1. 学年トップ5の恋模様 -2
山崎が朝から興奮気味に桜井の席に現れた。
「潤弥、聞いたか? 転入生の話」
「ああ。女子が騒いでいるからな」
興味無さそうに桜井が答える。
高校での転入生は珍しい。時期から見ておそらく帰国子女か留学を終えた高校生だろう。
噂好きな女子生徒たちがこの転入生についての話題で盛り上がっていた。当然ながら女子生徒たちの興味の対象は、学力だとか性格などではなく「ルックス」である。盛り上がっているとなればきっとイケメンなのだろうと、周りの男子生徒は察していた。キャッキャと騒ぐ女子を横目に、また敵が増えると不機嫌になっていた男子は少なくない。
「興味無さそうだな?」
山崎は楽しそうに話しかけた。
「ああ。まったく興味ない」
そう答える桜井の眼は死んでいる。心底興味がないらしい。
「俺は興味津々だ。そいつ、かなりの腕らしいからな」
「何の?」
「俺が言うんだから当然バドの」
「なんだと?」
桜井の顔色が変わった。
「かなりの腕なら俺達が知っているはずだろう。名前は?」
「若林唯昂」
「知らないな……」
小学生からバドミントンをしていて県内ベスト4に入る桜井と山崎は強い選手とは馴染みである。しかし若林唯昂という名前は聞いたことがない。
「ああ。イギリスにいたらしい」
「イギリス?」
予想外の返答に桜井が驚く。
「バドミントンに限らずスポーツ万能で、なんでもやればトップクラスだとか」
強い選手と聞いて桜井の関心が急激に高まった。
「おい、翼。いつから来るんだ?」
山崎はにやにやして言った。
「いいぞ、食いついてきたな。もう来ている。朝一で紹介されるはずだ」
「まさか、俺のクラスなのか?」
山崎のにやつきはおさまらない。そのとき〈キーンコーンカーンコーン……〉予鈴が鳴り始める。
「俺は隣のクラスで残念だな。後で見に来る」
山崎は軽くウィンクして桜井の教室を出て行った。
教室に転入生・若林唯昂が姿を現した瞬間、2年2組の女子生徒たちが一気に騒ぎ出す。
「うそ~っ、まじで美形!」
「ちっちゃ~い!」
担任教師がする紹介もほとんど聞こえないくらいにヒートアップしている。
そんな中、桜井はほんの少しの胸騒ぎを覚えながら若林を観察していた。
小柄で身長はかろうじて160センチメートルをキープしているように見える。身は細く、スポーツが出来るようには見えない。色白の肌をし、茶色の髪と瞳を持っている。体質のせいか、身体全体の色素が薄い印象を受ける。顔を隠すかのように前髪を伸ばし、その前髪の隙間から見える目は切れ長で、長い睫がさらに覆っている。クラス全体でされる過剰な反応を目の当たりにしても感情が一切なく、無表情で他人を寄せ付けないオーラを放っていた。
「あれ、本当に男かよ?」
偵察に来た山崎が廊下で桜井に言った。
「そこらへんの女よりよっぽどイけてる」
山崎はしばらく若林を眺めると、桜井に視線を移して尋ねた。
「で、なんで潤弥の隣なんだ?」
「そんなこと知るかよ」
「しばらく騒がしくて大変そうだな」
「まったくだ」
桜井はがっくりと肩を落として大きな溜息を溢した。
放課後。
若林が登校初日を終え、校舎を出たところで呼び止められる。
「唯昂っ!」
若林は初日から「唯昂」と名で呼びかける者がいることに驚き、声のするほうへ振り返った。そこには爽やかさと健康的な雰囲気を纏った好少年がいた。相手は人懐っこい笑顔を向けるが見覚えがない。若林が反応に困っていると、相手は話し出した。
「久しぶり。俺のこと覚えてる?」
どうやら自分と相手は知った仲らしい。若林は記憶を辿った。
「俺は相田力。俺の父親は世界航空の代表取締役で唯昂の親父さんと仲が良かったんだけど……」
相田の言葉を聞いて、若林は記憶を呼び覚ました。
「あぁ、力か! もう何年振りになるかな……最後に会ったのは8歳のときか」
相田と若林は父親同士が仲が良かったため、物心がついた頃には家族ぐるみの付き合いをしていて、頻繁に遊んでいた仲だった。
「そう! 思い出してくれたか」
相田は満面の笑みで若林に話しかける。
「随分男らしくなっていて気付かなかった」
