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6.お人好しと不審者 -1

 相田は休憩時間に教室のドリンクバーでコーヒーを入れていた。

 それを持って教室の壁にもたれると、物思いにふける。

(翼が犬飼とグアムに行った直後は、潤弥との間にぎこちない空気が漂っていたが、潤弥が犬飼に託すような気持ちで翼を諦めてからはこれまで通りのふたりになっているように見える。しかし翼に犬飼と付き合う素振りは全くない。ふたりともどうも煮え切らない……俺は両想いだと思うんだけどなぁ……)

「力? どうしたんだ、そんな険しい顔をして」

 いつの間にか山崎が横に立っていて、それに全く気付いていなかった相田は驚きの声を上げた。

「翼っ」

「唯昂がスペンサーに取られて妬いているのか?」

 山崎がニヤニヤと笑いながら相田を見る。

「バカ。そんなんじゃねぇよ」

(お前らのことを考えてたんだよ)

「さぁ、どうだか」

 山崎はすっかり相田がスペンサーに嫉妬を抱いているものだと決め付けているらしい。相田の否定を信じる気配がなかった。

「俺は確かに唯昂が好きだが、そういう意味での『好き』じゃない」

「ふーん……そうなんだ……俺にはそう見えないけどな」

「なんなんだ、さっきから」

 相田が鬱陶しそうに言うと、山崎はニヤリと笑って話し出した。

「唯昂って、イギリスにいたとき、スペンサーと付き合ってたらしいな。なのに唯昂がスペンサーを避ける態度を取っていたのは、日本に来る前に別れたかららしい」

「付き合っていたのは納得だが、別れただと? あんなにいちゃついているのにか?」

 スペンサーは授業以外の時間はぴったりと若林に張り付いて、ひたすら愛の言葉を囁いているのだ。

 クラスの者は最初こそ反感を抱いていたが、毎日幾度となく繰り返されるこの行為を、今となってはいつもの光景として受け入れ、誰も何も思わなくなっていた。

「ああ。しかもすでに唯昂には恋人がいる」

「はぁぁっ?」

 相田は初耳だったらしく、盛大に声を上げた。

「だ、誰と? いつから?」

「つい最近らしいけど……誰とは俺の口からは言えない。ま、『そういう好きじゃない』なら、そんなに気になることもないよな?」

 山崎の意地悪な笑みからは、若林と付き合っている人間の名前を知っているという自信がだだ漏れだった。

(こいつ……)

「俺……てっきり唯昂は力が好きなんだと思ってたんだ。だから正直びっくりして……」

 山崎から笑みが消えている。

真面目にそう思っているのだろう。

「だから言っただろう? 俺たちはそんなんじゃないって」

「力は唯昂に対して過保護すぎるんだよ! 勘違いしても可笑しくない!」

 山崎が食って掛かる。

「そんなに過保護か? 別にちょっと仲が良いくらいだろ?」

(無自覚かよ……)

「だからちょっとどころの話じゃないって言ってんの!」

「潤弥だってお前に過保護だろうが」

「そんなことっ…………ん~、そうかな……部活では厳しいけど、それ以外はめちゃくちゃ優しいな……」

 相田に指摘され、思い当たることが多過ぎて、山崎は思わず認めてしまう。

「だろ?」

「って、なんでここで潤弥が出てくんだよ!」

「なぁ……翼さ、犬飼と付き合う気ねぇんだろ? いや、本命がいるから付き合うって言えねぇんだろ?」

「何……いきなり……」

 相田が突然話題を変え、不意を突かれた山崎だったが、その内容はさらに山崎を驚かせた。

「俺にはそう思えるってだけ」

「どうしたんだよ……力……なんで……」

 山崎はもはや驚きを通り越して狼狽えていた。

「俺をおちょくるから仕返しだ」

 相田は動揺する山崎を勝ち誇った目で見返した。


 その頃、桜井は部室に忘れ物を取りに部室棟に来ていた。

 目的の物を持って教室に戻ろうとしたとき、木の陰に見慣れない男を発見する。私服を着ているため、明らかに生徒ではないと分かる上、歳は同じくらいだと見受けられるため、生徒の保護者でもないことが分かる。

