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2. 動き出す天秤 -2

「は?」

「いや、だから國井創彩って僕のこと」

「お前、いい加減なこと抜かしやがって!」

 犬飼の話す内容があまりにも想定外で、山崎の頭は混乱していた。

「本当だって! ペンネームはinukaisousiを並べ替えてkuniisousaiにしたんだから」

「まじか?」

 山崎は衝撃的な事実に思考が停止寸前である。

「まじまじ。だから叔父さんの名前を知ってるんだよ」

「もしかしてお前が言ってたバイトって……」

「うん、小説家」  山崎は全身の力が抜ける気がした。 「バイトどころの収入じゃないだろ」

「うん、立派な納税者だよ」

「すげー、犬飼すげぇ!

 道理であんな高級腕時計も買えちゃうわけだ」

「まぁね」

 犬飼はにっこりと笑った。

「だから気を遣わないでいいって言ったんだよ。ねぇ、考え直さない? 腕時計、使ってくれたほうが嬉しいんだけど」

「それじゃ、今日のデートの意味がないだろ」

「細かいことは気にしない、気にしない。新刊が欲しいならサイン入りであげるよ?」

「嘘! 國井創彩ってサインをしない小説家として有名なのに?」

 先程から山崎のテンションが上がりまくりである。 「山崎くんは特別。って言っても、ぶっちゃけ粋なオートグラフなんて持ってないからガッツリ楷書だけど」

「いい、なんでもいい! 絶対だぞ?」

 山崎は犬飼の両腕を手で掴むと、目を爛々とさせて念を押した。

(なにこの可愛い生き物)

「その代わり、僕が創彩だってことは誰にも内緒だよ?」

「分かってる」

 山崎は純真な子供のように笑った。

 その笑顔を見て、犬飼は堪らず山崎の腰に手を回し、ぐっと引き寄せると額にキスを落とした。

「犬……飼?」

「あんまり山崎くんが可愛いからつい……」

 唇は離したものの、犬飼の手は未だ山崎の腰にある。 「や、やめろよ!

 こんな人前でっ」

 山崎は犬飼の二の腕をぐいぐいと押して腕を解こうともがく。

「人前じゃなかったらしていいの?」

「そういう意味じゃ…」

「山崎くん、大好き」

 顔を真っ赤にして抗議する山崎を見て、犬飼は幸せを感じていた。

 そして最高に心が満たされた一日を終えるのである。  月曜日、山崎の手首に王冠のシンボルの入った腕時計を発見した犬飼が、飛び上がって喜んだことは言うまでもない。


 デートの一件以来、山崎と犬飼の距離は一気に縮まっていた。  山崎は犬飼という人物を知って、毛嫌いしていたことを申し訳なく思うと同時に好感を抱くようになっていた。犬飼はそんな山崎に感付いて、ときどき教室に遊びに来るようになっている。

 そんなふたりの関係を桜井が見逃すはずがない。桜井は独占欲と嫉妬を強めながら、どうすることもできない歯がゆさを持て余し、落ち着かない毎日を過ごしていた。


 山崎と犬飼がデートをしてから三週間あまり経ったある日。

 相田は桜井の部屋に来ていた。報告することがあるからだ。

「翼さ、犬飼とデートしたらしいぞ」

「え?」

 相田の言葉に桜井は驚き、目を見開いた。

 テーブルに置こうとしていたマグカップが空中で止まっている。中のコーヒーが零れないうちに、相田はそれをそっと受け取った。

「それ……どういうこと……」

「ま、座れよ」

 相田に促されて桜井はソファに腰を下ろした。

 桜井はこの三週間、山崎が例の腕時計を使っていることに疑問を抱いていた。あれだけ毛嫌いしていた犬飼からのプレゼントだ。喜んでいるとは思えない。桜井は何か理由があるのだろうと推測していたが、嫌な予感が心を覆い、実際にそれを聞き出す勇気が湧かなかった。そこで相田が一肌脱いだわけである。

「翼は時計を返そうとしたけど、犬飼は拒んだらしい。そりゃ、そうなるな」

 桜井はコクリと小さく頷いて相田に同意を示すと、続く内容に集中した。

「何度もやりとりしてようやく犬飼は聞き入れようとしたけど、引き取る条件として『デート』を提案してきたらしくて……」

「はぁ? 意味分かんねぇ! じゃ、翼は嫌々デートさせられたってことか!」

 桜井は思わずテーブルの上に身を乗り出す。

「落ち着け、潤弥。そうでもないことは明らかだ。嫌々だったら、それこそ時計をはめたりしない」

「そう……だけど……」

 桜井は相田に窘められて乗り出した体を元に戻した。

「まぁ……ざっくりと言うと『犬飼って話してみると案外いい奴だった』らしい」

「え……」

 桜井の表情が一気に曇る。

 山崎の中で確実に犬飼の株が上がっている。自分にとって好ましくない事態となり、やはり嫌な予感は当たるのだと、桜井は痛感した。

(絶対に勝たせるわけにはいかない)

「なぁ、潤弥……」

 相田が意気消沈している桜井を見かねて切り出した。 「いい加減、伝えたらどうだ」

「えっ」

「そんなに翼が他の奴と付き合うのが嫌なら、とっとと告白したらどうなんだ」

「力……」

 桜井が山崎への気持ちを相田に伝えたことは一度もない。しかし相田は気付いていたようで、初めてそれを知った桜井は衝撃で言葉が出なかった。

「潤弥、分かっているんだろう? もう限界が来てる。お前が秘密裏に、翼に寄って来る『虫』を追い払うのは」

(いつから知っていたんだ?)

