度あることは3度あるらしい。山崎は本日3度目の「お前、馬鹿か」の視線を犬飼に向けた。

 部屋に入ると想像以上の広さに圧倒される。

「広過ぎ!」

 ダイニングテーブルには8脚の椅子があり、大きなカウチソファ、キッチン、独立したベッドルームにキングサイズのベッド、広々としたバルコニーにはハンモックまである。このバルコニーからは一面に水平線が望め、空のブルーと海のブルーが見事に調和した素晴らしい自然美が視界を埋める。

 バスルームにあるジェットバスはオーシャンビューとなっていて、こちらからも絶景を眺めることができる。シャワーブースも別にあり、洗面台も複数ある。

 山崎は部屋中を歩き回り、感激しながらひとつひとつを確認して行った。

「コーヒー煎れるけど、山崎くんも飲む?」

「飲む!」

 犬飼の問いかけに山崎は反応するが、どこにいるのか姿が見えない。

「山崎くん、はしゃぎ過ぎ……」

 犬飼は頬を綻ばせながらコーヒーメーカーをONにした。

 突然、犬飼の耳に勢いよく水の出る音が届く。不審に思ってバスルームを覗くと山崎がジェットバスを覗き込んでいた。

「何してるの?」

「え? 夕焼けを見ながら風呂に入ろうと思って湯を張ってる」

 山崎が楽しそうに笑う。

 なるほど窓の外はうっすらと赤くなり始めている。犬飼は山崎に近付き、後ろからそっと抱き締めた。

「なんだかんだ言って、気に入ってるんだ?」

「まぁな……最近気付いたんだけど、犬飼の立てるプランは嫌いじゃないみたい」

「そう……嬉しいな」

 犬飼はそっと山崎の肩に額をのせる。

「ね、僕も一緒に入っていい?」

 

 バスルームが夕日で真っ赤に染まる中、山崎は犬飼と向かい合ってジェットバスに浸かっていた。

 男ふたりが入っても有り余る広さのバスタブから、絶えず吹き出される泡を楽しむ。

 そこから望む景色は最高に美しい。山崎はこの贅沢な時間を存分に味わっていた。

「ここのホテルにはレストランが6つあるんだけど、今日の夕食は部屋で取ることにしちゃったから、明日の昼と夜はどこのレストランにするか決めておいてね」

「げっ、6つもあるのか」

 犬飼が明日に向けて山崎にノルマを言い渡す。

「あとプールが3つあるからそれも選んでおいて」

「プールが3つ? このホテル、どんだけデカいんだよ……」

 リゾート地だけあってやはりホテルの規模が大きい。  しかしこの規模が高級ホテルの域だということを山崎は改めて思い知らされる。

「それから明日の朝はこのホテルのスパでマッサージの予約を入れてる。肩こりがひどくってさ」

「小説家様の職業病だな」

「山崎くんも来るよね?」

「すでに俺の分も予約済みなんだろ?」

「まぁね」

 犬飼は上気させた頬を緩ませてにやりと笑った。

 

