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5.想定外の三角関係 -1

 荒川の目の前に若林が現れたのは、約束時間ぴったりだった。

 ピカピカに磨かれた車の後部座席から出てきた若林はすぐに荒川を見つけ、傍に寄った。

「待たせたな」

「いいや」

 今日は若林の茶道具を買うために、ふたりは待ち合わせをしていたのだ。

「そんじゃ、行くか」

 荒川はパンツのポケットに入れていた手を出して、さり気なく若林の手を取った。

 若林は驚いて荒川の顔を見上げたが、至って普通の様子に、何も言わず視線を地面に下ろした。

(面倒見のいい荒川にとっては普通の行動なのだろうか……力に似ている……)

 荒川に手を引かれて店に入ると、店員の歓声が飛び、若林はたじろいだ。

「まぁ、荒川のお坊ちゃん! お久しぶり!」

「ご無沙汰してます」

 荒川がペコリと頭を下げる。

「ちょっと見ないうちに大きくなられて……高校生でしたっけ?」

「はい。高2です」

「背も高くなって体つきもがっしりして……スポーツされてるの?」

「はぁ……まぁ……」

 店員に肩や腕を触られながら、返事を返す荒川は、本題が切り出せない程の勢いにタジタジだった。

 きっと父親に連れられて来ていたのだろう。荒川が馴染み客の扱いを受けている様子を横目で見ながら、若林は店内の品を物色していた。

「何かお探しでしょうか?」

 もう一人の店員が若林に声をかける。

「あ……」

 若林がチラリと荒川のほうを見やるが、まだ店主の妻と思われる店員に捉まっていて、抜け出せそうにない。

 若林は荒川を諦めて店員に話しかけた。

「これから茶を始めようとする初心者向けに適したものを探しているんだが……」

「さようでございますか。でしたら、こちらのお品が……」

 歳は30代と見られる物腰が柔らかで落ち着いた口調の女性店員は、とても丁寧な説明を加えながら品を紹介していく。

 親切ではあるが、一歩引いた距離感を保つ店員の接客は心地良く、若林はすっかりその説明に聞き入っていた。

 荒川がようやく解放されて若林の傍に寄ったときにはすでに道具の選定を終えていて、残りは茶碗だけとなっている状況だった。

 若林は椅子に座り、目の前の机に並べた茶碗ふたつと睨めっこしている。

「どうした?」

 荒川が話しかけながら隣の椅子に腰掛ける。

「デイブの茶碗を決め兼ねている。右はオレがデイブに似合うと思うんだが、デイブ自身が好きそうなのは左なんだ」

「似合う?」

 人に似合う茶碗という発想がない荒川は大いに驚いた。

「ああ。この茶碗はとても美しく、デイブの華麗で品のある雰囲気にぴったりだ。一切無駄がなく、流れるような所作でこれを使うデイブを想像すると堪らなく興奮する」

「え……」

(こ、興奮? なんか観点が理解出来ねぇ)

 若林はまるで茶碗に惚れたようにうっとりとそれを眺めているが、頭の中では違うことを考えていることに、荒川は若干引きながらも興味を抱いた。

「じゃ、こっちは?」

 荒川が左の茶碗を指差す。

「これは色が濃いから、茶のグリーンとの対比が美しそうなんだ。そういうものにデイブは惹かれる傾向がある」

「なるほど」

(そういう楽しみ方は確かにある。なんだか分かってんのか分かってないのか、よく分かんねーな。選んだふたつは格上のいい茶碗だし……)

「右の茶碗は平茶碗と言って夏に使う茶碗だ。左は半筒茶碗で夏以外の季節に使う」

「ほう……茶碗にも季節があるのか。では両方頂こう」

「ちょっと待て」

 即決する若林に、荒川が待ったをかける。

「なんだ」

 荒川は若林に身を寄せ、小声で話しかける。

「アンタ、値段を聞いたか?」

「いいや」

(やっぱり……)

「おそらくふたつで百万はする」

「なぜそんな値段が付くんだ?」

 百万円という値段に驚かなかった若林だが、その価値が分からず納得できない表情を顔に浮かべていた。

「西田さん、説明してあげて」

 荒川が向かいに座って接客していた店員、西田に茶碗に関する説明を求める。

「はい」

 西田はにこりと笑みを湛えて、ゆっくりと説明を始めた。

 何も知らない若林への説明は、焼き物の種類や産地から始まり、形状と季節、格、作家の略歴など、基本的事項が加わり、非常に長いものとなった。

「西田さん、ありがとう。オレみたいな素人にも非常に分かり易い説明だった。それを踏まえて、やはり両方頂こう」

「え?」

 説明を受けてその価値を見い出したのか、若林は清々しい顔つきで話すが、即決していることには変わらず、荒川は再び驚いた。

(こいつの小遣い二百万とかなのか? なんで買えちまうの?)

