第65話 パパ
正門でベルを鳴らしても返事がないので、裏手の隠し道から入って来たとブリギッドは言った。
教会から馬車に乗ってきたようで、露出の高い服装で夜道を歩いてきたわけではないことに安心する。
今朝マーヤから連絡があり(伝達用の鳥がいるらしい)、屋敷の幽精に言いきかせて欲しいと頼まれた。
「用事があってこんな時間になっちゃったけどね」
ブリギッドはソファに腰をおろしてハーブ茶を啜る。
見た目の印象とはうらはらにその仕草には気品があふれて、身に着けた教養がにじみ出ていた。
「実際“言いきかせ”られるんですか?」
「もちろん」
聞くと、ブリギットは指を丸めて見せる。
いちいち指でサインをつくるのはこだわりだろうか。
彼女は生まれつき、“異界のものたち”との交信が得意だった。
アイリーン王女も敏感なほうではあるらしいけど、自在に交流できるほどではないみたいで。
「ここの幽精とは仲良くしてきたからね。みんなお姉ちゃんのこと恐がって、私のとこ来てたんだから」
ブリギッドが言うと姉は心外そうに首を振る。
たしかに近づきがたい気持ちは分かるけれど。
「だからえーっと、ディーネちゃん? 部屋に行かないよう言っとくから、もう大丈夫だよ」
指をひらひらさせてウィンクする。
「ありがとうございます……聖女さま」
畏まるディーネに、「ブリちゃんでいいよ」とブリギッドは気恥ずかしそうに頬を染めた。
深夜のお茶会は、ブリギッドの快活でよく動く(騒々しくならない奇跡的な按配の)舌のおかげで、絶えず明るかった。
ついさっきまで、“敵”の襲撃を受けていたのがウソみたいに。
イアとエリィはすっかり聖女に懐いていたし(どうやら聖力は精霊にも心地よいらしい)、アイリーン王女も妹の前だと澄ましてはいられないみたいで、幼い頃の失敗談を持ち出されて慌てふためく姿が新鮮だった。
ブリギッドは俺にもディーネにも気さくに話してくれたけど、ただ一人ファーガスに対してだけは違って。
それも──ちょっと変な方向に違っていた。
ブリギッドは少し距離を置きながらも、絶えずファーガスに流し目を送っていた。
自分が抱く思慕の情を隠そうともしないで、それでいてしとやかさを装ってアピールして。
ファーガスはアイリーン王女の隣に座っていたけど、明らかに居心地悪そうに聖女を見ないようにして、話を振られても生返事だった。
そもそも庭で“お祓い”を終えて王女の方に戻っていったとき。
ブリギッドは不意に立ち止まって、王女の隣に立つ大男を見て言ったのだ。
「……パパ?」
と。
□□□
さすがに夜も更けて、王女が目をこすって立ち上がった。
「部屋は片づいている?」
マーヤに問うと、ブリギッドの寝室はつねに塵一つもないと胸を張っていた。
「えーでも~」
けれどブリギッドは急に甘えたような声を出して、ファーガスの方に顔を傾ける。
「わたし、パパのところに泊まりたいな~」
猫撫で声をあげながら床を滑るように近づいて、ファーガスの腕をとる。
「……できればそう呼ぶのはやめてほしいのですが」
誤解を招きます、とファーガスは冷や汗を流して首を振る。
えーいいじゃ~ん、とさらに聖女は体を寄せて、隆々とした腕に豊かな胸を押しつける。
相手が相手だけにファーガスも無下に振り払えないようで──
「やめなさい、ブリギッド」
ぴしゃりとアイリーン王女が制し、空気が一瞬で冷たくなった。
戸惑う俺たちをよそに姉妹の視線がしばし交錯した。
にらみ合うほどではなかったけど、そこには大事な何かが交わされているように思えて。
「はーい、わっかりました~」
棘を隠さず言って、ブリギッドは腕を離す。
「それじゃあみんな、おやすみなさ~い」
聖女は部屋の者一人ひとりを素早く見やると、最後にまたファーガスに媚びた笑みを送り部屋を出て行った。
「騒がしい妹で、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、そんな」
王女に頭を下げられて慌ててしまう。
「でもどうしてファーガスさんのこと、“パパ”って」
ディーネがつぶやく。
アイリーン王女は視線を床に落として迷っていたけど、やがて諦めたように息を吐いた。
「彼──ファーガスは私の父、つまり先王に似ていらっしゃるのです。とても、よく」
膝に置かれた手がきゅっと握られる。
ためらいと恥じらい、それにすこしの悔い。
複雑なものが小さな拳には包まれていて。
「妹は父をとても慕っていましたから。ファーガスに亡き父の姿を重ね合わせたのでしょう」
きっと、王女自身も。
「もしかして、それがファーガスを一緒に呼んだ理由なんでしょうか?」
「理由でない、とは言いませんが」
ファーガスから視線を逸らして、王女はしどろもどろになる。
「それだけではありません。その、色々あって……」
美しい唇が震えていた。
王女の様子を慮ってか、マーヤが今日は休むように促した。
すみません、と断り王女は立ち上がる。
「近いうちに全てお話しいたします、必ず。雇主として、大陸の“王”たるものとして、お約束いたします」
そう言って、アイリーン王女はそそくさと部屋を去った。
幽霊屋敷らしい静けさをあとに残して。
□□□
ディーネと別れイアを寝かしつけると(コロッと寝入ってしまった)、俺は忍ぶように部屋を出た。
話しておきたいことがある、とファーガスに呼ばれていた。
「すまない、疲れているだろうに」
ファーガスは自室の小テーブルに腰かけていた。
弱い照明のなかに巨体が浮かび上がって。
人によってはそれこそ、先王と瓜ふたつに映るのだろうか。
テーブルを挟んで向かいに腰かけると。
「王女と寝たよ」
ファーガスはおもむろに告白した。
昼間俺がディーネと出かけている間に、アイリーン王女から求められるまま体を重ね、そして今晩も彼女の部屋でベッドをともにしていたと、ファーガスは一息に言った。
それから呆気にとられている俺に向かって。
「求婚されたんだ」
彼女が選定の儀をへて晴れて女王となった暁には、王配としてそばで支えて欲しいと。
アイリーン王女は耳元でそう繰り返したと。
ゆらゆら揺れる薄明りの中、俺は何も言えずにファーガスの目を見ていた。




