第62話 影の刺客
刺客は魔法照明の上に器用に直立して、フードの下で瞳がぎらりと瞬いた。
視線は真っすぐ俺に──俺だけに向けられていた。
手には長い槍のような棒を持っていて、背後に浮かぶ月に細い黒線が走る。
そして王女には目もくれず。
予備動作もなく突っこんできた。
今まで見たこともないくらいに速くて。
時間が、止まった気がした。
□□□
剣に炎を纏っていなかったら、まともに喰らっていたかもしれない。
気づけば刺客が目の前に迫り、俺は炎を噴き上がらせて闇雲に剣を振る。
爽やかな香りが鼻をかすめた。
手ごたえはなく剣は空を切った。
ファーガスは棒を投げようとしたのか、腕を上げたまま固まっていて。
「速い……?」
目に映る光景と肌に残る感覚とが上手く同期しない。
刺客は再び、魔法照明の上に直立していた。
外套に乱れもなく何事もなかったかのように平然として。
……今、相手は何をしてきたのだろう。
「やっぱり竜炎は厄介だね」
透き通るように綺麗な声は、それでいてずしりと威圧感がある。
剣を振ったまま、棒を振りあげたまま、俺もファーガスも動けなかった。
「少し遊ぼうか」
刺客が片手をあげると、周囲の死霊が後退する。
一騎打ちを望んでいるようだった。
「気をつけろカイル」
ファーガスは王女を守るように立つけれど、おそらく刺客の意識はそこにない。
「あれは、不可解だ」
うなずいて、溜まった唾を呑む。
雰囲気に呑まれるな。
相手がどう動くか、その一挙手一投足を観察する。
相手の底が分からない以上、むやみに仕掛けるわけにはいかない。
まずはしっかりと相手を見極め、確実な時機を狙って竜の一撃を──
「出し惜しみはいけないよ」
目の端に何かがちらと瞬いて、反射的に体が逸れた。
すれ違う刺客は、フードの影の下で笑みを浮かべていた。
刃が俺の頬をかすめて細い血が伝う。
刺客が、俺とファーガスの間に入っていた。
ファーガスは鉄棒を構え王女をかばうけれど、刺客は取りあわず俺に振り返る。
もし、相手が本気で王女を狙っていたなら詰んでいた。
その事実に肌が粟だつ。
「竜の力は負担が大きいのだろうけど、私を相手に効率なんて考えちゃだめだ」
刺客は悠々と俺の横を通り過ぎ、間合いの外側まで歩いていく。
反撃されるなんて夢にも思わないみたいに。
「全力でかかっておいで」
槍を持つ手を柔らかく回し、刺客は言った。
うかがえるのは余裕と、包容力。
俺に剣を教えてくれた、師匠のことがふと思い浮かんだ。
「イア、頼む」
何かがすとんと落ちる感じがして、俺は剣を両手で握り直した。
《……気をつけてね、カイル》
俺の心をくみとって、イアが力を送ってくれる。
全身の感覚が開く。
俺の体に、超常の竜の力が流れこんで。
そして人の限界を超える。
漲る力と滾る炎で全てを焼き尽くす、一匹の、絶対の獣へ。
「大丈夫だよ」
微笑む刺客の表情。
慈愛。
そう表現する他ない。
「全部、受けとめてあげる」
息を吸い、腰を落とし。
踏み込む。
□□□
三分か五分。
それとも二分だったろうか?
時間の感覚が無くなって、感じている余裕もなかった。
イアの力を限界まで引きだして刺客に向かう。
柄から切っ先に至るまで、聖なる竜炎が迸る。
数段階引きあげられた知覚で相手を捉え、あふれるオーラが強化した腕で剣を振るう。
並の魔物なら反応もできずに刃の餌食になる。
たとえ受けられても、竜炎が容赦なく相手を呑みこむだろう。
「いいね!」
けれど刺客は嬉々として。
正面から炎の刃を受けとめ、平然と剣を捌き凶悪に突き返してくる。
「……!」
奇妙な感じだった。
イアに力をもらった俺の炎は並の武具など灼熱で溶解させ、破壊してしまうのに。
竜炎を警戒しつつも刺客は恐れず前に出て、身の毛もよだつような正確さで槍閃をくり出して。
穂先の返しは、刺されれば死ぬという簡潔な事実を伝えていた。
柔らかい手首が槍の軌道をきめ細やかに操り、煙のように捉えどころのない足さばきで距離を詰め、そして殺意の出所すら曖昧に必死の突きが放たれる。
達人だった。
俺が出会った槍使いの中で、間違いなく一番の。
「くっ!」
竜炎で薙ぎ払おうとするも、刺客はそれをたやすくかわすどころか槍で切り裂きさえして。
まるで見知った攻撃であるかのように。
「とてもいいよ」
攻めあぐねて焦りをつのらせる俺に、刺客は終始笑みを絶やさない。
それはまるで、不出来な弟子を見守るかのようで。
強い。
とてつもなく強い。
──
がくん、と膝が落ちる。
「しまっ……!」
限界が来ている。
まだ有効な打撃を一つも与えていないのに。
相手が強いのか。
それとも俺が弱いのか。
刺客がゆっくりと迫ってくる。
竜の力で動きは見えていても、迎え撃つ体勢がとれない。
切っ先はもう眼前にある。
殺られる──
「──《流星弾》!」
ディーネの魔法が刺客に放たれた。