5.想定外の三角関係 -2
4月。
今年の冬は寒さが厳しく、例年よりも随分遅い春の訪れとなっていた。入学式の頃には葉桜である桜の木は、今年に限って未だ満開の姿を見せていた。
本日から桐葉学院の全生徒の学年がひとつ上がり、教室棟が変わる。クラス替えが行われ、新しいクラスメイトとの学校生活が始まるのだが、3学年目のクラス替えはこれまでとは異なる。
所謂受験生となるこの学年は、学校側としても気合いの入る学年であり、難関大学合格という実績を作るであろう優秀な生徒に大いなる期待を寄せ、また熱心に教育を施す時期である。
クラス替えはまず成績上位20名がピックアップされ、ひとつのクラスとなる。その後でこの20名を除く生徒をこれまで通りの方法でクラス分けされる。
この20名の成績優秀者は決まって3年1組となっていて、校内トップの学力を誇るこのクラスを生徒たちは「皇帝の部屋」と呼んでいた。
教室は別格の豪華さを誇る。内装、設備、備品などの全てが他の教室と異なり、優雅さが漂う。教室の一角にはドリンクバーがあり、いつでも利用することができるほどだ。
国内トップクラスの大学への入学が当たり前となっている桐葉学院ではあるが、この皇帝の部屋は漂う空気が穏やかで居心地がいい。この環境の良さに加え、このクラスのトップ5になれば何かと優遇される制度があった。
特に主席、つまり学年トップの生徒はいくつかの特権を持ち、代表的なものとしては出欠に関わらず全ての科目が出席扱いとなる「自由権」がある。
首席の生徒は赤地に金の王冠が配されたバッジを胸に付ける規則となっていて、主席以下の生徒4人は青地に銀の剣と盾が配されたバッジを付けることになっている。それらのバッジは数々の優遇措置を受ける証として携帯が義務付けられていた。
校内では赤いバッジを付けている生徒を「皇帝」、青いバッジを付けている生徒を「騎士」と呼ぶ。密かに口伝えに広がって全校生徒が知っている風習だった。
この厚遇を目指し、生徒たちは1ヶ月に1度行われる校内模擬試験に意欲的に臨む。この結果によってメンバーが再編成されるからだ。桐葉学院は馬の鼻先に人参をぶら下げるかの如く生徒たちを奮起させていた。
現在、皇帝は若林、騎士は犬飼、桜井、相田、山崎となっている。しかし今年は前代未聞の事態が起きていた。
「ホームルーム始めるぞ」
3年1組担任の教師、南斗真が全員揃っているか席を確認する。
ホームルームは自由権が使えないため、特に若林の存在に注視する。
「全員いるな……」
桐葉学院の教員となって3年目の若い物理教諭である南は、20名の顔を確認すると言葉を続けた。
「突然だが、転入生を紹介する」
南の言葉を受けて生徒たちはざわついた。
「翼、知ってたか?」
「いいや。全く知らなかった」
「こんな時期に変だな……」
桜井は情報通の山崎に確認するが、山崎も知らないと言う。
受験生となる3学年でわざわざ他校へ転入するという話もあまり聞かない。桜井は大きな違和感を抱いた。
南に誘導されて教室に入ってきた転入生を見て、皆は驚いた。金髪に碧眼。外国人の登場に生徒たちは息を飲む。
「ノア・スペンサーくんだ」
南に紹介され、スペンサーはぺこりと会釈した。
短く刈られた髪はブラウンを帯びた金髪で、きりりとした眉に鼻筋の通った高い鼻。男でも見惚れるくらいに整った顔をした転入生は、他を圧倒するオーラを放つ。身長189センチメートルの身体のうち、脚の占める割合が驚くほど大きい。明るさと爽やかさを併せ持ち、細身の体からは自信が満ち溢れて非の打ちどころがない。
さらに皆を驚かせたのは胸に付けられた赤いバッジだった。それが示すことは只一つ。転入試験と模擬試験がパーフェクトスコアだったということである。現在の皇帝・若林に並ぶ方法はそれしかない。
皇帝の部屋に皇帝が2人も存在したことはこれまで1度もない。3年1組の生徒はただただ驚くばかりだった。
このスペンサーの登場を最も驚いていたのは若林だった。スペンサーはその若林の驚く顔を楽しそうに見つめ、甘い笑みを浮かべていた。
ホームルームが終わり、若林はすぐさま教室を出て行く。若林を追ってスペンサーが教室を出て行くのを見て、相田と桜井と山崎がその後を追う。
「唯昂!」
スペンサーが階段の踊り場で若林の腕を掴み、動きを制した。
相田、桜井、山崎は柱の陰に隠れてスペンサーと若林のやり取りを窺っている。
