4.燻ぶる恋心 -2
荒川が桜井と会った1週間後、玄関で荒川は必死に笑いを堪えていた。
「先日はありがとうございました」
若林とウィンザーが手土産を持ってクリスマスの一件の礼をしに来ていた。
「気を遣わなくていいのに」
荒川は困った顔をしながら手土産を受け取り、傍らにいる清水に渡した。
「ご丁寧にありがとうございます」
満面の笑みで客の応対をする清水。その笑顔はウィンザーに向けられている。
普段はアクセサリーの類を一切しない清水が首にはネックレス、耳にはピアスをつけている。ピアスは穴が塞がっていなかったのかと驚くぐらい長い間目にしていない。
常にセミロングの髪を一つに束ねている清水だが、いつもはヘアゴムしか使わないのに今日はシュシュで飾られている。化粧もバッチリで若干濃い気がする。
(紗和さん、張り切り過ぎ)
1週間前、ウィンザーが今日のアポイントメントを取るために連絡をしてきたので、荒川は約束通り清水に伝えたのだが、その結果がこれである。
意識しまくりの見慣れない格好の清水を見て、荒川は吹き出しそうになりながら若林の前に立っていた。
「どうぞお茶でも召し上がって行ってください」
「いいえ、それには及びません。私はこれで」
清水は家に上がるよう促したが、ウィンザーはそれを断った。
「なんだもう帰るのか」
荒川は少し拍子抜けしたように言った。
「オレは荒川に話があるんだが……」
「? じゃ、オレの部屋に行くか?」
荒川の誘いに若林がコクリと頷く。
「では、ウィンザーさんは客間でお待ちになっては?」
清水がチャンスとばかりにウィンザーを引き留める。ウィンザーは若林に視線を送り、指示を仰いだ。
「すぐ終わるから、そうさせてもらえ」
「分かりました」
「良かった。今日はちょうどとても美味しいお菓子がありますので、是非召し上がっていってくださいね」
清水は嬉しそうににっこりと笑った。
(そのお菓子、すんごい吟味してわざわざ取り寄せたやつだよね)
荒川の我慢の限界が近い。爆笑を始めるのは時間の問題だった。荒川はさっさと自室に逃げようと足を早めた。
自室に入った荒川は座布団を差し出し、若林に座るよう促した。若林はそれに従う。
「で、話って何だ」
荒川が切り出す。
「荒川も茶を点てるのか?」
「ああ、一応……」
「オレに茶の点て方を教えてほしい」
「は?」
想定外の言葉に荒川の思考が止まる。
荒川の頭の上には見えない疑問符が浮かんでいた。
「それなら、親父がやってる教室に入ったほうがいい」
「いや、茶道がしたいわけじゃない」
「は?」
荒川の頭上に2つ目の疑問符が浮かんだ。
「作法とかそういった類を学びたいわけじゃなくて、茶を点てたいだけなんだ」
「だったらオレが教えなくても器に湯と抹茶を入れて混ぜりゃ出来る」
荒川は明らかに不機嫌になっていた。発言が乱暴だ。
茶を点てることと茶道は全く異なる。荒川は幼少の頃から茶道に関わり、もはやそのふたつを切り離して考えることができなくなっていた。
頭が固いと言われようが、常に全力で茶と向き合う姿勢を崩さない信念を、すでに荒川は持っていた。
そんな荒川に対し、自分が軽率な行動を取っていることに若林は気付く。
「すまない。今のは忘れてくれ」
若林は無思慮な自分の行動を悔いた。
「話は以上だ。邪魔したな」
若林は早々に立ち去ろうと腰を上げた。
若林の元気がない。おそらく自分の不機嫌さの理由を理解し反省したのだろうと荒川は考えた。
「ひとつ、教えてくれ」
荒川は質問を投げながら若林の動きを止めた。
「なぜ急に茶を点てたいなんて言い出したんだ」
若林は上げた腰を再び下ろし、質問に答え始めた。
「先日、デイブが京都に行って薄茶を飲んだらしいのだが、ひどく気に入っていたから、日頃から飲ませてやりたいと思って……」
若林の茶を点てたい理由を聞いて、荒川は悪くないと思った。