 とにかく校内に入るために必要な許可証を首に下げていない。確実に不審者である。

「そこで何をしている」

 桜井は用心しながらその人物に近付く。

 相手はビクリと体を震わせて身を縮めた。

 背は167センチメートルで小柄。髪は長めで耳を完全に覆っている。癖のない真っ直ぐのサラサラの髪は明るいブラウンである。日焼けを知らない白い肌と碧眼が外国人であることを示す。

 童顔でくりくりとした大きな目に対して小さな鼻と口。横分けにされた前髪はその大きな左目を覆うかのように長く伸ばされ、他人からはほとんど目が見えない。背の低さも相まって、全体的に幼い印象を受けた。

「エ……ア……」

 男は見つかったことに動揺しているのか、言葉を発しない。

「とりあえず、職員室まで来てもらおうか」

 桜井は男の腕を掴んで引っ張りながら職員室に向かった。


 3年1組の担任、南が急ぎ足で教室に現れた。

 休み時間に南が教室にやってくることは滅多にない。何事かと、生徒たちが一瞬ざわつく。そんな中、南は大きな声で叫んだ。

「若林とスペンサー! ちょっと職員室に来てくれ!」

 呼ばれたふたりは視線を合わせると静かに立ち上がった。

 南が職員室に向かいながら、ふたりに状況を説明する。

「さっき桜井が校内で不審者を発見して、職員室で事情を聞いていたんだが、本人は若林とスペンサーの友達だと言っているんだ。名前はセバスチャン・スタンリー。知ってるか?」

「セブが?」

「どうして日本に?」

 若林とスペンサーが驚きの声を上げる。

 南はふたりの反応を見て知人であることを察した。

「ここに忍び込んだのは、君たちに会うためだと言っているんだが、何か知ってるか?」

「は? いや、寝耳に水です」

「何しに来たんだろう……」

 若林とスペンサーは再び驚き、それと同時に不可解な表情を浮かべた。


「ノア!」

 スタンリーはスペンサーの姿を認めた瞬間、その身に飛び付いた。

「セブ、どうして君がここにいるんだ?」

「だって、ノアが僕を置いていくから」

「どうしてそうなるのさ? 僕はもうウェストミンスターを卒業したんだよ?」

 スペンサーは優しく言い聞かせながら、そっとスタンリーの腕を解く。

「ノアがいないと僕……また……」

「またいじめられたの?」

 スタンリーはフルフルと顔を横に振った。

「だったら大丈夫だよ。もうあいつらは君をいじめたりしない。例え僕がいなくても」

「唯昂もいなくなってしまって……僕……ひとりは嫌だよ」

 スタンリーは縋るような目でスペンサーを見た。

「セブ……」

「お願い。僕、なんでもやるからノアの傍に置いて?」

「あいにく僕にはダンがいるからハウスキーパーは必要ないんだ」

「だったら唯昂の……」

「唯昂にはデイブがいる。セブ、いい子だからイギリスに帰るんだ」

「知ってるでしょ? イギリスに僕の居場所なんてない」

「セブ……」

 スペンサーは収束に向かわない会話に溜息を溢した。

 そのとき、始終を傍観していた桜井と目が合う。

「そうだ。潤弥のところはどうだい?」

「はぁっ?」

 桜井はいきなり白羽の矢を立てられて驚き、焦った。

「潤弥は独り暮らしの受験生だ。家事をセブに任せると、その分勉強に専念できるしいいと思わない?」

「ぜんっぜん思わねぇ! まったく必要性を感じていない!」

 桜井はスペンサーの勝手な話に不快感を露わにして拒否をする。

「人助けだと思って……ね? 頼むよ」

 スペンサーは華やかな笑顔でウインクを飛ばす。

「ぶりっ子しても無駄。俺には必要ない。この状況で首を縦に振る奴がいるとでも思ってんのか。第一、人助けってなんだよ。ややこしいことに巻き込まれるのはごめんだ」

 桜井は迷惑そうな表情を崩さず、スペンサーを睨み付けた。

「そんなに怒らないで。君の美しい顔が台無しだよ? その件についてはちゃんと話をするから、まだ断らないで」

 スペンサーに楽観的な笑顔が消え、真面目な顔つきになった。


(なんで俺はこんなにもお人好しなんだ……)

