第56話 幽霊屋敷(真)
話すべきことは全て話し終えた様子で、王女はソファに背をもたれさせる。
彼女の話を反芻して質問を考えていると、使用人が王女の耳元に何かを囁いた。
「ああ、そうでしたね」
王女はうなずいて立ち上がる。
「今日はこれで失礼いたします。後のことはマーヤに任せておりますので、どうぞおくつろぎください」
すっと立ち上がると王女は部屋横の扉から出ていってしまった。
口を挟む暇もなかった。
呆気にとられた俺たちを、マーヤと呼ばれた使用人が促す。
「お部屋を用意しております」
仕方なく俺たちは後について廊下に出た。
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回廊を渡った先に来客用の別棟があった。
外に出ると雲の切れ間に沈みかけの陽が見えて。
伸び放題の雑草が残光の陰になって、やっぱり幽霊が出てきそうだった。
本館と比べて別棟は掃除が行き届いて、古びてはいるものの埃は払われ蜘蛛の巣も無くて。
俺たちへの配慮かもしれないけど、それなら本館も掃除しておけばいいのに。
俺とファーガスの部屋は一階、ディーネは二階だった。
貴族の邸宅としては決して広くないけど、ロンゴードの牢屋みたいに狭い借間と比べると十分すぎる待遇だ。
「お食事は広間で。用意が出来ましたらお声かけいたします」
マーヤは告げてディーネを連れて二階に行った。
荷物を紐解いて部屋を確かめる。
居間と寝室、二間が割り当てられている事実に感動を覚える。
「ベッドが大きい!」
寝台の真ん中でイアがポンポン跳ねていた。
俺は除霊の痕跡でもないかと部屋の壁を調べて回ったけど、どうやら何の変哲もない客室のようだった。
屋敷を訪れてから怪しい空気に中てられ続けて、ちょっと神経質になっていたのかもしれない。
南に向いた窓からは荒れた庭が見える。
王女との面会を思い起こすと、屋敷の光景とは全く釣り合っていない。
アイリーン王女はどうして、こんなところに暮らしているのだろう?
「居心地はどうかね」
声に振り向くと、開いた扉からファーガスの体が半分覗いていた。
中庭に向いた廊下の木窓からは、ぼうぼう茂った夏草と錆びついた彫像が見える。
年月のせいか全体がひどく破損して表情も分からない。
「どう思う」
ファーガスは一言で尋ねた。
「……変だなとは、いろいろ」
口に出すと余計に疑念が強まる。
面会が唐突に打ち切られたせいで質問できなかったけど、こうして一息ついてみると状況はひどく曖昧だ。
王族であるアイリーン王女が、どうしてこんな荒廃した屋敷に暮らしているのか?
彼女の暗殺を企んでいるという”敵”とは具体的に誰なのか?
そして”神託”を受けたのは事実なのか?
依頼を受けた立場では言いづらいけど、正直疑わしくてならない。
“神の声が聞こえる”なんて信じられるはずがない。
けれど、王女を前にしたときの感覚。
何かこの世ならざるものを、確かに俺は受け取った。
王女には“特別な力”がある。
ディニムもそう言っていたけど。
「私も思うところはあるが……今日はどうにも疲れてしまったな」
ぼやくファーガスに同意する。
半日馬車に揺られて王都の喧騒を浴びて、不気味な館に招かれて不可解な話を聞かされて。
今日一日だけでいろいろあった。
夕食まで休もうとファーガスと別れて。
部屋に戻ると、広いベッドの上でイアが寝息を立てていた。
□□□
日没後に館の一室で夕食をとった。
食事は質素でつつましかったけど、文句なんてない。
しばらくは毎日時間どおりに食事がとれる。
根無しの冒険者にとってこんなありがたいことはない。
使用人のマーヤは目配りの利く女性で、食事の間は影のように脇に控えて何かあればてきぱき世話をしてくれた。
アイリーン王女からの信頼も厚いみたいで、できれば主の話を聞きたかったけど。
みんな疲れていたのか、食卓は終始静かだった。
食後に離れの小さな浴室で汗を流して、部屋に戻ると急激に眠気が襲ってきた。
イアと並んでベッドに寝転ぶと、何を考える間もなく睡魔に呑まれてしまう。
閉じていくまぶたの裏で、王女の橙の瞳がちらついた。
…
……
………
かん高い悲鳴に目が覚める。
暗闇に目を凝らすと、いつの間にか開いていた窓から弱い風が吹き込んで。
「イア……?」
横を見ると、イアは俺に体をひっつけて眠っていた。
どたどたと階上で音がして、やがて階段を下って近づいてくる。
起き上がって扉の方にこわごわ向かうと。
「──カイル!」
切羽詰まった声がして、扉が激しく叩かれた。
「ディーネ?」
声の主に気づいてすぐに扉を開けると。
途端。
がばっと、胸の中にディーネが飛びこんできた。
入浴したのか爽やかな香りが鼻を優しく撫でて。
湿り気を帯びた髪が、ふわりと俺の頬を擦る。
状況が許せば、このまま彼女を腕の中に収めてしまいたかった。
「カイル!」
ディーネは涙声で俺を呼んだ。
「ど、どうした?」
さすがに戸惑って、彼女の背中をさすって落ち着かせると。
「……幽霊」
うん?
