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2. 動き出す天秤 -3

  雲一つない晴天の空で迎えたある日の朝。

 桜井が一番乗りで部室に入り、朝練習のための着替えをしていた。

「おはよー」

 二番目に山崎が現れる。

 いつも最初に部室に現れるのは桜井と山崎である。少し早めに来て、部長と副部長のふたりで、その日の練習内容について確認をするのが習慣になっているからだ。

「なぁ、潤弥。若林って最近かなりの頻度で力と1ON1やってるの、知ってる?」

 山崎が制服を脱ぎながら話題を振る。

「らしいな」

「一年からレギュラーでSFやってる力といい勝負してるらしくって驚いたわけ。俺としてはバドの腕も見てみたいと強烈に思うんだけど、仮入部とかしてくんないかな。体験入部でもいいけど」

 山崎は若林が転校してきた当初からバドミントンの実力に興味を持っていた。

 それは今も変わらないようで、なんとか若林を引き込めないかと考えているようだ。

「必要ない」

「即答かよ……相変わらず若林を嫌ってるみたいだな」

「気に入る要素がひとつもないからな」

「潤弥がそんなに誰かを嫌うなんて珍しいよな……」

 山崎は横目で桜井を見る。

(めちゃくちゃ気になって仕方ないっていう顔してるの、気付いてないんだろうな)

 山崎は着替えを済ませ、長椅子に座っている桜井の横に腰掛ける。桜井の手から練習メニューが書かれた用紙を取り上げると、目を通しながら桜井に話しかけた。

「でも良かったよな。最近の力を見てると楽しそうだから」

「ああ、それは俺も思ってた。俺たちじゃ力の相手にならないからな。部活やった後にストバスって、すげースタミナだよな」

「はは、言えてる。尚且つ部活やってない唯昂のほうが先にバテるらしいから化けもんだな」

「まじか。すげーな、力」

 たわい無い会話だが、この部活動の前にふたりきりでいる時間が桜井は好きだった。

「今日のメニュー、結構きついな」

 山崎が桜井に用紙を返す。

「ああ。1年がついてこられるか心配だな」

 ふたりが一通り内容を確認したとき、部室の扉が開く。

「おざース」

 部で1年生の取りまとめ役を担っている松浪光輝(まつなみこうき)である。

 その立場上、1年生の中で最も部長の桜井と接触の多い部員である。

 部長で且つ部の中でトップレベルの実力を持つ桜井はストイックで容赦がない。近づきにくいと感じる1年生が多い中、松浪だけは最初から物怖じせず桜井に近寄り、懐いていた。

「おはよう」

「あ、手に持ってるのって今日のメニュー、ッスか?」 「ああ」 「ちょっと見せてください」

 松浪は桜井の隣り、山崎の反対側に座って用紙を覗き込んだ。

 体をぴったりと桜井に付け、肩に頭を押し付けながら覗く体勢は毎度のことである。松浪はスキンシップが好きなようで、何かと体に触れてくる癖がある。

「おい、松浪……近い」

「俺、部長のこと好きッスから」

 カラカラと無邪気に笑う松浪に怒る気も失せる。

 桜井はこの一見楽観的で軽薄そうな後輩が、実は真面目で篤実な人柄であることを知っている。

 実際のところ、松浪が持つリーダーシップによって1年生の連帯感は高い。お陰で部を統率するにあたり、桜井は随分と助かっている。桜井にとって最も可愛い後輩である。お調子者で人懐っこい性格ではあるが、決して先輩を軽視しているわけではないので、桜井としては多少の馴れ馴れしさは大目に見ていた。

「で、いつも言ってますが、山崎先輩はもう少し部長から離れてください」

 松浪は動物を追い払うかのように、山崎に向かってしっしと手で払う仕草をした。

「はいはい。すみませんねぇ」

 山崎はやれやれまた始まった、と苦笑いしながら立ち上がった。

 松浪が本気なのか冗談なのか未だ判別がつかないが、桜井を独占しようとする行動を取る上、山崎をライバル視するときがある。今ではすっかり慣れた山崎だが、本気か否かの真相は突き止めたいところである。