一時的な興味やくだらない見栄じゃなく、単に相手をもてなしたい気持ちがありありと伝わってきたからだ。
「分かった、教えてやる。ただしとりあえず先に茶の点て方を教えてやるから、その後で茶道について学ぶ約束ができるなら」
「…………」
若林は即答せずに少しの間考え込んでいたが、荒川の条件を飲んだ。
「よし。じゃ、また連絡する」
「ああ。よろしく頼む」
若林は嬉しそうな顔であでやかに微笑んだ。
(この前はいきなりGPSで自分を探して迎えに来いとか言ってる傍若無人な主人かと思ったけど、案外優しいところもあるんだな)
荒川は感心しながらその笑顔を見つめていた。
週末、若林は荒川の自宅を訪れる。
清水に誘導されて若林は荒川の部屋に入った。
「おー、来た来た」
荒川は読んでいた本を閉じると机の上に載せた。
そして気になっていることを尋ねた。
「アンタがここに来ていることを彼は知ってんのか」
「いいや。今日は嘘を吐いてここまで来た」
「やっぱり……彼にサプライズがしてーんだな、アンタ」
「ああっ」
嬉しそうに笑って頷く若林を見て、荒川は意外だと思った。
(こいつにも表情筋があったんだな)
ほとんど表情を変えない若林が見せた明るい笑顔は、とても麗しくて荒川の目を釘付けにした。
いざ作業を始めると、若林は呑み込みの早さを見せつける。頭が良いのは間違いないが、器用さも併せ持っているようで、茶を点てるだけの技術なら十分に会得している。荒川は感心しながら若林の手元を見守っていた。
一生懸命に取り組む若林の姿勢は予想外である。荒川が持つ印象以上に若林は真面目だった。この努力は全てウィンザーのために注がれていると思えば、荒川の心はざわついた。
(ここまで一生懸命にされると妬けるな)
一区切りついたところで荒川がトイレに立つ。再び荒川が自室に入り、姿を見せるや否や若林の声が飛んだ。
「荒川! オレの点てた茶の味が荒川と違う。なぜだ」
やはり真面目に取り組んでいる。
若林は質問をしたいがために荒川の戻りを待ちかねていたようで、そわそわとした様子が伝わってきた。
「んー? ちょっと貸せ」
荒川は若林から茶碗を受け取ると茶を一口飲んだ。
「ああ、湯の温度だな」
「そうか……」
若林は理想通りにできていない現状に気落ちした。
「そういうのはやりながら覚えるといい。茶の点て方に関してはもう教えることはないから、明日からでも彼に飲ませてやれば?」
荒川は若林を励ますようににっこりと笑った。
「ああ!」
荒川のお墨付きをもらい、若林は太陽のような笑顔になった。
(今日はやたら表情が豊かだな。くそ、可愛いじゃねーか)
荒川は若林の笑顔に魅せられ、胸を高鳴らせる。
(そういえば、今日のこいつはぼんぼんの感じがしねーな。至って普通の高校生だ)
「デイブにすぐにでも飲ませてやりたいが、当然オレは道具を何ひとつ持っていない。どのようなものを選べばいいのだろうか」
若林が困惑気味に言う。
そんな若林を荒川はじっと見つめた。
(いつもならあのバトラーに一言言いつければ、ささっと用意されるんだろーな。バトラーがいなけりゃ、こいつ何もできないんじゃねーのか。いや、いなけりゃいないでオレみたいな世話焼きがちょうど現れてうまくいくようになってんだろーな。そんな星の下に生まれてんだろ)
「荒川? どうした」
荒川が若林について思い耽っている間、全ての動きが止まっていた。
じっと自分を見つめたまま動かない荒川を不審に思い、若林は荒川に声を掛けたのだ。
「え、ああ……悪い、ちょっと考え事してた。道具の話だったな」
「一緒に行って助言をくれないか?」
若林は遠慮がちに荒川に頼る。
(そうやってお願いする相手は必ずいるんだろう。そしてその相手は肯定的にその頼みを断らない。そしてこいつはそれを当然のことだと思ってる。さぁ、オレは……どうする?)
