「嬢ちゃん、ひとりぃ?」と声をかけてきた男の子について行く予定です!
デート中に「飲み物買ってくるから、ちょっと待ってて」と言われて、待たされている女の子をナンパするのが生業です! の続編となっております。
読まなくてもわかるかもしれませんが、読んで頂けるとより楽しめると思います。
『いい、ミリーちゃん。アイス辺境伯家に生まれた者として、好きな人が出来たら絶対に手に入れなければいけないわ。その相手が男でも女でも母様は構わない。でもね、間違っても、他人に盗られたなんて情けないことだけはしないでね』
私が小さい頃から何度も、母様に言われてきた言葉。でも、そんな人は現れないとそう思ってた。
小さい頃から、男は私に下心のある下品な目を向け、女は嫉妬と辺境伯の権力が欲しい奴しか近寄ってこなかったからね。それでも、そんな奴らでも、諍いを起こしては面倒だからいつも愛想だけはよくしていたと思う。
学園に入学して早々に、変な男が声をかけてきたけど、その時だって罵倒しないように我慢して口をつぐんだ。微笑んで対応したと思うけれど、何故だか次の日から氷の令嬢なんて変な名が付いていて驚いたよ。
まぁ、そのおかげで学園内では男からは畏怖の眼差しで、女からは何故か尊敬の眼差しを向けられるようになったからよかっといえば、よかったような気もするけど。
入学早々、そんな扱いを受けている私には当然のことながら恋人もいなければ、婚約者も友人すらいない。アイス辺境伯家は曽祖母の代から婚姻は恋愛のみとなっていて、政略的なものは受けつけないとしていた。婚姻相手が見つからなければ婚姻しなくてもいいという貴族としては変わりすぎているその決まり事を、母様は私が初めて家についての勉強をしたその日に教えてくれたんだ。
どうしてそういう決まり事が出来たのかはわからないけど、でも、その決まり事を母様がとても大切にしていることだけはわかったよ。でも、私はきっと婚姻出来ないだろうと思っていた。だって、私の周りには本当の私を見てくれる人なんてひとりもいないから。
『ミリーちゃん、大丈夫よ。きっと貴方にも、母様にとっての父様のような人が現れるわ』
だから、母様のこの言葉を信じたことは残念ながら一度もなかった。
でもね、母様の言葉は正しかったと今ならわかる。
母様、私ね、見つけたよ。
母様にとっての父様みたいな存在を、私も漸く見つけられたんだ。
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その人に出会ったのは、本当に偶然だったんだ。ローディエンス公爵から誘われて始めた変わったバイト。恋人のいる女の子をナンパして、二人の仲を深めさせるというバイトは正直にいえばあまり他人に知られたくはない。
だから、ローディエンス公爵に仕事の関係で呼びつけるときは、夜にして欲しいと頼んだ。夜の方が人に見られる可能性が少ないからね。
そう、私は同じ理由で夜に抜け出す人がいることを全く考えていなかったんだ。だって、仕方ないだろう、貴族の学園に私と同じようにバイトしている人がいるなんて普通思いもしないさ。
だけど、彼はいた。
私が、ローディエンス公爵に呼び出されて夜の学園から抜け出そうとした時、キョロキョロと怪しい動きをしている男がいたんだ。
周りの様子を気にしていた男は、一瞬私とも目が合った。すぐに逸らされてしまったけどね。
けど、私は焦ったよ。見られたと思ったから。だから、声をかけた。
「君、こんな時間に何しているんだい?」
心底驚いたような男の反応に、私はしくじったと思ったよ。
だけど、声をかけてしまったものは仕方ない。幸い男は、自分が声をかけられたことに焦って、どうして私がここにいるのかを疑問に思っていない。少しばかり脅して、部屋に戻そうか。
そうすれば、この小心者そうな男は今夜のことをきっと誰にも話さない。
そう思って、教師に突き出すと脅すようなことを言えば、男はバイトを辞めさせられたら家族が餓死すると返してきたんだ。小心者そうな男の命乞いをするような必死さに、嘘ではないだろうことを悟ってしまったよ。
最初から教師になんて突き出すつもりはない。
私だって、この姿を誰かに見られたら困るのだからね。でも、私はきっと、涙を浮かべながら必死に懇願する男に絆されてしまったのだろうね。