 桜井は、自分で決めた行動とはいえ、それが流されてしまった感が拭えない部分に嫌気が差していた。

 今、桜井の部屋にはスタンリーがいる。

 スタンリーは若林同様、スペンサーがいじめから助け出したクラスメイトだった。

 スタンリーが置かれてる状況は若林よりも遥かに厳しく、いじめがなくなっただけではスタンリーを完全に救うまで至っていない。

 スペンサーからスタンリーの複雑な立場を聞かされて、無下にはできなかった自分の判断は正しかったのか、桜井は悩んでいた。

(引き受けると言ってしまったんだ。仕方ない。うまくやっていくしかないな……)

 桜井は大きな溜息を吐いて、目の前に座るスタンリーに話しかけた。

「力たちが泊まりにきたとき用の部屋がある。そこをお前の部屋として使え。家事全般は一回しか教えないから一度で覚えろ」

「ハイ」

「あと……ここで暮らしたいならさっさと日本語を完璧にマスターしろ」

「ハイ」

 スタンリーは緊張しながら返事をしている。

 桜井はそんなスタンリーに近付き、長く伸ばされた前髪を掻き上げた。

「ヤッ!」

 スタンリーはビクリと体を震わせて驚いた。

 前髪をよけて現れた瞳は青ではなく、黄だった。

「ああ……ノアの言った通り、本当にオッドアイなんだな」

「ゴメンナサイッ」

 スタンリーが反射的に謝罪の言葉を口にする。

 スタンリーの頭の中で幾度となく投げられた言葉が響き渡る。

――こっちを向かないで。気味の悪い目で私を見ないで。早くあっちに行って――

「どうして謝る?」

「ゴ、ゴメン……ナサイ……ミニククテ……ゴメン、ナサイ……」

 スタンリーは勢いよく俯いて桜井の視線から逃れる。

 しかし桜井はスタンリーの頭を両手で包み、無理矢理上を向かせた。

「見せろ」

「ヤッ!」

 スタンリーは激しく頭を振って桜井の手から逃れようとする。

「主人の命令だ。見せろ」

「ッ!」

 スタンリーは桜井の言葉に返す言葉がなく、抵抗を止めた。

 桜井は何も言わずじっとスタンリーの瞳を見つめ続ける。

 スタンリーにとってオッドアイはいじめの対象のひとつであり、幼い頃から多くの人間から忌み嫌われてきたものである。スタンリー自身も酷く嫌悪し、それを晒すことは耐え難い苦痛を伴った。

(嫌だ……見ないで)

 スタンリーの目に涙が滲む。

 桜井はそれに気付いていながらも凝視をやめない。しばらくしてようやく手を放し、発した桜井の言葉は、スタンリーに衝撃を与えた。

「綺麗な色だな。どちらの瞳も」

「キ……レイ?」

「ああ。透き通った、濁りのない眼だ。俺は好きだぞ」

「ス……キ?」

「ああ。だから隠さなくていい」

「ア……ア……ッ……」

 スタンリーの目からボロボロと涙が溢れ出す。

(こんなこと言われたの、初めて……)

「泣くな」

 桜井はポンポンとスタンリーの頭を撫でる。

「ウアァ……」

 桜井の優しさに触れ、スタンリーは箍が外れたように泣き出した。



 ある日の放課後。

 ほとんどの3年1組の生徒が帰った後、教室に残っているのは犬飼と山崎だけだった。

「犬飼、話って何だ?」

「山崎くん……」

 犬飼が山崎の腰をそっと抱き寄せ、自分の体にぴったりと添わせる。

 山崎は自然な動きで犬飼の肩に頭をしな垂れ掛ける。犬飼の全身から滲み出る包容力は例外なく山崎に安らぎを与える。ひどく落ち着き、心が解放される。いつも犬飼がつけている香水の香りもまた山崎を安心させた。