「幽霊、出たの」
ディーネは顔を上げて俺に訴える。
真っ青な表情はむしろ、彼女の方が幽霊みたいだった。
「ベッドに入ってしばらくしたら廊下で物音がして、あんまり続くから外に出て確かめてみたの」
ディーネは俺の腕をぎゅっと握って体を寄せる。
柔らかな感触に心臓が跳ねて。
悟られないように体を離そうとするけど、がっちり腕を押さえられていた。
「そしたらね、廊下の奥にぼぉって何かが浮かんでたの」
ディーネはがちがちと歯を鳴らす。
「最初は灯りかなって思って、でも見てるうちに形が変わっていって……人の顔が見えて」
あんまり強く掴まれると腕が折れそうだ。
「やっぱりここ、幽霊が出るのよ」
どうやらディーネも同じように感じていたらしい。
まさか本当に出るとはお互い思っていなかっただろうけど。
「大丈夫だって」
彼女を宥めて一緒に二階に上がる。
こういう時に物怖じしない、頼れる男だというところを見せておかなくては。
二階に足を踏み入れると、冷たい空気に鳥肌が立った。
室内なのに向こうから風が吹いているようで。
確かに、俺たち以外に誰かの気配がする。
「ほら……」
ディーネが震える指で前をさした。
二階の廊下奥は行き止まりで窓もなかったけれど。
そこには何か光るものがあった。
細長くゆらゆらと揺れている様子は、たしかに人の形にも映る。
「ディーネ、“明かり”を」
こぶし大の光球をいくつか前に飛ばしてもらうと、人影が少しくっきりする。
それは薄い紙みたいにぺらぺらとなびいて、顔らしき丸には何かでこぼこした模様が浮かんでいる。
この曖昧な感じ、確かに幽霊っぽい。
「あー、えっと……幽霊、なのか?」
俺もだいぶおかしくなっていたのだろうか。
返答はなくて、しばし白い光と黙って向かい合う。
「カイル、どうにかして……!」
部屋に虫が入ってきたみたいに訴えて、ディーネはますます体を押しつけてくる。
おかげで冷気の中でも、俺の腕はとてもぬくぬくしていた。
「うーん……」
どうにかしてあげたいのはやまやまだけど、俺は除霊師でも聖職者でもない。
それに相手が襲ってくるならともかく、ただ廊下の端っこで揺れているだけなわけで。
「ひっ……!」
迷っているとディーネがまた声を上げる。
まるで俺の呼びかけに応えるみたいに、白い光がさらに複数現れて。
ディーネはもう振動を繰り返す自動人形みたいになってるし、俺もこの状況をどうしたものか皆目見当がつかない。
確かなのは、この屋敷に得体の知れない何かが潜んでいること。
すぐにでも主に問いただして──
「もし」
背後からの声に心臓がきゅっと締まって。
──
ディーネの悲鳴が館中に響き渡った。