そういえば、ローディエンス公爵がもうひとりくらいバイトが欲しいと言っていたっけ。
口止めするには相手もこちら側に引き込むことが一番効率的さ。
気づけば私は、ローディエンス公爵邸に男と共に来ていた。
男はリアム・ミュートというらしい。
ローディエンス公爵に脅されて半泣きになっている男を見ながら、私はこのバイトに誘われた時のことを思い出す。
あれは、私が学園に入学する少し前に、家で開催された夜会でのこと。壁の花となっていた私に、声をかけてきたのがローディエンス公爵だった。
ローディエンス公爵は、私が金を必要としていて働きたがっているという情報を何処かから聞きつけていたのか知っていたんだ。
『この仕事は本来男に頼むつもりだったが、推しカプの子供が困っているのなら仕方ない。君に仕事をやろう。報酬は弾むぞ。だが、内容を外部に漏らすことは許さない。それが約束できるのなら、雇ってやろう』
この怪しすぎる誘いに、バイトの探し方もわからず困っていた私はすぐに頷いてしまったんだ。今思えば、迂闊すぎるね。
結果的に普通のところでバイトするよりも多くの賃金を貰えているからいいけどね。
半泣きになりながら契約書にサインしているリアムくんに同情しながらも、私は少しだけこの変わった秘密を共有出来る人が増えたことが嬉しかった。
リアムくんは男装した私と先に出会ったからか、下心のある目を向けてくることはなかった。それに、名前のみしか名乗っていないにも関わらず、家名を聞いてくることもない。
というか、彼はあまり人に興味がないのだろう。生まれた頃から貧乏で、金を稼ぐのに必死だったリアムくんにはどうやら人を気にする余裕がないみたいだね。
でも、そんな彼との距離感を私は心地よく思っていたんだ。
女の子に声をかけるのを恥ずかしがって、挙動不審な行動をとる度にローディエンス公爵に怒られ落ち込んでいるリアムくんを励ますくらいには、彼のことを後輩として可愛いとも思うようになっていた。
そう、最初は本当に可愛い後輩としか思っていなかったんだ。
それが、変わるのは唐突だった。
なんの前触れもなく、私の認識は塗り替えられたんだ。
私が元々、バイトを探していた理由はリアムくんとは違う。私の家は彼の家と違って暮らしに困っているわけでもない。いや、寧ろ裕福だった。
アイス辺境伯家の元を辿ると、最初は武人だったらしい。それが戦争で功績を収めたために、辺境伯という地位を賜ったんだ。その血のせいか、私たちアイス辺境伯家のものは皆、武術に精通している。剣術、弓術、柔術、馬術他諸々を私たちアイス辺境伯家では、物心ついた頃から学ぶことが決まりとなっているんだよ。
その中でも、私の母様は歴代で最も優れた剣の使い手と言われている。普段ぽわぽわと柔らかい雰囲気の母様は、父様のピンチとなれば剣を振るうことを厭わない女性としても有名なんだ。そんな母様を私は尊敬し、憧れている。
何でも話せる関係だし、事実仲の良い親子だとも思ってる。だけど、そうひとつだけ、私は母様に言えないことがあるんだ。
母様はいつでも、剣を抜けるように常に帯剣している。それに伴って、服装も動きやすいようにとズボンを履いているんだ。すらっとしている母様にその姿はよく似合う。
私も同じ理由から、幼い頃よりズボンを履かされていた。学園でも他の令嬢たちとは違い、ズボンで通っている。
それ自体は別に嫌いではない。かっこいいとも思う。だけど、私は同年代の令嬢を見る度に思っていた。
嗚呼、可愛いドレスが着てみたいな。
そう、私は徹底的に可愛いものが制限された生活からか可愛いものへの憧れが人一倍強くなってしまったんだ。
その憧れは留まることを知らず、私の鞄の中にはいつも可愛いテディベアが入っている程だ。これは街へ出かけた時に一目惚れして買ったお気に入りの物だったんだ。
これをぎゅっと抱きしめれば、疲れとかストレスとかが吹っ飛ぶんだ。この日もいつもと同じように、仕事の疲れを癒すためにテディベアをぎゅっと抱きしめた。
「お疲れ様でーす」
扉が開いてローディエンス公爵邸にある控室に現れたのは、リアムくんだった。えっ、お手洗いに行くって言ってたよね? もっと遅くなるものと思っていたのに。
早くないかい?