 山崎が入浴を終え、バスローブを着てリビングルームに入ると、先にバスルームを出ていた犬飼が嬉しそうに立っていた。

「見て見て!」

 犬飼は着ているシャツの肩の部分を摘み上げ、ヒラヒラさせて山崎に見せつける。

「お、アロハシャツ! 似合ってるな、犬飼」

 山崎は笑顔で犬飼を褒める。

「山崎くんの分も持ってきたんだ」

 犬飼はもう一枚アロハシャツを取り出し、体の前で広げて見せた。

「まじか。俺も着る!」

 乗り気な山崎を見て犬飼は嬉しくなり、余計なひと言を言ってしまう。

「実は僕と柄が同じで色違いなんだ!」

「え……」

 山崎は本日4度目の「お前、馬鹿か」の視線を犬飼に突き刺した。

「今のは聞かなかったことにしてやる」

 そう言いながら山崎は犬飼の手からアロハシャツを奪うと、早速袖を通した。

「山崎くんも似合ってるよ」

 犬飼はにこにこしながら山崎を見つめた。

「間もなく夕食が運ばれてくるから」

「分かった」

「食べ終わったらお土産を買いがてら町を散歩しよう」

 程無くして犬飼の言葉通り夕食が部屋に運ばれて来る。

 3時間半のフライトとはいえ、やはり渡航は疲れる。部屋で気兼ねなく食事ができることは山崎にとって有難かった。だからといってずっと部屋食というのも、せっかく海外に来たのに勿体無い。その点においては明日外で食べる機会があるようで、細かいところまで配慮されている犬飼の計画に山崎は感服した。

 クラスが違い、部活動も違う山崎と犬飼には接点がない上、共通点も少ない。それでも少ない共通の話題で食事中の会話に花が咲く。最も盛り上がるのは小説と映画の話題だ。

 しかし山崎は國井創彩の話題はほとんど出さない。勘違いをされたくないからである。現在犬飼と仲良くしているのは、犬飼壮司を気に入っているからであり、憧れの國井創彩だからではないということを、山崎は知って欲しいと思っているからだ。


 食事を終えたふたりは町に繰り出す。

 建物や木には電飾が施され、町は幻想的な景観を作り出していた。

「今はクリスマスだから町がイルミネーションされているんだ。これも山崎くんに見せたかったんだ」

 犬飼が散歩に誘った理由を説明する。

「日本のクリスマスイルミネーションは寒いイメージだから、なんだか不思議な感じだな。でも綺麗だ」

 山崎は点滅の度に色を変える電飾の光を受けながら、街並みに見入っていた。

 素直に感動を表す山崎の横顔を見て、犬飼は「連れて来て良かった」と心の中で呟く。

 犬飼は山崎の手を取り、指と指を絡ませ合うようにして握り締めた。

「お土産を見に行こうか?」

「ああ」

 犬飼は手を繋いだまま歩き出した。

 店に入るとふたりはそれぞれ土産を物色する。店にはたくさんの客がいたが、ちらほらと日本語の会話が聞こえてくる。

「さすがグアム。日本人多し」と思いながら山崎は土産選びを続ける。

「これいいかも」

 土産候補のTシャツを見つけるがサイズが分からない。犬飼に見てもらおうと店内を探した。

 きゃっきゃと騒ぐ女性の声がして思わず振り返ると、なぜか女性に囲まれた犬飼を発見する。どうやら日本人観光客につかまったらしい。手にした商品を見ながら日本語で説明をしていた。

 その光景を見た山崎は無性に苛つく。山崎はずかずかと犬飼に歩み寄り、女性に構わず犬飼の腕を掴んだ。

「こっち来い」

「誰この人」

「ええー、まだ話の途中なんだけどぉ」

 非難する女性の声も気にせず、ぐいぐいと犬飼を引っ張ってその場を離れる。

「山崎くん、妬いてるの?」

 犬飼は山崎に引っ張られながら、笑みを浮かべて尋ねた。

「別に。ちょっと親切にしてただけだろ?」

 山崎は犬飼から顔を逸らして言った。

「親切? ああ、確かに『日本人の方ですかぁ? 私達、英語が苦手なんでこれ見てもらえませんかぁ?』なんて言って来たけど、あれは確実にナンパ目的だね」

 犬飼はさらりと言ってのける。

「ナンパぁ? それ分かってて相手してたのか」

「だって単に断るのって結構面倒臭いから、ちょっと相手して逃げようかと思って」

 冷静に話す犬飼はやはり女の扱いに慣れているのか、何事もなかったような口振りである。

「あ、そう」

「もしかして、ナンパって分かってないのに妬いてくれたの?」

「うるさい」

 犬飼は山崎の顔を覗き込もうとするが、山崎は一層顔を背ける。問いに対する答えがYESなのは確実だ。

「だったら僕を選んでくれたらいいのに」

 思わず犬飼の本音が出る。

「犬飼?」

「ごめん。今の忘れて」

「俺は今日、犬飼と会ってから犬飼のことしか考えていない。それじゃ不満か?」

「!」

 山崎は至って真面目な顔つきである。

 おそらく自分の発言がどれほどの破壊力を持っているのか分かっていない。

(ほんと、山崎くんって天然タラシだよなぁ)