 桜井は何もかも知っているかのような相田に驚き慌てる。 そしてそれと同時に、気付いていながらもそんな素振りを一切見せず、見守っていてくれていたことに感謝の念が湧き起こった。

 この件に関して桜井が相田に言わなかったのは、相田に気を遣わせたくないからだった。桜井はこれまで通り、三人で仲良く楽しく過ごしたいと切に願っている。  だからこそ、桜井にとってこの均衡を破ることになる「告白」は、決してしてはいけないものだった。山崎に好意を寄せる人間を排除しながら、親友として山崎に最も近い位置に身を置くことは最善策であり、それ以上の、またそれ以下の策はないと、桜井は信じて疑わなかった。

「分かってる……でも伝える気はない」

「潤弥……本当にそれでいいのか?」

「いいんだ。俺は……今のままで十分なんだ。これ以上は望まない。犬飼との賭けが終わったら、もう『虫除け』はやめる。だから、このままでいさせてくれ」

「潤弥……」

 相田の胸にチクリと痛みが走る。

 頑なに自分の気持ちを仕舞い込む桜井を見て、相田はやるせなさに胸が締め付けられた。

(きっと翼もお前のことが好きなのに)

 相田は喉元まで込み上がっていた言葉を飲み込み、マグカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。



 それから数週間後。

 テスト1週間前となる本日からテスト最終日まで、全ての部活動が停止になる。

 相田と山崎にはもうひとつ禁止されたことがあった。桜井のマンションへの出入りである。勉強に集中したいとのことだが、やはり犬飼との賭けがあるため、気合の入れ方が尋常じゃない。

 一方の犬飼も然り。國井創彩の担当編集者に一切の連絡を取るなと釘を刺していた。

 ふたりの集中力は最大限に高まっていた。

 

 そして1週間と3日後。

 最終科目が終了した生徒たちは解放感で満ち溢れていた。どのクラスにも賑やかな話し声が充満している。会話のほとんどが「下校後どうやって羽目を外すか」という話題である。

 テストを終えた犬飼が向かった先は2年3組だった。 「山崎くーん!」

「お、犬飼」

 犬飼は山崎の元に飛んで来たかと思うと、自席に座る山崎の脇に手を差し入れ、持ち上げた。

「うわっ、何すっ……」

 山崎を机の上に座らせると、犬飼は空いた椅子に腰掛ける。

 山崎は自分の両脚の間に向かい合って座る犬飼を見下ろし、怪訝そうに言った。

「何がしたいんだ?」

「充電」

 言うなり犬飼はがばっと山崎の腰に抱き付く。頬を腹の辺りに押し付けて山崎の温もりと癒しを得ようと必死である。

「なんだよ、充電って!」

 山崎は犬飼の行動に驚きを示すものの、振り払いはしない。

「僕、すごく頑張ったんだ。めちゃくちゃ勉強した。今、脱力感ハンパない。癒して~」

「しょうがねぇなぁ」

 山崎は許しの言葉と共に犬飼の頭を撫でた。

 そのとき、犬飼と同じくらいの勢いで2年3組に桜井が現れる。

「犬飼~、お前何してやがる!」

 桜井は目にした光景に怒りを覚えながら嫉妬を爆発させる。犬飼を今すぐ山崎から剥ぎ取りたい思いでいっぱいだったが、今はそれよりも先にすべきことがあった。

 桜井は山崎の席の前方に立つと、山崎をがしっと抱き締めた。

「潤弥?」

 背後から突然抱き付かれ、山崎は面食らう。桜井は山崎の首元に顔を埋めて密着する。

「充電」

「え?」

「俺、すっげぇ頑張った。クソほど勉強した。今、脱力感ハンパない。翼に癒されたい」

(これ、さっき聞いた台詞と同じだし。このふたり、おもしろ過ぎだな)