というよりも、見られた!
咄嗟に隠そうと体を丸めて、テディベアを隠す。
「み、見た、よね?」
「え、えっと‥‥‥」
この反応、やっぱり見られてしまったね。嗚呼、どうしよう、ミリーでも似合わないぬいぐるみをミリウスが持っているなんて‥‥‥気持ち悪がられて、もう普通に話してもらえないかもしれないね。
リアムくんのことは、後輩として好きだったんだけどな。
「ご、ごめんね。気持ち悪いよね」
久しぶりに泣きそうになりながら、慌てて鞄にぬいぐるみをねじ込む。だけど、リアムくんからは予想と違う反応が返ってきた。
「えっ、嗚呼、すみません。あの、そうじゃなくて、その人形可愛いなって思って見てたんです」
「えっ?」
「俺、人の趣味は他の人に迷惑かけないなら、自由だと思いますよ。それに、ミリウスさんがその人形に夢中になるのだってわかります。俺ですら、可愛いと思いましたもん」
私はその時、リアムの優しい言葉にこの人になら、バイトしている理由を話しても引かれないかもしれないと思った。
この人なら本当の私を見てくれる、そんな根拠のない自信が湧いた。
「そ、そう言ってくれると嬉しいな。実は、僕は、その、可愛い服を買うためにお金を貯めているんだ」
「可愛い服?」
「嗚呼、ドレスなんだけど。その、うちの両親は僕に動きやすい服を着せてくれてね。そのデザインもかっこよくて好きなんだけど、僕は可愛いデザインも好きなんだ。だから一度着てみたくて‥‥‥両親に相談すれば買ってくれると思うけど、何というか、それを言うと両親のセンスを否定するみたいで、中々言えなくてね。だから、自分で働いて買おうと思ったんだ」
「そうだったんですか。自分の欲しい物のためにバイトしてるだなんて、ミリウスさんかっこいいですね!」
何の邪気も感じさせないリアムくんの笑顔は、私を複雑な気持ちにさせた。
「そんなことないよ‥‥‥君に比べたら僕なんて、くだらない理由だよ」
「えぇー、俺は立派な理由だと思うけどなぁ‥‥‥あっ、そうだ。もし、よかったらなんですけど、さっきの人形もう一度見せてくれませんか?」
リアムくんの柔らかい笑顔に、胸がドキンと何故か跳ね上がる。
不整脈かな?
「う、うん、構わないよ」
押し込めたテディベアを取り出して、リアムくんに渡した。
「わー、柔らかい。あの、これ、ちょっと抱きしめても良いですか?」
「い、いいよ」
リアムくんがぬいぐるみを赤子を扱うように大切に抱きしめた。
ズキューン!
その瞬間、胸が変な音を立てたのがはっきりと聞こえた。
「可愛いですね!」
「──ッ!」
君の方が可愛いよ!
な、なんだい、今の心の声は? 可愛い? リアムくんが? 確かに後輩としては可愛いと思う。でも、容姿とかは平凡だし、男だし、全然、可愛いなんて‥‥‥
「はわわっ、かわいぃ」
「? 何か言いましたか?」
まてまてまて、待ってくれないかい。不味い、リアムくんが可愛すぎて直視できない。
寝癖が残っている茶色い髪も、よく見れば丸っこくて大きい瞳も、私よりも少し小さい身長も、昨日までは何も思わなかったのに、今見るととても可愛いじゃないか!
私は、なんて愚かだったんだい? こんなに可愛い存在が近くにいたのに何故今まで気付かなかったんだ!
いや、違う!
