書斎に棲む黒い蛇
書斎に入った時、怖くて顔を上げられなかった。
ドアを開ける前に気づいた嫌な気配。
村にマムシ谷と呼ばれる場所がある。
山道を辿った先の小さな滝がある場所で、マムシの巣が密集している。
草むらの陰でとぐろを巻いていたり、岩場で体を乾かしていたり、
木の枝からもマムシがぶら下がり、鳥や動物が近づくと、鋭い歯で噛みつく。
その何倍もの数の蛇が、あの部屋にうごめいていた。
自己紹介をする私の足に絡みつき、這い上がり、袖やスカートの裾から入り込み、
耳元でシューシューと音を立てた。
あの屋敷の主だという人は、絡み合った黒い蛇に覆われていた。
そして話すたびに、声のするあたりから蛇がこぼれ落ちた。
こういう人は知っている。
ニコニコして、優しそうに話す先生、
頑張る人を応援しますと言っていた政治家、みな、同じように黒い蛇をぼとぼとと、
口からあふれさせていた。
そして後からその人たちが、職場でお金を盗んだり、体罰をしていたり、
何人もの部下を死に追いやっていたことがわかった。
黒い蛇は黒い感情から湧き出てくる。
たぶんあの男は、たくさんの人の苦しみが好物。
マムシ谷に迷い込んだよそ者は、噛まれて命を落とすこともある。
でも、マムシをよく知る人は、マムシを捕まえて焼酎につけて薬にしていた。
大事なのは用心深くいること。相手をよく知ること。