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3. サンタの時間 -4

 初めて抹茶を飲んだウィンザーはひどく感動していた。

「和菓子の甘さが残る口の中に、苦みのある抹茶が広がって素晴らしく調和のとれた味わいになりますね。ああ、是非また飲んでみたいです」

 目を生き生きさせてウィンザーは感想を述べる。抹茶を相当気に入っていることは火を見るより明らかだった。 「いい体験ができて良かったですね」

 相田は初めて見る興奮気味のウィンザーに微笑みかけた。

「昼食は豆腐と湯葉の懐石料理を予約しています。そろそろ店に向かいましょう」

「トウフとユバ? そちらも初めてです。とても楽しみです」

 終始笑顔でいるウィンザーを見て相田は幸せを感じていた。

 豆腐や湯葉といった比較的淡白な味で素朴かつ繊細な食材を楽しむ料理を、ウィンザーが喜ぶか否か迷った相田ではあったが、せっかく京都を訪れるのだからと店の予約を取るに至ったのである。

 目の前に配された料理は一体何品あるだろうか。趣向を凝らした料理が相田とウィンザーを圧倒していた。

 畳の上で少し胡坐に慣れない様子のウィンザーは興味深げに料理を見つめている。相田が「いただきます」と手を合わせて箸を持つと、ウィンザーもそれに倣った。

「うわぁ、美味い。こんな美味い豆腐食べたことない」  相田は感動しながら箸を進める。

「リキ、今日はすみません。せっかく京都まで出かけてきたのに、ゆっくりできなくて……」

 突然、ウィンザーが真面目な顔つきで話し出した。

「気にしないでください。多少帰りが早くなっただけなんで。唯昂が風邪引いてるんでしょう? だから正直なところ、来てもらえるとは思ってなかったです。会えただけでも嬉しいです」

 事情は十二分に理解できる。相田はウィンザーに気を遣わせまいと努めて明るい笑顔を向けた。

 ウィンザーの立場を考えると、再度ふたりきりで出かける機会を期待するのは楽観過ぎる。それを分かっているだけに、相田の心の中には感謝と共に残念な気持ちも同居している。相田は後者の感情をぐっと奥底に押し沈め、平気なふりをした。

「ありがとうございます。この埋め合わせはいつか必ず致します」

「本当に気にしないでください。もしまた出かけることができるなら、次は温泉に行きましょう」

「オンセン……いいですね。楽しみにしています」

 ウィンザーはようやく申し訳なさそうな曇った表情から笑顔に変わった。それを見た相田もやっと心から笑えるようになった。

「あの……これ……」

 相田が恥ずかしそうに鞄からリボンのかかった箱を取り出し、ウィンザーに差し出した。

「俺からのクリスマスプレゼント……です」

「えっ、私に? ありがとうございます。開けて良いですか?」

 ウィンザーはまさかの相田からのプレゼントに驚きと感激を示し、丁寧に包装を解いた。

 箱の中身はハリズツイードの手袋だった。

 ハリズツイードとはスコットランドのアウターヘブリディーズ諸島で作られる手織りの最高級のツイード素材である。有名な宝珠の紋章はイギリス王室に評価され、厳しい品質基準をクリアした証である。

「ありがとうございます、リキ。大切にします」

 ウィンザーは頬を上気させて喜ぶ。

 相田は幸せで胸が一杯になった。

「このハンチング帽もハリズツイードなんですよ。しかも生地の柄が同じです」

「わ、本当ですね。唯昂と俺のセンスが同じってことかな」

 右手にハンチング帽、左手に手袋を持って微笑むウィンザーを、相田は眩しそうに見つめた。

「これは私からです」

 そう言って今度はウィンザーが箱を取り出す。 「うわっ、お……俺に?」

「Merry Christmas」

 相田は恐る恐るウィンザーから箱を受け取る。

 相田もウィンザー同様プレゼントをもらえるとは思っていなかったのである。

 箱は鮮やかなオレンジ色をしている。あまりにも有名でロゴを見ずともブランドが分かる。エレメスだ。

 エレメスは高級ブランドのひとつで、バッグをはじめとする皮革製品やアクセサリー、食器類などを手掛ける名門ブランドである。大きな革製の手提げ鞄は特に有名で、所有に憧れる女性は少なくない。

