第94話 鏡
最初は骨だと思った。
硬い何かに剣が触れた。
人型の巨人であるなら、人と同じ骨格を持っていてもおかしくはないけど。
何の問題もない。
竜炎が全て焼き尽くしてしまうから。
太陽にも等しい灼熱が巨人の肉と骨を溶かし、アイリーン王女の宿る心臓を剥きだしにする。
丸まって眠っているのか、それとも血液みたいにドロドロになっているのか。
いずれにせよ俺の仕事はそこまで。
あとはスクゥアが──
「うっ⁉︎」
強い衝撃が手首から腕、そして肩にまで伝わる。
全身が痺れて強い耳鳴りがして。
向こうから突き刺すような光が差す。
鈍い痛みに目を閉じて、かろうじて薄く開くと宝剣にまとわせた炎が拡散していた。
まるで暗い洞に吸い込まれていくように、炎は刀身から渦を巻いて離れていって。
掻き消えていく竜炎の向こうに、“影”が見えた。
ゆらゆら揺れる影は幽霊みたいに輪郭がぼやけていた。
「……ん」
水面に石が投げこまれたみたいに、記憶が波紋を起こして。
目をこらして正体を見極めようとするけれど。
それはまるで、黒い炎のようで──
気づくと滑らかな光沢が目の前にあって、まるで鏡みたいに俺の姿を映し出していた。
「ああ……」
それが銀碗の一部だとすぐに悟る。
ナゥザの銀甲はおそらく自在に体内を移動できる魔道具。
心臓を守る硬い盾──“壁”となって、竜炎を防いだのだ。
全力の一撃をこうも簡単に止められるなんて。
そんなのもう、どうしようもないじゃないか。
「……ここまでだ」
そう思うと体から力が抜けた。
手にした黄昏の陽が急に重くなって、体の横にだらりと垂れた。
初めから俺の実力にはつり合わない、分不相応な重荷だったみたいに。
銀の鏡に俺の姿が映っている。
敗北を受けいれ肩を落とした男が。
《カイル……》
消沈を感じとって、イアの声も弱々しい。
まぎれもなく最強の力をもつ竜精。
俺にはイアの潜在力を引きだしきれなかった。
結局アイリーン王女の願った通りになるのだろう。
彼女は確固たる信念を持って運命に従い、そして事を成した。
この銀甲のように硬く揺るがない意思で。
一体、誰に抗うことができるというのだろう。
……。
《カイル!》
不意に体が勝手に動いた。
白鳥から振り落とされそうなくらい横に傾いて。
イアが俺の体を動かしていた。
その意図を探って、銀の鏡の赤黒い輝きに気づく。
「──」
それは竜炎。
全てを焼き尽くす、神の力。
考える前に鞍に飛び上がる。
そして白鳥の脇を強く蹴ると、彼女は悲鳴を上げて離れていった。
空中で不安定な姿勢をとりながら、俺は剣を構える。
眼前にははね返された竜炎が迫っていて。
血のような赤と地の底のような黒が混じり合う様は、まるで地獄。
──
熱くはなかった。
熱さなんて、感じる余裕もなかった。
ただ、何もできない。
体がぴくりとも動かない。
みんなそうだったのだろう。
運命を前にして、為すすべなく燃え尽きていったんだ。
苦痛なき死。
それは幸せなことなのかもしれない。
これは“導きの炎”。
どうか彼らを、“安らぎの地”へと──
……。
□ □ □
白鳥が崖を滑るように弾きだされて。
カイルが炎に包まれ、海に落ちていった。
巨人の胸にチラチラ瞬く光が見えた。
鏡のように滑らかな銀甲。
あれが、カイルの炎をはね返したのだ。
杖を掲げたまま私は動けなかった。
声を上げることさえできなかった。
信じられなかった。
彼なら大丈夫って、考えることをやめてしまっていた。
胸騒ぎはしていたのに。
不安はいつでも、私の背中に張りついていたのに。
想像するのが怖かった。
彼にもいつか、敗れる日が来るんじゃないかって。
そして私のそばから、永遠に消えてしまうんじゃないかって。
幸せはいつも不安と一緒。
幸せであればあるほど、失うことが怖くてたまらない。
──俺はこれからもディーネの傍にて、彼女を守ります。
あの夜、偶然耳にしてしまった彼の言葉。
心臓の鼓動が止まらなくてその後眠ることができなくて。
一度眠って目を覚ましたら、全てが夢だったなんてことになってしまわないかって。
そんな予感を、今までずっと押し殺してきて。
「……カイル」
星の燃え滓みたいな黒い塊が、チカチカと弱く瞬いた。
まるで別れを告げているみたいに、私の耳奥にあの優しい声が聞こえてきて。
そのまま、青い波の中へと呑まれていった。
□ □ □
爆炎は島の高台からもよく見えた。
そしてわずかな膠着ののち、同じ炎が巨人の胸部から放たれた。
豆粒のようにしか映らなかったが、カイルであるのは明らかだった。
竜の炎をその身に受けて、炭のように黒焦げた体が海に落ちていく。
敗れたのだ。
大蛇を前にして一歩も引かず、命を賭した一撃で敵を仕留めた戦士が。
自然の化身たる獣を、正面から力でねじ伏せた最強の剣士が。
なぜだろう、私はひどく落ち着いていた。
また仲間を失ったというのに。
私の願いに応えようとしてくれた、勇敢な男が消えてしまうというのに。
納得してしまったからだろう。
最強の竜を宿す戦士を殺すのは、同じ竜の力だと。
アイリーンが思い至らないはずがない。
いったい、あの巨人にはどの程度まで彼女が表れているのか。
わからないが、全て理解した上で方策を講じたに違いない。
抜かりなど、あるはずがないのだから。
……。
“運命には抗えない”。
あの女──スクゥアの言った通りになった。
一体何者なのか。
カイルのことを知っている様子だったが。
彼の過去や、ともすれば未来さえも見通していたのかもしれない。
だが、今となってはどうでもいいことだ。
竜の戦士の旅路はここで終わった。
やがて訪れる新たな時代に、我々は彼を英雄として語り継ぐだろう。
……だがディーネは。
彼女は、カイルの死を受け入れられるだろうか。
私がエリーシャの死を長く引きずったように、先の見えない暗闇の中に囚われてしまうかもしれない。
「カイル」
止めるべきだったのだろう。
アイリーンへの思いを断ち切って、全てを彼女の思うままに任せて。
無謀な戦いになど、仲間を送りだすべきではなかった。
……。
だが思うのだ。
たとえどんな選択したとしても結局。
結局、こうなっていたのではないかと。




