1. 学年トップ5の恋模様 -3
相田が着いたときにはすでに若林が家の前で待機していた。
「まだ俺の家を覚えていたんだな」
「ああ。うろ覚えだけどな」
相田は若林が自分の家の所在を忘れていないことを嬉しく思った。
相田はバスケットボールを取りに家に入ったが、再び姿を現したときは着替えをしており、制服から私服に変わっていた。
「1ON1やろうぜ」
そう言って相田はにかっと笑った。
そんな相田を見て若林は「こんな人懐っこい笑顔をされては断れないだろう」と、思わず笑みを溢した。
公園に着くなりプレーを始めるふたり。
オフェンスは若林。ドリブルをゆっくりと何度か繰り返してから姿勢を低くして勝負モードに入る。それを見て相田も腰を落とした。若林は数歩前進し相田の注意を引く。そして左右に揺さぶりをかけると突如、右足を大きく繰り出しそこに重心を移動させる。その流れを見ていた相田は透かさず若林のコースを塞ぐべく体を左に動かす。それを確認した若林はボールを左手に移した。若林のクロスオーバーに反応し、相田は左足で地面を蹴る。相田の重心が着地した右足に完全に傾いたのを察すると、若林は再びボールを右手に戻す。その瞬間、ゴール下まで一気に切り込む。相田が「抜かれた」と思ったときには、若林がリリースしたボールはリングを通過していた。
「すげぇ、唯昂。はえぇ!」
「オレみたいなタッパもガタイもない奴はパワーじゃ勝てないからな」
若林は片手でボールを玩びながらにやりと笑った。
そして「次は力がオフェンスだな」と言いながら若林は相田にボールを投げた。
「うっし」
相田が若林にボールを渡し、若林がそれを返す。
勝負開始と共に相田は勢いよくゴールに向かう。若林は相田の動きにぴったりと付いて行く。相田は自分の動きに若林を十分引きつけると、急停止して若林とのズレを生じさせる。若林がそのズレを修正する前に相田は爆発的に加速。そのまま流れるような動作で放たれたレイアップシュートは難なくリングに吸い込まれた。
「何だ、今のストップ&ゴー。あのスピードを止めるなんてすごいな。ははは、面白い」
「俺もだ。唯昂がこんなにバスケできるとは、正直思っていなかった。次、やろうぜ!」
ふたりは相手の実力を見極めつつゲームを進める。20ポイント先取のルールで始まった勝負は若林の勝利で決着がついた。高精度のロングシュートを放ち、得点に結びつけたのが勝因である。敗れたものの、存分にプレーを楽しんだ相田は清々しい表情をしていた。
ふたりはコートの上に座り込み、汗を流しながら上がった息を整えていた。
「またやろうぜ! リベンジ、リベンジ!」
「ああ。いつでも相手してやる」
相田と若林は楽しそうに拳同士を突き合わせた。
相田は頭上の遥か遠くを見つめた。
空は夕焼けの赤い色から夕闇の濃い灰色へと変わろうとしている。絶え間なく吹く風は、秋の到来を感じさせる温度で熱を帯びた体を撫でていく。隣には幼馴染みがいて、好きなバスケットを一緒にして、笑ったり悔しがったりして今日という日を終える。
相田は幸せだと思った。許されるなら、毎日をこんな風に過ごしたいと願った。
「唯昂さ、部活はやらないのか?」
「考えていない」
「そっか……」
バスケット部に勧誘しようとしていた相田は、若林の即答を残念に思った。
「あ、そうそう」
若林が何か思いついたようで、急に話題を変える。
「ハウスキーパーを雇いたいんだが、確かなところを知らないか?」
「ハウスキーパー?」
「ああ。イギリスにいたときはオレ専属のバトラーがいたんで家事一切ができない。自慢じゃないが、下着すらどこにあるのかわからない有様だった」
(げっ、バトラーだなんてありえねぇ)
相田は若林の庶民離れした生活を垣間見て面食らった。
「悪い、全くわからない。にしても、メシはちゃんと食ってるか?」
「昼は学校で食べているが、あとは食べたり食べなかったり」