「おい、先輩を追い払う奴があるか!」

 桜井は無礼な態度に対する戒めに、拳骨を松浪の頭に思いっきり落とした。

「いってぇ!」

「さっさと準備しろ」

「うぃす。すんません」

 松浪は頭を撫でながら自分のロッカーに向かった。


 4時間後。

 バドミントン部の練習が終わり、部員が部室を出て行く中、桜井はひとりの後輩を呼び止めた。

「檜山、この後時間あるか?」

「ええ、ありますけど」

「奢ってやるから付き合え」

「え、あ……はい」

 桜井は半ば強引に檜山を連れてファミリーレストランに入った。

 檜山圭(ひやまけい)は松浪とダブルスを組んでいる1年生である。とにかくミスが少なくどんな球も拾い返す。フェイントや相手を翻弄するラリーが得意な頭脳派である。一方、松浪はどんな小さなチャンスも決して逃さない野性の勘を持っている天才型で、本能的なプレーをする感覚派である。

 このふたりがダブルスを組んだのは小学生からで、大会で毎回決勝戦まで勝ち上がるふたりを同学年で知らない者はいない。すでに部で一番の強さを誇るコンビとなっている。

 恐ろしく運動神経が良くて強い精神力と体力を持つ松浪の実力は、二年生を差し置いて部内トップと言われている。

 しかし、この天才プレイヤーにはひとつ問題があった。勉強がからきしできないのである。もとい大の勉強嫌いなのである。

「お前、甘いもの好きなんだな」

 桜井が美味しそうにいちごパフェを食べる檜山を眺めながら言った。

「はい。今日は練習がきつかったので特に美味しいです。部長は甘いものは食べないんですか?」

「マカロンとトリュフくらいしか食わないな」

「なんか気取ってますね」

 檜山は自分から聞いておきながら桜井の返答よりもパフェに興味があるらしく、気のない返事をした。

「ところで檜山、頼みがあるんだが」

「やっぱり……タダじゃパフェなんて奢ってもらえませんよね」

「察しがいいな。さすが学年で5本の指に入る成績の持ち主だ」

 桜井はゆったりと背もたれに体を預けて話し出した。

「我校では部活動をするにあたって、赤点を取った者は公式試合に出場できないルールがある。部によっては赤点を取った時点でレギュラー降格の部内ルールがあるが、まだ我部にはない」

 ここまでの話を聞いて、檜山はようやくパフェよりも桜井の話に比重を置く。

「次の公式試合の団体戦にお前たちのダブルスを投入したいと思っているんだが、今のままだと危うい」

「もしかして、あいつが赤点を?」

 檜山は松浪の成績を把握していないらしく、驚きの表情を示した。

「今のところギリッギリだな。そこで檜山、お前が松浪に勉強教えてやってくれないか」

「ええー、僕がですか?」

 檜山は露骨に嫌がる。

「嫌か?」

「以前、あいつが勉強教えてくれっていうから教えたことあるんですけど、おやつ食べたり、ゲームしたり、居眠りしたりで全然やる気なかったんですよ。むかついてそれ以来教えてないです」

 檜山は当時を思い出したのか、うんざりした表情をしている。

「そうか……」

 桜井はその場を想像し、頭を抱えた。松浪のような天才型はやる気の大きさが結果に直結する。やる気のない松浪の手強さは容易に想像できた。

「部長ならやる気出すと思いますよ」

「俺が教えろと?」

「はい。あいつ、部長のこと大好きですから」

 檜山はパフェを平らげてにっこりと笑った。

「はぁ……お前までそんなテキトーなこと言うか」

 桜井は背もたれから体を起こしてテーブルの上で頬杖を突き、不満そうな顔をした。

「お前のこと、頼りにしてたんだけどな」

(拗ねてる)

 横を向いて少し頬を膨らませ口を尖らせる桜井は、練習中に活を入れる部長とはかけ離れている。

 檜山は普段見せない桜井の表情に見入った。

 麗人と言っても違和感がないくらいに整った顔、長い睫、透き通った瞳、柔らかそうな唇、男でも美しいと思う。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群……天は二物を与えずというが、桜井には二物も三物も与えられている気がする。檜山は羨望の眼差しを桜井に向けた。