「もうお友達期間は充分過ごしたと思うんだけど……」

「ん?」

「もう僕のこと、分かったでしょ? 君を恋人にしたいんだけど、なってくれる?」

「…………」

「山崎くん……好き。大好き」

 犬飼が山崎の背に腕を回し、ぎゅっと抱き締める。

「犬飼……俺……」

 明らかに返事に困っている山崎に対し、犬飼は優しく言葉を掛けた。

「困らせてごめんね。僕たち受験生なんだから、今はそれどころじゃないよね。受験が終わるまで待つから、その時返事をくれるかな?」

「ごめん……」

 山崎の良心がチクリと痛む。

 その痛みがどこから来るのか、はっきりと分かっている。先日、相田にも指摘されたばかりだ。

(こんなにも犬飼は純粋に俺を好きでいてくれるのに、俺は……)

「僕たち第一志望校が同じだから、ふたりとも受かるといいね」

「ああ、そうだな」

(いつだって犬飼は優しい。これ以上になく俺を甘やかす。心地良くて抜け出せない)

「犬飼……」

 山崎はそっと目を閉じると、全身で犬飼のぬくもりに浸った。



 ハウスキーパーとして雇われた初日ですっかり桜井を信頼したスタンリーは、桜井の役に立ちたい思いで意欲的に仕事を覚えていた。それにやりがいを覚えたのか、毎日生き生きと家事をこなしていた。


 スタンリーが桜井の元に来てから2週間あまり経った頃。

 「おかえりなさい」

 スタンリーが笑顔で玄関ドアを開け、桜井を迎えた。

(家に「おかえり」を言ってくれる人がいるのは悪くない)

 桜井は照れ臭そうに、まだ慣れない「ただいま」の言葉を返した。

 桜井はリビングに入ると、スタンリーをソファに座らせて箱を取り出した。

「セブ、カラコン買って来たぞ。入れてやる」

「からこん?」

 スタンリーは桜井の意図を読めないまま、カラーコンタクトを装着される。

「ああ、やっぱり。これだとオッドアイだって分からない」

 そう言って桜井は会心の笑みをもらした。

 しかしスタンリーはその言葉で顔を引き攣らせ、体を硬直させていた。

(綺麗だなんて、嘘……だったんだ。やっぱり潤弥さんもこんな眼、気持ち悪くて見たくないんだ……)

 スタンリーは桜井から目を逸らし、俯いて膝の上で拳を握った。

「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……」

 突然様子が変わったスタンリーに驚き、桜井は思わずスタンリーの肩を掴んだ。

「セブ?」

 俯いたスタンリーの顔からボトボトと雫が落ち、パンツにいくつものしみを作っている。

(勘違いしてるな)

「セブ、お前の眼が嫌だからじゃない。だから家の中では入れなくていい。外に出るときだけでいいんだ。これだと前髪で隠さなくていいし、伏し目にだってしなくていい。セブは何も気にせず出掛けられる」

「エ……?」

「お前は買い物に行くのも仕事だろう?」

 スタンリーは考え違いをしていることに気付く。

 そして自分のコンプレックスを何とか軽減できないかと桜井が考えていたことが分かり、嬉しさで胸をいっぱいにした。

「日本人は碧眼に憧れていたりするからブルーのカラコンがあるんだ」

 桜井は、涙を溜めて自分に視線を合わせるスタンリーに穏やかに微笑んだ。

「アリガトウ、ゴザイマス……」

 桜井はスタンリーの細い体を引き寄せ、やさしく肩を抱いた。

「言っただろう? 俺はその瞳が好きだって」

「潤弥サン……」

「それじゃ、俺は晩飯まで勉強してるな」

 桜井はスタンリーの頭をポンポンと軽く叩いて自室に入って行った。

(ああ、潤弥さんは白馬に乗った王子様だ……)

 スタンリーの涙はいつの間にか歓喜の涙へと変わっていた。



to be continued.

最後までご覧下さってありがとうございました!

楽しんで頂けたら嬉しいです。一言でも励みになるので感想やいいねなど頂けたら幸いです。

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マシュマロ −英もみじ−
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