「それ、駄目だろ……そうだ、今から俺について来いよ。一緒に晩メシ食おうぜ。味は保証する」
相田はそう言って腰を上げ、身支度を始めた。
若林も黙ってそれに倣った。
相田が辿り着いた先は桜井のマンションだった。
インターホンが鳴り、来客が相田であることを確認した桜井はドアを開ける。意外にもドア先には相田だけでなくもう一人いる。
「なんでこいつもいるんだ?」
桜井は若林の出現をあからさまに嫌がった。
「潤弥のうまいメシを唯昂にも食わせたくて。手土産に潤弥の好きなマカロン持ってきたから」
カラカラと無邪気に笑いながら話す相田を見て、桜井は邪険に扱えなかった。
「入れよ」
「サンキュ。潤弥、だいすき~」
相田はご機嫌で部屋に入った。
続いて若林も中に入ると、相変わらずうつ伏せに寝転がって雑誌を捲る山崎がいた。
「あれ? 若林?」
「翼もいたのか」
若林はぽつりと何気なくごく自然に言葉を発したのだが、桜井は聞き逃さなかった。
「てめぇ、翼を気安く下の名で呼ぶんじゃねぇ!」
「なにをそんなにカリカリしてるんだ。ビタミン不足か?」
「んだと!」
「あぁ、うるさい……」
若林は騒ぎ立てる桜井を無視して山崎に近付くと、うつ伏せの体に覆い被さった。
「何読んでるんだ?」
山崎の両脇に手、両腰に膝をつき、山崎の頭の上から雑誌を覗き込む。
「ん? バドミントンマガジンだけど、ちょっと何この体勢」
「翼はバド部なのか…………相変わらずいい匂いだな。思わず舐めたくなる……うあっ!」
若林がさらに山崎に接近しようとした瞬間、臀部に衝撃が走る。
「ってぇ! 本気で蹴りやがったな」
「翼に近付くんじゃねぇ! 嫌がってるだろーが」
桜井は腕を組んで仁王立ちし、若林を見下ろしていた。
若林はやれやれと山崎から体を離すが、やはり愉快そうに笑みを湛えながら視線を桜井に向けていた。
(こいつ、俺をからかってやがる)
桜井は夕飯の準備のためキッチンに向かいながら相田に言った。
「力、そいつを見張ってろ。次何かしやがったら晩メシ食わせねぇぞ」
「へーい」
相田は若林を連れてきた手前、桜井に従うしかない。 「唯昂、こっちこい」
相田は若林を自分の隣に座らせると、腰に腕を回してホールドする。
「そういうことだから大人しくしてろよ」
「ここまでする必要ないだろ」
若林は子ども扱いする相田をぎろりと睨んだ。
1時間後。
「おーい、メシできたぞ!」
桜井の号令で3人がダイニングテーブルの席に着く。 「今日はボンゴレと生ハムサラダと南瓜のスープだ」
「うわぁ、美味そう!」
桜井も席に着くと、4人は「いただきます」と声を揃えた。
「で、力が若林を連れてきたのはなんでだ?」
「えっと……」
相田は若林の家事が出来ない経緯を説明した。
「は? 専属バトラー?」
「パンツが一人で履けないなんてありえない……」
やはり桜井と山崎も相田と同じ反応である。
「だろ?」
「よくそんなんで、単身日本に来たな」
「ハウスキーパーを雇う高校生なんて聞いたことない」
「いい機会だからできるようになればいいんじゃねぇの?」
3人が若林について口々に話している傍で、当の本人は一言もしゃべらず黙々と食事をしていた。
そして一番に食べ終わると、ふぅと満足そうに息を吐いた。
「うまかった!」
若林の声を聞いた3人は思わず若林の食器に目をやる。綺麗に完食されている。皿に残っているのはあさりの殻だけだ。
「な、言っただろ? 潤弥のメシはうまいって」
「ああ。毎日食べてやってもいい」
「おい、なんで上からなんだ!」
例外なく若林が口を開くと騒がしくなる。
(素直に食べたいって言えばいいのに。唯昂ってほんとツンデレだよな)
そう思っていたのは相田だけではなかった。
「潤弥の作るメシがうまいからまた食べさせてって、素直に言いなよ、若林」
山崎は諭すように言った。
「なぜ?」
若林は訂正するどころか悪びれもせず、飄々と言葉を返した。
「てめっ、かわいくねーな!」