「部長って、なんでそんなに美人なんですか。運動もできるし勉強もできる。ズルいです」

「は? お前だって運動も勉強もできるだろ」

 桜井は急に何を言い出すのかと驚き、目を丸くした。 「僕は目は細いし、唇は薄いし、暗いし、カッコ悪いです」

 檜山は部内でトップレベルの実力があるのに、どこか影が薄く、存在が地味である。控えめな性格や明るく能天気な相棒がやたらと目立っている影響もあるが、本質的にはこの無駄なコンプレックスのせいではないかと桜井は思った。

「お前の目は切れ長で色気があるし、そのシャープな顎に薄い唇は合ってると思う。それに暗いんじゃなくて落ち着いていてクールなだけだ。背も高いし髪はサラサラで十分カッコいいと思うけどな、俺は」

「そ、そうですか?」

 檜山は褒められて嬉しさと恥ずかしさで胸をいっぱいにし、俯いてもじもじとし始めた。

「もっと自信持て」

 桜井は優しく微笑む。

 檜山は自分の全てを受け入れられた気になり気分が高揚する。

「あの……新しいラケットを買いたいと思ってるんですけど、一緒に見てもらえませんか? 付き合ってくれたら、あいつに勉強を教える件、引き受けてもいいですよ」

「ホントか、行く行く。俺もシューズ見たいし、一石二鳥かも」

「早速、今日行きましょうよ。一回帰って昼ごはん食べて来るんで、その後で」

「じゃ、後でな」

 ふたりは早々にファミリーレストランを出て一旦別れた。


 待ち合わせ時間にちょうど落ち合う桜井と檜山。

 桜井は思わず初めて見る檜山の私服に目が行く。

 黒のテーラードジャケットにストレートデニムという綺麗めカジュアルなコーディネートだが、ジャケットの袖を肘までまくり上げていたり、インナーにワインレッドを持ってくるあたりがお洒落上級者である。さらに181センチメートルの長身が完成度を上げていた。

「檜山、絶対お前ってカッコいいって。自信持て!」

 桜井が突然興奮気味に話しかける。

「なんですか、いきなり。そういう部長だって、七分袖シャツにチェックのパンツって難易度高過ぎ。ここでブーツじゃなくてローファーなところがこなれ感半端ないですよ」

「ああ、もう! お洒落談義をしたいんじゃない。お前が……」

「分かってます!」

 檜山がすごい勢いで桜井の言葉を遮った。

「分かってます。部長が言いたいことは。ちょっと照れただけです」

 檜山は耳まで赤くして言葉を続けた。

「ほら、さっさと行きますよ」

 檜山は桜井の腕を掴んでずかずかと歩を進める。 「おい、檜山!」

 桜井は檜山にぐいぐいと引っ張られながら、顔には笑みを湛えていた。

 ショップに入り、檜山はラケットを、桜井はシューズをそれぞれ吟味する。桜井が自分の用事を済ませ檜山のところに寄ってみると、すでにラケット選定は終わっていた。

「今、ガット張ってもらってます」

「檜山ってテンションいくら?」

「26ポンドです」

「俺と同じか」

「そうなんですか。部長はもっと硬いのかと思ってました」

 普段、同学年の部員とは話しても、先輩と後輩の間ではあまり話さない取り留めの無いバドミントン話をして時間を潰す。些細なことだが、桜井について知ることができて檜山は嬉しく思った。

 仕上がったラケットを受け取り、店を出た檜山はふと思い出す。

「部長、今スターズウォーズの最新作やってるんですよ。このシリーズ大好きで絶対観たいと思ってて……一緒に見ませんか?」

「映画? 俺、その話よく知らねぇんだけど」

「大丈夫、大丈夫。なんとかなりますって」

 再び檜山は桜井の腕を掴んで意気揚々と歩き出した。 「檜山……おいコラ、放せ」

 桜井が足掻いていると、檜山の足が急に止まる。 「ダメですか? 僕は部長と観たいです」

 捨てられた仔猫のような瞳で見つめてくる上、ストレートに気持ちを伝えてくる檜山を桜井が切り捨てられるはずもなく。

「ちっ。分かったから、手放せ」

 舌打ちしながら承諾してしまう桜井だった。

 極端に他人に興味を抱かない桜井は、一度受け入れた相手に対しては世話好きな一面が全開になる。特に素直に甘えたりおねだりしてくる態度に弱く、増して年下となると庇護欲が駆り立てられて放っておけなくなる。