リアムくん(かわいい)×テディベア(かわいい)の相乗効果で、気付かされたんだ!
嗚呼、神様ありがとうございます、リアムくんの可愛さに気づかせてくれて。
この日から私は、すっかりリアムくんの虜になったてしまったんだ。
だというのに、どうして馬鹿共はリアムくんの可愛さに気付かないないんだい。
リアムくんにナンパされている女を見つめる。
「え、えっと、困ります」
困る? リアムくんみたいな可愛い子にナンパされて困る? いいご身分だね。
私なら、こんな可愛い子にナンパされたら、喜ぶことはあれど困ることなんて絶対にないけどね。
女は私の方を見て、何故だか顔を青ざめさせるとガタガタと震え始めた。
は? なに? リアムくんみたいな可愛い子に話しかけられて、何震えているんだい?
身の程を知れ、蛆虫が。
いけない、いけない。
今は仕事中だ。仕事に専念しないとね。
嗚呼、女の恋人に追い払われてるリアムくんも可愛いね。
あの日以来、私の心の中はリアムくんの可愛さを思う気持ちでいっぱいだ。
でも、嫌な気持ちなんてない。
寧ろ、心が豊かになって前よりも充実している気さえする。幸せだ。
「怯えさせすぎだ」
ある日の任務終わり、帰宅しようとした私を引き止めたローディエンス公爵が開口一番に言った言葉だ。
「なんの話ですか?」
「気付いていなかったのか。最近の君は少しおかしいぞ」
「おかしい、ですか?」
「嗚呼、ターゲットの女の子を睨みすぎだ。あれでは、仲を進展させるどころか委縮させる。どうしたんだ、表情を繕うのは得意だったはずだろう」
「と言われましても、普段通りのつもりでしたので」
私がそう言えば、ローディエンス公爵のため息が聞こえた。
「あれが普段通り? あんな人を射殺すような目をしておいて、普段通りのはずがないだろう。何があった、言え」
「何、と言われましても‥‥‥」
心の中はどうであれ、普段通りに微笑んでいたと思うのだけどね。
「あっ、」
「何だ?」
「‥‥‥いえ、関係ないと思いますので」
「今後の仕事に関わることだ。関係なくとも言え」
「えっと、まぁ、関係ないと思いますけど‥‥‥最近、リアムくんが可愛くて仕方ないんです」
「はぁっ?」
「なのに、ターゲットの女はリアムくんの可愛さに気付く人が誰もいない。それが、腹が立って腹が立って。あんなに可愛いのに、何故気付かないんだい?」
「おい、ちょっと待っ、」
「最近ではもう、リアムくんは手違いで地上に堕ちてきた天使なんじゃないかって思い始めてます」
「あ、嗚呼、わかった。わかったから、少し待ってくれ」
「ええ、そうです。リアムくんは天使に違いありません。でないと、あんなに可愛いことに説明がつきませんから。私よりも小さい体も癖っ毛気味の柔らかい髪質もその全てが可愛い。あんなに愛らしいのに身長を気にして、伸ばし方を図書館で調べているんですよ。健気でしょう! 私の顔を見てもじもじしながら、背の伸ばし方を聞いてきた時なんて、もう! ふふっ、押し倒して喰らい付かなかった自分自身を褒めてあげたいよ。嗚呼、思い出しただけでも涎が出てしまう! 困った時に浮かべる涙は聖水で、体のあちこちに流れている血は妙薬なんですきっと! あのチョコレート色の瞳は甘そうですね。舐めたら溶けてしまいそう‥‥‥嗚呼、リアムくんの涙や血はどんな味がするんでしょう。肉は? リアムくんを合法的に体に取り込みたい! リアムくんの涙を舐めて、血を啜って、肉に齧り付きたい!
