7.夕飯メドレー -1
桜井は教室の壁に凭れながらドリンクバーのコーヒーを飲んでいた。そこに相田が近寄って来たかと思うと、ピタリと桜井に寄り添いながら同じく壁に凭れ掛かった。
「近いぞ、力」
桜井は自分の体に引っ付けられた相田の腕を肘で小突いた。
相田がこうした行動を取るときは何か「お願い」があるときだ。つまりは甘えたいとき。
それをすでに把握済みの桜井はその「お願い」が何なのか楽しみですらあるのに、わざと迷惑そうに振る舞う。
しかし相田もまたそれがわざとだということを知っている。これまで自分の「お願い」が聞き入れられなかったことは一度もないのだ。
相田は人懐っこい笑顔で言った。
「久しぶりに潤弥のメシが食いてぇなぁ」
「メシ?」
桜井は予想していなかった言葉に驚きを示す。
「そう。俺の大好物の潤弥メシ」
相田はさらにニコニコと笑い、屈託のない笑顔を向けて桜井の返事を待っていた。
「そういえばしばらく家に来てないな……」
(ああ、セブが来たからか……)
桜井はまだ相田にスタンリーのことを話していないことに気付く。
いい機会だと、桜井は相田の「お願い」を聞き入れた。
「だったら明後日の金曜日に来いよ。一緒に帰ろうぜ」
「おう! すっげぇ楽しみ!」
相田はガッツポーズをしながら喜んだ。
2日後。
桜井は相田と一緒に帰りながらスタンリーについて話す。
「え? 家政夫?」
「そう。名前はセバスチャン・スタンリー。歳は俺たちと同じ」
「え? 外国人? えっ? 同い年? ちょ……いつから?」
相田には青天の霹靂である。驚きと戸惑いで、少し混乱していた。
「俺の家政夫をするようになったきっかけは……」
桜井はスタンリーを不審者として発見し、スペンサーの提案により自分の元で預かることになった経緯を話す。
それからスペンサーから聞いたスタンリーに関する情報を付け加えた。
「セブはイギリスの名門貴族、スタンリー家の長男……だった。セブを生んだ母親はスタンリーを愛し、可愛がったが、大病を患ってセブが5歳のときに他界した。父親は常に多忙を極め、セブのことを気に掛ける余裕がなかった。だから気付いてなかったんだ。オッドアイであるセブが周りから気味悪がられ、独りぼっちだったことに」
桜井はゆっくりとした足取りで自宅に向かっている。
そんな桜井に合わせて、相田は歩幅を狭めた。
「母親が亡くなってからしばらくして父親が再婚する。継母はセブを嫌い、世話の一切を使用人たちに押し付けて関わろうとしなかった。次第にセブは家の中でも孤立するようになる」
桜井は小さく息を吐いて続けた。
「決定的だったのは、継母と父親の間に子供ができたことだ。いよいよセブは邪魔者扱いされ、学校では明確ないじめが始まる。そして新たな子供を嫡男にしたいふたりは、セブを遠い親戚の子供のない老夫婦の養子にしてしまう。しかしセブがその家に馴染む前に老夫婦はこの世を去った。セブには老夫婦が持つ多大な遺産だけが残り、再び独りぼっちになる。そんな中、いじめから救ってくれたノアや唯昂が日本に渡り、心の拠り所を失う。セブはイギリスに未練なくふたりを追いかけて来日した」
桜井は感情なく淡々とスタンリーの生い立ちを話すが、その内容はキリキリと相田の胸を締め付けた。
「で、全くの赤の他人だというのに、気が付いたら俺の部屋に入れていた。自分がこんなにお人好しだとは……意外だった……」
桜井は微かに苦笑しながら相田を見た。
「そうか? 俺は潤弥らしいと思うけどな。潤弥は一見厳しそうだけど、優しくて面倒見が良くて、気が利く。俺はそんな潤弥が好きだぞ」
「力……」
桜井は相田の言葉に照れながらはにかんで笑った。
「お帰りなさい」
スタンリーが玄関のドアを開けて桜井と相田を迎える。
「よ、ようこそ……力さん」
「やぁ、初めまして」
緊張しながら相田に挨拶をするスタンリーはおどおどして頼りない。
童顔であることも相まって、相田は同い年には思えなかった。