「唯昂は変わらず美人だな。久しぶりに話でもしないか?」
「ああ」
若林は目を細めて微笑んだ。
ふたりは近くのカフェに入り、昔話に花を咲かせた。懐かしい話題が次から次へと出て尽きることがない。
しかし楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、気が付けば日が暮れ始めている。
「そろそろ帰るか」
「そうだな」
ふたりは同時に立ち上がり、店を出た。再び肩を並べて歩き出すが、どうも相田の歩みが遅い。若林は相田の行動を訝った。
「なぁ、唯昂……俺たちさ、よく遊んだだろ? お互いの家で」
「ああ」
若林はなぜ再び相田が昔話をし出したのか分からなかった。先程カフェで山ほどした話題だからだ。
「実はさ、初めて唯昂に会ったときから唯昂が好きだった。唯昂が引っ越してから、まさかまた会えるなんて思っていなかったからすっごい嬉しくって」
相田は照れを隠すように俯いて、視線は若林ではなく真っ直ぐ地面に向いていた。
若林は相田が昔話をしたいわけではないことを悟った。素直に自分の気持ちを伝えてくる相田は幼い頃と変わらない。そういえば一緒に遊んでいた頃も「唯昂、大好き」と口癖のようによく言っていたものだ。
「オレもまた力と友達でいられるなんて嬉しい」
「そ、そう?」
相田は若林の返事を受けて気持ちが高ぶった。
「明日、一緒に昼メシ食おう。俺の親友を紹介するよ」
「ああ」
「じゃ、昼休み入ったら迎えに行くから」
「分かった。それじゃ、また明日」
ちょうど分かれ道に差し掛かり、若林は穏やかな顔で相田の隣を離れた。
「ああ、また明日……」
(高校生になっても相変わらず唯昂はかわいいなぁ)
若林が人を寄せつけないオーラを放つのは幼少のときからだ。表情が乏しいのも昔からだ。しかし幼馴染みの相田にだけは心を開いているようで、傍にいることを許し、笑顔を向けた。若林が自分にだけ懐いていることに、幼い相田は優越感を抱いていた。
(あのときの俺はガキだったなぁ)
今は自分の大切な友達とも仲良くしてくれたら嬉しい、心からそう思えた。
次の日。
桜井は授業中にも関わらず、若林に小声で話しかけた。
「昨日、親父の秘書にお前のことを調べさせた」
桜井は若林を見たときに感じた胸騒ぎが忘れられず、若林の素性を調べるに至ったのである。
若林は桜井の言葉に反応し、目だけを桜井に向けた。
「成績はとにかく優秀。身体能力には恵まれていないが運動神経がずば抜けて良い。常に平常心で心を乱すことがない。周りの大人たちはお前を神童と呼んだ」
若林は桜井の話を黙って聞いていた。
「こんなプロフィールなんて俺にはどうでもいい情報なんだが、ひとつだけ注目した項目がある。お前の父親ってイーグル・カーズの代表取締役だろ?」
「それがどうした」
「俺の父親はSMCの代表取締役だ」
若林の顔が桜井に向けられる。その眼は驚きの色を示していた。
イーグル・カーズとは世界のトップクラスの自動車メーカーである。同じくSMCもイーグル・カーズと並ぶ世界の自動車メーカーで、イーグル・カーズがヨーロッパを中心にシェアを持つのに対して、SMCはアメリカ中心。当然、国内ではさらにしのぎを削るライバル社である。ふたりは敵対する会社経営者の息子となる。
「何が言いたい?」
「別に。こういうことは最初に知っておくべきだ」
「確かに。お前、面白い奴だな。オレと同じニオイがする」
若林は意味ありげなもったいぶった顔でにやりと笑った。
「おなじニオイって何だ」
「用意周到で腹黒く、自分勝手なところ」
「あ、そう」
明らかに褒められていない。
桜井は気分を害し、若林から視線を外して会話を一方的に終わらせた。
昼休み。
4限目終了のチャイムが鳴り終わると同時に2年2組に相田が現れた。入り口のドアに立ち、通る声で叫ぶ。
「唯昂、昼メシ行こうぜ!」
相変わらず爽やかな笑顔である。
「力……今行く」
若林は静かに席を立った。
そのやり取りを隣で見ていた桜井は驚いた。思わず若林の腕を掴み動きを制す。
「何だ?」
「なんで力を知っている?」