「どうして、ノアが!」
若林がスペンサーを睨みつける。
「あのふたり、やっぱ知り合いなんだ」
「みたいだな」
山崎と桜井がひそひそと会話する。
相田は黙ってふたりを見つめていた。
「唯昂がいないとつまらなくて」
「くだらないこと言ってないで、今すぐイギリスに帰れ」
「どうしてそんな冷たいこと言うの?」
スペンサーは困ったような悲しいような複雑な表情を顔に浮かべた。
「とにかくその手を放せ」
「分かった。放すけど逃げないでね?」
スペンサーは若林の腕から静かに手を放した。
「なぜ日本に来た。ここですることなんてないはずだ。すぐに帰れ」
「さっきから帰れ帰れって酷いなぁ。せっかく久しぶりに再会したんだから、キスぐらいしてくれたっていいじゃないか」
スペンサーは若林に一歩近寄り、若林の頬に掌で触れながら手櫛で髪を梳いた。
「おっ。あのふたり、ただならぬ関係っぽい。なんか面白くなってきた」
「そうか? 俺はややこしそうなニオイがするんだが……」
興味津々でふたりを見る山崎と面倒なことになりそうだと危惧する桜井の横で、相田は若林から目を離さなかった。
スペンサーが愛情を込めた視線を向けるにも拘らず若林の顔は強張っている。あまり物事に動じない若林には珍しい反応だった。極度の緊張が若林を襲っているのは明らかだ。堪らず相田は物陰から飛び出し、堂々と姿を現した。
「力?」
相田の突然の登場に驚く若林。
咄嗟に後退り、スペンサーから身を離した。
「うわ。出て行っちゃったよ、力……」
「マズイな。おそらく返り討ちだな」
山崎と桜井はハラハラしながら相田を見守った。
この半年でさらに背が伸びた相田は身長190センチメートルを超えている。相田は威圧感を与えながらスペンサーの前に立ちはだかり、若林を自分の背後に囲った。
「唯昂が離れたがってる。悪いが連れて行く」
相田が唯昂の手を取ってその場を離れようとした時、スペンサーは落ち着いた口調で話しかけた。
「君が相田力か。君は唯昂の幼馴染みだろう? なぜそんな嫉妬剥き出しの目で僕を見るんだ?」
「なっ!」
相田はスペンサーの発言に驚き、立ち止まってしまう。
「ただの友人が、なぜなんだい?」
「俺は……」
相田の様々な感情が心の中で交錯する。
相手を納得させられるような説明ができない。相田はうまく言葉にできない自分がもどかしく、若林の手をぐっと握り締めた。
「答えられないのなら、今後一切、僕と唯昂の間に割って入るような無礼を許さないよ」
「…………」
相田は何も言えず無言で再び歩を進める。
「ちょっと待って」
スペンサーはふたりを呼び止め、若林にカードを渡した。
カードには携帯電話の番号と思われる数字が並んでいた。
「今週末、僕のうちにおいで。ダンを連れて来てる。それはダンのスマートフォンの番号だ。それだけあれば来れるだろう? 勿論、デイブも連れておいで。楽しみにしてる」
スペンサーは顔いっぱいに麗しい微笑みを湛えた。
ホームルームの後、授業を放棄して自宅に戻った若林は不機嫌そのものだった。
「お帰りなさい、唯昂。連絡下さったらお迎えに上が……」
「デイブ、ノアが桐葉に転入して来た。どうなってるんだ」
ただいまの挨拶もせず、若林はウィンザーの言葉を遮るように話しかけた。
「え? まさか」
若林からブレザーを受け取りながらウィンザーは驚きの声を上げた。
「知らないのか」
「ええ。申し訳ございません。すぐに調べます」
「今週末、ノア宅に呼ばれた。これはダンの番号だ」
若林はスペンサーから受け取ったカードを差し出した。
ダンとは本名ダニエル・ウィンザー。ノア・スペンサーの専属バトラーである。
セカンドネームがデイビッドと同じだが、本人たちは血のつながりはないと言っている。若林とスペンサーがふたりの素性について詳しい調査をしていないため、実際のところは定かでない。
ダニエルとデイビッドは旧友の間柄で非常に仲が良い。互いがフットマンとして職に就いてからは職業柄ほとんど会うことはなかったが、若林とスペンサーが出逢ったことをきっかけに奇跡的に再会し、随分と会う機会が増えたのだった。
「ダンも来ているのですか?」
「みたいだな」
「だったら連絡をくれてもいいものを……」
ウィンザーは溜息混じりに紅茶の用意を始める。
「ノアが口止めしていたんだろう」
「唯昂……日本に来る前、ノアとはちゃんとお話を?」
「した。ちゃんとオレの意思は伝えた」