 箱を開けると中身はマフラーだった。ダークグレーの無地のそれは、シンプルである故に品質の良さが際立っている。相田は早速首に巻いて肌触りを確かめた。

(カシミヤだ)

 心地良くていつまでも触れていたくなるほどの肌触りを、相田は目を瞑って感じ取った。

「ウィンザーさん……ありがとうございます」

「よく似合っていますよ、リキ」

 京都を発つ時間が迫る中、ふたりはとても穏やかな空気に囲まれ、互いを満たし満たされていた。



 若林がようやく目を覚ます。

 その表情はどこか清々しい。熱が下がっているのだろう。随分回復しているように見える。

「あら、かわ……」

「起きたか」

 荒川は作務衣に着替え、若林の傍で本を読んでいた。

 荒川の作務衣姿は本人にも日本家屋にも合っていて、日本を思わせる光景に、イギリス育ちの若林は新鮮さを覚えた。

「みず……」

「ほらよ」

 若林は上体を起こし、荒川から受け取ったペットボトルの中身を飲み干した。

 白くて細い首の真ん中で、ごくごくと嚥下する度に動く喉仏がとても艶めかしい。首を伝う汗がさらに艶美なものにしていた。

「大丈夫か?」

「ああ」

「またいっぱい汗かいたな。拭いてやるよ」

 そういって荒川は若林の肩から浴衣を滑り落とした。 「いい、自分でする」

 若林が荒川の腕を押さえて抗った。

「今更だろ。何度アンタの汗を拭いて着替えさせたと思ってんだ」

「それは……すまなかった。世話かけたな」

「別に……弱ってる奴、ほっとけねーだろ」

 荒川は若林の上半身をタオルで拭い始めた。

「荒川……フルネームは?」

「荒川拓海。莇生高校2年。バドミントン部。好きな食べ物はすき焼き」

 荒川は聞かれてもいないプロフィールを添えて答えた。

「若林は?」

「唯昂。若林唯昂だ」

 若林は答えながら荒川をじっと見つめた。

 作業中の荒川はその視線に気付いていない。若林の汗を拭き終え、浴衣を戻す時に荒川はようやく気付いた。 「ん? どーした」

「なんて面倒見のいい男なんだと思って。今日はクリスマスデートじゃなかったのか」

 思いがけない若林の言葉に、荒川は目をきょとんとさせている。

 そして自嘲的な笑みを浮かべると、胡坐をかく自分の脚の上で頬杖をついた。

「それがオレってモテねーの。バドばっかやってっから、付き合った相手はほったらかし。大概キれられてすぐにフられる。最近じゃ、面倒臭くて告られても断わってる」

 荒川の眉間にしわが寄っている。本当に面倒臭そうだ。

「いずれにしても、オレは荒川の今日の予定を潰してしまったのだろう? 悪いことをしたな。礼をしたいんだが、何か要望はあるか」

「礼なんていらねーよ。オレが勝手にしたことだし」 「それではオレが納得できない」

「オレがいらねーて言ってんだから納得しろよ」

「できない」 「ったく……頑固だな、アンタ」  若林は何も言わずニヤリと笑った。



 京都から戻ったウィンザーは若林の自宅で慌てふためいていた。

 帰宅して若林を探すがどこにも見当たらない。若林のスマートフォンは電源が切られていて連絡が取れない。今日、若林から「今から病院に行ってくる」とウィンザーのスマートフォンにメッセージが入ったのは、行きの新幹線が新横浜駅に着いた頃だ。どう考えても帰宅していないとおかしい。

 ウィンザーは若林の足取りを追った。どうやらタクシーは使っていないようである。ウィンザーには悪い予感しかしなかった。

(体調が優れないからちゃんとタクシーで行くように伝えたのに、普段使わない電車で行くなんて、なぜ)

 ウィンザーは若林の行動に不可解さを感じながら若林の軌跡を辿った。

 きちんと病院で診察を受けたらしいが入院しているわけでもない。午前中に若林は病院を出ているようだが、気になる点がひとつ。若林がひとりではなかったことだ。制服を着た男子高校生が付き添っていて、若林を背負って帰ったという。その姿が印象的で受付の関係者は覚えていた。

 しかしそれ以降の若林の消息が得られない。そこから9時間以上も経っている。ウィンザーは焦った。

(こんなこと、今まで一度もなかった! 唯昂をひとりにするんじゃなかった。唯昂にもしものことがあれば私は!)

