5.想定外の三角関係 -3
土曜日の夜。
桜井の号令によって相田と山崎が桜井の部屋を訪れていた。
桜井は生レモン果汁入り炭酸水の入ったグラスを3つテーブルに置くと、書類を持ってソファに腰を下ろした。
「翼、例の調査結果がきたぞ」
「やったぁ!」
山崎は目を爛々とさせて喜んだ。
「調査結果って?」
事情を知らない相田が桜井に質問をする。
「翼がやたら唯昂とスペンサーの関係に興味があるらしくて、それを調べろと言ってきた」
「翼は下世話だな」
相田が呆れて溜息混じりに言った。
「そんなこと言っていいのかなぁ……力も知りたいくせに」
山崎はニヤニヤとした顔つきで相田を見つめる。
「チッ……」
相田は舌打ちして不貞腐れた。
「それでは、力も気になるらしいので、早速報告会といきますか」
桜井は相田を見てクスリと笑うと書類に目を落とした。
「親父の秘書の調査によると……唯昂の周りの大人たちは唯昂を神童と呼んでいたが、持て囃していたのは大人だけで同年代の子供は違ったらしい。
唯昂はパブリックスクールのウェストミンスター校に通っていたが、日本でいうと小学生時代はいじめに合っていたようだ。主に人種差別的なもので、唯昂は何をされても反応せず仕返しもしなかった。だから傍から見るとただ黙って静かに耐えている様に映ったらしい。
全く唯昂と交流のなかったスペンサーがそれを見て何を思ったのか分からないが、ある日を境に唯昂を庇うようになった。常に唯昂の傍にいて周囲を牽制し、誰にも手を出させなかった。名門貴族の家系であるスペンサーに敢えて刃向かう者はおらず、すぐにいじめはなくなった。当然、唯昂はスペンサーにだけ心を開くようになり、ふたりの仲も特別親しいものになっていった。
スペンサーは常に主席。性格は温厚篤実、烈士徇名、雲中白鶴。全てに対して最も優れた結果を残していて、唯昂は趣味のチェスを含め何一つスペンサーに勝ったためしがない。こんな非の打ちどころのないスペンサーは常に注目の的で、大人から将来を期待され、年齢を重ねていく度に同年代からの憧れと羨望は増していった。そんなスペンサーを唯昂は尊敬し、信頼し、慕っている」
ここまで言い終えると、桜井はレモン水を飲んで一息吐いた。
「唯昂がいじめを受けていたなんて想像できないな」
「だな」
山崎の感想に同意すると、桜井は次にデイビッド・ウィンザーとダニエル・ウィンザーの関係を説明し、4人はかなり密な間柄ということを伝えた。
「良く分からないな……そんな親しい関係なのになんで唯昂はスペンサーを迷惑そうに扱うんだ」
相田が首を傾げながら桜井に問うた。
「だな。それは俺も思ったんだが、そこまでは分からなかったみたいだ」
「ますます興味が湧くふたりだなぁ」
桜井と相田が若林とスペンサーの関係が理解できず、浮かない顔をしている一方で、山崎はさも楽しそうにニコニコと笑っていた。
一方、ここは若林のマンションの部屋。
夜遅くに荒川が訪れていた。春季大会が近付き、部活動の時間が増えてから、若林と会う時間がなくなっていた。これまで週に一度、茶道教室の後に必ず会っていたが、それも立て続けにできていない。最後に会ったのは何週間前だろうか。荒川はなんとか時間を作って若林に会いに来ていた。
「どうして部活の用意まで持ってきているんだ」
「え?」
「まさか泊まる気で来たんじゃないだろうな?」
荒川は「やはりバレたか」と思いながら取り繕う。
「念のためっていうか……万が一終電を逃した場合のため、みたいな?」
「心配ない。デイブに送らせる」
若林に軽く跳ね付けられ、荒川は茶番を止めた。
「最近、アンタに会えてねーから元気出なくって……アンタってオレの癒しみたいなんだ。だから、泊めて?」
「……仕方ないな」
「サンキュ!」
若林の許しを得られ、荒川は満面の笑みで靴を脱ぎ始めた。
「ふふっ」
そんな荒川を見て、若林は思わず笑みを溢す。そして「先に風呂に入って来い」と入浴を勧めた。
荒川が入浴を済ませ、若林の部屋のドアを開くと、いつも通りクイーンサイズのベッドの上で本を読む若林がいた。体に似合わないサイズのベッドに寝ていると、若林の体は益々小さく見えた。
(何度見てもでけぇベッドだな)
荒川が若林宅に泊まるのは初めてではない。慣れた動きで若林の横に滑り込むと、嬉しそうに若林の体に腕を巻き付けて引き寄せた。
「おい、本が」
急に荒川に引っ張られ、若林が本にしおりを挟む前に、読みかけの本はパタリと閉じられてしまった。
「唯昂の匂いがする……すげー幸せ」
荒川は若林の項でクンクンと鼻を鳴らした。
「唯昂は?」
「?」
「唯昂はオレといて嬉しい?」
荒川は心地良さと部活動の疲れのため、すでにトロリとした目を若林に向けた。
「そうでないと泊めたりしない」