そうすれば、そうすれば、私たちはずっと一緒にいられます。リアムくんが天界に帰ってしまう心配もなくなります。
嗚呼、リアムくん、リアムくん! リアムくん、食べたい! リアムくん、食べちゃいたい。リアムくん、リアムくん、リアムくん、」
「落ち着け。そもそも、リアムを食べてしまっては、もう永遠に話すこともできなくなるぞ」
その一言で冷静になる。
「‥‥‥確かに、そうですね。彼と話せなくなるくらいなら、死んだ方がマシです」
ローディエンス公爵は、安心したようにパイプを吸った。
「君がおかしい理由はわかった。だが、仕事はしっかりしてくれ。そうすれば、私はプライベートにまで口は出さん」
「そう言われましても、私としては普段通りなのですが」
「‥‥‥なら、表情筋を鍛えて笑顔の練習をしろ。射殺すような顔も、今のような興奮した顔も、リアムが見れば怖がるぞ」
そう言うとローディエンス公爵は、鏡を私の方へ向けてきた。そこに映ったのは、発情した獣のような顔をした女だった。
はぁはぁと息荒く頬を上気させた女は、私と全く同じ顔をしている。
自分の顔ということが信じられなくて、思わず顔に手を当ててみる。鏡の中の女も同じように手を当てた。そこで漸く鏡の中の女が自分ということに気付いた。
確かに、こんな顔をしていたら、リアムくんに怯えられるかもしれないね。
「いいか、リアムに怯えられるのが嫌だったら、死ぬ気で取り繕え」
「‥‥‥わかりました」
「まったく、厄介ヲタクの典型だな君は」
「厄介ヲタク?」
私の言葉に反応したように、ローディエンス公爵はまるで指を指すようにパイプを此方に向けてくる。
「だが気をつけろ、君のそのリアム推しという感情は、簡単にリアムガチ恋勢に転身するだろう。そして、君のような厄介ヲタクはガチ恋勢になると、取り返しがつかないほど厄介になる」
「恋? 私がリアムくんに? 確かにリアムくんは可愛いですが、私は彼に恋しているわけではありません。ただ、リアムくんの可愛さに気が付かない女に腹を立てているだけです」
「‥‥‥そう思っているうちは、大丈夫だろう」
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学園でリアムくんに会うことは、あまりないんだ。まぁ、学年が違うし、ミリーの姿では接点がないからね。だけど、偶にごく稀に全学年共同で使う場所で会うことはあったりする。
そして、この日の私は幸運だった。
なんといっても、食堂でリアムくんに会えたからね。見るだけで幸せをもたらしてくれるなんて、リアムくんはやっぱり天使なんだね!
そのリアムくんは、同じクラスであろう女の子たちに何事かを話しかけられて、顔を真っ赤に染めている。相変わらず、元の姿では女の子に接するのが苦手なようだね。可愛いなぁ。
そう微笑ましく思っていれば、話が終わったのだろうリアムくんの元にいた女の子たちが、彼から離れて此方へ歩いてきた。
「リアムくんってさ、女子に話しかけられるとすぐ顔真っ赤にするよねぇ」
「そうそう、面白いよね。うーん、彼氏にはしたくないけど、弟にはしたいよね」
「わかるぅ! 可愛い系だよね」
ねえーっと話しながら、三人の女たちは楽しそうに私の隣を通り過ぎて行った。
リアムくんが可愛い? 見る目はあると褒めたいけど、リアムくんが可愛いことは私だけが知っていればいいんだよね。
あの女たちの目、抉ってやろっかなぁ。
あれ? 私、今、可愛いことは自分だけが知っていればいいって思ったよね。おかしいなぁ。リアムくんの可愛さをみんなに知って欲しいって思っているはずだったのに。
どうして、こんな矛盾していることを思ったんだい。わからない、自分では何にもわからない。
その場に倒れてしまいそうになるほど、私の足場が不安定になった気がした。
混乱した私は、この日すぐに母様に手紙を送ったよ。自分の混乱した気持ちをそのまま書いて送った。慌てて書いたから、きっと文章はぐちゃぐちゃだったと思うね。
でも、母様から二週間後には返事がきた。
『すぐに帰ってきなさい』
いつもは、何十枚も返ってくる手紙が、今回はこの一言だけ。
そのことは逆に不安を煽った。
だけど、だからこそ、私は学園を休んですぐに辺境伯領へ向かったんだ。
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帰ってきた私を、母様と父様は嬉しそうに迎えてくれた。
「ミリーちゃん、おかえりなさい!」
「ミリー、おかえり。遠くて大変だったでしょう」
「母様、父様、ただいま戻りました」
挨拶をすると、母様は顔をじっと見つめてソファに勧めてくれた。次いでにこりと、それはそれは幸せそうに笑う。
「ミリーちゃん、恋をしたのね」
「なんだって!? ミリー、好きな人が出来たのかい?」
「えっ、いや、恋ではないと思いますが‥‥‥」
「いいえ、誤魔化しても無駄よ。母様にはわかるわ。貴方のそれは恋よ」
全てを見透かすような瞳をする母様に、私の心は跳ね上がった。
この矛盾した気持ちは、恋なのか?