「ただ、今手持ちがないので少しの間待ってもらえないだろうか。すぐに用意させる」

「ええ、勿論です」

 西田の承諾を得ると、若林はすぐにスマートフォンを取り出して連絡を取る。

「20分で来れるそうだ」

「承知致しました。ではその間、お包みしておりますね」

 西田は茶碗を持って奥に姿を消した。

 そしてすぐに盆を持って現れ、煎茶を置いて再び奥へと入っていった。

 荒川は茶を啜りながら、若林を呆れた目で見ていた。

(そういや忘れていた。こいつ専属バトラーがいる超絶お坊ちゃんだった)

「ウィンザーさん呼んだら、バレちまうんじゃねーの?」

「仕方ないだろう? 高額の現金は持たせてもらえない上、クレジットカードもキャッシュカードも持っていないのだから」

 若林は不満そうに言うが、荒川は全く同意できなかった。

(高校生だったらそれが普通だからな)

 荒川がげんなりしているところに西田が戻ってくる。

「どうされました? 疲れたお顔をなさって」

 西田が微笑みながら荒川に話しかける。

「西田さんさ、不安じゃねーの? こんなド素人の若いのがいきなり来て高価な茶碗買うって言うし、そのくせ金が足りないとか言い出すし、騙されてんじゃねーのかとか思わねぇ?」

「ふふふ。普通ならそう思うかもしれませんが、拓海さんのお友達でしょう? 不安なんてありませんよ」

「西田さん……」

 荒川と西田が雑談をしていると、店のドアが開く。

「いらっしゃいま……」

 反射的に挨拶をした西田だったが、客の容姿に目を奪われ、息を飲んだ。

 スラリとした高身長の体格に美しい金髪。人形かと見違えるほどの端整な顔つき。凛とした態度、慈愛に満ちたオーラ、全てが気高く完璧な人物の登場に、西田は夢かと疑うほどだった。

「お待たせしました、唯昂」

「西田さんだ」

 若林が担当者を紹介する。

「こんにちは、ミズ・西田。支払いは私が」

「は、はいっ。で、では、こちらにお座りください」

 ウィンザーに見惚れていた西田がやっと我に返る。

「失礼致します」

 ウィンザーが若林の隣に座り、手続きを始める。

「相変わらずかっけぇな……何時間でも見ていられる……」

 荒川もまたウインザーに見惚れていた。

「ふふ……そうだろう?」

 若林は誇らしい顔をして笑みを浮かべた。

「ところで、今日付き合ってくれた礼に昼でもどうだ? 和食なんだが……」

「おっ……まじか。行く行く!」

 荒川は満面の笑みで答えた。

 ウィンザーは支払いを済ませ、乗って来た車にふたりを乗せると目的の店へと向かった。



 車が止まったのは大きな屋敷の前だった。広大な庭を抱える純和風の建築物だ。荒川には政治家などが密会に使うような会席料理屋に映った。

「はぁ……これまたコーコーセーがくるような店じゃねーな……」

 大人でも限られた者しか訪れないであろうこの高級料亭は、圧倒的な威圧感で荒川を迎える。

 荒川は驚きと呆れ、そして感嘆の混じった複雑な声を洩らした。

 よく掃除の行き届いた広い廊下を通って案内された部屋は、ふたりには広すぎる個室だった。

 部屋の奥にあるガラス戸を通して見える景色は美しい中庭で、日本庭園を存分に楽しめる。部屋の内装や装飾品にも細やかな気遣いやこだわりが見られ、ここが大人の世界であることを再認識する。

「オレなんかが来ちゃいけないところな気がする……」

 荒川は異世界に迷い込んだようで心細くなった。

「荒川、どうした? ここが気に入らないか?」

「そんなわけねーだろ。その逆だ。こんな高級料亭、身に余る」

「ここは父上がよく使っていた店で、気楽に来れるから選んだだけなんだ。気にしないでくれ」

「はぁ……」

 荒川は、納得できないどころか理解すらできないと言いたげな顔つきで、鈍い返事をした。

(やっぱり価値観が違い過ぎてついていけねぇ)

 荒川は初めて若林に会った時に感じた感覚「住む世界が違う人間」の印象を改めて強く感じた。


 料理は先付から始まり、椀物、お造り、合肴、焼物、小鍋、留肴、御飯、果物、最後は甘味でしめられる内容である。

 その一品一品は実に繊細で、荒川は上品で深みのある味に感動を覚えた。しかも男子高校生の腹が満たされる十分な量があり、料理を運ぶ仲居の接客も気持ちがいい。何もかもが満足だった。