「へへ……ずっとこうしてたい。朝がこなきゃいいのに……」
荒川は幸せそうにヘラヘラと笑った。
「腑抜けるなよ。ちゃんと次の大会も優勝しないと許さないからな」
若林は愛しさを込めてワシャワシャと荒川の髪を掻き乱した。
「うん、分かってる。十中八九、決勝は桜井と対戦だろうけど、絶対勝つ。せっかく唯昂を我慢して練習したのに負けてなんか……いら……れ…………ない」
荒川は話しながら眠りに落ちていった。
「余程疲れているんだな。おやすみ、拓海」
若林は荒川の子供のようなあどけない寝顔をしばらく見つめ、額にキスを落とすと部屋の明かりを消した。
次の日の早朝。
若林は部屋の外でデイビッドと誰かが押し問答をしている声が耳に入り、覚醒を始めていた。まだ意識がはっきりとしていない中、突然部屋のドアが開かれる。その音を聞いて若林は一気に目が覚めた。
「オレの許可なしにドアを開けるな!」
若林は上体を起こし、怒りを込めて叫んだ。
こんな無作法なことをデイビッドがするわけがない。若林がドアを開けた主を見ると、意外にもスペンサーだった。
「おはよう、唯昂」
スペンサーは笑顔で挨拶するが、強い警戒心を持っていることは手に取るように分かる。
「誰が入っていいと言った。今すぐ出ていけ」
若林は鋭い視線でスペンサーを射抜いた。
「僕は唯昂の寝室を自由に出入りできる権利をもらったはずだけど?」
「それはイギリスでの話だろう。デイブから聞かなかったか。ここは日本だ。それは適用されない」
若林がちらりと荒川を窺うと、この騒ぎの中でも気持ち良さそうに眠っている。
若林はほっと安心すると、スペンサーに視線を戻した。
「隣で眠っているのは誰?」
スペンサーは動こうとしない。
「デイブ! ノアを家から追い出せ」
若林はノアの自主的行動が望めないと判断し、ウィンザーに強制的に退去させるよう指示した。
「ノア、これ以上の勝手は許しませんよ」
スペンサーはウィンザーの真剣な顔を見つめた。
普段は穏健なウィンザーが、若林のためなら何を仕出かすか分からない過激な一面を持ち合わせていることを、スペンサーは知っている。
今、その一面を覗かせようとしているウィンザーを感じ取り、スペンサーは若林の部屋のドアを静かに閉めた。
「彼は誰なんだい?」
「その質問は直接唯昂に。とにかく今はここから出て下さい」
「デイブ、彼は誰?」
「ノア、どうしてそんなに聞き分けがないのです?」
スペンサーの様子がおかしい。
全くウィンザーの話に耳を傾けようとしない。ウィンザーはスペンサーを心配した。
「ノア?」
スペンサーはひどく傷付いた表情をしている。
「本当に唯昂は僕と別れる気なの?」
スペンサーは悲痛な面持ちで呟いた。
ウィンザーは優しくて思いやりがあって他人のために行動できるスペンサーが好きだった。若林にとって人生最大の出逢いとも思っている。
「ノア、もう一度唯昂ときちんとお話をなさっては……」
「わかったよ、デイブ。頭を冷やして出直すよ」
スペンサーは力なく笑顔を作ると、若林の部屋を出て行った。
2時間後。
荒川は目を覚まし、朝食を取っていた。
「相変わらずよく食べるな……」
若林は口をあんぐりさせて、荒川の豪快な食べっぷりを見つめていた。
「唯昂はもうちょっと食ったほうがいいぞ。食が細すぎる」
「オレはもう十分だ」
若林は、山盛りだったおかずが次々と荒川の胃袋におさまっていく様子を見ているだけで、自分の腹が膨れる気がしていた。
「ウィンザーさんって料理の天才だよな。こんな美味いごはんを毎日食べてるなんて唯昂が羨ましい」
「それ、毎回言ってるぞ」
「本当なんだからしょーがない」
にっこりと笑いながらもぐもぐと口を動かす荒川が愛らしくて思わず笑みがこぼれる。
若林はそれを隠すようにコーヒーを口に含んだ。
食事を終えた荒川はバタバタと用意を済ませ、玄関に向かった。
「それじゃ……ウィンザーさん、今回もお世話なり有難うございました」
荒川は礼を言ってぴったり30度の角度で敬礼をする。
「気を付けていってらっしゃい」
デイビッドの優しい微笑みを受けて、荒川も笑みを返す。
「それじゃ、唯昂! ありがとな!」
「あ、ああ……」
荒川は眩しいくらいの笑顔で元気よく玄関を出て行った。
「なんだか拓海がいなくなると一気に静かになるな」
「ええ。タクミは体中から元気が溢れていますから」
若林とデイビッドは荒川の噂をしながらリビングに戻った。
「さてと……ノアを呼んでくれ」
若林は重い声でデイビッドに指示をする。
「はい。すぐに」
デイビッドはすぐさまダニエルに連絡を取る。
デイビッドが通話を切るや否や、インターホンが鳴る。急いでデイビッドが玄関ドアを開けると、案の定スペンサーの姿が現れた。
デイビッドに通され、スペンサーがリビングに入ると若林は呆れたように言った。