「そう、恋は矛盾の連続よ。好きな人の魅力をみんなに見せびらかしたい、見せたくない。笑顔にしたい、泣かせたい。優しくしたい、酷くしたい。本気の恋をするとね、自分でも感情をコントロール出来なくなるものよ」
「‥‥‥正直、まだわかりません。これが、恋なのか、愛玩動物を愛でるような気持ちなのか」
「母様もそうだったわ。でもね、ミリーちゃんよく考えてちょうだい。もし、貴方の後輩ちゃんが他の女と婚約することになったとしたらどう思うのかしら?」
「そんな、そんなの、そんなことになったら‥‥‥」
リアムくんが他の人の物になるって? 知らない女に愛を囁かれて、顔を真っ赤にさせているリアムくんの姿が思い浮かぶ。
そんなの嫌だ。考えたくないよ。
だって、だって、
──リアムくんが私以外の隣に立つなんて、そんなの絶対に許せない。
「貴方の後輩ちゃんが自分以外の隣に立つなんて、絶対に許せない」
「! どうして、わかったのですか」
「母様も同じ考えで、父様を手に入れたからよ」
母様は内緒話をするように教えてくれた。
「ミリーちゃん、貴方のそれは恋だわ。だから、自信を持って大丈夫よ」
「私のこれは‥‥‥恋なんですか?」
「えぇ、そうよ。母様が言うのだから、本当のことよ」
「恋、ですか」
他人事に思っていた恋を私が出来るなんて。心に温かいものが広がっていく。
「ふふっ、そうと決まれば、やることはひとつだわ。ミリーちゃん、何をノロノロとしているのかしら? さっさと婚約でも何でも結んで、彼を捕まえないと」
母様はにこにことしながらも、私に冷たい目を向けてくる。多分、行動が遅すぎる私を非難しているんだろうね。
「すみません、母様。私、自分の感情を確認することに時間をかけ過ぎてしまいました。彼を、リアムくんを婚約者にしようと思います」
「まぁ、素敵だわ! それでこそ、アイス辺境伯家の子よ。そうと決まれば、作戦を考えないといけないわね。あっ、ミリーちゃん、ドレスの資金貯まったのかしら?」
「なっ!? ちょっと待ってください。母様、どうしてそのことを?」
「あらぁ、隠してるつもりだったの? わかりやすかったから、てっきり隠していないのかと思ってたわ。ローディエンス公爵のところでバイトしていることも、ね♡」
ドレスのことどころかバイト先まで知っているとは。母様には敵わないね。
「それより、資金は貯まったのかしら?」
「えぇ、それなりに貯金が出来たので、そろそろ買おうかと考えていました」
「あらぁ、それは大変! 今日中に仕立屋を呼ぶから、急いで注文するといいわ。出来上がったらすぐに学園に送るように手配するから。彼にはそれを着て求婚なさい。ミリーちゃんは可愛いもの。彼もきっと喜ぶわぁ」
「リアムくんに、求婚‥‥‥」
「楽しみだわぁ、母様に息子が出来るのねぇ」
リアムくんと結婚したら、家にはリアムくんがいて、合法的にリアムくんと同じ空気を毎日吸える。
リアムくんが食べているところも、リアムくんが寝ているところも、リアムくんがお風呂に入っているところも、リアムくんがお手洗いに行っているところも、リアムくんが息しているところも、リアムくんが体調を崩して苦しそうにしているところも、リアムくんが泣いてるところも、全部全部見ていいんだ。だって、夫婦だもん。
嗚呼、新婚生活が今から待ち遠しいよ。
「あ、あのさ」
私がリアムくんで頭をいっぱいにしていると、今まで一言も話さなかった父様が焦ったように言葉を発した。
「ミリーに婚約はまだ早いんじゃないかな?」
「まぁ、そんなことないわ。私達だって、ミリーちゃんと同じくらいの時に出会って婚約したのよ? 問題ないわ」
「そ、それは、そうだけど、ほら、相手の都合もあるだろう」