 ウィンザーは悲痛に歪んだ顔を両手で覆いながら立ち尽くし、若林の指示といえども体調の悪い若林をひとり置いて出かけた自分を呪った。



「そろそろ帰ろうと思う。オレのスマホをくれないか」  荒川は若林のスマートフォンを差し出す。

 受け取った若林はスマートフォンを見て電源が入っていないことに気付く。

(そういえば病院に入る時切ったんだった。デイブを困らせたか)

 若林は電源を入れ、通話ボタンを押した。

 コール音一回で出たウィンザーからは待ち望んでいた連絡に飛び付いた様子がありありと伝わってきた。

「唯昂っ! 今どちらに?」

「お前が調べて迎えに来い。すぐにだ」

 それだけ言うと若林は通話を切った。

 それを聞いていた荒川はひどく驚いた。

「それだけ? ひどくねぇ?」

「オレがごちゃごちゃ言うより、GPSでオレのスマホを捉えるほうがよっぽど早くて正確だ」

「そりゃ、ごもっともだけど……」

 荒川は若林の行動はとても合理的だと理解できるが、やはり同じ高校生には見ない冷静さである。この若林の独特の価値観や生活観を知る度、荒川は違和感のような受け入れ難い何かを感じ、若林と自分の間にある隔たりを感じた。

 予想以上に早く若林の迎えの車は現れる。

 その早さに荒川は驚いたが、バトラーの姿を見て再び驚くこととなる。

「唯昂がお世話になりありがとうございました。大変お手間を取らせたことだと思います。申し訳ございませんでした」 「い、いえ……」

 黒いスーツに身を包み、玄関で深々とお辞儀をする外国人のバトラーは、荒川が想像する「バトラー」そのものだった。

 そしてスクリーンや雑誌から飛び出したような俳優やモデル並みの容姿、凛とした態度、慈愛に満ちたオーラ……全てが気高く完璧だった。

 荒川は息を飲んで一心にウィンザーを見つめた。 「本当に世話になった。ありがとう」

 若林の声で荒川は我に返り、笑顔を向けた。

「早く完治しろよ」

「ああ。また礼に来る」

 若林が玄関を出ると、「失礼致します」と言いながら再度頭を下げてウィンザーも立ち去った。

「何から何まで普通じゃない奴だな」

 荒川はふたりが去っていつもの平穏さが戻り、ほっとした。

 荒川が部屋に戻ろうと振り向いたとき、後ろに立っていた清水にぶつかる。

「うわっ、ごめん! 紗和さん、大丈夫?」

「は、はい……大丈夫です……」

 清水は熱に浮かされたようにボーとしている。明らかに原因はウィンザーである。

(別の意味で大丈夫じゃねーな)

「拓海さん、あの方……イケメン中のイケメンですね。いつからお友達に? またいらっしゃる?」

「んー、もう来ないんじゃないかな」

「それは残念……でももしいらっしゃることがあるなら教えて下さいね。お洒落しなきゃ」

 仕事熱心な40歳を過ぎた清水が、乙女になっている姿を見るのは初めてである。そんな清水を見て荒川は可愛いと思いながら微笑んだ。

「いいですよ、連絡します」


 若林のマンションに着くなり、ウィンザーは車の中でなんとか抑えていた感情を爆発させた。

「唯昂!」

 ウィンザーは若林を力いっぱい抱き締める。

 ウィンザーの心の中ではあと一歩で正常な判断ができなくなるほど高まっていた心配や不安や焦りが弾け、若林の無事を確認した安堵と喜びが一気に押し寄せて滅茶苦茶になっていた。感情は極限まで達し、ウィンザーは涙を溢した。

「心臓が止まるかと思いました」

「すまない、デイブ。心配させたな」

「何があったのです?」

 若林は今日の出来事を詳細に説明した。

 内容を聞いたウィンザーは背筋に冷たいものが走るのを感じた。寝ている間に知らない人間の家に連れて行かれるなんて危険過ぎる。主人をそのような状況に置いた自分はバトラー失格だと、ウィンザーは自分を責めた。

