第84話 豊穣の力
エヴィレア王妃の口が小さく動く。
それが詠唱だと気づいた瞬間に、体は反応していた。
“悪魔”は依然王妃の背後に控えたままで。
その腕が、俺に向かって勢いよく伸びてきた。
「──ふっ!」
炎を纏わせた宝剣で、四方から迫る腕を斬りつける。
眷属の太い腕は、竜炎の前にあっけなく崩れ落ちた。
古の獣が放つ威容はあの大蛇に劣りはしなかったけど。
宝剣と竜炎の前では、その肉体さえ紙切れのようだ。
《凄いよカイル!》
それにイア。
相棒はなんだかいつもより調子が良さそうで、流れこむ力も活き活きして頼もしい。
この勢いに乗って一気に勝負をつけてしまいたい。
そう思って剣の柄を強く握りしめたとき。
「足下!」
ディーネの声に、俺は即座に飛び上がった。
地面に落ちた獣の腕が、うねうねと蛇みたいにのたくっていた。
それはやがて団子みたいに丸まって、ぎゅぎゅっと軋みながら表面をぼこぼこと蠢かせて。
「再生!?」
四足獣の形を象ると、王女めがけて走り出した。
──
「《第四階》──」
ディーネが素早く杖を振る。
「──“大地の隆起”!」
詠唱の直後、彼女の前面の地表が盛り上がった。
獣たちは突如現れた土壁に体を遮られて動きを止める。
その頭上に、俺は空中から剣を叩きつけた。
竜炎を受けて、獣は灰と化して消えていく。
わずかに触れた切っ先の感覚は幻影や魔力ではなく、紛れもない本物だった。
この眷属は、自分の身体から生物を創り出している。
「“豊穣”──“再生”──」
エヴィレアが口ずさむと、たちまちのうちに眷属の腕がもとどおりになる。
大蛇と同じほとんど無限の再生力。
倒すにはやはり、全力の一撃を直接くらわせるしかないだろう。
「後ろのことは気にするな、カイル!」
長棍槍を構えたファーガスが声を張った。
「生え出る獣どもは私とディーネで排除する。死地へ送り出すようだが、背後は我々に任せ君は鹿角の本体を狙え!」
全身を固い鎧に包んだ“盾”の背後で、アイリーン王女が地面に膝をついて祈り続けていた。
目を閉じたままピクリとも動かないで腕を胸の前に組む姿が、ぼんやりと歪んで見えた。
錯覚かと思うけれど間違いない。
美しい白装束の周りに、何らかの“力”が集まり始めていた。
遠いどこか──彼方から放たれたような、透き通るように白い光が王女を包んでいる。
──
一体、俺はどの程度まで彼女を信用していただろう。
騎士団長──ディニムから話を聞いたとき、実際に王女に会って神託を受けたと告白されたとき……。
俺が一度でも、アイリーン王女の話を本気で受け止めたことなんてなかった。
王位を得るためのたわごと──代々の王たちが繰り返してきた、正統性を主張するための与太話。
そうとしか思っていなかったけれど。
流れ。
流れに乗ってここまできた。
王女の発する“声”と、彼女の掲げる展望には圧倒的な力があって。
俺たちを否応なく呑みこんでしまった。
アイリーン王女が正しいのかどうかは分からない。
俺には“外”のことはもちろん、“大陸”の置かれた状況さえろくに分かっていなかった。
けれどそんなこと、この世界の知ったことじゃないんだ。
時代は動いていく。
大きな川の流れみたいに、一人の人間の意思なんて意にも介さず進んでいく。
俺はもちろん、王女にだって王妃にだって止められはしない。
だから俺は選択をしないといけないんだ。
そしてその選択を信じて、やれるだけのことをやるしかないんだ。
アイリーン王女を──新たなる王へ。
刀身の炎が噴き上がる。
俺の選択を支えてくれた、赤く美しく力強い竜の炎。
この身に宿る小さな精霊が、俺の進むべき道を切り開いてくれた。
炎の勢いに、セルヌスが吼える。
多腕に力がこめられると同時に地面が盛り上がり、土を突き破って植物が生え出る。
天高く芽を伸ばす草木は蛇のようにうねうねと気味悪く、けれど瑞々しく輝いて。
まるで夏の太陽みたいな生命力に満ち満ちていた。
──太陽。
天の刻まで、あと少し。
芽の先端が一斉に前を向く。
まるで“蛇の眼”みたいに、俺を突き刺すように睨みつける。
「行くぞ、イア!」
《うん!》
獣の視線を振り払い、俺は前に踏み出した。
鞭のように鋭くしなる緑の嵐を、竜炎で一掃する。
この灼熱の前には、眷属の力であろうとあっけなく燃えカスになってしまうけれど。
完全に消滅する前に、灰の中から新たな生命が産まれ出る。
まるで“豊穣”。
長い冬を越えて恵みの果実を宿す、大地の祝福。
それらは獣を象って四足で地面を駆け、背後の王女を狙う。
息を吸い、強く足元を踏みつけて。
振り返ることなく剣を振る。
「おおっ!」
巨体の脇からぐわんと伸びる獣の腕を、宝剣で捌く。
竜の炎は毛深く力強い太腕を正面から受け止め、灼熱で溶かしていく。
切り落としたそばから腕は再生して、足元には小さな獣たちが現われ出る。
気を抜けばたちまちに生い茂る草木に囲まれて、無限の生命に押しつぶされてしまうだろう。
死と隣り合わせの状況。
一瞬たりとも油断の許されない。
けれど、体は軽い。
竜の力の反動も今までよりずっと少ない。
もちろん宝剣のおかげでもあるだろうけど。
それ以上に経験。
俺自身が成長していた。
飛び交う獣の腕をぎりぎりでかわし、体を捻った勢いで切断する。
回避も反撃も、動きは最小限。
放つ力に無駄はなく、必要な力だけを刃に纏わせる。
頭に浮かぶのはあの光。
いつかの夜──王女を狙った刺客の凄まじい槍閃。
切っ先に集中させた力でひと息に敵を討つ、達人の技。
あのとき俺は完膚なきまでに負けた。
力も技術も何一つ、相手に及んでいなかった。
だからこそ、俺は今日まで自分の全てを見直した。
剣筋に立ち回り、足の運びから手首の返しにまでいたる肉体の動き。
そして何よりも、相棒である精霊の運用。
いくらイアが無限の力をくれても、人でしかない俺には扱える限界があるから。
流れこむ竜の力を溢れさせず、要所要所で強く発現させるのだ。
まるで用意した火薬を、合図とともに爆発させるみたいに。
王女から賜った宝剣、ファーガスの指導と立合い、ディーネの魔法運用術……。
仲間から受け取ったすべてを糧にして、俺は強くなる。
《やるねぇ、カイル!》
イアの声が内に響く。
沸きたつ竜の力に、彼女も興奮しているみたいに。
「お前も乗ってるな!」
確信はもてないけれど。
ここは聖域──太古の空気が色濃い聖地。
精霊の力も、より強く発揮されるのかもしれない。