「セブ、この前話した通り、力は俺の一番の親友だ。主人である俺と同等の応対をしろ」
「はい」
桜井はぴしゃりと言い付けると、リビングのソファに腰掛けた。
「潤弥んち、久しぶり!」
相田もソファに腰掛け、両手を広げながら背もたれに凭れ掛かった。
「どうぞ」
透かさずスタンリーがコーヒーの入ったマグカップをテーブルに置く。
「サンキュ……おっ、まだ置いといてくれたんだ? 俺専用マグカップ」
「ああ。捨てるわけないだろ」
桜井と相田はクスクスと笑い合いながら、コーヒーを飲む。
相田は一口だけ飲むとすぐにマグカップをテーブルに戻し、キッチンに戻ろうとしているスタンリーを引き止めた。
「セブ! おいで」
相田は手を伸ばしてスタンリーを呼ぶ。
「?」
スタンリーが戸惑いながら相田に近付く。
相田の傍まで来ると、ぐいっと腕を引かれ、スタンリーは強引に相田の隣に座らせられた。
「わっ!」
相田は驚くスタンリーの顎を捉え、上を向かせると、その顔をじっと見つめた。
「綺麗な色だな……こんなに美しいイエローアイだとは思わなかった」
「え……」
(潤弥さんと同じ……僕の目を綺麗だと言ってくれた……)
スタンリーは驚きながらも嬉しさに満ちた目で相田を見つめ返した。
端整な顔つきは桜井と同じだが、男らしい要素がはるかに多い。凛として誠実そうな顔立ちは溢れんばかりの包容力を纏い、思わず身を委ねてしまいたくなるほどの強さや頼り甲斐を感じる。
スタンリーはしばらく相田から目が離せなかった。
「俺の前でも自然体でいればいい」
そう言って相田はスタンリーを解放する。
「あ、ありがとうございます」
スタンリーは顔を真っ赤にして、そそくさとキッチンに向かった。
「ありがとな、力」
桜井はスタンリーのコンプレックスを包み込む相田を見て、嬉しそうに穏やかに笑った。
間もなくしてふたりはスタンリーに呼ばれる。
ダイニングテーブルには普段よりも少しばかり豪華な夕食が並んでいた。
「おおっ、旨そうっ。いただきます!」
料理を見た相田が興奮気味に食事を始める。
「お! 潤弥の作るメシと同じ味だ!」
相田が驚きの声を上げる。
「まぁ、教えたのが俺だからな」
「にしても、うまく出来てる」
「そうか、それは良かった」
桜井は喜びながら箸をすすめる相田を見て微笑んだ。
キッチンの中ではふたりよりもはるかに嬉しそうに、そして幸せそうにスタンリーが微笑んでいた。
「こんにちは、力さん」
スタンリーが笑顔で玄関ドアを開ける。
「おお、セブ。元気にしてたか? これ、土産。こっちが潤弥でこっちがお前の分」
相田が2つの紙袋を交互に持ち上げながら説明する。
「いつもありがとうございます」
スタンリーは頬を赤らめながらこれ以上にない満面の笑みで受け取った。
先日、久しぶりに夕食を共にして以来、相田は桜井の部屋に来ることが多くなった。
「なぁ……力……もしかしてセブが気に入った?」
桜井はおもむろに問いかける。
「え?」
「ここに来る理由はセブだろう?」
「ふふ……まぁな……」
相田は素直に肯定すると、口角を上げて笑った。
「あいつ、すげぇひたむきに働いて……それが全て潤弥のためで、潤弥の役に立ちたいって気持ちが全開なのがすげぇ可愛い。あんなに健気な姿を見てたら甘やかしたくなる」
「おいおい、俺はこき使ったりしてないぞ」
「ははっ、悪い。そう聞こえたか?」
相田がカラカラと笑う。
「でも……今までセブの世界は俺だけだったから、力が関わってくれて良かった。最近のセブはなんだかウキウキしているんだ」
「そうか……スペンサーがそれを聞いたらさぞかし喜ぶだろうな」
「ああ。俺は自立できるところまで持っていきたいと思ってる」
桜井がそう言った瞬間、キッチンのほうから『ガシャン』と何かが割れる音が響き渡った。
「セブ?」
先に反応したのは相田だった。
キッチンカウンターに近付き、様子を窺う。
「ご、ごめんなさい! 手が滑って……すぐ片付けます!」
「怪我は?」