 若林は意外と饒舌で、ずっと荒川に質問を投げている。部活動の話や好きな食べ物の話など、その内容は他愛もないものばかりだが、荒川は楽しくて仕方がなかった。

「ああ、腹いっぱいになったら眠くなってきた」

 荒川が腹を擦りながらニヘラと笑う。

 言葉通り、少し瞼が重くなっている荒川の顔を見ると、若林は思わず笑みを浮かべた。

「オレの後ろの襖の向こうに布団が敷いてあるはずだ。少し横になったらどうだ」

「え? なんで布団が?」

「ここは料理旅館だからな。風呂もついている」

「料理旅館? 料亭じゃないのか?」

 荒川は確認をするために襖を開ける。

「まじか」

 そこには本当に布団が敷いてあって、荒川は目を丸くした。

 そして遠慮なく布団の上に寝そべると、荒川は幸福感に包まれた。

「ああ、美味いもん食って、腹いっぱいになって、昼寝ができるなんて幸せ過ぎる……」

 気持ち良さそうに目を瞑っている荒川を見て、若林は嬉しそうに微笑んだ。

 すぐに「すう、すう」と、荒川が寝息を立て始める。

「……あら……かわ?」

 若林は思わず布団に近寄り、あまりにも早く寝入ってしまった荒川の顔を覗き込む。

 荒川は童顔の傾向があるが、寝顔はさらに幼くなり、無邪気な子供のようである。癒しすら覚える寝顔に思わず笑みが零れる。

(好きなだけ寝かせてやろう)

 若林はそっと襖を閉めて、元の席に戻った。



 (やっと終わった。偉いぞ、オレ)

 若林は、今週の稽古もサボらず最後までやり通した自分を、心の中で褒めていた。

 荒川から茶の点て方を習った後、放置していた約束があった。「茶道を学ぶ」という約束だ。元より茶道には興味がない若林なので自発的に動く気はさらさら無い。荒川が何か言ってくるまで放っておこうと考え、またあわよくば荒川が約束を忘れたらいいとまで思っていた。

 しかし荒川はそれを許さなかった。若林は「正座なんてしたことがない。足が痺れるから嫌だ」や「オレは紅茶派だ」などと抵抗してみるが、荒川には「約束しただろ」と即却下される。

 次に若林は「茶道のすべて」というタイトルの本を掲げ、「これを読んだから約束は守った」と主張する。しかし荒川は「ナメてんのか」と一喝し、強引に若林を父親の茶道教室に入れてしまった。

 茶道教室の生徒はほぼ女性である。男性、しかも高校生の生徒は珍しい。それだけで注目の的になるには十分だったが、若林の類稀なる容姿がさらに他の生徒たちの興味を煽った。

 若林は「話しかけるなオーラ」を盛大に放つが、中年の女性には効果がないらしい。自分が話したければ相手のことはお構いなしに話しかけてくる。若林はそれが嫌で、ギリギリの時間に教室に着き、終われば直ちに迎えの車に乗り込んでいた。

 一度だけ、ウィンザーの迎えが間に合わなかったときがあった。大事故が発生し交通規制にひっかかってしまったのだ。若林はひとりでいることの危険を察知し、荒川の部屋に逃げ込んだ。

 突然自室に現れた若林の訪問理由を聞いて、荒川は笑いながら言った。

「それって、女性が苦手なのか? それともそもそも人と話すのが嫌いなのか?」

「どっちもだな。ああ、早く帰ってデイブのマッサージを受けたい」

 若林は返事するものの、関心は他に向いている。

 教室の後は必ずウィンザーの足マッサージを受けていた。興味がないとはいえ、真面目に取り組んでいる自分へのご褒美だった。

「アンタのバトラーが来るまでオレがしてやろうか?」

 何気なく言った荒川はこの日だけのつもりだったのだが、なぜかその日以降も続いている。マッサージによって稽古で機嫌を損ねている若林を癒す役目は、すっかりウィンザーから荒川へ移っていた。

 当たり前のようにマッサージを要求される状況に対して腑に落ちないところもあるが、世話好きの荒川は文句を言わない。若林と共にいる時間は嫌いでない。価値観は合わないが、自分とはかけ離れた人間の話はなかなか刺激的で気に入っていた。

 今日も若林はうつ伏せに寝転んで荒川のマッサージを受けていた。

「明日、オフなんだ。一緒にどっか行かねぇ?」

「悪い……先約がある」

「185センチ以上ありそうな長身の爽やか君とか?」

「?」

 若林は荒川が言う男が相田であることを察したが、なぜ荒川が相田を知っているのか解せなかった。

「前、手を繋いで歩いているのを見かけた」

「そうか」

「仲良いんだな」

(拗ねている……)

 若林は気落ちしている荒川を見て、代替案を出した。

「この後、デイブと紅茶の美味い店に行くんだが一緒に行くか?」

「行く!」

 突然、若林から誘いを受けた荒川は大喜びし、屈託のない太陽のように明るい笑顔を見せた。



to be continued.

最後までご覧下さってありがとうございました!

楽しんで頂けたら嬉しいです。一言でも励みになるので感想やいいねなど頂けたら幸いです。

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マシュマロ −英もみじ−
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