6.お人好しと不審者 -2
1か月後。
桜井は自分の帰宅を玄関で迎えたスタンリーの姿を見て驚いた。
「セブ、お前……」
「変……デスカ?」
スタンリーは短くなった前髪を掌で覆ってはにかんだ。
「髪、切ったんだな! 全然変じゃない。似合ってるぞ」
スタンリーは長く伸ばしていた前髪をバッサリと切ってイエローアイを露わにし、合わせて全体的に髪を短くして活発さを感じさせるヘアースタイルにしていた。
「ウフフ……良カッタ」
スタンリーは褒められて照れながら微笑んだ。
桜井の気遣いに応えたいと行動を起こすスタンリーがいじらしい。桜井はその前向きなスタンリーの心情を嬉しく思った。
「今日はぶり大根が食いたい。一緒に作って覚えろ」
「ハイ」
「あー、その前に買い物だな。ぶりのアラを買わねぇと」
桜井はスタンリーを連れてスーパーに向かう。
スタンリーは初めて桜井と一緒に出掛けることになり、上機嫌で買い物をする。
スタンリーはただひたすら桜井を見つめるばかりで、「ぶりのアラ」に関する桜井の説明は一言も頭に入っていなかった。
買い物を終えたふたりはキッチンに立って料理を始める。
ハウスキーパーとして桜井の元にやってきたスタンリーだったが、実のところ家事全般を一切したことがないという驚きの状態だったのである。
桜井が一から教え込み、今に至るのだが、スタンリーは予想以上に飲み込みが早くて今では全てを桜井好みに仕上げていた。
ただ、刃物を持つ手だけはなかなか安定せず、おぼつかないままだった。
「イタッ!」
「切りやがったな。ちょっと見せてみろ」
スタンリーが包丁で切った指を桜井に見せる。
「あー、たいしたことねぇな」
桜井はスタンリーの傷の具合を見て安心する。
そして思わずその指を咥え、血を吸い上げた。
「エッ……」
スタンリーが顔を真っ赤にしてその光景を見つめる。
驚きと緊張で心臓がバクバクと鳴り、体温は急上昇する。そして打ち震えるほどの歓喜がスタンリーを襲った。
「潤弥……サン……」
スタンリーが戸惑いを帯びた声で桜井の名を呼ぶと、桜井はふと我に返る。
つい自分が指を怪我した時と同じ行動を取ってしまったことに気付くと、「悪ぃ……」と言ってばつが悪そうに笑った。
桜井の華麗で端整な顔つきがくしゃりと破顔する様子にスタンリーの目は釘付けとなる。どんな表情も眉目秀麗で、いつまでも見ていたいと願ってしまう。
さらに面倒見のいい優しい性格は、より一層スタンリーを夢中にさせ、桜井への好意は日ごとに膨れ上がる。
スタンリーはこの大きく育っている恋心を持て余していた。
完全にスタンリーが家事を代行するようになってから、その分、桜井は受験勉強に専念していた。
『コンコン』
桜井の部屋にドアのノック音が響く。
「はい」
「潤弥さん、コーヒーを煎れました。どこで飲みますか?」
「ああ、今リビングに行く」
「分かりました」
スタンリーはリビングテーブルの上にコーヒーの入ったマグカップを置いた。
「ああ~、疲れたぁ」
すぐに桜井が首を左右に曲げてコキコキと鳴らしながらリビングに現れる。
「サンキュ、セブ」
桜井はソファに腰を下ろすとマグカップを手に取った。
「お勉強はどうですか?」
スタンリーがソファの傍に立ったまま桜井に話しかける。
「まぁ……良い感じとは言い難いが悪くもないな」
桜井は答え終わるとコーヒーを口に含んだ。
そして「ふぅー」と息を吐くと雑談を始めた。
「日本語、上達して来たな」
「ありがとうございます」
「今、困っていることはないか」
「特にありません」
「何か要望はあるか」
「要望……は……」
スタンリーが言葉を詰まらせる。
何か言いたいことがあるのは確実だ。
「あるなら言え」
それを察した桜井が返事を促す。
「もう少し、潤弥さんとお話をしたいです」
桜井は受験勉強のため、在宅時はほとんど自室に籠りっ放しである。
ゆえに同居しているとはいえ、ふたりは食事の時くらいしか顔を合わせることがない。
スタンリーは頭で桜井の邪魔をしてはならないと分かっていながら心では寂しさを感じ、もっと一緒に居たいと願った。
その葛藤からすぐに返事が出来なかったわけだが、桜井に要求されたこともあってつい本音を晒してしまう。
ところが桜井はそれを言葉通りに受け取ってしまった。
「ほう……何の話だ」
「えっと…………すみません。話したいことがあるわけではなくて……本当に言いたかったのは、もう少し潤弥さんの傍に居たいと……」
「何かあったのか」
桜井が心配そうにスタンリーを見つめる。
「いえ……何もありませんが……」
「なんだ、構ってちゃんか」