「ああ、唯昂……御無事で何よりです。もう二度と離れません」

 ウィンザーはもう一度若林を抱き締め、キスを落とした。

「風邪……うつるぞ」

「構いません」

 ウィンザーは狂ったように若林の唇を求め、愛情をぶつけた。


 その日の夜。

 ベッドに入り、後は眠気が訪れるのを待つだけの若林だったが、今夜は気が散って眠れそうになかった。

 ベッドの縁に腰掛けたウィンザーが若林の手を取り、甲や指にキスを落として止めないのだ。

「自分の部屋に戻らないのか」

 若林は枕の上からウィンザーの行為をじっと見つめていた。

「貴方と離れたくないのです」

「オレを眠らせないつもりか」

「申し訳ございません」

 ウィンザーは謝罪の言葉を口にしながらも止める意思はないらしい。変わらず若林の手を取ったままだ。

「仕方のない奴だな……入れ」

 若林は掛布団を持ち上げてウィンザーを誘った。

「はい」

 ウィンザーは静かに若林の隣に体を横たえ、若林の方を向いた。そして若林の腰に腕を巻き付けると、グイと自分に引き寄せ後ろ抱きにする。

「唯昂……」

 ウィンザーは自分の首元に若林の後頭部、胸板に肩、腹に腰、下腹部に尻をぴたりと添わせる。互いの体温を全身で感じる体勢にふたりは安心感を抱いた。

「京都はどうだった?」

「とても素敵でしたよ」

 ウィンザーは京都での一日を詳らかに話した。

「そうか、楽しんだようで何よりだ。やたら抹茶が気に入ったようだな」

「ええ。ぜひ次は唯昂も一緒に行きましょう」

 ウィンザーは若林の頭にキスをする。

「そんなに嬉しそうに話すデイブは久しぶりだな。行かせて良かった」

「貴方がちゃんと家で帰りを待って下さっていたならもっと良かったのですが」

「それは謝っただろう?」

 ウィンザーは何も言わず若林をギュッと抱き締めた。  ウィンザーが若林家に雇用されたのは、フットマンのひとりとしてだった。雇用後、類稀なる才能の持ち主だったウィンザーはたちまち頭角を現し、すぐに主人である若林の父親に一目置かれるようになった。

 若林が9歳のとき、身代金目的の誘拐事件に巻き込まれたことをきっかけにバトラーに昇格し、若林の世話のみを行う専属バトラーの職務に就くようになる。こうした経緯からウィンザーの最大の任務は若林の護衛だった。故に若林の安全に関しては殊更敏感だった。