父様が母様に意見するなんて、珍しいこともあるものだ。それほど、私の婚約を反対したいということだね。
「まぁ! そんな悠長なことしてたら、手遅れになってしまうわ」
「でも、ほら、焦らないことも偶には必要っていうじゃないか」
珍しく言い合いを始めた両親の不毛な喧嘩を止めようと、私は姿勢を正す。
「母様、父様、私は誰に何と言われようと、リアムくんと婚約します」
私のはっきりとした言葉に、父様は何かを悟ったのか苦笑いをする。
「‥‥‥ごめんね、反対するようなことを言って。ミリーが幸せになれるのなら、父様はそれで構わないよ。応援してる」
「父様からの許可も出たことだし、とっとと堕としてきちゃいなさい。勿論、母様も応援しているわ」
「ありがとうございます、二人とも」
「ミリーちゃん、間違っても、他人に盗られたなんて情けない報告だけはしないでね。母様、実の娘だとしても、それだけは許せないわ」
剣を振るう時のような顔の母様が、私をじっと見つめる。
母様、私が情けない行動ばかりしていたから、心配なんだね。でも、大丈夫、アイス辺境伯家に生まれた者として、絶対に情けない結果なんて出さないよ。
「次に帰ってくる時には、婚約者を連れて来ます」
母様は、満足そうに笑った。
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「ローディエンス公爵、頼みがあります」
「なんだ、珍しいな。君がそんな真剣な顔をするなんて」
「次のターゲットを私にして欲しいのです」
「‥‥‥それは、ミリーということか?」
「そうです」
「何故、そんなことをする必要がある?」
「それが二人の出会いになるからです」
「はっ?」
「そこで二人は運命の出会いを果たし、恋をするんです。そして、二人は結婚して幸せに暮らすんだ」
「‥‥‥矢張り、私の懸念していた通りになったな」
「? 何か言いましたか?」
「いや、気にするな。ミリー、私はヤンデレも中々好きでな。だから、今回は特別に協力してやってもいい」
「ありがとうございます!」
「だが、私が協力するのはこの一回だけだ。あとは自分たちで勝手にやれ」
「それで十分です」
「決行は今週の日曜日だ。信頼のおける男を用意しておけ」
「男、ですね。わかりました。それにしても、日曜が待ち遠しいね。漸くリアムくんが私の物になる」
「‥‥‥話が以上なら、もう帰れ。私も忙しいんだ」
「嗚呼、すみません。では、失礼します‥‥‥ローディエンス公爵、」
「何だ?」
「ありがとうございます」
一礼してローディエンス公爵の執務室を出る。ガチャンと閉じた扉の向こうから、深いため息が聞こえた気がした。
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普段とは違う貼り付けたような笑みではなく、本当に嬉しそうに年相応の顔をした己の部下が出て行くのを見送り、深いため息が自然に出る。
「リアムも、厄介なのに目をつけられたな」
『アイス辺境伯家の人間を怒らせてはならない』
これは、ミリーの曽祖母の代から社交界で言われてきたことだ。
アイス辺境伯家、元々戦争での功績によって辺境伯を賜った武人の家系だ。その武力は凄まじく、代々国境を守る名家であり、陛下からの信頼も厚い。
そんな彼らには共通して、人や物に頓着しないという特徴があった。だが、その代わり、一度興味を持つと大変厄介なことになるという特徴もまたある。
良く言えば、一途で情熱的。
悪く言えば、自分本位で執着的。