若林の態度が気に入らず、相変わらず食って掛かる桜井。
「お前にかわいいと思ってもらいたいなんて微塵も考えていない」
「ああ、気に食わねぇ! だいたいお前は……」
「それより潤弥、食後の飲み物は紅茶がいい」
若林が桜井の言葉を遮るように放った言葉は利己的で、もはやわざとなのか素なのか分からない。
「俺はお前のバトラーじゃねぇ! しかも今、潤弥って言いやがったな。お前は桜井様と呼べ」
「なんだお前、まだ中二だったのか?」
「黙れ、馬鹿林!」
この小学生並みの低レベルなやり取りを見て、相田と山崎は黙って目を合わせると、同時に溜め息を吐いた。
普段大人しく冷静な桜井が若林の前ではやたらと感情的になる。相当に若林が気に入らないらしい。それが相田には不思議で堪らなかった。
相田は若林が桜井を嫌っていないことを知っている。むしろ好いている。
桜井のマンションに向かっている途中、突然桜井の好物を聞いてきたかと思えばそれを手土産にすると言い出した。しかもアソートを選んだ上、桜井の好きなテイストだけ追加して数を増やしている。
さらに「オレからだとあいつは気分よく受け取らないだろうから、力が持ってきたことにしてくれ」と気遣った。
それだけ桜井に気遣いする若林がなぜ本人を目の前にすると憎まれ口ばかりたたくのか、それも解せない相田だったが、とにかくふたりには仲良くして欲しい。そう望みながらも現状を打破する名案が思い浮かばず、相田はもどかしい思いを持て余していた。
食後、再びリビングで寛ぐ4人。
テーブルには紅茶の入ったカップが4つ載っている。
桜井が手土産のマカロンの包みを開けると歓声をあげた。
「こんなにたくさんあるのか。しかも俺の好きなレモン・ライチとテ・マリーアントワネットが多めに入ってるし! サンキュ、力」
桜井は満面の笑みで嬉しそうに礼を言った。
「おう」
(俺じゃないけど……)
相田がちらりと若林を見やると、密かに微笑を浮かべていた。桜井が喜ぶ姿を見て嬉しいのだろう。「実は唯昂が……」と言いたい気持ちをぐっと堪え、相田は若林との約束を守った。
食後のデザートも楽しんだ後、3人は桜井のマンションを後にする。
自宅の方向が違うため早々に若林と別れた相田と山崎は、ゆっくりと歩を進めながら会話をしていた。
「あの手土産、若林だろ?」
「ああ。なんで分かった」
「力が手土産を持ってくることはよくあるけど、あんな繊細な選び方はしない」
山崎はよく見ている。
「翼は唯昂のこと、どう思う?」
「ん~、複雑過ぎて読めない。でも俺は嫌いじゃないよ。ただ、少し妬けるな」
「妬ける?」
「力も分かってるだろうけど、潤弥って基本的に他人に興味を抱かない。潤弥が気になる人間は、俺と力と荒川拓海の3人くらいかな。荒川っていうのは大会で潤弥がいつも決勝で当たる選手だ。そんな潤弥が今、全力で関心を寄せているのが若林だ」
気が付けば山崎から笑顔が消えている。
それほど真剣な話をしてるわけではない。相田は違和感を覚えた。
「でも、あいつら犬猿の仲に見えるんだけど」
「潤弥はまだ自分の感情をコントロールできていない。あんなに心が揺さぶられるのは滅多にないから、戸惑っているんだろうな」
山崎は自分の言った言葉を噛みしめるように、ほんの少しの間黙り込む。
「多分、時間が解決してくれるよ。きっとあのふたりは仲良くなれる。しばらくあの幼稚な口喧嘩に付き合ってやらなきゃならないけど」
山崎が朗らかに微笑む。
いつもの山崎だ。相田が先程感じた違和感は、山崎が滅多に抱かない嫉妬、しかもかなり強い感情だということをたった今理解する。
(もしかして翼は……)
相田は口に出したい言葉をぐっと飲み込んで「そうだな」と短く返事をした。
1. 学年トップ5の恋模様 fin.
Writing date 2018.2.16
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