第74話 水精の舞い
はいはーい、と甘ったるい声がする。
「スカちゃんお呼び~?」
見覚えのある戦士と魔法使いと治癒師の女の子たちが、すたたっと集まってきた。
「“水精”に乗るよ」
スクゥアは左腕を体の前に掲げる。
奇妙な文様を刻まれた石が、手甲の上に嵌められていた。
「あれ、ちょっとお股が慣れないんだよね~」
「そう? あたし好きだけどなぁ」
「きゅうきゅうして可愛いの!」
アイドルみたいな容姿で、露出高めの女の子たちはどうにも戦場にそぐわない。
何となくリーダーは戦士の子だと思っていたけど、どうもスクゥアが率いていたようだ。
「カイル・ノエ」
声の鋭さに背筋が伸びた。
「私たちで海魔を釣り上げる。合図をするから、奴が体を出したところを倒すんだ」
振り返るスクゥアの表情はやっぱり、とても優しくて。
「君と君の剣と君の精霊なら、容易いはずだよ」
「あ……」
答えようとして叫び声が遮った。
空の魔物がこちらの事情などお構いなく次々と襲いかかってきて、護衛たちは対処に追われている。
「頼んだよ」
スクゥアはぱちりと目配せして、掲げた左腕を開く。
それから船縁に足をかけ、ためらうことなく海に飛び込んだ。
「スク──」
慌てる俺の眼の前で、光が弾けた。
俺はきっと間の抜けた顔をしていた。
まるで幻想が──“異界”が目の前に現れたみたいだった。
海豚。
空中でスクゥアを受け止めた生き物は最初そう見えた。
弓のように反り返った体が海中から飛びだして、きらきらと飛沫を上げながらスクゥアをぴたり背に乗せる。
美しく青光る体面からは、薄く透明な羽がいくつも生えていた。
間違いない、これはこの世に在らざる“幻想生物”。
スクゥアは“召喚師”──幻想生物を喚び出し使役する特殊な術師──なのだろうか?
「翔けろ、シルキィ!」
スクゥアに応えて、水の精は丸っこい頭をつんと上げて、きゅうんと愛らしくひと鳴きする。
そして主を背に乗せたまま、海面を滑るように泳ぎだした。
水上を翔けるスクゥアの背中を追っていると。
「いっくぞー!」
「調子に乗らないでね!」
「は~い!」
スクゥアの仲間たちが一斉に船縁からジャンプした。
彼女たちが宙に舞うと、同じ数だけの水精が現われる。
シルキィのおぼろに輝く背に乗って、少女たちは化物が口を開く海へと恐れず飛びこんでいく。
「さあ、舞おうか!」
スクゥアの号令に、シルキィに乗った少女たちが見事に統制のとれた隊列を組む。
あの格好で大胆に足を開いて……なんてことはすぐに頭から消えて。
幻想生物と一体化した少女たちは自在に、まさに舞うように海上を飛びまわる。
まるでおとぎ話の中から出てきたみたいに。
水しぶきが上がり太陽の光を反射して眩しい。
そばにはおぞましい海魔がいるというのに、その闇をかき消すほどに少女たちは輝いていた。
□□□
人怪鳥の大群に船上は混乱していた。
ただでさえ海魔によって船が不安定に傾ぐ中、けたたましい怪鳥の鳴き声が正常な判断を狂わせる。
「私に向け」
そんな状況で、俺たちの船にファーガスがいたことは間違いなく幸いだった。
大岩のような体躯から放たれる威圧が、宙の怪鳥たちを呑みこむ。
契約する岩鉄の精霊の力が弱まっていて、かつての呪いにも似た圧倒的支配には至らないものの。
アルピーは“盾”の圧力に押されて、ふらふらと力なく漂うところを次々討たれていく。
ファーガスは大蛇との戦いで大盾を失っていたけど、王女から与えられた鎧が今は代わりを果たしていた。
俺の剣と同様に由緒のある鎧はファーガスが鍛え上げてきた技を受け止め、固い防御で敵を寄せつけない。
「むぅん!」
ファーガスは先端にそれぞれ刃と棍棒を備えた長柄武器で敵を倒していく。
衰えたと言いつつ、少なくとも見た目は前よりも頑強で凶悪に見えた。
意気軒昂な盾を頼もしく思っていると。
「《第五階》“旋柱刃”──」
吹き上がる風の刃がアルピーを微塵に刻む。
.
「──“二重詠唱”!」
触れるものを切り裂く風の柱が複数、同時に巻き起こった。
「ディーネ!」
船室からよろりと現われた彼女は青ざめていたけど、魔法に衰えはない。
「……むむ」
そして彼女の背に浮かぶ分け身のエリィ。
顔をぎゅっとしかめて(可愛い)、主とともに魔法を放つ。
“二重詠唱”。
ディーネの魔法を全く同じ威力と精度で放つエリィの力。
実質ディーネが二人いるようなもので、とても強力だ。
「おおっ!」
仲間たちの援護を得て、俺は黄昏の陽を手に敵の群れに飛びこむ。
宝剣の前では怪鳥など相手にならない。
一振りで数体、宙から地面に斬り落としていく。
俺たちの加勢で船の上の護衛たちは勢いづき、連携をとってアルピーの群れを押し返す。
余裕が生まれると、向かいの船にも魔法を飛ばして援護する。
どうやら船の上はどうにかなりそうだけど──
「ひゃっはー!」
朗らかな声を響かせて、戦士の女の子が槍みたいに細く鋭い柱を次々と海面に突きたてていく。
「おねがーい!」
「りょ~!」
いつも通りのやりとりなのだろうか。
はたから見ているとゆるくて緊張感がないけれど。
水着みたいなローブ姿の魔法使いが。杖を頭の上で振る。
心臓が内側から弾けそうな轟音とともに、海上の柱に雷が落ちた。
不規則に落ちる魔法の稲妻はやがて海魔を取り囲み、水面下に隠れた巨体へと通電して。
──。
不快げな咆哮を放ち、海魔はその場で身を翻す。
「危ない!」
海の下から海魔の太い脚──あるいは手──が銛のように幾本も射出されて、雷柱を破壊し少女たちに襲いかかる。
けれど──
「やほーい!」
シルキィがしなやかに跳ねて軽々と攻撃をかわす。
まるで遊戯みたいに、彼女らはこの状況を楽しんでいた。
武器や魔法、魔道具などを駆使して少女たちは海魔をイジる。
化物に有効な傷こそ与えられないものの、煩わせ苛立たせ、徹底的に邪魔をしている。
効果は確かに上がっていて、海魔が生みだした渦の勢いが徐々に弱まっていた。
シルキィに乗ってけらけらと笑い海を跳ね回る少女たちに、誰もが見とれていた。
そりゃあみんな可愛いし着ている装備も刺激的で、俺もちらちら視線を奪われてしまって。
「……」
ディーネが睨んでいないかな……いない?
「頃合いかな」
スクゥアの声が俺を現実に引き戻した。
それまで仲間の援護に徹していた彼女が、正面から海魔に向かっていく。
「カイル・ノエ!」
叫ぶと同時にシルキィを空高く舞わせて。
「行くよ!」
シルキィの背を蹴って、自身さらに高く飛び上がった。
太陽がまぶしくて正確には捉えられなかったけど。
スクゥアは空中で長い棒を踏みつけて、海魔に向かって蹴り飛ばした。