 檜山に関しては受け入れた覚えはないのだが、いつの間にか桜井の心の防壁を掻い潜り、内側に忍び込んでいた。

「やった! チケット代は僕が出しますよ」

 檜山は満開の笑顔で進言するが、桜井がそれを許さなかったのは言うまでもない。


 映画を観終わったふたりはオープンカフェで一休みする。

 至極満足そうに終始ニヤつく檜山。複雑な表情を浮かべる桜井。両者の温度差は大きかった。

「やっぱ前知識ないとキツいわ」

「そうでした? 僕は楽しかったです」

「だろうな」

「今回作までのDVD貸しましょうか?」

 檜山はにこにこしながらコーラをストローで吸い上げた。

「いや、いい」

 桜井は即答してペリエを喉に流し込んだ。

 その時、聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。

「潤弥! 何してんだ」

 声のほうに顔を向けると、そこには若林を連れた相田がいた。

 道を歩いていたらテラス席に座る桜井を見つけた、といった感じだ。

「力……あれ、若林と一緒か?」

「ああ、買い物」

 檜山はふたりの会話をなんとなく聞きながら、桜井の知り合いを観察していた。

(この背の高い人は確かバスケ部の先輩だったよな。間近で見るとガタイいいし、爽やかだしカッコいいなぁ。成績もトップ3に入ってた気が。横の人は知らないなぁ。でも今ワカバヤシって言ったっけ。その人って転入早々にパーフェクトスコアで主席を取ったっていう噂の先輩だよな。すごい無表情だけどめちゃくちゃ綺麗な顔してる。類は友を呼ぶっていうやつかな。この3人、完璧過ぎて頭クラクラする)

 檜山は自分だけ種類の違う人間に思えて、いたたまれない気持ちになった。

 檜山の頭の中で妄想が広がる。

 場面はとあるお城。自分は舞踏会に迷い込んでしまった靴磨きの少年だ。目の前には煌びやかな衣装を纏った王子が3人いる。顔は埃で汚れ、靴墨だらけの手をした自分はどうみても場違いだ。王子のひとりがお城の扉を開けて「入っておいで」と囁いてくれるから、嬉しくて思わず足を踏み出したけれど、やはり自分は来るべきところじゃなかったと痛感する。

 檜山の心に影が差した。

「そういう潤弥もふたりで買い物か?」

「ああ、バド部の後輩」

 檜山は相田と目が合い、ぺこりと会釈した。

「潤弥が翼以外の部員と出かけるのって珍しいな」 「そういや初めてかも」

(やはり、王子は王子としか遊ばない)

 檜山は、買い物に付き合わせた上、気の乗らない桜井を強引に映画に引っ張り込んだ自分が恨めしくなった。

 桜井の隣りに自分が並ぶなんておこがましいにも程がある。そう考える檜山はどんどん卑屈になっていった。 (今すぐ消えてしまいたい)