「力とは幼いときからの友人だ。お前のところの秘書はそこまで調べていないのか」
「調査対象はイギリス滞在期間のみだからな」
「なんだ、唯昂の隣の席って潤弥だったのか」
相田がなかなか来ない若林を迎えに席まで来てしまい、ふたりの会話は中断される。
「今日は唯昂も昼メシに誘ったから一緒に食おうぜ。早くいかないと食堂の席埋まっちまう」
相田はこのふたりの微妙な空気に気付くことなく楽しそうに笑った。
3人は足早に食堂へ向かい、それぞれ好みのランチセットを選ぶと席を確保する。いつもの机にいつもの並びだ。しかしあとひとり足りない。
「悪い、待たせた?」
最後のひとりの山崎はにこやかに近づき、トレーをテーブルに置いた。
「若林……だっけ? 初めまして。俺、山崎翼。よろしく」
山崎は若林に自己紹介をしながら席についた。
山崎が若林の隣の席に座ると空気が一変する。驚いて若林は山崎を見る。
凛としているようでひどくあたたかい。そして慈愛で満たされている空間に包み込まれているような気持ちになる。究極の癒しを感じるのだ。
「若林……そんなに見つめるなよ。俺の顔に何か付いてる?」
隣からの視線に耐えきれず、山崎は若林に尋ねた。
「いや……悪い」
若林は目の前のおかずに視線を移すと、この心地よい空気に酔いながら箸を口に運んだ。
「ところで、力と若林っていつからの友達なんだ?」
桜井が先程気になったことを切り出した。
「えっと……幼稚園に入る前からだったかな……はっきりとは覚えていない」
「そんな前から? 俺と力の仲だろう? なんで今まで隠してた」
桜井は相田のことを本当の親友だと思って今まで隠し事なく何でも話してきた。相田もそうだったと思っていただけに心が痛む。
「隠していたわけじゃない。唯昂がずっと日本にいたら当然潤弥にも会わせていたさ。でも唯昂は潤弥と出会う前にイギリスへ行ってしまった。いない人間のことをあえて話す機会はなかった」
「そっか……確かに」
相田の説明を聞いて、桜井は尤もだと納得し、安堵した。
「しかし、SMCとイーグルの息子が俺の友達になるとは思っていなかったな」
相田は複雑な気持ちで呟いた。
「え? どういうこと? ここにSMCと世界航空とイーグル・カーズの息子がいるってこと?」
山崎は驚いて思わず早口になる。
「そういうこと」
「なんか濃過ぎて吐きそう」
「おい、翼。それどういう意味だ」
「別に。そのまんまだけど?」
「分かるように言え」
相田と桜井が山崎と口論になりわーわーと騒いでいる間、若林は違うものに気を取られていた。
山崎から感じるものは独特の空気だけではなかったからだ。
(滅茶苦茶いい匂いがする)
若林は思わず山崎の首元に顔を近づけた。正体不明の「匂い」が強くなる。
「ちょ、ちょっと、何してんだよ、若林!」
山崎は若林の突然の行動にびっくりして、若林の肩をぐいぐいと押し返した。
「やはりお前から出ている匂いだ」
「ニオイ? 俺、汗臭い?」
「いいや。とても香しい。思わず目を閉じてしまいたくなるほどのいい匂いだ。花や果実を絞り出したようなみずみずしい香りの中に甘くて官能的な香りがする。全てを持っていかれそうになる」
若林から淡々と述べられる口説き文句のような説明を聞かされ、山崎は恥ずかしさで顔を赤らめた。
「ああ、唯昂も気付いたか。翼っていい匂いするだろう? なぜかその匂いに気付く奴もいれば気付かない奴もいて、その差はいまだに分からない。ちなみに翼本人は気付いていない」
「こんなにいい匂いなのに分からないのか?」
若林が再び山崎の首元に鼻を埋める。
「ちょ、やめろって!」
山崎がくすぐったそうに身を引く。
そのとき、桜井の手が若林の肩を掴んでぐっと押し、山崎から遠ざけた。
「やめろって言ってんだろが」
桜井が目をギラギラさせながら若林を睨み付ける。
「お前、なんでそんなにムキになって…………そうか、そういうことか」
若林は桜井の感情に感付く。
「おい若林、それ以上は言うな」
「なんだ、まだ本人は知らないのか」
「黙れ」
若林は必死になっている桜井を見て、さも愉快そうに笑みを浮かべ、桜井を睨み返した。