 犬飼は厄介な相手に惚れたものだと改めて感じ、深い溜息を吐いた。



 12月24日朝。

 山崎が目を覚ます。部屋のクーラーが効き過ぎのようで肌寒い。隣では犬飼がこちらを向いて眠っている。キングサイズのベッドとは男2人が寝ても余裕なものだということを初めて知る。

 まだ寝息を立てて眠る犬飼に山崎は擦り寄った。

「あったかい……」

 犬飼に密着し、伝わってくる体温で温められると、山崎は再び眠りに落ちそうになった。

「ん……」

 山崎の気配で犬飼が目を覚ます。ぴたりと自分にくっつく山崎を見て犬飼は驚いた。

「山崎くん?」

「寒い」

「クーラーが効き過ぎなんだね。弱めてくるよ」

 犬飼が起き上がろうとすると山崎はそれを制する。 「いい。お前が温めろ」

「ああ、もうっ。山崎くん、可愛すぎ!」

 犬飼は堪らず山崎を力いっぱい抱き締めた。

「このまま寝ていたいけど、そろそろ起きないといけない時間だね。朝食に行こうか。そのままスパに行くからね」

「分かった」

 犬飼はまだ意識の半分が眠っている山崎の額に一度だけキスをして、名残惜しそうにベッドから降りた。


 スパでのマッサージを受けた後、山崎と犬飼はプールへ向かった。

 晴天に輝く太陽から強い日差しが降り注ぐ。キラキラと輝く水面が眩しい。ここが南国だということを否が応でも感じる。解放感に溢れた空気が心地好い。

 山崎が選んだのはウォータースライダーのあるプールだった。山崎がウォータースライダーで遊んでいる間、犬飼はプールサイドのデッキチェアに寝そべって寛ぐ。元より泳ぐ気はないらしい。犬飼は「ゆっくりする」と公言した通り、とにかくリラックスしていた。

「犬飼!」

 体から水滴を垂らしながら山崎が犬飼のもとに走り寄る。

「はぁ、疲れた」

「楽しかった?」

「ああ!」

 山崎は満足気に笑う。

「あそこのプールサイドバーで飲み物を頼んで来たら?」

「金持ってきてない」

「ルームチャージでいけるから」

「行ってくる!」

 やはり元気よく駆けていく山崎。

「やっぱり、飽きないなぁ」

 犬飼は山崎の背中を微笑ましく見ていた。

 再び現れた山崎の手にはふたつのグラスが握られていた。

「ほら」

「ありがとう」

 犬飼は嬉しそうにグラスを受け取った。

 山崎も犬飼の隣のデッキチェアに寝そべり、ドリンクを飲む。

「もうすぐお昼だね。実は午後からの予定を決めていないんだけど、山崎くんがしたいことある?」

「んー、特にないな。この疲労感からして昼メシ食ったら寝そう」

「それ、遊び過ぎだね」

 犬飼はくすくすと笑う。

(ほんと、子供みたい)

「じゃ、お昼寝する?」

「犬飼は何してるんだ?」

「寝込みを襲う」

 犬飼の発言に対して、山崎は大きな溜息を吐いて言った。

「バカ言ってないで、ルームキー貸せ」

「部屋に戻るの?」

「ああ」

「だったらエレベーターは一番奥のを使ってね。そのエレベーターじゃないと僕たちの部屋まで辿り着けないから気を付けて。それから階のボタンを押す前にルームキーを操作盤に差し込んでね。差し込んでからじゃないとボタン押せないしくみになってるから」