「はいはい、お疲れお疲れ」

 山崎は労いの言葉と共に桜井の頭を撫でた。

 相田がいつものメンバーで寄り道をしようと、まずは山崎を誘いに来たのだが、上後方から桜井に、下前方から犬飼に抱き付かれている山崎の姿を見て、げんなりして言った。

「なんなの? お前ら」

 この3人の絡みに随分と慣れてきた相田だったが、今日のこの状況はひどい。

「君たち、大衆の面前でいちゃつくのはやめなさい」 「力ぃ、こいつら今日はまじでダメだわ。燃え尽きて灰になってる」

「モテる男は大変だな」

 相田は溜息まじりに言った。

「一緒に帰ろうかと思って来たけど、付き合い切れねぇから唯昂とストバス行ってくる」

「おう。悪いな、力」

 相田は3組の教室を出ると2組の教室に向かった。 「やばっ」

「俺も…」

 突然、桜井と犬飼が「やばい」と発言する。

 山崎はこの脈絡のない言葉の意味が分からなかった。 「何が?」

 心配しながら問うた山崎に返された答えは……

「勃った」

「俺も…」

「は? 信じらんねぇ、ここ学校だし! なんで潤弥まで盛ってんだよ! 今すぐ離れろ! ああ、もう最低!」

 山崎は顔を真っ赤に染めて喚き散らした。

 そしてふたりを優しく受け入れた自分を呪ったのだった。



 テストが終わって10日後。

 校内に成績順位表が張り出された。

 桜井と犬飼が固唾を呑んでそれを見つめる。トップにあるのは――若林唯昂。

 どちらの名前でもない。

「これは……」

 予想外の展開にふたりは動揺する。

 そこに本人が現れた。桜井は思わず若林の胸倉を掴んだ。

「若林。てめぇ、空気読めよ」

「空気? 何のことだ」

 当然、若林が桜井と犬飼の賭けの話を知る由もない。 「しかもご丁寧に全教科満点取りやがって!」

「あの程度の難易度でどこを間違えるというんだ?」

 若林はいつも通り無表情でしれっと言い放つ。

 その余裕が桜井の神経を逆撫でする。しかし若林に怒りの矛先を向けるのは筋違いだ。すでに八つ当たりに近い態度を取っている。桜井は冷静になろうと努めた。

 主席は若林だとして、では次に並ぶ名前は誰かと思いながら成績順位表を目で追うと、桜井と犬飼のまさかの同点2位である。予想外の結果が重なり、桜井と犬飼の全身から力が抜けた。

 ふたりとも決着のつくこの日のために猛勉強をしてきたのだ。虚脱感は相当なものだった。

 ふたりより遅れて訪れた相田と山崎がこの状況を把握すると、再び動揺が走った。

「これってどうなるの?」

「とにかく勝ちの条件が主席を取ることだから、ふたりとも負けだろ」

 4人は誰一人として喜べない結果に打ちのめされた。  しばらく無言が続く。

「力……皆どうしたんだ?」

 若林がこの異様な空気を感じ取り、相田に理由を尋ねる。相田が桜井と犬飼が交わした賭けを説明すると、若林は4人を取り巻く失望感を理解した。そして若林はわざとらしく大きな溜息を吐いて、落ち着いた口調で話し出した。

「お前たち、テストの点はいいかもしれないが……思いっきり馬鹿だな」

 はっきりと言い放つ若林の顔は人を蔑んだ表情ではなく、ひどく真剣で4人を惹きつけた。

「そもそも賭けなんかで人の恋情をどうにかしようっていう考えが間違いだろ。決定権は翼にあるのを忘れていないか。それとも告る勇気がないくせに諦めもできず、こんなダサいことやってんのか?」

 桜井と犬飼は言葉が返せなかった。特に桜井は身に覚えがあるだけに心が痛む。

「ごちゃごちゃやってないで素直に行動していれば、翼を不安にさせたり不快な思いをさせたりしないで済んだんじゃないのか?」

 一同が沈黙する中、最初に口を開いたのは相田だった。

「唯昂の言う通りだな」

「……ああ」

「そうだな」

 桜井と犬飼も同意する。

 反省するふたりの姿に、相田と若林は安堵の息を漏らした。

 一同が教室に戻ろうと動き出した時、桜井はブレザーの袖が何かに引っ張られる感触がして、思わず後ろを振り返った。

 そこには桜井の袖を持ってにっこりと笑った山崎がいた。

「翼?」

「潤弥、ありがと。若林の言ってたことは正しいけど、俺のために頑張ってくれた潤弥には感謝してる」

 山崎は目を細めて笑みを湛える。

 穏やかで温かくて優しい微笑みは、最高の癒しを桜井に与えた。

「礼なんかいらない。翼は大事な親友だからな。困っていたら助けるのは当然だろ?」

「へへっ。俺は潤弥に愛されて幸せ者だな」

 山崎がくしゃりと顔を歪めて笑顔を作る。

 山崎が時折見せるこの表情は、無邪気で幼く、ついこちらまで笑顔になってしまう屈託のない笑顔で、桜井が最も好きな山崎のしぐさだった。

「ちっ。今頃知ったのか」

 桜井は照れを隠すように、わしゃわしゃと山崎の頭を乱暴に撫でた。

「うわっ……やめろよ、潤弥ぁ!」

「ははは、くしゃくしゃだな」

 桜井はケラケラと笑いながら幸せを噛み締める。

(俺は、こうしてずっと翼と笑っていたいんだ)

 桜井は改めて山崎に対する自分の気持ちを認識する。 (好きだなんて言えるわけがない)

 そして桜井の決心は益々強固なものとなっていった。



to be continued.


最後までご覧下さってありがとうございました!

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マシュマロ −英もみじ−
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