廃墟の地獄絵
開いてくださりありがとうございます。
私の投稿作品では初の純文学となります。
評価・感想お待ちしています。
3/3 追記
ジャンル別ランキングにて10位となっていました。
皆様、ありがとうございます。
この世は、「死」に色々な種類がある。
そして、それに比肩しうるほどに、「死後」の世界も多様である。
とはいえ、現世も冥府も極論、幸福か、そうでないかの二種類に大別すれば、それで終わる話であるだろう。
私がかつて見たのは、死後の世界のうち不幸な方......即ち地獄を描き表した絵であった。
あれは、私が小学生の時分。
夏休みとなり、暇だった私は、友人とともに探検に出た。
だが、近場にある森も、広く寂れた公園も、膝ほどの深さの小川も、どれも勝手を知っていた。目新しいものもなかったため、私達はすぐに飽きてしまった。
諦めて家へと戻る途中、普段から近所で「お化け屋敷」と呼ばれていた屋敷の前を通り掛かったときのことだ。
普段は固く閉ざされている門が、ギギギ......という音を立てて開いた。
私は、門扉から漂ってきた錆の臭いと、誰も見たことのない不思議への好奇心に駆り立てられ、中に入ることを決めた。
友人は私を引き止め、帰ろう、と何度となく促したが、私は首を縦に振ることはなかった。二人はそこで決裂した。
門を抜けてすぐのことだった。門扉は再び音を響かせると、私の背後で閉じた。
私は驚いたが、いざとなったらよじ登って出ればいいと考え、探索を続けた。
とは言っても、周辺の家々と比べても特に広い庭は夙に荒廃しており、特に調べられるようなものはなかった。
探索はいよいよ本番となった。
私は意を決して屋敷の扉に手をかけたが、鍵が掛かっており、開けることは叶わなかった。
しかし、私は諦めず、割れた窓からの侵入を試みた。
結果として、それは成功した。
入るときに窓の破片か、窓枠から少し頭を出していた釘かに擦ったらしく、膝下から少しばかり血が出ていたが、支障はなかった。
屋敷の中は、私が侵入した部屋も、その他大多数の部屋も、長く雨風に晒され続けた影響か、壁や床のところどころが腐り、変色し、天井には埃色になった蜘蛛の巣が点在していた。
全ての階の部屋を見回ったが、どの部屋もさしたる違いはなかった。
あぁ、この屋敷も、結局ただのありふれた廃墟でしかないのだ、と、私はがっかりした。
しかし、ここで帰る気も起きず、私は探索を続行した。
最後に残しておいた三階の最奥の部屋に辿り着いたときのことだ。私は突如、酷い違和感に襲われた。
その原因は扉だった。私の目の前にある扉は、他のどの部屋のものとも違い、上部に窓が備え付けられており、更にそこから僅かではあるが明かりが漏れていた。
目を疑ったが、同時に強い好奇心に突き動かされた私は、衝動的に扉の取っ手に手を伸ばした。
そのとき、突然扉が開き、中から長い黒髪の女が出てきた。髪色と同じ黒い服の袖口がいたく汚れているのが目を引いた。
女は扉の前に立っていた私を見ると、驚きを浮かべたが、それはすぐに微笑に変わった。
「坊や、どこから入ったの?」
優しげな、しかし、どこか鳥肌の立つような、恐ろしさを感じる声だった。
「し、下の窓から......」
「そう......。それじゃあ、足の怪我は......?」
「あ、えっと、多分、窓から入るときに......」
私の答えに、女は笑みを深めた。
そして、「おいで。手当てしてあげるから」と、私を部屋の中に招いた。
部屋の中は、ひどく簡素であり、調度品の類も見られず、ただ中心にイーゼルのない、剥き出しのキャンバスが置かれているだけだった。
女がここに住んでいるとはとても思えなかった。
女は壁の傍の背の低い棚の引き出しをいくつか開けると、救急箱を取り出し、その中の消毒液を床に座り込んだ私の傷口に塗布すると、ガーゼでそっと覆い、拭った。
「ありがとうございます」
「いいの。......でも、また同じことをしちゃだめよ?」
私が頷くと、女は目を細め、微笑んだ。
先程は気付かなかったが、袖だけでなく、髪の毛や襟にも、跳ね飛んだのであろう赤や橙の絵の具の跡が点々としていた。
「お姉さん、絵を描いてるんですか?」
「そう。......気になるなら、見てみる? 子どもには、ちょっと刺激が強いかもしれないけど......」
女はそう言うと、部屋の中心に置かれていた絵ではなく、その右壁に立てかけられている、布で覆われていた絵をこちらに運んできた。
その絵は、衝撃の一言だった。絵の中心は一面が赤々と塗られており、そこに黒く描かれた人型が点在していた。
手前はべったりと黒くなっており、上の線は湾曲していた。
「お姉さん......これは?」
私はその声が震えていたこと、また、それを聞いた女の表情を、よく覚えている。
女は、口の端を吊り上げて背筋が凍るような笑みを浮かべながら「これは地獄絵よ」と私に告げると、続けて、絵の下部の黒い面を指で示した。
「これはね、鍋。悪いことをした人はこれで煮られるの。この上の赤いのは、沢山の血。グツグツに煮え立った血の池」
思わず後ずさった。血の気が引くのを感じた。
この女に血を抜き取られるんじゃないか、という思いが、私の内を駆け巡った。
女はそんな私の胸中を察してか、警戒心を解きほぐすような、柔らかな表情を見せた。
私は不思議と絆され、もう暫くここにいようという気になった。
女は他にも幾つかの絵を私に披露した。
部屋の中心に置かれていたのは鮮やかな夕焼けであったし、他にも鯨の形をした白い雲が堂々と泳いでいる青空の下に、実際に鯨が水面へと顔を出している海、菜の花の咲き誇る畑を舞う白い蝶の番、高原に立つ麦わら帽子を被った少女の絵もあった。
私は他の絵を見回した後、もう一度地獄絵を眺めた。
他の作品は明るく、朗らかなものであったのに、この地獄絵だけは、暗く、おぞましいものであった。体の芯に通るような、底知れない恐ろしさ、絵に込められた恨みを感じた。
暫くして、私が絵を見終え、顔を上げると、そこに女の姿はなかった。私が思わず立ち上がると、ギギギ......と軋む音とともに、背後の扉が開いた。
私は帰るときが来たのだと直感した。
私は背中を押されるような思いで部屋を出ると、元来た階段を降りた。
足に怪我をした遠因である開かずの玄関の扉は、既に放たれていた。
外に出たとき、門扉が再びあの不快な音と錆の臭いを撒き散らしながら、目の前でゆっくりと開いた。
私は屋敷を後にした。
私は、あれから数十年が経った今も尚、この一件以上に不思議な出来事は経験していない。
あの絵が何故他の絵と大きく違っていたのかも、あの女の正体が何であるかも、未だにその一切が分からない。
それでも、私が「人の死」及び「死後の世界」について興味を持った、その切っ掛けであることだけは、確かな事実として残っている。
最後までお読みくださりありがとうございました。
今作は前書きで述べた通り、私の作品では初めての純文学となります。
投稿する際にどのジャンルにすべきか迷ったのですが、ホラーと言うほどに恐ろしいわけではないが、その他に当てはまるものも思い当たらなかった、ということで、純文学を選んだ次第です。
重ね重ねになりますが、評価・感想よろしくお願いします。