 犬飼は部屋に戻るまでの注意事項を山崎に伝える。

「なんだスイートって面倒臭い部屋なんだな」

「面倒臭いんじゃなくて特別なの!」

「す、すんません……」

(なんか怒られた)

 犬飼の強い口調に山崎は首を竦めた。

「ほらホテルに入るならちゃんと水拭いて」

 犬飼が山崎にタオルを投げる。

 珍しく少し苛ついているようだ。山崎はその原因は自分なのだろうと察した。

「犬飼ぃ、悪かったって。機嫌直せよ」

「機嫌直せ? 命令形なのが気に入らない」

「は?」

(何この犬飼。なんでこんなくだらないことでへそ曲げてんだ? 初めて見るかも)

「機嫌直して下さいって言ってキスしたら許してあげる」

「はぁ? ここでか?」

 犬飼は何も答えず山崎のいる反対側へ顔を向けた。 (まじで拗ねてんの? 怒ってんの? っていうか、ここ外だしキスとかキツい)

「犬飼……部屋でするから……」

「…………」

(無視かよ)

「くそっ、分かったよ!」

 山崎は片手で頭を掻き毟ると、犬飼に近付いた。 「き、機嫌……直して、下さい」

 山崎は犬飼の頬に触れるだけの軽いキスをすると、素早くその身を引いた。

 山崎は誰かに見られていないか気になったが、恥ずかしくて周りを確認することもできなかった。山崎が顔を真っ赤にさせていると、犬飼が「ぷっ」と吹き出す。

「まさか本当にするとは思わなかった」

「んだとぉ……からかったのか!」

 山崎の赤面の原因が羞恥から激怒に変わる。

「もしかして、僕は自分が思っている以上に山崎くんから好かれているのかな」

 犬飼は目を細めて安らかで嫌味の全くない笑顔をする。 とても華やかで犬飼に付けられたニックネームが「王子」だということを思い出させる。

「勝手に言ってろ!」

「ねぇ、もう一回して」

「調子に乗るな」

 再びキスを強請る犬飼にこれ以上振り回されまいと、山崎は気を引き締めた。

「もう一回だけ」

「寝言は寝て言え」

 山崎と犬飼の押し問答が続く。

「山崎くぅん」

「気持ち悪い声出すな」

「今度は唇にしてよ」

「おまっ……一回シね!」

 山崎はこれ以上になく顔を真っ赤にして暴言を吐くと、犬飼を置いてさっさとホテルに向かってしまう。 「ルームキー、まだ渡してないのに……」

 犬飼はくすりと笑って山崎の後を追った。


 昼食を取り、クーラーの効いた涼しい部屋の中でベッドに横たわると、山崎はたちまち睡魔に襲われた。

 意識の向こう側の遥か彼方に吸い込まれるような、抗えない心地の良い何かに身を委ねる。ふわふわと全身が浮いて、重力から解放されたような感覚が押し寄せる。山崎は心地の良い微睡みに溺れた。



12月25日早朝。

 日本に向かう飛行機の中、犬飼は優しい目で山崎を見つめながら何度も髪を撫でていた。

「もうデートが終わっちゃうなんて寂しい」

 山崎は自分の髪を撫でる犬飼の手を掴むと、その手を下ろしてぎゅっと握り締めた。

「すごく楽しかった。犬飼は?」

「勿論、とっても楽しかったよ! もっと一緒にいたい」

「俺はもう十分かな」

「ええっ!」

「はははっ」

 幸せそうな顔から一転、ひどく落ち込んだ表情をする犬飼を見て、山崎はケラケラと愉快そうに笑った。

「気が向いたら、また遊んでやる」

「ほんとに?」

 さらに一転し、再び満面の笑みを浮かべる犬飼。

 その大輪の花が咲いたような華麗な笑顔を、山崎は眩しそうに見つめていた。



to be continued.



最後までご覧下さってありがとうございました!

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マシュマロ −英もみじ−
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