「早いな……もう来たのか」
「ふふ、だって同じマンションだから」
そう、スペンサーは若林と同じマンションの一室に住んでいるのだ。
若林よりも1つ上の階の部屋を借りている。勿論意図的なのは言うまでもない。
「さっきは僕が悪かった。謝るよ、ごめん。もう二度と勝手に部屋に入ったりしないから」
「ああ。反省したならいい。お茶でも飲もうか。拓海がなかなか手に入らない和菓子を持ってきてくれたんだ」
「タクミ?」
「そう、荒川拓海。さっきベッドにいた男だ」
「彼が荒川拓海か……」
やはりスペンサーは荒川のことを知っていた。
「唯昂のお気に入りだよね?」
「ああ……しかしノアはどこまで調べたんだ」
「ふふふ、内緒。ダンもデイブ並に優秀だからね。しかし唯昂と彼がそこまで仲が良いとは予想外だな……ねぇ、唯昂……」
スペンサーが若林に話しかけようとした瞬間、デイビッドが茶道具と菓子を運んできた。
スペンサーはそれを見て驚き、話どころじゃなくなってしまう。
「唯昂、もしかして茶を点てるの?」
「ああ」
「うわぁ、凄い!」
スペンサーは初めて見る茶碗や茶筅に興味津々で、茶を点てる若林の手元を凝視していた。
「ノア、菓子を食べるタイミングは今だ」
「え? そうなの?」
瞬きも忘れるくらいの勢いで観察していたスペンサーは、若林に教えられた通り菓子を手に取った。
「とても美しいね。食べるのが勿体ない」
「季節感を表現している。実に見事だ」
「春の菓子なんだね」
スペンサーは桜をテーマとされた上品な桃色の菓子を口に含む。
ほどよい甘みの小豆のこし餡が口の中に広がり、その美味にスペンサーの顔はほころぶ。スペンサーが菓子を食べ終わると、若林は茶碗をスペンサーの正面に置いた。
スペンサーは「苦いけど甘みもある」やら「温度は低めなんだね」やら感想を述べながら抹茶を啜る。若林は「黙って飲め」と思いながらも、抹茶を初めて飲むイギリス人の好きなようにさせていた。
「美味しかった。ありがとう、唯昂」
スペンサーが礼を言いながら朗らかに笑う。
しかしその笑顔は一瞬で消え、すぐに暗い表情に変わる。
「ねぇ、唯昂……やっぱり僕、別れたくないんだ」
「どうして……納得してくれたんじゃなかったのか」
若林も顔を曇らせた。
「僕だって君のやりたいようにさせたかった。でも君が日本に行ってから確信したんだ。唯昂のいない人生なんて考えられないって」
「それって……」
「そう。僕たち結婚しよう?」
スペンサーは若林の手を取って両手で握り締めた。
「ノアっ?」
若林は突然のプロポーズに驚き戸惑った。
「大切にする。一生幸せにするよ」
「ノア…… む、無理だ……そんなの……」
(オレなんかが名門貴族のお前と結婚なんてできるわけないだろう。それに……)
「何が無理なの?」
「オレは子をなせない。ノアには……」
「じゃ、唯昂は好きでもない人と後継者を作れって言うの?」
スペンサーは若林の言いたいことを察し、言葉を遮って言い放った。
「ノア……まだ10代だ。この先、どんな出会いがあるか分からないじゃないか」
「どうして分かってくれないの? 僕はこんなにも唯昂を必要としてるのに」
(駄目だ。今は何を言ってもNOを受け入れる気がない)
若林は深く溜め息を吐いて言った。
「オレは日本でやりたいことがある。10年はいるつもりだ。10数年後イギリスに戻ったとき、まだ今みたいなことを言っていたら結婚してやってもいい。ただし待たなくていいからな」
「ふふ。その『やりたいこと』だって結局は僕のためだろう? 素直じゃないよね、唯昂って」
スペンサーは急にご機嫌になって握っている若林の手にチュッチュとキスを落とす。
(あぁ、面倒臭い)
「ちなみに10年後、オレにノアよりも結婚したい相手ができてたら諦めてくれ」
「ん?」
(なんだ、その考えもしなかったと言わんばかりの顔は)
「当然、そのパターンもありえるだろう?」
「ん〜、分かった」
(全然分かってないな)
「後でデイブとダンに契約書を作らせるからな」
「えー、そこまでするの? 僕より良い男なんていないよ? 意味ないって」
「ウダウダうるさい。現にオレは拓海が……あ!」
うっかり口が滑ってしまったような態度を取った若林にノアが反応する。
「拓海が何?」
スペンサーが若林を睨みながらソファを移動する。
若林の隣りに座ると逃げられないよう腰に手を回した。
「拓海のこと、好きになっちゃったんだ?」
「…………」
「僕と離れてからそれ程経ってないのに」
若林を睨みつけるスペンサーの眼が、みるみる独占欲と嫉妬の色で染まっていった。
to be continued.
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