第70話 それぞれ2
ななな、と動揺して目を泳がせる俺の反応を楽しむように、フィオネはくすくす笑った。
彼女は俺とディーネのつき合いを快く思っていなかったんじゃないっけ?
「そのことは……申し訳ありませんでした。お嬢さまが怪我をされて取り乱してしまい、ご本人の気持ちを考えることもできなくて」
フィオネは言ってこくりと頭を下げる。
慌てて俺は首を振った。
全ての責任は俺にあるし、彼女が怒りは当然だから。
「ディーネのことが本当に大切なんですね」
言うと、フィオネはの表情が優しくなって。
「私の家族は親の代からずっと、マクニース家でお世話になってきました。お嬢さまや亡くなられたお姉さまも、使用人である私にとても親切にしてくださいました」
エリーシャが亡くなった時、フィオネは悲嘆に暮れるディーネの傍に寄り添い、ともに悲しみ涙を流した。
そしてディーネが家を飛び出すと迷わず後を追った。
「お嬢様の才能に疑いはありませんでしたが……その、いろいろとあやうい方ですので」
まあたしかに……そうかもなぁ。
「だからこそ、今あなたがいて下さって安心しています」
フィオネはにこりと首を傾ける。
「できればこの先も、お嬢さまの傍にいて下さればと」
主を思う気持ちが伝わってくる。
悩みも苦しみも、彼女はディーネと分かちあってきたのだ。
「安心してください」
彼女の真っ直ぐな気持ちを受けとめて、俺は答える。
「俺はこれからもディーネの傍にて、彼女を守ります。もう二度とあんな怪我はさせません」
他でもなく自分自身に言い聞かせるように。
よかった、とフィオネはほっと息をついて。
「お嬢様もきっと、お喜びになられます」
今まで見たこともないくらいに、目元を緩ませていた。
□□□
ディーネのこと。
俺と一緒に王女の護衛をする傍ら、仕事外には屋敷地下の魔法工房にこもって実験や錬成に勤しんでいた。
俺には基礎的な魔法の知識しかないから、ディーネがやっていることはちんぷんかんぷんだったけど。
ディーネはうきうきと透明な器に入れた奇妙な色の液体をずらっと並べて吟味し、ぐつぐつ煮える魔法釜を覗いてはにやにやして……。
うん、気味が悪かった。
優れた魔法使いというのは例外なく優れた学者であるもので。
彼らが往々にしてそうであるように、ディーネも魔法に関しては“ちょっと変な人”なのだろう。
それでも生き生きと魔法研究に打ちこむ彼女を見ていると、(多少引きながらも)心が満たされた。
彼女が笑うとつられて笑顔になるし、彼女が何かしているとその一挙手一投足を追って、ちょっとした仕草にどきりとしてしまう。
ああ。
やっぱり、俺はディーネが好きなんだ。
この先もずっと、彼女と一緒にいたい。
……。
ディーネは俺のことをどう思っているんだろう。
フィオネとのやりとり以降、そう考えることが増えた。
“仲間”としては信頼してもらえていると思う。
一緒に冒険して危険を乗り越えて、お互いがお互いを必要としていることが分かる。
でも“男”としてはどうだろう。
ディーネは俺のことをそこまで意識しているだろうか?
俺よりむしろファーガスの方に……なんて考えてしまうと実にあり得そうで、頭がもやもやしてして落ち着かない。
傷のほうは少しずつ、けれど確実に良くなっているようだった。
ブリギッドがときどき屋敷を訪ねて来てくれ、治療を施してくれた。
彼女はいつも派手で元気で賑やかで、毎回ディーネの部屋で何時間か施術をした。
「覗いたら女神さまの罰が下るぞ~」とおもに俺に向かって言って(失礼な!)、二人して部屋にこもってなにやらお話しして、ときどき笑い声が響いたりもして。
……べつに覗きたいだなんて思ってないし。
傷を直接見ることはできないけれど、俺は心底ほっとしていた。
「本当によかった」
聖女さまに礼を言って、ディーネにも声をかけると。
「う、うん……」
小さく答えて、ディーネは顔をそらしてしまう。
なんだろう、ちょっとぎこちない空気。
まるで俺に見られたくないみたいに。
何かしたかなと思ったけど、心当たりはない。
そりゃあいつもディーネのことは目で追っているし、スカートの丈が短かったりするとじっくり見てしまっていたかもしれないけど。
それが悪かったのだろうか?
うーん……もやもやする。
ブリギッドについても少し。
暇を見て俺たちは一度聖堂区の教会を訪れ、“聖女ブリギッド”が祝福を施す場面に立ち会った。
ブリギッドが現われる日には大勢の人々が集まり、席はすべて埋まって溢れた人たちが壁に沿って並んでいた。
主任司教の講話が終わってブリギッドが裏手から姿を見せると、場がぴたりと静まり返って、どこか恍惚としたため息が漏れ聞こえた。
目にして、その格好に目を疑った。
屋敷に来た時と違って、教会ではさぞ清楚でしとやかな聖衣を纏っているのかと思っていたけれど。
彼女の羽織る神聖なローブは丈が非常に短くて、彼女自慢のおみ足をさらけ出していて。
もちろんとても綺麗なんだけど……やはりブリギッドはどこまでも我が道を行く人のようだ。
「祝福を求める者ら──」
司教が聖女に深く一礼をし、訪問者たちを導く。
位では司教が上であっても、やはり特別な存在なのだろう。
誰もが聖女に敬意を払い頭を垂れた。
いささか刺激の強い服装に比べて、ブリギッドの聖女ぶりは見事なもので。
集まった大勢の人々を順に相手して、話に耳を傾けときに治癒の術を施して……。
老若男女どんな相手にでも微笑を絶やさずに接して、優しく言葉をかけ癒しと祝福を与える。
想像を超えてその仕事は大変そうだったけど、ブリギッドは疲れも嫌な顔も見せずにこなしていた。
「すごいね、大人気だねお姉ちゃん!」
イアは役割をこなす聖女の姿に打たれように、まぶしい視線を送っていた。
ブリギッドは俺たちに気づくと微笑んでくれたけど(ファーガスを見ると特に)、ゆっくり話す余裕はとてもなかった。
石造りの「聖女の椅子」に腰をおろして大勢に囲まれ祝福を施す彼女の身体に、白い光が降り注いでいた。
陽光が効果的に差し込むような教会の設計もあるだろう。
けれど間違いなくそれは、ブリギッドの授かった“女神の加護”だった。
それは夏の盛りに比例するように強くまぶしく輝いて。
いるんだ。
温かいものに包まれるような陶然とした感覚の中で、俺は思った。
この世界には天上の神々が本当に存在していて、遠くから人間を見守っている。
そしてこの大地の下には、かつて神と呼ばれた眷属たちが本当に眠っていた。
幼い頃に物語られたおとぎ話──神話の物語はまだ続いている。
神話生物たちの争いが終わり人間の時代が訪れた今でもなお、それは見えないところで生き続けている。
……いいや。
本当は人間の時代なんて訪れていないのかもしれない。
そんなこと俺たちが勝手に思っているだけで、この大陸は、この世界は、今でもずっと神話の中にあり続けている──
「カイル、行こう」
ファーガスの声に我に返り、俺は教会を後にする。
外に出たとたんに夏の太陽が顔を焼いた。
太陽。
直視できないほど眩しい大いなる力の源──絶対の存在。
その力が異界への扉を開くのだという。
そこから、何かが現われ出ようとしている。
果たして善きものなのか、悪しきものなのか。
俺に分かるはずもなかった。