今日は珍しくバドミントン部とバスケット部の部活動が早めに切り上げられ、3人は一人暮らしをしている桜井の部屋に集まっていた。
実家は高校に通える距離にあるのだが、桜井の親の教育方針で一人暮らしをさせているらしい。しかし男3人がごろごろしていても狭さを感じさせない広すぎるリビングと、食器洗い機が付いているシステムキッチン、浴室乾燥機のある浴室があるあたり、社会人並みの住空間である。
綺麗好きな桜井は掃除や整理整頓を怠らない。とても男の一人暮らしとは思えないほど、いつ訪れても部屋は綺麗に片付いていた。
部屋は桜井自身の持つ雰囲気と同じくスタイリッシュな家具でまとめられ、クールな部屋になっている。ところどころにオブジェが飾られ、その品々からは桜井の凝り性な性格が垣間見られる。
相田と山崎はこの居心地のいい空間を気に入っており、桜井もふたりにはいつ来てもいい許可を与えていた。
山崎が大きなクッションを胸の下に敷いて、うつ伏せになりながら雑誌のページを捲っている。相田は部の日誌を書いている。自由に寛ぐふたりに桜井はコーヒーを入れたカップを運んできた。基本的に世話焼きが好きな桜井である。
「はいよ」
「お、サンキュ」
相田は早速口につけながら日誌の記述を続けた。
「なんか、仕事をしている夫と気の利く女房って感じ」
山崎はふたりの様子を見てくすくすと笑いながら言った。
「はぁ?」
「やっべ、今吹きかけた」
山崎にとっては見慣れた光景であるが、この熟年夫婦のような安定したふたりの空気は、いつも安心する温かさを持っていて好きだった。
山崎も起き上がってカップを手に取ると、気になっていたことを切り出した。
「前さ、潤弥が犬飼のことをなんとかしてやるって言ってたけど、どうするつもり?」
「あいつと勝負する」
「何の勝負?」
「あいつの得意なやつ」
相田はふたりの会話に興味が湧き、手を止めて話に聞き入った。
「勉強?」
「ああ。次、俺が主席を取ったら翼のことは諦めろと言った」
「ええ! じゃ、犬飼が勝ったら?」
山崎は心配そうに桜井の顔を覗き込んだ。
「心配するな。翼には何も降り掛からない」
「潤弥、答えになってない」
「大丈夫。絶対に俺が勝つから」
そう言って桜井は山崎の頭を軽く撫でた。
「潤弥……」
何かを隠していると、山崎は確信したが、桜井が言わないと決めたのであれば聞き出せないことを知っている。山崎はこれ以上の追及は無駄だと判断した。
「はぁ……」
深い溜息を吐いたのは相田だった。
(一体あと何年、表でも裏でも翼に寄り付く虫を追っ払いながら片想いを続ける気なんだ)
相田は桜井の4年以上続いている片想いを知っている。頑なに想いを告げることを拒み、親友という立場を守っている一方、山崎に好意を寄せる人間をことごとく排除している。山崎はそんな桜井の行動に未だ気付いていない。
高校生になって益々ライバルが増え、桜井の攻防戦は激化している。相田は「いい加減、腹を括ればいいのに」と思いながら桜井を見守っていた。
相田が日誌の記入を再開し、ちょうど書き終えたときスマートフォンが鳴り響く。表示される名前は若林唯昂。相田はスマートフォンを通話状態にした。
「どうした、唯昂……は? なんだ、いきなり。いや、持ってるけど。ああ、構わない。今、潤弥んちにいるからすぐ家に帰る……ああ、わかった。じゃぁ、後で」
相田は通話を切ると不思議そうな顔をした。
「何かあったのか?」
桜井が心配そうに尋ねる。
「いや……唯昂の奴、いきなりバスケットボール持ってないかって。持ってたら貸せって言ってきて……」
「なんだ、それ」
桜井はたわい無い内容に拍子抜けした。
「どうも学校近くの公園にゴールがあるのを見つけたみたいで、急にやりたくなったとか。とりあえず一回帰るわ」
「分かった。晩メシは?」
「食う。潤弥のメシは絶対食う」
桜井と山崎に一旦別れを告げて、相田は足早に自宅へ向かった。
to be continued.
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