第6話 竜精の願い
「あの時──黒い獣と戦った時、私たちは一時的に契約してるんだ」
イアに言われると、錠が解かれるように記憶が戻ってきた。
森の中で遭遇した巨大な獣と、襲われていた少女。
「あれはその場しのぎの“仮契約”にすぎなかった。あなたの了解をちゃんと得たわけじゃなくて、無理やり私が中に入っただけだから」
思い出してきた。
あの時の、世界を統べるような感覚。
そして黒い獣に向けて放った、憎悪の炎。
「俺は死にかけてたはず──」
「そう。私の力で無理やり修復した。そのせいで今ちょっと反動が来てるけど、村の人がちゃんとした治療を施してくれたから大丈夫」
イアは俺の不安をぬぐうように言った。
「私と正式に契約して欲しい。あなたの中に、私を置いて欲しい。代わりに私が力を与える。私の中の、“竜”の力を」
彼女の瞳が力強く俺を見つめる。
少女の容姿からは想像もできないほどに、その意志は固い。
かつて最強の種族として地上を闊歩したものの、“嵐の大戦”の後に地上から姿を消し、一説には完全に滅んだとされる“竜”。その魂を宿す“竜精”だという精霊が、今目の前にいる。
よりにもよって、俺のところに。
頭に浮かんだ問いを彼女に向ける。
「目的──君の“願い”とはなんだ? どうしてそんなに契約を急ぐ?」
「時間がない……かもしれないから」
イアはうつむいて表情を殺す。
再び顔を上げると、不安や恐れ以上の何かがそこにはあった。
「私はね、“竜の楽園”をつくりたい」
青い瞳の中に映っているもの。
「もう二度と彼らが傷つかず、そして誰も傷つけない、穏やかに暮らせる場所を見つけたい」
自らに課せられた使命への覚悟。
「竜は……まだ存在しているのか?」
イアが竜の精霊だとして、彼女を生みだした竜そのものは今どこにいるのか、そもそも生きているのか?
「嵐の大戦で大きな被害を受けた竜たちは、“地下”に潜って眠りについたの。温かい暗闇の中で、傷ついた体を癒してる。私は、竜たちの見る“夢”から生まれたんだよ」
「地下に……」
呆然とする。
嵐の大戦の後に訪れた平和な時代──“無風の刻”が長く続いて、神話生物は実在を疑われるほど遠いものになった。
けれどイアの言葉が本当なら、彼らは眠っている。
地下深く、この世界のどこか遠くで。
続くイアの言葉は衝撃的だった。
「無風の刻が終わろうとしてる」
長い平和が過ぎ去ろうとしている。
「その時は竜だけじゃない、他の“眷属”も目覚める。そうしたらまた、大きな戦いが起こる。今地上にいる生き物──人間も含めて、また争いが起きる」
地上の覇権をめぐる、生存戦争が。
「私は──竜たちは、それを望まない。もう地上世界への欲望も、眷属たちと争う力もない。この世界のどこかにある“安らぎの地”に、竜が住める楽園を造って穏やかに暮らしたい。それが私の──私たちの願い」
頭が追いついていない。
地下に眠る竜、無風の時代の終り、眷属の目覚め、そして安らぎの地。
彼女の言葉を信じるのなら、何か大変なことが起ころうとしているのだ。
「あの黒い獣は……」
「うん。きっとそのきざし。私が森で目覚めてすぐに、あいつは私の“匂い”を嗅ぎつけて襲ってきたんだ。私の持つ“竜の魂”を狙ってね」
まったく。
すでに始まっているということか。
恐れより先に芽生えた高揚感は、俺の本能だったか、あるいは打算だったろうか?
これから訪れるとされる戦乱の時代を、面白いと思ってしまったのは。
それを告げたイアが、竜の精霊だったことは。
剣一本でこの世界に名を刻む。
それは冒険者にとって金以上の最高の栄誉。
混沌の世界にこそ英雄は生まれる。
そして、俺がずっと抱えてきた“目的”。
冒険者を志した根本の理由。
叶うかもしれない。
彼女と契約することで手に入る、強大な力をもってすれば。
……だからこそ悔しい。
自分が、“精霊殺し”であることが。
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