第63話 王女の器量
星屑みたいに細かな魔法弾が刺客へと放たれた。
捉えた対象を自動追尾する《流星弾》。
触媒さえ使うことなく、ディーネは第七階の高位魔法を連発する。
刺客は瞬時に反応して槍を側面に構える。
あるいは初めから寸止めだったのかもしれない。
いずれにせよ俺は膝をついて、魔法弾があっさり捌かれる様子を見ているしかなかった。
「いい魔法だね」
刺客がディーネの方に向いて。
「若いのに大したもんだ」
ディーネは表情を強張らせ、前面に魔法障壁を展開した。
離れていても分かる、強靭な密度と硬度。
溜めもなくこれだけの盾を作りだせる魔法使いはそうそういない。
だけど──影。
「ひゃっ!?」
障壁が粉々に砕け散って、ディーネは悲鳴を上げながら倒れる。
人をかたどった影が、刺客の身体から飛び出して障壁を斬りつけた。
「ディーネ……!」
強大な力は同様の反動を生む。
助けに行きたいのに、体が動かない。
けれど刺客は追撃しなかった。
自分の技の感触を確かめるみたいに、その場で槍を振っている
俺は膝をついてディーネは倒れて、ファーガスは王女を守って。
庭に沈黙が下りた。
□□□
「うん」
刺客は一度名残惜しそうに俺から目を離して。
「これは警告だよ、アイリーン=ミレーシア・レスターン王女」
そして状況を見守っていた王女に言い放った。
「“選定の儀”を辞退するんだ。儀式が終わるまで、聞き分けのいい犬みたいに屋敷の中で静かに過ごすといい」
月灯りが刺客を深い影に沈めていた。
「大人しくしていればそれで終わり、何も起こらない。王都の人びとは今までどおり穏やかに暮らしていく。あなたとしても、無用な波風を立てるのは本意でないだろう」
清涼な声は体の内に直接響いてくるかのようだ。
「これは優しさだよ、王女」
手にした槍のように鋭く、刺客の言葉が王女を射抜く。
「あなたを殺すのは造作もないことだ」
けれどそうはしなかった。
悔しいけどそれは事実だった。
「誰もあなたに死んでほしいとは思っていない。かの“賢王”のご息女として、皆あなたに敬意を抱いている。聡明なあなたのことだ。これからも閑静な屋敷の深窓に佇んで、王都の民がふとした時に思いやる拠りどころとしてあり続けるといい」
影の中にあっても、その目に浮かぶ慈愛が溢れて見えて。
刺客の言葉は本当に、心からのものだった。
「その方がきっと、あなたも皆も幸せだろう」
全て語り終えたのか刺客は腕を組んで、また沈黙が流れた。
俺たちの誰も動かなかったし、召喚された死霊たちも物音ひとつ立てなかった。
□□□
「愚かですね」
わざとらしい大きなため息をついて、王女は口を開いた。
「そんな脅しに私が従うとでも?」
涼しげに忠告をいなして、現実となった襲撃がへの恐怖も戸惑いも一切顔に出さずに。
俺が思う以上に、この人には度胸があるのかもしれない。
「私は王になります。王になって大陸に変革をもたらします。この大陸が、押し寄せる荒波に呑みこまれぬように」
刺客に向かって、王女は凛とした声を返す。
「今の世を良しとできますか。一部のものが富を独占し、民の怨嗟に耳を傾けぬ今の状況を見過ごせますか。己の保身に勤しみ、刻一刻移り変わる“外の世界”に目を向けぬ愚か者どもを野放しにできますか」
俺は自然と、王女に引きつけられていて。
「私には責務があります。無念を抱えたまま逝かれた先王と、そして兄の意志を継ぐ者として、この大陸を正しく導く義務があります」
威光。
やはりこの人には誰もには持ちえない、特別なモノがある。
「今のはあなたの言葉ではないでしょう」
押し黙る刺客を気圧すように王女は続ける。
前に出て手を伸ばすと、月光が雨露のように降り注いだ。
「ふうん?」
刺客は興味を引かれた様子で王女の言葉を待つ。
「思想が無ければ与えましょう。金銭を欲すなら賦与しましょう。快楽が欲しければなおのこと──」
王女は指を唇に当てて。
「──私のもとに来なさい」
言葉そのものに力があるみたいに、その“声”が周囲を引き寄せる。
「決して、あなたを飽きさせはしません。私ならあなたの求めるものをより多く、より良く与えることができます。おそらく、あなたの“主人”よりも」
誰もが呆気にとられた中で、絶対の自信に満ちた表情が月灯りに眩しくて。
「ふふ」
刺客の抑えた笑いが庭に響いた。
「なーるほど。聞いてた通りに面白い人だ」
「受けいれますか?」
王女が問うと、刺客は槍に身を預けて空を仰いだ。
まるで遠くにいる誰かに問いかけるみたいに。
「どうかなぁ……私にはまだ、“果て”が見えてない」
月の光がいっそう強さを増したように思えた。
「時間はまだあります。それほど長くはありませんが」
考えておきなさい、と王女は踵を返す。
「今日のところはお引き取り願います。とても熱い夜で……睡眠も浅かったので」
主導権はこちらにあるとばかりの態度に、さすがの刺客も苦笑いを浮かべて。
「本当、面白い人だね」
飛び上がり、一息で魔法照明の上に立った。
「楽しかったよ“竜の戦士”。またね」
そしてほんの少しの未練を俺に向けて、刺客の姿がかき消えた。
魔法か何かと見間違うくらいに素早くて、あとには静寂だけを残していった。
□□□
それはいいんだけど。
「……こいつらはどうする」
ファーガスが庭を眺め渡してぼやいた。
立つ鳥跡を──なんて言葉は、あの刺客の頭になかったのだろうか。
あたりには召喚されたままの死霊たちがたむろしていて。
主がいないせいか、彼らは目的を失いとろとろと歩き回ったり、宙を漂ったりしている。
ここはもう、完全な“幽霊屋敷”になってしまった。
俺たちのことも眼に入らないみたいでひとまず危険はなさそうだけど。
「陽が昇るまで放置、かな……」
死霊は陽光に耐えられないし、魔物とはいえ無抵抗の相手を討伐するのも気が引けた。
向こうではディーネが頭を抱えながら起き上がっている。
そばに行って手を貸したいのに、極度の疲労で体が動かない。
屋敷からはマーヤが顔を出して、ファーガスも王女を促す。
「それではひとまず──」
「あれぇ?」
王女の言葉が遮られた。
刺客が舞い戻って来たのかと思ったけど、その声はもっと幼く甘い。
「みんなして庭に出て、どーしたの?」
小柄な少女が、屋敷の裏手から一人庭に入ってきた。
「ね、お姉ちゃん?」
アイリーン王女に向かって、少女はそう問いかけた。