 檜山は膝の上でぐっと手を握り締めた。

 相田が桜井と二言三言交わしてその場を離れると、檜山は口を開いた。

「あの……本当にすみませんでした。僕、無理矢理付き合わせちゃって」

 檜山が申し訳なさそうに謝る。

 俯いた顔は引き攣っている。顔色も悪い。桜井は檜山の異変に気付くが原因が分からない。

「檜山?」

「すいません。僕、ちょっと部長に褒められたからって調子に乗りました。すいません。僕、もう帰ります。失礼します」

 檜山はコメツキバッタのようにぺこぺこして逃げるように席を立った。

 その瞬間、カーンと渇いた音が鳴り響く。桜井の足元には檜山が肌身離さず首にかけているメダイが落ちていた。

「檜山、待て!」

 桜井は素早くメダイを拾い上げ、反射的に振り返った檜山に対してそれを掲げた。

「落としたぞ。大事なものなんだろう?」

「あ、ありがとうございます」

 檜山は慌ててメダイに手を伸ばす。しかし桜井はすっと手を引っ込めてメダイを檜山から遠ざけた。

「部長?」

「返して欲しければ答えろ。なんで急に態度を変えた?」

「靴磨きと王子じゃ釣り合わないです」

 桜井は檜山の突拍子もない発言に面食らった。

「はぁ? 全く理解できねぇ」

 桜井は急に立ち上がって店を出て行く。

「あっ、部長。待って、それ返してください!」

 檜山は慌てて桜井の後を追う。

 桜井は檜山に構わずどんどん歩を進めた。

(部長、怒ってる? 何が、何が部長を怒らせた?) 「部長!」

 檜山は桜井の腕を掴み、ようやく動きを制する。

 紅葉を始めた並木道でふたりは正対した。

「それ、大切なんです。返してください」

「奇跡は起こったのか?」

 檜山は桜井の言葉に驚いた。

「知っているんですか、不思議のメダイを」

「ああ。修道女カトリーヌ・ラブレの前に聖母マリアが現れ、メダイを作って皆に与えるよう告げた。お告げ通りメダイを作り、配布すると、手渡された人々には次々と奇跡が起こり、不思議のメダイと呼ばれるようになった」

「ええ、そうです。奇跡は……起こりましたよ。とても大きな奇跡が」

 檜山はとても穏やかに笑った。

「では、靴磨きが王子になるのは奇跡だと思うか」

 檜山の笑みが一瞬にして消える。

 檜山は俯いて小さく頷いた。

「その奇跡は起きません」

「そうかな。俺は奇跡という大層なものだとも思っていない。普通に可能だと思ってる。それを一番邪魔しているのは、お前自身の心だ」

 桜井は檜山にメダイを差し出し、静かに言った。 「その靴磨き、実はダイアモンドの原石かもしれないぞ。お前は磨けば光る。自信を持て」

「ぶ……ちょ……」

 桜井の言葉が檜山の胸に入り込み、温かくて心地よい優しさが広がった。


 桜井が檜山に託した松浪の成績向上計画は順調に進んでいた。週に一度ほど落ち合い、その進捗報告を行うのが桜井と檜山の習慣となっているのだが、松浪は試合に出たい一心で勉強に励んでいるようで、その姿勢に桜井は安心していた。


 とある昼休みの部室。

 桜井は三日に一回のペースで檜山が実施する小テストの結果を見ていた。

「だいぶ理解しているな。檜山の教え方がいいんだろうな」

「あいつも結構やる気出してるんで」

 檜山がニッと笑う。

「じゃ、そろそろ終了にするか。檜山自身の勉強もあるからな。松浪の成績は上がったのにお前の成績が落ちたんじゃ、目も当てられない」

「…………」

 檜山の返事はなく、顔から感情が消えていた。

 檜山にとって松浪の家庭教師から解放されることは嬉しいはずである。桜井は急に気持ちの沈んだ檜山の本心が読めなかった。

「松浪の学力も上がっていることだし、終わりにしても大丈夫だろう」

「嫌です」

「えっ?」

「終わりにしたら、部長とこうして会えなくなります」

 桜井を見つめる檜山の瞳が揺れる。

「檜山?」

「僕は自分で思うよりずっと賢くなかった。好きになっちゃいけない相手を好きになってしまいました……ごめんなさい」

 檜山の体が震えている。緊張や怯え、その他の様々な感情が入れ混じった複雑な情動が、全身から溢れていた。

「お前、何言って……」

「ごめんなさい……」

 苦しそうに檜山が言葉を吐く。

 激しい苦悩と罪悪感で覆われた面持ちは、檜山の心中を表していた。

「なぜ謝る?」

「だって、部長は……山崎先輩のことが好きでしょ?」

「え?」

 桜井は檜山の指摘に驚き、息を詰まらせた。

「部長を好きになって……山崎先輩が、部長にとって特別な存在であることはすぐに分かりました。山崎先輩に勝てっこないのに諦められなくて……迷惑だって分かってるのに、どうしようもなく部長のことが好きで……」

「檜山……」

(これは心に留めておくつもりだったのに思わず出ちまったって感じだな)

「ごめんなさい……僕なんかが好きになって」

「檜山……あの……」

 桜井が檜山にかける言葉を探していると、〈キーンコーンカーンコーン……〉予鈴が鳴り始めた。

「困らせてすみません! 僕、もう行きます! 失礼します!」

 檜山は相変わらずコメツキバッタのごとく何度も頭を下げて部室を出て行く。

 桜井はポカンと口を開けたまま、慌てて走り去る檜山を見送っていた。



2. 動き出す天秤 fin.


Writing date 2018.2.16

最後までご覧下さってありがとうございました!

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マシュマロ −英もみじ−
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