「ありません。ご心配ありがとうございます」
スタンリーに怪我がないことを確認すると、相田は安心して席に戻った。
割れたガラスコップの破片を集めようとしゃがんだスタンリーの手が動揺で震えていた。
スタンリーの耳に桜井の言葉が届いていたことは言うまでもない。
スタンリーは震える手でガラスの破片を拾う。心臓がバクバクと高鳴ってうるさい。
拾うことへの思考は働かず、ただ桜井のことしか考えられなかった。
(潤弥さんにとって僕はノアに押し付けられただけの人間……なのに、潤弥さんの優しさを愛されていると勘違いして……)
スタンリーの目から涙が溢れ、ポロリポロリと零れ落ちる。
視界が涙で歪み、ほとんど何も見えないにもかかわらず、スタンリーは無意識で破片を拾い続けた。
(ああ、なんて愚かな……僕が誰かに愛されるなんて……そんなことあるはずないのに……どうして僕は……)
「セブ! お前、何して……」
突然の桜井の叫び声でスタンリーは我に返る。
「え……」
スタンリーは床に広がる赤い色に驚いた。
ポタリポタリと赤い雫が床に落ちている。その源を辿ると、自分の指先だった。
「こっち来い」
桜井がスタンリーの腕を掴んでキッチンを離れる。洗面所まで引っ張って行くとスタンリーの指を水で洗い流した。
「破片は入っていないか?」
桜井に丁寧に扱われ、スタンリーは益々涙を溢れさせ、咽び泣いた。
「ご……ごめっ……」
「なんでこんなことになった?」
「わっ……わかっ……」
「どうして泣いている?」
「ごめ、なさい……ごめん、なさい……ごめっ……」
スタンリーはひたすら謝り続ける。
「セブ? どうした? 何を謝ってる?」
ごめんなさいと何度も繰り返すスタンリーに戸惑う桜井。
困惑しながらもスタンリーの指先の処置を素早く終えて、桜井はぎゅっとスタンリーを抱き締めた。
「セブ、何があったんだ」
「ぼ、僕……出て、行きます……明日、すぐに……」
スタンリーはボロボロと涙を溢しながらなんとか言葉を絞り出した。
(ああ、また勘違いしてるな)
「セブ……」
桜井はスタンリーの頬を撫でながら、ゆっくりと話し始めた。
「お前も男だろう? 俺に依存してないで、ちゃんと自分の足で立った上で傍に居たいと思わないのか。追い出すなんて言ってないだろう?」
「え……?」
「お前はハウスキーパーになりたいわけじゃないだろう? お前のやりたい仕事に就いて欲しいんだ。とんでもない遺産があって働かなくてもいいかもしれないが……」
「……でも……僕……やりたい、こと……なんて……」
「これからゆっくり考えたらいいし、もし何もなければ俺から提案がある。ま、とりあえずは受験が終わるまで俺の世話をしてくれ」
「潤弥さん……」
スタンリーは何かと自分のことを考えてくれている桜井を改めて感じ、そして自分が思うよりもうんと前向きに生きることを望んでいると知って、あまりに拙い自分の思考が恥ずかしくなった。
桜井に連れられて、グスグスと鼻を鳴らしながらリビングに戻ってくるスタンリーを見て、相田は小さく息を吐いた。
(予想を裏切らない面倒臭さだな)
「セブは潤弥のところに来て大正解だ……」
「何か言ったか?」
桜井がソファの元の位置に腰掛けながら相田に話しかけた。
「潤弥の面倒見の良さを改めて感じてた」
「今みたいにグズるのはまれなんだけどな……」
砕けたガラスコップの処理を再開したスタンリーを遠目で見ながら相田は言った。
「面倒臭いけどほっとけない気持ちは分かる」
「意外だな……力は能力の高い奴しか眼中にないと思ってた」
「はは、否定はしない……潤弥の世話好きがうつったか」
相田が桜井に視線を移してクスリと笑う。
「何言ってる……力だって基本的に世話好きだろうが」
桜井が笑い飛ばすと、相田は自覚がなさそうに首をかしげた。
to be continued.
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