執着する対象が物ならば問題ない。あれほどの名家だ、大抵の物は金さえ払えばどうにかなるだろう。だが、それが人間になると話は別だ。人にはそれぞれ感情がある。金でどうにか出来ないこともあるかもしれない。
ことの発端となったミリーの曽祖母、ミアは五十歳以上も年上のアイス辺境伯家専属庭師に恋をした。想像通り両親には猛反対されたそうだ。だが、ミアは諦めなかった。情熱的に迫って時には夜這い紛いのこともしたらしい。怖くなった庭師は、仕事を辞め彼女から逃げることを選択。
しかし、結局ミアに捕まり二人は結婚することになる。
結婚式では、夫となる元庭師にミアが何事か呟くと、彼は顔を青くさせたそうだ。相当強引に結婚したのではないかと当時もっぱらの噂だった。
結局、その噂の真偽はわからないままだ。
ミリーの祖母、カミラは学園で出会った子爵令息と恋に落ち結婚した。だが、カミラの夫は愚かにも新婚早々すぐに愛人を作った。離婚にはならなかったものの騒動の後カミラの夫は一切表舞台に出てくることは無くなったそうだ。また、愛人の女は行方がわからなくなったらしい。社交界でそのことをそれとなく聞いても、カミラからは「ふふふ」という曖昧な答えしか返ってこなかったという。
夫は邸宅に軟禁し、愛人はカミラが亡き者にしたのでは? という噂が飛び交っていたが、その真偽は定かではない。
そして、歴代で最も優れた剣の使い手と呼ばれているミリーの母、レイラはその美貌から多くの者が虜となり、求婚した。が、レイラが選んだのは平民の男性だった。運が良いことに、二人はそれほどの障害もなく結婚することが出来たので、それに関しての被害は出ていない。
しかし、数年前に隣国の暗殺者が十数人攻め入ってきた時は少々派手に暴れたらしい。というのも、暗殺者の狙いはアイス辺境伯つまりレイラの夫だったのだ。それに激怒したレイラは、十数人の暗殺者をひとりで相手し見事勝利。
リーダー格のみを残して、他の暗殺者の四肢を切り落とすと、地下牢に閉じ込め餓死するまでずっと見張っていたそうだ。また拷問の末、王都に送られてきたリーダー格も「殺してくれ」と何かに怯えたように何度も言っていたという。
この話は、社交界で知らない者はいないほど有名な噂だが、その真偽はわからない。
だが、私の個人的な意見を言わせてもらえば、この噂は全て真だろう。
「ミリーは人間嫌いと思っていたがな」
あの子は人に興味を持つタイプではないと思っていたが、ミリーもまたアイス辺境伯家の人間だったということか。
ミリーは容姿や能力は母親譲りだ。人形のように整った容姿と柔術の天才と呼ばれるほどの能力に惹かれる者も多い。だが、その性格は穏やかな父親譲りだった。常に微笑みを浮かべて無駄な諍いを好まない。
だから、私はミリーが恋をしても先祖のように暴走しないのではないかと少しだけ期待していたのだ。だが、その期待は裏切られたようだ。
パイプを吸えば、頭の整理がつく。
にしても、私の知る限り二人は、いい先輩後輩という間柄であり、それ以上でも以下でもなかったはずだ。それが、少し目を離したらこれだ。一体、あの鈍感男は何をしたんだ。出来ればリアムの意思を尊重してやりたいが、ああなってしまったミリーを止めるのは至難の業だ。
いや、きっと、そんなことをすればローディエンス公爵家は邪魔をしたと見做されて潰されることだろう。
まぁ、いいか。
もう考えてもどうすることも出来んし、彼奴もあれで強かなところがあるし、自分でどうにかするだろう。私はもう知らん。
こうなったら、鈍感強か男×ヤンデレ名家令嬢をとことん観察することにしよう。
「まぁ、なんだ、あれだ‥‥‥金に困ることはもうないだろう」
自分を納得させるように呟けば、案外悪い話ではないような気がしてきた。
自由にかけて楽しかったです。