「だったら、どうしてノアが転校というかたちで来日したのか理解できません」
「オレもだ。ノアは近々大学の研究プロジェクトに参加することが決まっている。日本で遊んでいる暇なんてないはずなのに……」
ウィンザーは湯気の立つ紅茶を若林に手渡しながら言った。
「ノアは納得していないのではないですか? 貴方とノアの関係はそう容易く変えられるものではないかと」
「厄介なことになったな……」
若林は注意深く少しずつ熱い紅茶を口に含む。
「必要ならば私が……」
「ああ、その時は頼む。しかし指示するまで動くな」
「はい。承知致しました」
ウィンザーは楽観視できない事態に対して気を引き締めた。
次の日の朝。
若林が3年1組の教室に入ろうとすると出入り口に大きな人だかりができていた。あまりにも人数が多くて強硬手段に出ない限り、教室に入るのは無理そうである。よく見ればその人だかりは全て女子生徒だった。
若林は何事かと、キャッキャと騒ぎながら教室を覗いて会話する女子生徒たちの声を拾い上げた。
「例の転入生、まじイケメン!」
「どうなってんの。今年の皇帝の部屋ってイケメン率高過ぎなんだけど!」
「私、このクラス入りたい~」
(ああ、ノアを見に来ているのか)
若林は人だかりの原因を把握する。
「しかし、どうしたものかな……」
「おはよう、唯昂!」
若林がどうやって教室に入ろうかと考えあぐねていると、山崎が現れた。
「うわ、何これ」
山崎も教室前の人だかりを見て驚いた。
「もしかして、さっそく転入生見学?」
「そのようだな」
「ま、しょうがないよね。外国人であんなイケメンなら。でも困ったな……女の子を蹴散らす訳にもいかないし、どうしよっか」
山崎も「ふぅ」と息を吐きながら困った顔をした。
「ここに人だかりができているということは、すでにノアが中にいるってことだよな……」
「だろうね」
「試してみるか」
「何を?」
山崎が若林の発言に首を傾げていると、若林はウィンザーによって形良く結ばれたネクタイを解き始めた。
そしてすっかり解き終えると、山崎に言った。
「翼、ネクタイを結んでくれ」
「は? なんで解いたんだよ!」
山崎は若林の行動が理解できないままネクタイを結び始める。
「相変わらずいい匂いがするな」
若林はお気に入りの香りに引き寄せられ、必要以上に山崎に近付いた。
「ちょっと、そんなに近付いたら結び難い」
山崎が甲斐甲斐しくネクタイを結んでいると、人だかりが動き始めた。
「やぁ、おはよう! みんな今日もカワイイね」
スペンサーが集まっている女子生徒たちに笑顔で挨拶すると、女子生徒たちは一気に沸いた。
「これじゃ、他のクラスメイトが入れないから、ちょっと寄ってくれるかな?」
スペンサーは女子生徒たちを誘導しながら教室を出る。
そして真っ直ぐに若林に近付くと艶やかに微笑んだ。
「おはよう、唯昂。ネクタイが結べないなら僕が結んであげるのに」
スペンサーの放つオーラがピリピリと山崎の全身を刺激する。
漂う攻撃的な空気を感じながら山崎はそっと若林に耳打ちした。
「こいつ、なんで見てもいないのに気付いたんだ?」
「俺に誰かが近付くと反応するセンサーを持っているらしい。日本でもその精度は衰えないらしいな」
「おい、俺を巻き込むな」
「そう怒るな。あくまで教室に入るための手段だ。ほら、ノアが生徒たちを整理したお陰で入り口があいただろう?」
山崎が教室のほうを見ると、モーゼが海に分け目を出現させた「葦の海の奇跡」の如く人だかりは左右に分かれ、教室の出入り口はぽっかりと口を開けていた。
「確かに……」
山崎は納得しながら素早くネクタイを結び終える。
その間、若林はスペンサーの相手をしていた。
「おはよう、ノア。時差ボケはないか」
「うん、ないよ」
「それは良かった。で、いつイギリスに戻るんだ?」
「唯昂はどうして『帰れ』ばかり言うのかな? 僕と一緒に居たいと思わないの?」
「ああ、思わない」
「なっ! どうしてそんな嘘を!」
「嘘じゃない」
「唯昂!」
ふたりの騒々しいやり取りを見て、山崎は益々ふたりに興味を抱く。
(喧嘩するほどなんとやらか……)
山崎はニヤリと笑って両脇の女子生徒たちを横目に楽々と教室に入った。
to be continued.
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