「親切な店を紹介してやる。店の者に相談したらアンタに合ったものを選定してくれるはずだ」
「それは……ひとりで行けと言っているのか」
「そう聞こえたか」
「ああ」
若林の表情が曇り、俯き加減になる。
(まさにNOの返事に慣れてない感じだな)
「助言が欲しいならオレじゃなくてもいいだろう?」
「…………そうじゃ……ない……」
若林がポツリと呟く。
(あー、こいつ……さては……)
「分かったよ。一緒に行ってやる」
「本当か?」
若林の顔が一瞬で笑顔になる。
「良かった……」
若林は心底嬉しそうに微笑んだ。
今日は何度若林の笑顔を見ているだろうか。元々綺麗な顔立ちをしている若林が笑うと、まるで満開の花が咲いたような華やかさがある。荒川は釣られて笑みを零した。
ここは桐葉学院男子バトミントン部の部室。
練習を終えた部員が着替えをしている中、桜井は檜山と松浪に声をかけた。
「お前らふたり、ちょっと残れ」
「うぃす」
「はい」
即座に返事をするふたりだったが、何の用事で呼び止められたのかさっぱり見当がつかなかった。
「コウちゃん、部長に怒られるようなことした?」
「してねーし! ケイちゃんこそ何かしでかしたの?」
「してないよ!」
ふたりはコソコソと小声で呼び止められた理由を探っていた。
他の部員が全員部室を出たのを確認すると、桜井は例の雑誌を取り出してふたりに見せた。
「お前ら、こんなことになってたんだな」
「ああ!」
「部長! 見つけちゃったんですか!」
予想もしなかった「用事」に檜山と松浪は驚き、焦った。
「ふたりともいいカンジに写ってんな」
「めちゃくちゃ恥ずかしいです! だから嫌だって僕は言ったのに! コウちゃんが無理矢理やらせるから!」
「別に悪いことしてるわけじゃないんだからいいじゃん。ケイちゃん、カッコいいのに何がダメなの? ねぇ、部長?」
松浪はわーわーと騒ぎ立てる檜山に反論する。
「ああ。俺も檜山はカッコいいと思うぞ」
同意を求められた桜井は松浪側につく。
「も、もういいです。その雑誌、閉じてください」
「部長、ケイちゃん、こんなこと言ってるんスけど読モの仕事引き受けたんスよ!」
「まじか! ちょっと意外だな。よくやる気になったな」
「ええ……ちょっと挑戦してみようかな……なんて……」
(部長が磨けば光るって言ってくれたから、なんて言えない。まして部長に似合う男になってもう一度告白しようと思ってるなんて、もっと言えない)
「おぉっ、色んなことを経験するのはいいと思うぞ!」
桜井は前向きな檜山の姿勢にとても喜んだ。
「お、親もやってみろって案外推してくれたんで……」
(ああ、きっと親御さんはモデルを通じて自分に自信がついてくれたら……なんて思ってんだろうな)
「そっか……頑張れよ」
桜井は応援する気持ちを込めて微笑んだ。
「あ、ありがとうございます。でも勉強と部活優先でやるんで、ご心配はおかけしないつもりです」
「その言葉を聞いて安心した。掲載されるときは教えてくれよ。絶対買う!」
「ひぃ! すみません!」
「なんでケイちゃん、謝ってるの?」
「え、だって!」
桜井の言葉を受けて急に萎縮する檜山。そんな檜山を不思議そうに見つめる松浪。普段のやり取りと思われるふたりを見て、桜井は笑いが込み上げた。
「ふふ、お前らって本当に仲良いんだな」
「へへ、家族みたいなもんスから」
「家族? 幼馴染みじゃないのか」
「ええ。血は繋がってないけど家族です」
檜山もきっぱりと言い切る。
その強さに桜井は興味を引かれた。
「何かきっかけがあったのか?」
桜井に問われ、松浪は檜山に目線を向ける。
檜山が小さく頷いたのを確認すると、松浪はゆっくりと話し出した。
「圭には翔ちゃんっていう6歳下の弟がいるんスけど生まれつき心臓に疾患を持っていて、翔ちゃんが4歳の時に大きな手術をしなくてはいけなくなって……その手術をした病院が俺の母さんの勤める病院だったんス」
「光輝のお母さんはそこの医師で、ひょんなことから光輝と出会いました。」
檜山が松浪の話を継ぐ。
「光輝は自分の弟のように翔を心配し、励ましてくれて……僕も随分と光輝に支えられて。手術後も僕たち3人はとても仲のいい友達となりました。それから半年ほど経った頃、光輝のおばあちゃんが亡くなりました。光輝は幼い時にお父さんを事故で亡くしていて、お母さんは仕事柄忙しい人だったから、おばあちゃんが光輝の面倒をみていたんです。だからおばあちゃんが亡くなって、光輝はすっかり元気を無くし、塞ぎ込んでしまいました。今度は僕が光輝の力になる番でした。なんとか立ち直ってくれて、元気になってからは頻繁にうちに来るようになって、光輝のお母さんが夜勤の時はうちに泊まったりして兄弟のように育ちました」