 来日する際、若林の父親との契約を解約し、若林本人と雇用契約を結んだ今もウィンザーの職務内容は変わらない。

 ウィンザーにとって今日の出来事はあってはならないことだった。故にウィンザーの自責の念は容易く消えなかった。

「唯昂……」

 ウィンザーは若林の項に唇を落とすと強く吸い上げた。

「んんっ」

 一瞬の痛みに声を漏らす若林。

 ウィンザーは唇を首筋に移して再度吸い上げる。場所を変えて何度も何度も吸い上げ、自分の印として赤い花をいくつも散らしていく。

 首筋から肩へ、そして背中へとその範囲は広がる。いつしか若林の感じていた痛みは心地良いものへと変わり、一心不乱に注がれるウィンザーの愛情を受けて心を震わせた。

 若林の全身から受け入れ切れないウィンザーの愛が溢れ出し、感覚が麻痺するくらいの強い幸福感に酔う。若林は無意識にウィンザーの名を呼んでいた。

「デイブ……んっ……デイブ……デイビッド……」

 若林はウィンザーの優しさと温もりの中をたゆたう内に眠気に襲われ、意識を手放した。


 翌朝、若林は自分の体に付けられた無数の痣を見て驚き、怒りと恥ずかしさと嬉しさの混じった複雑な表情を浮かべてリビングに現れた。

「デイブ、これはなんだ」

 若林はパジャマの上着を脱いで、素肌を露わにした。

「おはようございます、唯昂」

「あ、おはよう」

 挨拶をされて思わずそれを返す若林。

 ウィンザーはマイペースに仕事を進める。

「まもなく朝食の用意ができます」

「おい、サラリと無視するな」

「どうしました? 風邪の具合は随分良くなっているようですが、朝から不機嫌ですね」

「付け過ぎだ」

 ウィンザーのしれっとした態度が気に入らず、若林はむっとした。

 そんな若林を見たウィンザーは愛おしそうに微笑み、若林をそっと抱き締めた。

「それでも足りないくらいですが?」

 言うなりウィンザーは若林の肌に吸い付く。

「あっ、もう……よせ」

 若林は恥ずかしそうに顔を赤らめてウィンザーを見上げた。

「では朝食にしましょう」

 ウィンザーはにっこり笑って若林のパジャマを元に戻し、ブランケットを羽織らせた。


 朝食後、リビングのソファでコーヒーを飲む若林にウィンザーは一枚の書類を手渡した。

「ざっとですが、荒川拓海について調べておきました」  若林は素早く目を通す。

「ほう……流派は武者小路千家の茶道家の子息か。通りで立派な日本家屋だったわけだ」

「ええ。敷地もかなり広く、離れや茶室が庭園内にあります」

 若林は書類を見ながらしばらく考え込んでいたが、何も言わずウィンザーに書類を返し、コーヒーのおかわりを要求した。

 ウィンザーがカップにコーヒーを注いでいると、インターフォンが鳴る。

「朝から誰でしょう」

 ウィンザーが訝しげに応対する。

 どうやら宅配業者らしいのだが、ウィンザーには心当たりがなかった。荷物を受け取る際、宛先人欄を確認すると自分の名がある。誤配送ではないらしい。差出人を見ると「若林唯昂」とある。ウィンザーは驚いて受け取りサインをすると、薄い箱を持って自分の部屋へ入った。

 中身を開けてみると、靴下が入っていた。アルパカ混のウール素材で編まれた温かそうな靴下だが、ウィンザーがいつも着ている黒のスーツには合わないカジュアルなものだった。ほとんど休みのないバトラーがその靴下を履く機会は極めて少ないだろう。ウィンザーは若林の選定に違和感を抱きながら靴下を手に取った。

 手に取った瞬間、靴下の中に細長い封筒が入れられていることに気付く。ウィンザーは静かに封筒を引き抜き、中身を引き出した。

 ひとつはクリスマスカード。若林が毎年必ずウィンザーに贈るもののひとつだ。そしてもうひとつは東京・大分間の航空券だった。

 ウィンザーはクリスマスカードを開く。いつになく長い文面にウィンザーは驚いた。それはクリスマスカードというよりもむしろ手紙に近かった。


 最愛のデイブへ

 お前が日本に来てくれたことにとても感謝している

 慣れない国で苦労することも多いだろう

 日本には「旅館」という独特な宿泊施設がある

 デイブの出番がないくらい至れり尽くせりらしい

 一度体験してみようじゃないか

 湯量が多くて有名な温泉地「由布院」の旅館を押さえた

 新年はそこで迎えよう

 風呂上りに足が冷えないようこの靴下を履くと良い

 どうかデイブの疲れが癒されますように


 幸せなクリスマスに願いを込めて

 Love, 唯昂


「唯昂……」

 ウィンザーはスーツに似合わない靴下の意味を知る。  そういえば若林からクリスマスプレゼントをもらったのは初めてである。

 10歳の年の差があれば、当然ウィンザーは渡す側である。若林からのプレゼンというだけで胸がはち切れんばかりに嬉しいのに、自分のことを思い遣るプレゼントの内容にウィンザーは感激で涙を溢しそうになる。

 ウィンザーは自分の部屋を出て若林に歩み寄った。 「コーヒーは?」

「もういい」

 若林はいつの間にか読み始めた新聞から目を離さずに答えた。

「唯昂……ありがとうございます」

「届いたか」

「はい。しかし、どうしてわざわざ宅配便を使うのですか。手渡しして下さったら……」

「照れ臭いからに決まってるだろう!」

 若林は耳まで赤くしてウィンザーの言葉を遮った。

 照れ隠しにそっぽを向く若林が愛しくて堪らない。心を痛いくらいに鷲掴みされて、ウィンザーの息は止まりそうになる。

「貴方って人は……」

 堪らずウィンザーは若林を抱き締める。

 若林の頭がウィンザーの体にゆっくりと凭れ掛かる。その重みすらウィンザーを幸せにする。

 ふたりの周りにはむせ返るような甘い空気が漂い、しばらく消えそうになかった。




3. サンタの時間 fin.


Writing date 2018.3.14

最後までご覧下さってありがとうございました!

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マシュマロ −英もみじ−
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