桜井がようやくスタンリーの本意を理解する。
桜井はスタンリーのことを、童顔で小柄という外見的な面と無垢の心を持った内面的な面が合わさって同年齢とは思えず、 弟のような存在だと感じていた。
そんなスタンリーに懐かれて、世話好きな桜井が嫌がるわけがない。
桜井はマグカップをテーブルに置いて、スタンリーに手を差し伸べた。
「こっちに来い」
スタンリーは嬉しさを爆発させたような笑顔で桜井の隣に腰掛ける。それから頭を桜井の肩にしな垂れ掛けて甘える仕草を取った。
桜井は黙ってその小さな頭を優しく撫でながら、もう片方の手でコーヒーを飲む。
しばらくふたりは無言のまま時間を過ごす。
「潤弥さん……」
スタンリーはおもむろに幼い子供のように桜井の膝の上に跨って首に抱き付いた。
ぎゅっと抱き締め、桜井と密着して視覚、触覚、臭覚、聴覚の四感をフル活動させて桜井を感じ取る。
(もっと……もっと五感で感じたい)
残るひとつは味覚。スタンリーはきつく巻いた腕を緩めた後、恐る恐る桜井の頬に口づけた。
「セブ、くすぐったい」
言うまでもなくスタンリーは桜井に癒されている。
一方、桜井もまたスタンリーに癒されていることに、桜井自身が気付いたのはごく最近だった。
お陰で桜井が抱える受験によるストレスは他の生徒に比べて小さい。
桜井が嫌がらないため、スタンリーは何度も場所を移しながら口づけた。
そして意図的に桜井の口端にキスを落とす。
「セブ、もう……」
唇の際にキスをするスタンリーの内心に気付かない桜井ではない。
しかし桜井の制止よりもスタンリーの行動のほうが早かった。
桜井の唇にスタンリーのものが重なり、ほんの少し吸い上げながら離れる。
「セブ、いい加減に……」
抗議をしようとする桜井を無視してスタンリーは再び唇を落とす。
「潤弥さん……好き……」
スタンリーが潤んだ瞳で桜井を見つめる。
その視線は情熱的かつ扇情的で、桜井を惑わす。
(ああ、なんかやべぇな、これ。据え膳ってやつだな)
「セブ、これ以上は駄目だ」
「…………」
「セブ?」
「ごめんなさい……僕なんかが好きになって……」
「謝らなくていい」
桜井はスタンリーの背に腕を回し、ぎゅっと抱き締めた。
不思議とスタンリーの体温は桜井を落ち着かせ、安らぎをもたらす。桜井自身はまだその理由に気付いていなかった。
休憩後、再開した受験勉強が一区切りつき、桜井は自室から出てスタンリーを探す。しかしリビングにその姿はなく、桜井はスタンリーの部屋に向かった。
『コンコン』とスタンリーの部屋にドアのノック音が響く。
「セブ、入るぞ」
「あっ、待って!」
スタンリーの制止の言葉と同時にドアが開く。
着替え中のスタンリーは半裸の状態で桜井を迎えた。
「あ、悪ぃ……着替えてたのか」
桜井が出直そうと踵を返しかけた瞬間、あるものが目に入る。
「おい、セブ。シャツを脱げ」
そう言ってスタンリーに近付く。
「嫌です」
スタンリーは桜井から逃れようと後ずさる。
しかし桜井は強引にスタンリーからシャツを剥ぎ取り、上半身を露わにした。
「見ないで!」
スタンリーが両腕で体を覆う。
桜井は腕だけでは隠し切れないそれを凝視した。茶色い色素沈着だ。消えない痣になっている。
おそらくスタンリーが以前受けていたいじめによるものだろう。暴行の痕が刻まれている体を見て、桜井は胸を痛めた。
「嫌だ……」
スタンリーの頭の中で何度も聞かされた「あの声」が響き渡る。
――なんて醜い肌なの。おぞましい。二度と見せないで――
「見ないで……」
「セブ……」
桜井がスタンリーの手首を持ってそっと体から退ける。
左の脇腹に残る痣は、スタンリーの白く滑らかな肌の上で異様なまでの存在感を放っていた。
「背中を見せろ」
桜井がスタンリーの体を優しく返す。
体を丸めて暴行を耐えていたのか、背中側の痣が酷い。全体にわたっていくつもの痣が散っている。痣が重なってより一層色濃くしている部分もある。見るからに痛ましく、桜井は言葉を失った。
「潤弥さん……もう……」
スタンリーが眼の次に劣等感を抱いているのが痣である。それを晒している状況に居た堪れず、スタンリーは身じろぎをした。
そのとき、桜井が割れ物を扱うようにそっと唇を痣に落とす。
「え?」
何度も何度も痣にキスを落とされ、触れたところから愛情が注ぎ込まれる。
「潤弥さん……」
桜井の触れたところが熱い。
スタンリーはその心地良い熱が全身に行き渡るのを感じながら喜びに打ち震えた。
to be continued.
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