話を聞き終えた桜井は感動にも近い熱い感情が胸に広がった。
「檜山と松浪って、すげぇ絆で結ばれてんだな」
「へへっ」
松浪が屈託ない笑顔を返す。
「ふふっ」
檜山も満面の笑みを浮かべる。
このとき、桜井はあることに気付く。
「もしかして不思議のメダイが起こした奇跡っていうのは……」
「ええ、手術の成功です。僕が小さい頃、父が仕事でフランスに行った時のお土産でもらったものです。僕は毎日メダイを握って手術の成功を祈りました」
檜山の手が無意識に衣服越しにメダイを握り締める。
「とても難しい手術だったんですが、最も理想的な形で成功しました。生活に制限はあるものの、元気でいます。よく試合も観に来てくれるんですよ。翔はしたくても運動ができない。だから僕は翔の前では絶対に負けないと決めました」
(檜山の強さの原点はここにあるのか……)
桜井は檜山の持つ強さの根源を初めて知る。
「光輝はこんな僕に同調してくれて、翔が観てる試合はぶっ飛んでくれます」
檜山と松浪が視線を合わせてニヘラと笑う。
(本当に仲がいい……)
「お前ら、高校でも完全制覇しろよ」
「うぃす!」
「はい!」
桜井は心の底からふたりを応援したいと思った。
桜井が檜山と松浪に雑誌の件で会話をしている頃、荒川は部員数名とマックバーガーに寄っていた。
他の部員よりも先に注文を済ませた荒川は、テーブルを確保して彼らを待っていた。
窓際の席で通り過ぎる人の流れをなんとなく見ていたのだが、その中に知った顔を見つける。
「若林っ……」
若林は軽く180センチメートルを超える長身の男と一緒にいた。
羨ましいほどに爽やかで男らしい。黒のロングコートがよく似合い、落ち着いた雰囲気は年齢を予測し難くしていた。
グレー地に白のウィンドウペンのコートを着る若林は相変わらず可愛い。
ふたりの距離が近いと思ったら、しっかりと手が握られている。それを見た荒川の胸がざわついた。
(恋人……?)
荒川にはふたりの関係が読めない。
荒川の目が若林と隣の男に釘付けになっていると、急にふたりが歩みを止めた。長身の男が腰をかがめて若林の解けたマフラーを巻き直している。若林は幸せそうにその行為を受け入れていた。ふたりを囲む空気はとても温かく、穏やかで優しい。
再びふたりが歩き出す。やはり手を繋ぐことを忘れない。
荒川は長身の男が気になって仕方がなかった。すぐさまスマートフォンを取り出しメッセージアプリを起動させる。そして素早く文字を打ち込んだ。
〈お疲れ。いきなり質問で悪い。今、若林が背の高い男と手を繋いで歩いているのを偶然見かけたんだけど、彼氏?〉
送信先は勿論桜井。しばらくして返事が届く。
〈唯昂が手を繋ぐとしたら……〉
一旦文が途切れ、画像が送信されてくる。
〈背の高い男ってこいつ?〉
送られてきた画像には先程見た男がいる。
〈そう! それ!〉
(さすが桜井! 神かよ)
荒川は毎度少ない情報で正解を出す桜井に尊敬の念を抱く。
〈やっぱり力だな〉
〈力って、時々アンタの話に出てくる幼馴染みだっけ?〉
荒川は記憶の片隅に留めていた名前を引っ張り出した。
〈ああ。力は俺の幼馴染みだけど、唯昂の幼馴染みでもある。唯昂がイギリスに渡る前までだけど、家族ぐるみで仲が良かったらしい。俺から見ても、力は唯昂の中で特別な存在だって分かる〉
(特別な存在……か)
〈でも幼馴染みってだけで付き合ってはいない〉
〈幼馴染みにしては仲が良過ぎないか?〉
〈唯昂に関してはちょっと訳ありなんだが……〉
若林のクリスマス失踪事件をきっかけに、相田をはじめ桜井や山崎に過去にあった若林の誘拐事件のことが知れ渡った。
これまでウィンザーによって回避された誘拐未遂は1度や2度ではない。幼少の若林の容姿は天使のようだともてはやされ、若林を形容する言葉となっていた。ゆえに誘拐の目的は身代金のみならずいたずらもあり、ウィンザーは気が抜けなかった。
12歳を過ぎたあたりから発生件数は減り、15歳になってからは一度もない。
しかしだからといってウィンザーの心配がなくなるわけではなかった。3人はウィンザーの気持ちを汲み取り、若林の護衛に関して協力する約束を取り交わしたのだった。
〈力は特別だな。過保護過ぎる。最初は若林も子供扱いするなと反抗していたらしいが、最近は諦めて好きにさせているらしい〉
(諦めてっていうよりも逆に嬉しそうだけどな)
荒川は桜井から若林と相田の関係を聞いても複雑で理解できなかったが、恋人でないという情報にどこか安心感を抱いている自分に薄らと気付いていた。
4.燻ぶる恋心 fin.
Writing date 2018.4.13
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